第53話 バットとドット
僕とメモリアはエミリーに連れられて城の外へと踏み出した。
太陽の代わりに赤色と青色のふたつの月があってその輝きが世界を明々と照らしている。
闇を好み夜目がきく悪魔にとっては住みやすい世界なのかもね。
街灯を頼ってもかなり見通しが悪いから、人間が暮らすには不便な世界だと思うよ。
僕たちは今、そんな悪魔の町に繰り出した。
人間の姿で悪魔の世界をねり歩いて大丈夫なのかとは思ったけどね。
そこはエミリーという前例がいるからなのか、みなさん食って掛かることはしない。
ひとまずは魔勇者エミリーの関係者くらいに思ってもらえているようだ。
とはいえ道行く異形の悪魔たちから好奇の眼差しを向けられるのは当然かな。
城下町の大通りには無数の商店が立ち並んで悪魔たちが楽しく買い物をしている。
人を殺して喜ぶ悪魔といえども、日常の暮らしは人間の生活と大差ないらしい。
やりにくいね。いかにも庶民的で憎むべき敵だとわかっていても共感してしまう。
そんなふうにのんきな感想を持つ僕を見てエミリーが教えてくれる。
エミリーは言うんだ。
「緊張感がないのはけっこうですが、あまり私から離れないことです。魔界において人の姿をしている【魔王の覚者】は大勢いますが、彼らの血は青く魔力の波長も悪魔と同質ですからね。赤い血の人間とわかれば、めんどうなことになりますよ」
「気をつけるよ。でもそれだとエミリーは平気なのかい?」
「私はルユインの関係者ですからね。彼の支配が行き届く領地に限ってならば、悪魔に襲われる心配はありません。ああ、そうそう。あなたたちにもこれを渡しておきます」
そう言ってエミリーはふところからカードをふたつ取り出した。
カードと言ってもトランプのカードではなくて硬質な金属製のカードだ。
鈍い銀色に青い血の印が押されている。
革のひもが通されたソレを、エミリーはそれぞれ僕とメモリアの首にかけてくれた。
そうしてエミリーは僕とメモリアにそのカードの用途を伝える。
「通行証です。これがあればルユインの勢力内であれば必要な話が通じます。VIP待遇とはいきませんが、もめ事を避ける助けになるでしょう。くれぐれもなくさないように」
なくさないようにって、子どもじゃないんだからさ。
そんなエミリーの言い方がおかしくて僕はくすっと笑ってしまう。
笑ったついでに世話を焼いてくれたエミリーに感謝を伝える。
エミリーは不愛想だからさ。話せるときに言葉を伝えておかないとね。
「助かるよ。なにからなにまで、ありがとう。エミリー」
「いいえ、私はルユインの指示に従っているだけです。感謝の言葉ならこの魔界から無事に帰ることができたその時に聞かせてもらいましょう」
「ああ、確かにそれだけが問題だよね」
切実な問題を思い出させてもらって、僕は少し頭を悩ませた。
僕とメモリアが無事に魔界を出ることができるかどうかはこの先の行動にかかっている。
ルユインは自由にしろと言ってくれたけれども。
それはルユインの不利益にならない範疇で与えられた自由に決まっていた。
彼の手の内で踊らされている間は駒として扱われるのが関の山だろう。
ルユインは僕たちを元の場所に帰してくれる気はなさそうだし。
その点で僕とメモリアにとって当面の目標は元の世界に帰還する手段を探すことだ。
そのためにはこの魔界で情報を集めなければならない。
さて、さっそくだけどまずはエミリーに話を聞いてみようかな。
エミリーは人間の世界と魔界を行き来していたはずだから、その辺りの事情に詳しいはずだ。ひょっとしたらすぐにでも帰る方法が見つかるかもね。
と思って、その旨をエミリーに伝えてみたのだけれど。
僕の問いかけに対して残念ながらエミリーは首を横に振った。
彼女は淡々と答える。
「帰る方法なら私も知りません。私はルユインの力で人間世界と魔界を行き来していただけですから、彼の協力を得られないのであればひとまず帰還は難しいでしょうね」
「そっか。それならなにか心当たりはないかな? なんでもいいんだ。頼むよ」
「心当たりですか。空間転移の魔術が使えるのは強い力を持つ高位の悪魔に限られます。その中でも人間世界と魔界を繋ぐゲートを開くことができる者は、さらにごく少数です」
「それって誰?」
「言っていいならルユインを含めた魔王候補たちくらいのものでしょうね」
それは難題というか、自力で帰る方法がほぼ無いということだよね。
参ったな。どうやら僕とメモリアは片道で魔界に連れてこられたらしい。
なんとかしてルユインに協力を取りつけるか、リスクを承知で他の魔王候補に接触する以外に、今の状況では帰り道の手がかりがない。
だけどひとつだけ、僕は不思議に思った。
人間世界と魔界を繋ぐゲートを開ける……って、それは他の悪魔がやっていたよね?
