第59話 それが永遠の愛というものよ
「それでいいの? プリンセス? 手加減した方がいいなら、するけど」
「必要ないない、思いっきり、殺すつもりでやっておしまい。というかホントに殺していいわよ。弱っちいお荷物勇者なんて、戦力に数えるだけめんどうくさいもの」
私の進退をあげつらって、プリンセスメイリーがバルトに笑いかけた。
生きるか死ぬか、私の実力を試すにはこの上ない判断材料ではあるけれど。
言われた私にしてみればたまったものではない。
もちろん私だって、何の力も示せず、金魚のフンのように他人の後ろについていくことをよしとするほど、ぶざまな人間になりさがるつもりはない。
だからフィフスが異を唱えようと進み出たその時に、私は彼の発言をさえぎった。
「待って、フィフス」
「いやメモリア、これは無茶だよ。実力がどうとか、生き死にがどうとかじゃなくて、提案自体がむちゃくちゃだ。メモリアが本気で取り合う必要なんてない」
フィフスはめずらしくけわしい表情をして、プリンセスメイリーをにらんでいた。
彼なりに私のことを心配してくれているのだと、よくわかる。
それは仲間として、私を大切に想ってくれているからだと思う。
でも、仲間である以上に私の力不足を心配していることもよくわかる。
私に勝ちの目があるのなら、フィフスだって私を戦いに送り出してくれるだろう。
だけど悪魔バルト……聞くに、彼の実力は魔王候補に次ぐものだという。
そもそも今の私がかなう相手ではない。
だからむちゃぶりだと、フィフスは文句を言っているのだろう。
そうだとわかっていても、私は言わなければならなかった。
「フィフスがことを荒立てる必要はないわ。私が勝てばそれで解決だもの」
「でもね、それは、メモリア……」
フィフスが口ごもる。彼のこういう優柔不断なところは、いつだって変わらない。
だから私はフィフスの代わりに、彼の言いたいことを言ってあげた。
「勝てないって、言いたいんでしょう?」
「……そうだよ。僕やエミリーが戦っても、出の目次第で勝てるかわからない相手だ。メモリア、キミじゃ無理だ。考え直してくれ」
「いやよ」
私はフィフスの制止をさえぎって、剣を抜いてバルトの前へと進み出た。
フィフスは辛そうな顔をしている。
ごめんね、フィフス。だけど私の気持ちもわかってほしいの。
手持無沙汰なバルトは曲芸用のナイフをくるくる回している。
その彼を相手に剣を構えて、私は戦いの時を待つ。
「私はもう、フィフスのお荷物になりたくないから。ここで戦う。戦って、勝って、自分の意思を示すの。他でもない私自身のために」
「メモリア……」
フィフスが悲しそうに私を見ている。
だけど彼はその悲しみに耐えて「わかったよ」と、私を送り出してくれた。
エミリーとモルガンはもの言いたげにしていたけれど、口をはさまずに黙っている。
みんな、私では勝てないと思っているんだろうな。
無理もない。私自身、勝ちの目がある戦いだとは思えないのだから。
待ちかねたようにバルトが私に言った。
「話は終わった? もういいかな? 僕はいつでもいいけど」
「ええ、いつでもどうぞ」
「それじゃ」
その直後、バルトの言葉と動作の継ぎ目を、私は観察できなかった。
ほとんど瞬間移動みたいな埒外の踏み込みで、バルトは私にナイフを突き出す。
それはエミリーの命を狙ったときとほぼ同じ、神速の一動だった。
文句なく、速い。
「遠慮なくいくよ」
真正面からさしこまれたナイフの尖端を、私は剣の腹でかろうじて流す。
速い、見えない。
避けられたのはほとんど偶然みたいなとっさの反応だった。
剣とナイフのリーチの差なんて、土台で関係がない。圧倒的な技量の差。
人間と悪魔のフィジカルの差を考えても、能力の優劣はあきらかだった。
――勝てない。
そんな悲鳴を食いしばって、私は反撃に剣を振るった。
バルトは私の一撃を軽々と、それも大味なバックステップでゆうゆうと避ける。
バルトの場合、紙一重の戦いなんて最初から考えてもいないようだ。
そもそも余興の戦いだ。ふつうに戦って、安定して勝てればそれで十分なのだろう。
