第58話 メモリアへの試練

「なら、モルガンはプリンセスメイリーに呼ばれて魔界に?」


 謁見の間の扉の前。


 分厚い氷の扉が閉じたその場所で、僕はモルガンにたずねた。

 聞くに学び舎の国で別れてから、モルガンはひとりで旅をしていたらしい。


 それは裏切り者の悪魔として、他の悪魔に命を狙われる厳しい旅だ。

 モルガンはその旅の過程でプリンセスメイリーの従者……つまりはバルトだ。彼の誘いを受けて、魔界と氷の国に招待されたのだという。


 竜として。

 裏切り者の悪魔として……というのは僕の邪推なのかな。


 すると案の定というべきか、モルガンは僕にこんな話を教えてくれた。


「いいえ、フィフス。人間世界の悪魔と魔界の悪魔は、あまり互いに関係がないのよ」


「へ? そうなのかい?」


「ええ、1000年前に道分かれて以来。魔界と人間世界とでは、同じ悪魔でも系統がまったく違うの。だから、ある意味、私様としては助かったのよね」


「なるほど、モルガンは人間世界の悪魔に恨まれているから」


「その通り。私様はプリンセスメイリーが魔界に招待してくれたおかげで身を寄せる場所を得られたのだわ」


 渡りに船とはこのことだと、モルガンは苦く笑っていた。


 プリンセスメイリーがなにをたくらんでモルガンを魔界に招待したのか。

 そしてまたなんの目的で僕とメモリアを氷のお城に招待してくれたのか。


 その答えは想像することしかできない。

 とはいえ、今のところは少ない情報であれこれと頭をなやませるよりも、プリンセスメイリーに直接たずねてみるのが手っ取り早く確実だろう。


 せっかくこうして、はるばる氷のお城にやってきたんだ。

 それがいいさ。それがいい……


 そんなふうに僕がひとりで納得していると。


 横合いに立つモルガンが、ふと興味ありげに僕の顔をのぞきこんでいた。


「フィフスはなんだか変わったのね」


「ん? そうかな?」


「変わったわよ。あんまり物怖じしなくなったっていうか、言って悪いけど、以前はもう少し頼りない雰囲気だったじゃないの」


「ひ、ひどくない?」


「そうそう! そーゆーふうにいちいち動揺してくれるのが庇護欲をくすぐる感じで可愛らしかったのよ!」


「……ノーコメントで」


 僕はあきれて苦く笑う。


 モルガンは「からかい甲斐がないのね!」と楽しそうに笑ってくれた。

 久しぶりに会っても、モルガンはまったくゆかいな人だ。


 しかしモルガンの上機嫌とは反対にメモリアが口を曲げているのは気のせいかな?

 エミリーは他人事に興味がないようで、眠そうにうつらうつらしている。


 無言で氷の扉をにらんでいるメモリア。

 プリンセスメイリーへの謁見を前にして緊張しているのかな?


 モルガンはそんなメモリアに微笑みかけた後、こんなことを言った。


「ところでハンドレッドは? そういえば今日はまだ彼のおしゃべりを聞いていないわね」


「…………」


「フィフス?」


「ハンドレッドはいないよ。少し前にお別れをしたんだ」


 そう言って、僕は自分のふところから翡翠色の竜石を取り出した。


 美しく輝く宝石。

 しかし今はもう、あの口やかましいハンドレッドの声は聞こえてこない。


 彼がいるときは小言がうっとうしいくらいにしか思わなかったけれど。

 離れてみると、やっぱりさみしい気持ちになるね。


 モルガンは少なからず僕の事情を察してくれたようで、何も言わない。

 とはいえ辛気くさい雰囲気は僕もあまり好きじゃない。


 だから僕は竜石を手元でクルリと回して、明るい話を伝えた。


「でもいつかきっと、また会えると思うよ。なにせあいつは僕にとっての――」


「お待たせ、謁見の準備ができたよ。入ってきて」


 そこで僕とモルガンの会話をさえぎって、バルトが声をかけてくれた。


 すこし名残惜しいけれど雑談の時間はおしまいだ。

 僕たちはバルトの先導に従って、大きな扉をあけて、謁見の間へと足を踏み入れる。


 氷のお城にふさわしく、氷を削りだした玉座に腰をかけて。

 青紫の瞳の少女が、僕たちを待っていた。


 真っすぐ長い黄金の頭髪と、黒いゴシックドレス。

 彫像のような少女。彼女がプリンセスメイリーなのかな?