悪魔の騎士。彼らはゲートを開いて僕たちを魔界に招待してくれたはずだ。
それは何か事情が違うのかな?
その点を僕はエミリーに尋ねてみる。
「でもエミリー、キミに付き従っていた悪魔の騎士たちはゲートを開いて僕たちをこの魔界に連れ込んでくれたけど。それは別なのかな?」
「ああ、それはですね。人間世界に向かう悪魔には、ルユインからあらかじめ帰還用の魔力と術式が与えられているんですよ。ですから私を含めて悪魔の騎士たちも自力で二つの世界を行き来しているわけではありません……どうにも魔界暮らしは不便でね」
そう言って教えてくれるエミリーがフッと自虐するみたいに息をつく。
エミリーは一呼吸おいてから、あらためて口を開いた。
彼女は僕の心配事を見透かすみたいに言うんだ。
「フィフス、あなたはこう思っているのではありませんか? 『こんなにも多く強い悪魔が住まう世界があるのなら、人間世界の命運は風前の灯だ』と」
「うん……実際そうだと思うよ」
人間と悪魔では土台のフィジカルが違いすぎる。
数の利は人間の側にあるのだとしても、人間の勢力は決して一枚岩ではない。
様々な民族と複数の国家に分かれて、それぞれが思惑を持って暮らしている。
そんな人間の世界に魔界の悪魔たちが大挙して押し寄せてきたらどうなるんだろうか。
学び舎の国での戦いを思い出して、僕は憂鬱な気分になった。
あの時は海からやってきた悪魔の軍勢に誰もがなすすべなく殺されてしまった。
もっともあの戦いは奇襲だったから全面戦争になればまた話が違うのかもしれない。
だとしても僕が知る限りで徒党を組んだ強い悪魔に人間がかなう展望は見えない。
魔界なんて悪魔の巣窟を目にした後で、明るい気分になれるはずもないさ。
エミリーはそんな僕の心配事を見透かしていたんだろう。
しかし彼女は極めて軽い語り口で、僕の憂鬱を否定してくれた。
こんなふうにね。
「それは杞憂です。この場所はあなたが思っているほど悪魔の楽園ではありませんよ」
「というと?」
「みっつ、簡単にお話をしましょう。まずひとつ、この魔界と人間世界は限りなく近くもはるかに遠く隔たれています。異世界、異空間とは本来そういうものです」
「それはまあ、確かに」
「先ほど説明した通りに人間世界へのゲートを開けるのは最上級の悪魔だけですし、そのゲートを通りぬけられる悪魔もごく少数です。そもそもお互いの世界を行き来する手段がなさすぎてね。戦争をしかけるどころか、物見遊山さえおぼつかない有様ですよ」
そう言って、エミリーは魔界が抱える現状の問題点を教えてくれる。
なるほどね。僕は簡単に考えていたけれど、どうやら人間世界と魔界を行き来するには多くの制約があるらしい。
将来的にはわからないけれども今のところで魔界に住まう強い悪魔たちが人間世界に戦争をしかける心配はないらしい。
それがまずひとつ。
続いてエミリーはふたつめの話をしてくれた。
「ふたつめ、前にも話しましたが今この魔界ではいくつかの勢力が争っています。ルユインを含めて4名、大魔王の座を望む魔王候補が思惑を巡らせている。その小競り合いが続く限りは、魔界に住まう悪魔にとって人間世界への侵攻などは二の次、三の次ですよ」
「おかしな話ね。なんだか悪魔の世界も人間と大差ないみたい」
黙って話を聞いていたメモリアがぽつりと感想をこぼす。
その点に関しては僕もメモリアにまったくの同感だ。
悪魔が内輪揉めをしてくれるのはありがたいけどね。
なんだか複雑な気分だよ。
エミリーもメモリアの感想を認めてうなずく。
「そんなものよメモリア。悪魔なんて少し長生きで傲慢になった人間と大差ないのだから」
「傲慢って、それはさすがの悪魔も姉さんには負けると思うけどね……」
メモリアの呆れた茶々に聞かないふりをして、エミリーがフッと息をついた。