だというのに、たった一度の交差で、九死に一生を得た私は冷や汗を流す。
私は弱い、弱すぎる。この弱さを私はどうすれば克服できるのか。
エミリーは私のことを天魔王獣の資格者だと言ったけれど、そんな大昔の伝説は今を生きる私にとってなんの助けにもなってくれない。
バルトは踏み込み、私は退く。
バルトは投げやりにナイフを振るい、私は懸命にそれを払いのける。
大人がこどもをあしらうような。
強い者が弱い者をつまらなくあつかうような。
そんな一方的な展開が、いつまでも続く。
バルトが本気でないのは目に見えてよくわかる。
殺気を感じないし、彼の戦いにやる気を感じないからだ。
「私を殺すんじゃなかったの?」
「そうだね。確かにプリンセスは殺していいって言ったけど……でも、本当に殺してしまうとおまえの仲間たちが黙っていないだろうからさ」
「…………」
「降参してくれると、手っ取り早くて僕はありがたいよ」
それは私にとってどうにもならない屈辱だった。
私はフィフスやエミリーのお荷物になりたくなくて、この場に立っている。
だけどそう望んでいる今でさえ、私は彼らの力と存在に命を守られている。
激情して子どものようにわめきちらせたら、どんなにか楽だろう。
少し前までの私なら、勇者の誇りを建前にして幼く意固地になっていたに違いない。
私は変わった。フィフスのおかげで少しだけ心持ちを変えられたように思う。
だとしても、この力だけは、未だフィフスやエミリーに遠く及ばない。
やる気のないバルトの刺突と斬撃を、しかし私は神経をすり減らして防御する。
一息でも気を抜けば命を奪われてしまうギリギリの一線で私だけが戦っている。
勝てない。だとしても……フィフスの前で情けない姿は見せられない!
「私は――」
「ふーん……意固地ねえ」
その時に、プリンセスメイリーがため息をついた。
プリンセスメイリーは指先をパチンと弾く。
すると私とバルトの間を隔てて、床から分厚い氷の壁が生えてあらわれた。
面食らった私は思わず立ち止まり、バルトもまた戦いの手を休める。
「タイムよ。バルト、ちょっと待ちなさい」
パチン、パチン、パチン。
プリンセスメイリーの指が弾かれるリズムに合わせて、床から氷の壁があらわれる。
その氷の壁は私の四方を囲んで、私を壁の中の空間に閉じ込めてしまった。
壁に囲まれた空間で私はひとりぼっち。
――と、おもいきやその場所に、どこからともなくプリンセスメイリーがあらわれる。
逃げ場のない閉じた空間で私は息をのむ。
もしこの時に彼女が望むなら、私の命は風前の灯だ。
私はこの時に青い顔をしていたか、それともけわしい表情をしていたのか。
そんな私の緊張を知ってか知らずか、プリンセスメイリーが息をつく。
魔王候補プリンセスメイリーの口から発せられたのは、思いがけない一言だった。
「……あんたねえ、少し落ちつきなさいよ」
「へ?」
「そうそう、そのくらいの間抜け面で、ポカンとしてるのがいいわ。ははは」
「…………」
「冗談よ、ったく、冗談も通じないの? あんた」
プリンセスメイリーがあてつけがましくため息をつく。
「張り詰めちゃって、まあ、そんなんだから、竜王の心を掴めないのよ」
「……竜王?」
「愛しのフィフスくん。と言った方が、あんたにはわかりやすいのかしらね」
バカにされているのだと、すぐにわかった。
戦士としての実力をからかわれるなら耐えられる。
私が弱いのは事実だからだ。
だけどこの胸の恋心を侮辱されるいわれはない。
こどもじみた怒りだとわかってはいても、私は言わずにはいられなかった。
「フィフスは関係ないでしょう! 私の弱さをバカにしたいのなら、そう言えばいい!」
「でも図星でしょう? 愛しい彼の目を気にして、愛しい彼の気持ちを気にして、自分が育てた他人の理想と重圧に押しつぶされそうになっている。あんたを見てるとバカでもわかるわ。なに? 違うの?」
「それは……」
「だから、落ち着けって言うのよ」
プリンセスメイリーが苦く笑った。
彼女のそれは嫌味や皮肉ではなくどこか呆れたような笑い方だった。
プリンセスメイリーはなにが言いたいんだろう?