 魔王というよりは小悪魔みたいな外見の女性だね。

 長命の悪魔を見た目で判断するのはおろかなことかもしれないけどさ。


 しかしいかにも硬く冷たい氷の玉座にすわる彼女に僕は言わなければならなかった。


「寒くないの?」


「初対面でなかなか舐め腐ったことを言ってくれるじゃないの」


 ――「はんっ」と、僕をあざわらうみたいに言って、彼女は頬杖をついた。


 彼女はそのままの体勢で、行儀悪く、僕たちをながめてあいさつをした。


「ようこそ、氷の国と私のお城へ。星の瞳の竜王さん。私は私の都合のもとに、あなたたちの存在と訪問を歓迎するわ」


「そっちも初対面でずいぶんな言い草だね……」


「うっさいわねー、まともに相手してやろうと思ってたのに、いきなり話の腰をへし折ったのはあんたでしょうが。男なら自分の言葉に責任を持ちなさいよ。なよっちい野郎ね」


 なるほど、このお方は口が悪い。と、僕は半笑いながら思ったよ。


 案内役のバルトに目配せをすると、「好きにして」という投げやりな言葉が返ってきた。

 まあいいか、竜と悪魔は、お互いに頭を下げ合うような関係ではないし。


 相手が魔王だからといって、見え透いたご機嫌取りはしなくていいだろう。


 メモリアとモルガン、エミリーの発言がないことを確認してから、僕は言葉を続けた。


「あなたがプリンセスメイリーですか?」


「そうよ。私はメイリー。氷の国のプリンセスメイリー。あんたはフィフスね。そっちがメモリア……で、そこの不愛想な女勇者が、ルユインの飼い犬」


 言われたエミリーがフッと一笑した。


 『犬でなく竜ですよ』……いや、これは違うかな。

『猟犬はあなたのしもべでしょう』……とでも思っていそうだね。エミリーはね。


 なんにせよ、全員が自己紹介をしなくて済むのは話が早くて助かるさ。


 そこでまず、僕は回り道をせずに自分たちの都合を伝えることにした。


「招待してくれてありがとうございます。素敵なお城ですね。僕とメモリアは人間世界に帰りたいんです。助けてもらえますか?」


「ええ、いいわよ。送り返してあげる」


「って、本当ですか!? ホントに!?」


「……その死ぬほど馬鹿正直なリアクションに免じて、ひとつだけ話をしてあげる」


 あきれてものも言えない。とでも言いたげなプリンセスメイリーだ。


 間抜けに食いついてしまった僕をジト目で見つめながら、彼女は口を開いた。


「私はね。大魔王になりたいのよ」


「大魔王」


「ええ、魔を統べる大魔王よ。魔界に住まう悪魔にとって、大魔王の玉座がどんな意味を持ち、どんな権威を持つのか、少しくらいはルユインから聞いているでしょう?」


 まあ、少しくらいは……


 1000年前の青い血の魔王……すなわち大魔王が死んで、失われた大魔王の座。

 その空白の座をめぐって、魔王候補が小競り合いをしているとか、なんとか。


 ルユインとプリンセスメイリー、そしてカルマとセプテム。

 4名の魔王候補が魔界で覇を唱えている、という話を聞いた記憶があるね。


 その旨をプリンセスメイリーに伝えると、彼女は「そうね」とうなずいてくれた。


「星の瞳の竜王。私はあなたとあなたの仲間の竜に、他の魔王候補を倒す手伝いをしてほしいのよ。この私の念願が成就したあかつきには、のぞむがままの報酬を与えると約束しましょう」


 言うなり、プリンセスメイリーは玉座から立ち上がって僕の方に歩いてきた。


 そして彼女は憎い竜である僕に対して、臆することなくその右手を差し出して見せる。


「竜王フィフス。手を貸しなさい。それがあなたのためでもあるわ」


「と言われてもね……」


「ま、そういうと思ったわよ。誰でも最初はね」


 答えをしぶる僕に笑いかけて、プリンセスメイリーはモルガンの方を見た。


 僕と同じく竜の力を持つ、白い潮騒竜のモルガン。

 プリンセスメイリーはそのモルガンに発言をうながしていた。


 僕が視線を向けると、モルガンは少し迷ったそぶりを見せる。


 そしてやがて、モルガンは意を決した表情で、僕たちみんなに聞こえるように言った


「フィフス。私様はプリンセスメイリーに協力するべきだと思うわ」


「モルガン?」


「いきなり、こんな話をしても信じてもらえないかもしれないけどね。魔界に住まう悪魔は、人間世界に住まう悪魔と違って、人族にあまり敵対的な感情を持っていないのよ。興味を持っていない、というか、1000年前の怨恨を引きずっていない、というか……」


