第6章

第51話 魔王の城

 暗闇が晴れたときに僕は手狭な牢屋の中にいた。


 独房、というほど狭くはないけどね。

 鉄の格子によって仕切られた普通の牢屋だ。


 普通の牢屋っていう表現もおかしいな。陰鬱が一周回って愉快になるよ。

 それにしても牢屋。空間転移の出口に牢屋ときたか。


 どうやら僕を“魔界”に招待してくれた誰かさんは僕を客人だと思っていないらしい。

 さすがは悪魔だね。他人様を招いておいて囚人の待遇とは恐れ入るな。


 なんて、危機感のない僕が思っていると向かいの牢屋に見知った赤髪の少女を見つけた。

 メモリアだ。


 牢屋の床に座り込むメモリアの表情は硬く、思い詰めているように暗い。

 どうやらメモリアは現在を危機的な状況だと考えているようだ。


 それは正しい考え方だと思う。

 悪魔の騎士が言っていたはずだ。


 僕たちを“魔界”に招待すると。

 そしてまた、彼らはご丁寧にも『魔王の城に』……と付け加えてくれた。


 それならここはきっと、悪魔が暮らす城の牢屋なんだろうね。

 魔界とはなにか?


 それは僕の記憶と知識にはないけど、言葉の響きで想像はできる。

 おそらくは言葉そのままに悪魔たちが暮らす世界。


 正確に言えば、それは魔法によってつくられた“異空間”なんだろうと思う。

 異空間、平たく言うならば異世界と言うべきかな。


 近くも遠い生活の拠点を作るためにどれほどの悪魔たちが力を使ったのか。

 それは神代の強い悪魔であっても並大抵の所業ではないだろう。


 きっと元の世界から移住する過程で力を使い果たした死者が大勢いると思う。

 魔界の広さは実際に見てみないとわからない。


 こればかりは牢屋の中にいる僕には想像することしかできないな。

 さて、わからないことをあれこれと悩んでいても不毛だ。


 わかっているのは僕とメモリアが敵地のド真ん中で孤立しているということだね。

 現状の僕とメモリアはまんまと敵の罠に……いや、罠と呼ぶのもおかしいかな。


 まんまと悪魔のご招待にあずかって、牢屋に入れられてしまったわけだ。

 お菓子でつられて不審者についていく子どもよりも不用心だったね。


 いやほんとに。僕も少しは抵抗すべきだったと今は反省しているよ。

 ホントに今さらだね。後悔先に立たずってやつさ。


 そんなふうに僕が格子越しにメモリアをにぎやかしてみると、メモリアは呆れたふうに僕をジト目で睨んでくれた。


 彼女は「そういうとこ、ほんと軽薄よね」と前置いて言う。


「バカ言ってないでよね。この場所が本当に悪魔の暮らす世界なら、私たちの命は風前の灯火よ。私はもちろん、フィフスだって生きていられないと思うわ」


「そうだね。でもまあ、それは僕たちを招待してくれた悪魔さんの気持ち次第かな」


「……フィフスはどう思う?」


 不安そうにメモリアが尋ねてくる。


 僕たちの命が、という話ならば今のところは心配ないと思う。

 本気で僕たちを殺すつもりなら、それこそ空間転移のゲートの出口を火山の噴火口にでも設定すればいいのだから、その点は間違いなく保証されていると思う。


 メモリアが不安に思っているのは、いわずもがなこれからの話だろう。

 僕とメモリアを魔界に招待してくれた悪魔。


 青い血の悪魔の思惑と、その目的のすべてを察することはできないけどね。

 狭い牢屋を見渡すだけでも現在の状況をまとめるくらいはできる。


 例えばひとり、僕とメモリアの他に牢屋にはこの場にいるべき人物が足りていない。


「エミリーがいないね。エミリーは……えっと、ルユインだっけ? その悪魔の仲間らしいからさ。僕たちとは別の場所に呼び出されているみたいだな」


「姉さん……」


「平気さ、きっと。まあ僕に負けた失敗を悪魔にからかわれているかもしれないけど。エミリーの強さはメモリアが一番わかってるだろ? 心配しなくていいさ」


「それはそうだけど……」


 メモリアが言葉をにごす。


 しかしそんなメモリアの心配は杞憂だったとすぐにわかる。