私に何を伝えたくて、こんな話をしているのか。
それともこれも私の心と強さを試す試練なのだろうか?
そんな私の戸惑いを見抜いて、プリンセスメイリーは首を横に振る。
「まあそういうところよね。あんたの弱さの根本は」
「…………」
「よろしくて、人の縁は
プリンセスメイリーが藪から棒にニコリと笑う。
なにやら古風だ。
しかし言われてしまった私は、いきなりのことで疑問符を浮かべるしかできなかった。
「は、はい?」
「だからさあ、人の縁は
「……私がそうだと、言いたいんですか?」
「自分の存在が他人にとって心休まる居場所であるかどうか、それを考えてみればいいんじゃなくて?」
「…………」
考えてみた。答えはすぐに出た。
私には切羽詰まって余裕がない。
いつだって心が追い詰められて、本音のところではギスギスしている。
たとえばモルガン。彼女と私を比較すればよくわかる
悔しいけれど、教養の面でも、人間性の面でも、私は彼女よりも未熟で劣っている。
内面と外面を問わず“余裕”、という点ではなおさらだ。
改めて考えてみれば……
私ではなくモルガンがフィフスの心を射止めたのは当然とさえ言える。
人の縁は
少し考え方が古すぎる気もするけれど、プリンセスメイリーの指摘はもっともね。
誰だって、心落ち着ける存在にやすらぎを見出すのがあたりまえなのだから……
そうやって私が気落ちしていると、プリンセスメイリーが口をはさんだ。
「待てばいいのよ。急いてはことを仕損じる。あんたがもし、自分の弱さを克服したいのであれば、それは先を急ぐことではなく、伏して待つことの中にしか答えはない。結果なんてものは、最後にくっついてくるオマケなんだからさ」
「…………」
「そんなもんよ。強さも恋の結実も、そんなもん」
「……それには賛成できません」
「へえ、というと?」
「時間は有限です。悪魔のあなたには理解できないかもしれませんが、人間はそれほど長く生きられないんです」
それは人間にとって当たり前の話だ。
私は悪魔ではない。だから人間の理屈を語る。
「待っている間に、好きな人が他の誰かを好きになってしまったらどうしますか? 待って、待って、待ち続けて、年老いてしまったら、どうしますか? 自分や相手が死んでしまったら、どうしますか?」
「そう……」
「あなたの理屈は悪魔の怠惰です。私は賛成できません」
私は切実に語った。
なぜなら私はすでに遅きに失している。
力の強さでも、この恋心でも、誰彼に後れを取っている。
行動せずしてなにを得られるというのか。
得られるのは失敗と手遅れの状況だけだ。私はそれをよく知っていた。
だけど、プリンセスメイリーは……
「そうねえ」
彼女は私の強がりを否定することさえせずにやさしく微笑む。
そうしてプリンセスメイリーは私を見つめて、穏やかに言うの。
「待っていて、他の誰かに愛する人を奪われてしまったとして。愛しい人を待ち続けて、おばあちゃんになってしまったとして、その想いに殉じて、なにひとつ得られることなく生涯を終えてしまったとして」
聞くに痛ましい話だ。
私は嫌だ。絶対に嫌だ。そう思う。だけど、プリンセスメイリーは……
「それってさ。なにか問題?」
彼女は困りもせずにそんなことを言ってのけた。
戸惑っている私に、プリンセスメイリーはなおも言う。
「勇者メモリア。あんたは弱いわ。やさしさと甘さの区別もなく。近しい者と赤の他人の線引きさえできていない。子どもだと言い訳するにはあまりにもおろかな未熟者よ」
その通りだ。私は言い返すことができなかった。
誰だっていつまでもこどもではいられない。
私は私のモラトリアムのうちに、自分の心に答えを見出さなければならないのだと思う。
それを失敗に終わらせたくなくて、私は思い悩んでいる。
その私の惑いを見抜いて、プリンセスメイリーは笑いかける。
「失敗して、嫌われて、死んだって別にいいじゃない」
それは悪魔の誘惑だった。
さりとて堕落をうながすだけの甘言ではない。
しかしそうだとわかってはいても、私は首を横に振るしか選択肢を知らなかった。
プリンセスメイリーは子どもをあやすみたいに、言う。