 モルガンの語りはたどたどしい。


 モルガンは青い血の悪魔だ。

 そしてまた、彼女は僕とメモリアが悪魔に家族を奪われたことを知っている。


 だから、かな。モルガンの語りには少なからぬ迷いがあった。

 なんとなくわかるよ。


 これからモルガンが語るのは、きっと僕たちにとって受け入れがたい話なんだろう。

 僕はモルガンの言葉を待った。メモリアも今は静かに耳を傾けている。


 モルガンは言った。


「プリンセスメイリーは、私様に約束をしてくれたの。彼女が大魔王になって魔界が統一されたあかつきには、魔界の悪魔は人間世界に移住すると。そして大魔王として、人間と悪魔が共存する道を選んでくれる、と」


「それは……」


 僕は思わず表情をしかめていた。


 人間と悪魔の共存。

 聞くだけなら素晴らしい提案ではあるけれど、それを手放しで喜べるはずがない。


 悪魔は人間を殺す。

 彼らはムシケラを踏み潰すみたいに、人間を殺すんだ。


 なのに……


「ごめん。でも聞いて、フィフス」


 暗い思考に囚われかけた僕を、モルガンの声が現実に引き戻した。


 モルガンは真剣な表情で、身振り手振り、僕たちに訴える。


「私様だって、なにも考えなかったわけじゃないわ。だけどね、遅かれ早かれ魔界が統一されるときは来る。そのときになって、魔界の強い悪魔が人間世界に進出してきたら、人族はどうなると思う?」


「…………」


「確実に淘汰とうたされますね。人間世界は名実ともに悪魔の世界になるでしょう」


 黙った僕の代わりに、話を聞いていたエミリーが見え透いた未来を教えてくれた。


 誰に言われずとも、そんなことは最初からわかり切っている話だ。

 人族の国家は一枚岩ではない。それに人間世界には人間世界の悪魔もいる。


 内憂外患だ。それでは立ち行かないに決まっている。


 その悲劇的な破滅を避けるためにこそ、モルガンは言うんだ。


「プリンセスメイリーは強い悪魔だけれど、他の魔王候補はそれ以上の力を持っている。彼女の思い描く理想が人族と魔族の共存だとしても、今はまだ絵空事にすぎない。だけど、私様はその理想を絵空事で終わらせてはいけないと思うの」


「…………」


「私様は、彼女に協力するべきだと思う。獄炎の国のカルマと七星の国のセプテム。そして……」


 モルガンは一度だけエミリーの方を見た。


常闇とこやみの国のルユインを倒す。私様は悪魔として、そして竜として、プリンセスメイリーに力を貸すと決めたのよ」


 メモリアは険しい表情をしている。


 エミリーも無表情をよそおいながら、わずかな迷いを抱えているようだ。

 モルガンの言い分はわかる。


 プリンセスメイリーの“約束”がウソ偽りでないならば、だけど……


 話の真偽はさておき、僕はひとつプリンセスメイリーに尋ねなければならない。


「プリンセスメイリー。ひとつだけ質問を許してください」


「ん、どうぞ。ひとつと言わず、みっつでもよっつでも」


「人間世界の悪魔は人を殺します。ゴミのように、むごたらしく人間を殺します」


 メモリアが悲しくうつむいた。


 モルガンも複雑そうな表情をしている。

 学び舎の国で犠牲になった人々の無念は、今でもまだ僕たちの心に刻まれている。


 プリンセスメイリーはそのすべてを見通して、うなずいた。


「ええ、そうね、品性の無い連中だわ」


「あなたが大魔王になったとして、その悪魔たちを、あなたはどうするつもりですか?」


 プリンセスメイリーは迷うことなく堂々と答えた。


「従える。と約束しましょう。法と秩序で縛って、私の理想に従うものだけを、真なる悪魔だと認めましょう。それ以外は悪魔にあらず。罰すべき賊としてあつかう」


「…………」


「世にそむく賊のあつかいは、人間も悪魔も同じことでしょう?」


「ええ、そうだ。確かに……ありがとうございます。安心しました」


 僕はうなずき、一歩を進み出る。


 差し出されたプリンセスメイリーの右手に、自分の右手を重ねるべきか。

 僕は口を結び、迷う。


 そんな僕を試すみたいに、エミリーが声を上げた。


「ほお? フィフスくん、まさか本気で、そんな絵空事に協力するつもりですか?」


「いや、迷っているよ」


「ならやめておくことです。優れて長命の種族と劣って短命の種族。それがお互いに共存できると思いますか? いずれは破綻する。プリンセスメイリーの語りは、ひとときの甘い夢ですよ」