 こつん、こつん、と硬い靴音を響かせて暗がりの通路を歩んでくる者がいた。


 そしてまた、僕との戦いで左腕を失った“彼女”は左の袖をヒラヒラさせている。

 赤い髪に赤い瞳に、汚れた白の装飾服を着こなす女性。


 そうして僕たちの前にやってきたのは、エミリーその人だった。


 さっきの今だけどね。僕は再会を嬉しく思う。


「噂をすれば、だね。やっぱりキミは牢屋の外にいるんだな」


「ええ、くしゃみが出そうでしたよ。まさかこの姉がメモリアに心配される日が来るとは……」


 残った右の手の指先で困ったように頬をかくエミリーだ。


 どういう意味よ! と、メモリアが不服そうに申し立てる様子が実に微笑ましい。

 それはそれとして、僕の立場ではエミリーに言わなければならないことがある。


 僕が切り落としたエミリーの左腕は、もう二度と生え変わることはないだろう。

 竜の力でそういう魔術的な呪いをかけておいたんだ。


 だから、その点は先に謝っておく。


「ごめんね、エミリー。手加減できなかったんだ。その腕は……」


「安い同情は無用です。私は私の意思を貫いてあなたに敗北した。その責任を誰におしつけるつもりも、まして恨みつらみを申し立てるつもりもありませんよ」


 それ以上は語るなと、エミリーが冷ややかな目線で僕をにらむ。


 まったくもって堂々とした敗者だ。その首尾一貫した人柄だけは尊敬するよ。

 ふと見ると、エミリーの後ろには彼女に付き従う悪魔の騎士がふたり控えていた。


 生粋の悪魔である彼らの立場にしてみればエミリーは大口をたたいた負け犬だろうに、その彼らでさえエミリーの言葉を嘲笑うことをしない。


 なるほど、良くも悪くもエミリーは本当に悪魔の仲間だったんだな。

 悪魔の一員としてすっかり馴染んでいるエミリーを見て、メモリアは複雑そうだった。


 とはいえ今は感傷にひたるよりも先に、この狭い牢屋を出るための話を進めなければならない。

 エミリーが僕たちに会いに来たのは世間話をするためではないのだろう。


 僕は明るい期待を込めて尋ねた。


「そろそろ、ここから出してもらえるのかな?」


「ええ、ルユインがあなたたちを呼んでいます。星の瞳を持つ竜と、天魔王獣てんまおうじゅうの資格者と、ぜひとも話がしたいそうです」


「そうかい」


「一応は私も同席しますが、命が惜しければ粗相のないようにお願いしますよ」


 言いながら、エミリーは悪魔の騎士に合図をして牢の鍵を開けさせた。


 そうして悪魔の騎士は僕たちを丁重に牢の外へと案内してくれる。

 今更になって客人の扱いをされても、信じられないのが正直なところかな。


 悪魔のみなさんも本心では竜である僕と勇者のメモリアを敵視していないはずがない。

 その彼らが我を殺してふるまっているのだから、彼らの主人はよほど手厚く部下を教育しているのだと思う。


 ルユイン、か。その彼はどんな悪魔なんだろうね。

 牢を出て暗がりの通路を歩むかたわらで。


 僕はエミリーに、これから会う悪魔について尋ねてみる。


「それにしても、そこのふたりのご主人様はどんなやつなんだい?」


 軽く話題を振ってみたら、悪魔の騎士が僕をにらんできた。


 自分が使える主人を軽々に扱われていい気がしないのは当たり前か。ごめんね。

 まあ、悪魔を相手に人間の常識で配慮するのもおかしな話だけどさ。


 そんな僕の軽薄な問いかけに、エミリーは淡々と答えてくれる。


 彼女は言った。


「ルユインですか? ルユインは魔界を統治する……ああ、魔界にはいくつか勢力があるのですがね。彼はそのうちのひとつ、悪魔最大の勢力を率いる当代の“魔王候補”ですよ」


「魔王候補?」


 僕はキーワードをひろって不思議に思った。


 候補、候補とは、悪魔にしては世俗的な響きだな。

 候補ということは、他にも魔王になりたい悪魔がいるんだろうか?


 エミリーは魔界にはいくつかの勢力があると言った。

 ならば、それぞれの勢力を率いる指導者がいるはずで、各勢力の頂点に立つ悪魔が“魔王”の地位を目指す“魔王候補”ということなのかな?