「潔癖ね。でもそのおろかさに殉じて、あんたがあんたの正しさを目指していくことができるなら、それはきっと強さになる。私にはない。竜にもない、悪魔にもない。あんただけの強さに」
「あなたは……」
「たまにはおろかであってみなさい」
プリンセスメイリーは冷たい氷とは反対の太陽のような温かさでニッコリ笑った。
「人を待ち今を楽しむこと。それこそが永遠の愛というものよ」
「……そんなのは言葉だけです。理屈だけの愛で、偽物の幸せですよ」
「ガキねえ。愛に本物も偽物もあるもんですか」
それが当然であるかのように、プリンセスメイリーは迷いなく言い切る。
「あるのは、続くか終わるか、それだけよ」
――『続けられるか、終わらせてしまうか、それだけよ』
プリンセスメイリーはそう繰り返して、指をパチンと鳴らした。
冷たい氷の壁が失われて、閉じた空間が外界とのつながりを取り戻す。
バルトとフィフスたちの姿が見えた。
待ちくたびれた様子のバルトがプリンセスメイリーに問う。
「もういいの?」
「ええ、いいわよ。とんだ期待外れの甘ちゃん勇者だわ」
氷の玉座に座りなおしたプリンセスメイリー。
彼女はさっきまでの笑顔がウソみたいな冷酷さでバルトに命令を下した。
「今度こそ殺しなさい。本気で、手加減なしの全力で」
「ん、了解」
バルトがうなずき、手にしたナイフで今日初めて構えらしい構えを取る。
先ほどまでとは次元の違う重圧が、私の身を押しつぶすように苛む。
全力と言いつつ獣石を使って悪魔のすがたにならないのは、手加減をしているわけではなくて、謁見の間を破壊しないための配慮なんだろう。
しかしそんな絶体絶命の危機を前にしても、私の心は不思議と澄み切っていた。
これから私は死ぬ。きっと死ぬ。
フィフスの目を気にして、私は死ぬ。
フィフスの気持ちを重荷にして、私は死ぬ。
フィフスの……いや、他人への劣等感をいだいて、私は死ぬんだろう。
「そうね」
でもそんなのは嫌だから。
私は私の数少ない友達がくれた……キアラがくれた宝石の“首飾り”を自然と握る。
青紫の首飾り、天魔王獣の加護を宿すというその首飾りを。
天魔王獣。
1000年前にすべてを滅ぼしたというあなたは、何を考えて死んでいったのか。
――死ぬの?
その時に、私は自分の思考のかたすみで、真っ白な少女の幻影を見る。
不思議なことに、その少女は私と同じ顔をしていた。
白い髪、青白い肌、白い服。
病人のようにやせ細った身体と、どこまでも悲しい光を宿した赤い瞳。
死人と見間違うような風体で、真っ白な少女がなにかを恐れるように問う。
彼女はただ、死ぬのが嫌なのだと、よくわかる。
――ここで終わるの?
不安なんだな。と、私は私と同じ顔をした白い少女の気持ちを察する。
死にたくない。彼女はただ死にたくないのだと、よくわかる。
ならばこそ、今を生きる私は彼女の不安に自分の答えを示さなければならなかった。
「いいえ、続けましょう」
間違え続ける私の迷いを。
フィフスを想う私の気持ちを。
そしてなによりも、伏して待ち、生きてそのときを待ち続ける――
「続けましょう、私の戦いを!」
白い少女が安心したように、消えていく。
そして消えていく彼女が私の手を取ったときに、私は白い少女の名前を知る。
たわいもない話だ。すべてはたわいもない私の心の病だ。
だけどその幻想は、現実の光となって、白い輝きが私の身体を包んでいく。
青紫の宝石。その首飾りが、白く、白く、染まっていく。
その白い輝きが晴れたときに、私は“翼”を広げて、氷の世界に降り立った。
白い羽毛と一対の翼。
汚れひとつないこの姿は、私であって私でない、究極の“力”の顕現だった。
私は歌う。
この名は世界の祝福を歌う者。
「“私たち”の名はルインボイス」
その名こそは私だけに科せられた、血と宿命の戦い。
「ルインボイス・ロード・オブ・ビースト」
私は殉じる。
誰よりもおろかに。
そして誰よりも強く。
それが私の“夢”ならば。
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