 主君の理想をけなされてか、バルトの両目が厳しく細められた。


 強い悪魔に敵意をむけられても構わず、エミリーは僕だけを見ている。

 誰の言葉が正しく、誰の理想が現実にそぐうのか、それは自分で考えなくてはならない。


 参考までに、僕は別の可能性をたずねてみた。


「なら、エミリー。キミの友達はどうすると思う?」


「ルユインですか? 彼なら、“競争”……と言うでしょうね。戦争はさすがにエネルギーを使いすぎますから、なにか別の形で人族と魔族を競争させて、共通の発展をうながす。そんなところですか」


 プリンセスメイリーが嫌がるみたいに舌打ちをした。


「はんっ、ロマンチストのキザ野郎にはふさわしいわね。自由競争? 誰彼の善意に期待しすぎでしょ? 私に言わせれば、そっちの方がよっぽど理想郷じみているわ」


「どうぞお好きに。ただし」


 ただし、と付け加えて、エミリーはまぶたを閉じた。


 それは皮肉や冷笑ではなく、避けがたい現実を認める諦めに似た態度だ。


「魔星竜王セプテム……彼が生きている限り、どちらにせよ魔王候補の理想が現実になることはない」


「…………」


「プリンセスメイリー。こればかりは、ルユインにとっても、あなたにとっても、共通の認識であり、“弱い者”が持つ、避けがたい現実だと思いますよ」


 そのときに、バルトが動いた。


 道化らしく、どこからともなく曲芸用のナイフを抜き放って、エミリーに突き出す。


 目にも止まらぬ早業だ。エミリーは顔を狙ったその刺突を、紙一重でかわす。


「おまえ、しゃべりすぎだろ」


 ナイフの刃がエミリーの頬をかすめて、赤い線を引く。


 エミリーがバルトの腕をつかみ、バルトは無言でその腕を押し込む。

 目と鼻の先の距離でバルトとエミリーが睨み合った。


 そのときに、冷や汗ひとつ流さないプリンセスメイリーが言う。


「おやめ、バルト」


「…………」


 バルトはエミリーの手を振り払って、しりぞいた。


 そして従者の非礼を謝罪する代わりに、プリンセスメイリーはおおいにうなずいた。


「そうね。耳が痛いけど、一理あるわ。まずはセプテムを倒すためにこそ、私はあなたたちの助力を求めるの。あいつの夢も私の理想も、すべてはそれからの話ってことよ」


 プリンセスメイリーは差し出した右手を引っ込めた。


 そして改めて、彼女はその青紫の瞳で僕の両の目をまっすぐに見る。


「あんたたちが人間を守りたいと思うのなら、ひとまずは力を貸しなさい。星の瞳の竜王フィフス。そして――」


 プリンセスメイリーがドサッと玉座に座りなおす。


 彼女はついでみたいにメモリアへと流し目を向けて、ニヤリとした。


「勇者メモリア。あんたに少しでも力があるのなら、それを私に示しなさい」


「……なんですって?」


「私はルユインとは違うからさあ。最初から、役に立たないお荷物勇者を戦力に数えてやるつもりはないのよねえ」


 だーかーらー、とプリンセスメイリーは暗黙の了解を僕たちに強要する。


「あんた、バルトと勝負しなさいよ。そこのバルトはねえ、こう見えてけっこう強いのよ。私やルユインを相手にしてもいい勝負をするかもしれないの。バルトに勝てたら、カルマやセプテムを相手にしても、数合わせにはなるでしょう。そのときには認めてあげる」


「認められなかった時には?」


 メモリアが緊張した面持ちで問う。


 言われた方は、うーんとー、そうねえ……と、たっぷり白々しい物言いをした後に。


 そうして、プリンセスメイリーはニッコリと笑って、言ってくれた。


「死ねばいいんじゃない?」


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