 僕がその旨をたずねてみると、エミリーはうなずいてくれた。


「ええ、その認識でおよそ間違いはありません。神代の戦いに敗れた悪魔が魔界に逃れてからというもの、魔王という旗印を失った悪魔たちは新たな指導者の座を巡って群雄割拠の時代を生きてきた……と、私はルユインから聞いています」


「へえ、なるほど。ならエミリーの知り合いさんはとんでもなく偉い悪魔なんだね?」


「いいえ、別に? ルユインはあくまで魔王候補ですから。すべての悪魔を従えるほど卓越した権力を手中にしているわけではありません」


「え? そうなの?」


「ええ、伝説の魔王……彼らは古の魔王を“大魔王”と呼びますが、大魔王の座は未だに空席です。その座を求める魔王候補たちの小競り合いが続く。それが今の魔界の現状ですよ」


「……だがその空席もまもなく終わる」


「大魔王がこの魔界を統一して大いなる魔の者の歴史を始めるのだ。その名には我らの主こそがふさわしい」


 道案内をしてくれる悪魔の騎士ふたりがそろって誇らしく笑った。


 どうやら彼らはルユインという悪魔にすっかり心酔しているらしい。

 僕はその忠誠心に感動したけれど、無感動に聞くエミリーは気にも留めていない。


 そうして階段を上って通路を出た僕たちは、壮麗な装飾が施された廊下に出た。

 建物全体の雰囲気から察するにそれは石造りの壮麗な“城”なのだとわかる。


 どうやら僕とメモリアが囚われていたのは、この城の地下牢だったらしい。

 うわあ、それにしてもすごいね。


 本物のお城なんて初めて見たよ。

 僕は歩きながら田舎者らしくきょろきょろと周囲を見渡してしまった。


 その隣ではメモリアが「なんて緊張感のない……」と呆れていたよ。

 やがて僕たちは壮麗に輪をかけて荘厳な大きな扉の前にたどり着いた。


 この場所が謁見の間なのだと、悪魔の騎士が教えてくれる。

 冷静を保ちつつも、悪魔の騎士ふたりはどことなく高揚しているとわかる。


 場の雰囲気にのまれないエミリーは自然体で言う。


「誰が魔を統べる者にふさわしいか、それはこれから始まる戦乱の結果が決めることです」


 彼女は自らの右手で扉を押した。


 ほんのわずかな力で、大きな扉が音もなくひとりでに開いていく。

 開けた視界に飛び込んできたのは……玉座まで続く一本の道。


 そして高所から流れ落ちる清廉の滝と、その冷たい水で満たされた床だ。

 さながら街の噴水広場をそのままインテリアにしたみたいな空間だった。


 贅沢と言えば贅沢だし、壮観と言えば壮観だ。

 それでいてどこか子どもっぽさを感じさせるのは、やはりその実用性のなさゆえか。


 とはいえ、いつでもうるおいに満ちて空気が乾燥しないのは美点かもしれないね。

 僕は玉座を見る。


 メモリアが緊張で息をのんでいた。

 エミリーはそのままの自然体で立っている。


 そんな僕たちに先んじて、背筋を伸ばした悪魔の騎士がハキハキと報告をする。


「囚人をお連れしました!」


 玉座に座る者は軽い身振りで「下がって良い」と悪魔の騎士に示した。


 悪魔の騎士は主君の意に従って扉の外側に退室する。

 その後に僕の後ろでバタンと、大きな扉の閉まる音がした。


 僕は玉座を見る。

 青い髪と青い目と、そして青に近く真っ白な肌を持つ……超然とした男だ。


 綺麗な黒に金色の刺繍がほどこされた装飾服。

 その気品に満ちた優雅な外見は、まさしく貴族か、正しく王子のイメージにふさわしい。


 戦闘狂のマリス王子や、没落貴族みたいな外見をしたエミリーとは実に対照的だ

 長い歳月を生きた悪魔なんだろうけど、老獪ろうかいという印象はない。


 ぱっと見はエミリーと大差ない。彼は歳若い青年の風貌をしていた。

 それが僕と“彼”の最初の出会いだった。


 彼は……悪魔ルユインは大げさに言うんだ。


「よく来たな。偉大なる星の瞳の竜王と、災厄の天魔王獣……エミリーの妹君よ」


「あなたは……」


「俺はルユイン」


 玉座の手すりに頬杖をついてルユインは尊大に名乗る。


 彼は値踏みするみたいに僕とメモリアを見て、そしてくすりと静かに笑った。


「この俺こそは大魔王になる男だ」

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