口には出さなくても自分が傲慢だという自覚くらいはあるのかな。
それはそれとして、魔王候補の話題は帰り道を知りたい僕たちにとっても有益だ。
今は少しでも情報が欲しい。僕はエミリーに魔王候補の名前を尋ねた。
「4名……ルユインの他には3名か、なんていう悪魔がいるのかな?」
「魔王候補の名前ですか? 氷の国のプリンセスメイリー、
「でも僕たちが元の世界に帰るためには一番の近道だね」
近道。いわずもがなリスクと隣合わせの近道だ。
僕がそう言うとエミリーが好意的に笑ってくれる。
「……ほお、あえてルユインの手のひらで踊るつもりですか。殊勝なことで」
「まあね。このまま受け身でいても状況は変わらないからさ」
「ふふっ、私はあなたの判断を尊重しますよ。さて、話がそれましたね。最後にみっつめの話ですが――」
エミリーが最後の話題を口にしようとした。
しかしその時に、望まれない来客が僕たちの会話に割って入る。
ふたりの来客は音もなく僕たちの目と鼻の先に近づいていた。
「ねえ、おにーさん。ねえおねーさん」
「ねえ、竜のおにーさん。ねえ勇者のおねーさん」
それは似通った顔とピエロの格好をした幼い子どもだった。
おそらくは双子の少年の姿を模した……悪魔だ。
見た目は子どもだとしても、油断しないメモリアが身構える。
エミリーは気配を殺して忍び寄った相手の手腕を称えてか「ほお」と感心していた。
察するに敵意はない……のかな?
僕はきょとんと目を丸めて双子の悪魔と向かい合う。
今は疑念よりも困惑がまさる気持ちだ。
「キミたちは……」
「僕はバット」
「僕はドット」
バットとドット。
そう名乗った双子の悪魔は僕たちの前でケタケタと笑った。
ふたりは芝居をするみたいに顔を見合わせて、口元を歪める。
双子は言った。
「すごいね、竜のおにーさんだ。ドット。プリンセスの言った通りさ」
「そうだね、偉大な星の瞳の竜王様だよ。バット。プリンセスの
彼らはそう言ってから、それぞれが一枚の封筒を取り出した。
青い氷華の印が押されたその封筒をバットとドットが僕とメモリアに差し出す。
僕たちが受け取ると、その封筒はひとりでに封を切って、中身の手紙を取り出した。
一部始終を見守っていたバットとドットが服装通りに道化の演技でニコニコする。
「招待状だよ、おにーさん」
「プリンセスがお呼びだよ」
プリンセス……その二つ名を聞いたエミリーが少しだけ表情を硬くする。
僕の立場でもさっきの今でその正体を察することは難しくなかった。
招待状を届けたメッセンジャーのふたりは満足そうに一歩を退く。
「絶対来てね。おにーさん」
「忘れちゃいやだよ、おにーさん」
「僕たちが怒られるからね? ねえ、ドット」
「ああ、プリンセスは怖いからね……バット」
いかにも茶番めかせてくれる。
そうして幼い子どもの手足で元気よく駆け去ろうとした、その矢先に。
バットとドットは一度だけ僕たちの方を振り向いて、思い出したみたいに口を開いた。
ふたりは息を合わせて言うんだ。
「それとそれと」
「それはそれと」
そしてバットとドットは互いの顔を見合わせた。
しばらく次のセリフを譲り合ってから、結局ドットが僕を見る。
ドットはニッコリと笑って僕に手を振ってくれた。
「白い竜のおねーさんもおにーさんのことを待ってるよ」
それきり、駆け去るバットとドットは大通りの
僕がエミリーに視線を向けると、エミリーは「みっつめ」と笑ってくれた。
彼女は勝手知ったる様子で教えてくれるんだ。
「魔界の悪魔はね。人を殺しますが、しかし存外と人間に好意的なのです」
「なるほどね」
この閉じた魔界で暮らす悪魔にしてみれば……
物珍しいからだろ、とはさすがに言えなかったよ。
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