第48話 スパイダーファング・ルナティック・ドラゴン

「さあ、いくぞハンドレッド!」


「ようこそ待ちかねた。キミのやりたいようにやれ」


 竜の知覚を共有するハンドレッドに呼びかけて僕は爪牙を大きく広げる。


 毒牙を持つ蜘蛛竜に真っ向勝負は得策ではないに違いない。

 でも、人の心に挑むのに真っ向勝負を避ける卑怯は許されないだろう。


 エミリーが相手でなくてもこの世の誰が相手でも同じ話だ。

 僕は大地を踏み砕いて加速した。


 悪魔の騎士たちは僕とエミリーの戦いを静観している。

 どちらが勝つか高みの見物をしているのかな。


 いいさ。それでいい。余計な邪魔が入らないのは僕としても望むところだ。

 鋭利な竜の五爪を束ねて、僕は刺突の形で攻撃を繰り出す。


 蜘蛛竜は身じろぎもせずにその単眼で僕の爪先を見つめていた。

 同じ竜だ。いかに強靭な竜の身体といえども直撃を喰らって無事でいられるはずがない。


 だというのに蜘蛛竜は動かない。

 そして蜘蛛竜は一言の“呪文”を唱えた。


 それはかつてマリスが使ったのと同じ勇者の秘儀だ。


「光の極みよ」


 紅の輝きが収束して、僕の前に“壁”として立ちはだかる。


 その圧倒的な防御力は僕が束ねた五爪をあっさりとはじき返した。

 真紅の盾……マリスが使ったのと同等のあるいはそれ以上の力だ。


 エミリーはそれほどの力を片手間で行使する。

 エミリーの声が壁の向こうから聞こえた。


「極光術――【聖櫃せいひつの盾】」


 はじき返された僕は反動に逆らわず後退した。

 その時にハンドレッドが切迫した声でさけぶ。


「フィフス! マリスの時と同じ勇者の魔力障壁だ! あの盾がある限りキミの攻撃はエミリーに通じない!」


「ならあの盾を迂回する! 金色の百眼を見開け!」


 今の蜘蛛竜は攻撃ではなく防御に徹している。


 その防御さえ貫けないままで僕の側に勝算があるはずはない。

 蜘蛛竜は動かない。畳みかけるならば今しかない。


 僕は金色の百眼を見開いて膨大な光量で輝かせた。

 僕はきっと今、高みに立つエミリーに試されているんだろう。


 僕に彼女と戦う資格があるのか否か。

 出し惜しみなんて許されない。


 僕は僕に持てる全力を尽くして蜘蛛竜の牙城に挑む。

 僕は金色の眼を前方に向けて竜の力をプリズム色の光線レーザーに変えて照射する。


 直線で照射される望外の輝きが紅の盾に直撃して、四方八方に雨あられと拡散した。

 蜘蛛竜は動じない。まるで通じていないようだ。


 だけど正面からの攻撃が通じないのは最初からわかっている。

 おそらくエミリーの実力はマリスを上回るのだろう。


 ならばマリスにさえ通じなかった光線の直接照射が、エミリーの盾に通じるはずがない。

 だけどね。


 盾というのは基本的に前方の攻撃を防ぐためにあるものだ。

 実際に光線を防ぐ蜘蛛竜もお手本通りに紅の盾を前方に展開している。


 “前方だけに”だ。

 この時の僕には蜘蛛竜を出し抜く勝算があった。


 かつてリグレットを倒した時と同じ。

 拡散して飛び散る閃光の数々に命じて、その軌道を変える。


 掛け値なしの“全方位攻撃”だ。

 前方の光線照射に集中している状態でこの不意打ちを避けられるはずがない。


 僕は竜の力を束ねて叫び、すべての光線をあらゆる方向から蜘蛛竜に叩きつける。


「曲がれええええええええええええええええええええええええええ!!!!」


 雨あられと降り注ぐプリズム色の光線が蜘蛛竜をその輝きで埋め尽くした。


 膨大な熱量が蜘蛛竜のよって立つ地面を吹き飛ばし、もうもうと土煙が立ち上る。

 その壮絶な一幕に、見守るメモリアと悪魔の騎士がそろって息をのんでいた。


 やったか?

 でもね。この程度でやりすぎたとは僕は思わないよ。


 エミリーが、メモリアのお姉さんがこの程度で終わるはずがない。

 まして伝説の魔王さえ倒したという猛毒の牙を持つ竜が……


 その時に、僕は土煙の向こうに紅の閃光を見た。

 案の定だ。蜘蛛竜のくぐもった声が聞こえる。


 それは盾の行使とは違う、攻撃に転じる“剣”と呪文の行使だった。

 蜘蛛竜は再び唱える。


「光の極みよ――」


「反撃が来るぞ、フィフス!」


「っ、わかってるさ!」


 僕は光線の照射をやめて大地を踏んで後方に跳びのいた。


 しかし蜘蛛竜の呪文は僕の後退速度を上回って完成する。

 鮮血のような紅の輝きが剣の形を成して、土煙の向こうから数限りなく飛来する。


 数本は竜の爪牙ではじき返したけれども、土台で手数が違いすぎる。

 それは血肉を焼く熱を持った剣だ。


 僕はその剣によって全身を焼かれ、金色の百眼のほとんどを焼き潰されてしまった。


「極光術――【聖血せいけつの剣】」


 土煙が晴れた時に。蜘蛛竜は変わりない姿でその場で立っていた。


 僅かに肌を焦がしていたけれど、しかし見当たる外傷はそれだけだ。

 まったく通じていないわけじゃない。


 だとしても持ちうる全力と不意打ちを駆使してこの程度のダメージでは話にならない。

 まして僕は蜘蛛竜の反撃でいとも簡単にそれ以上の外傷を負わされてしまった。


 強い。マリスどころの話じゃない。

 僕が今までに戦った誰よりも、僕が知るどんな竜や悪魔よりも、エミリーは強い。


 だとしてもここで心を折るくらいなら最初から逃げている。

 それは決してメモリアのためなんて理由じゃない。


 他でもない僕が嫌なんだ。

 たったひとりの家族と家族が殺し合うなんてさ。


 そんなつまらない悲劇を見たくないんだ。

 どうする、どうすればいい。


 力が及ばないなら知恵を絞れ。考えろ!

 僕は剣に焼き貫かれた身体の節々から血を流す。


 僕を見つめる蜘蛛竜がくぐもった声でいびつに笑う。


「もうおしまいですか? この私を倒す……どうやらそれは虚言だったようですね」


「勝つさ。エミリー、僕はキミに勝つ。どんな形だっていい、どんなに笑われたっていい、僕はキミに勝って、キミの今までのバカげた振る舞いのすべてをメモリアに謝らせるんだ」


「謝らせてどうすると? この姉を地に這わせるとでも?」


 蜘蛛竜が無感動に言った。


 エミリーはきっと僕やメモリアの悲しみなんてわかっちゃいないだろう。

 どうでもいいと思っているに違いない。


 いいさ。今はそれでいい。個性だと思って尊重するよ、それはそれとしてね。

 だとしても僕は自分の胸にある言葉を迷わない。


「そうだね。泥にまみれて、失敗を許し合って、そして、その時こそは――」


 血にまみれた両手を広げて、庭園の大地を踏みしめて、僕は牙を噛み締めた。


 今は剣に焼き貫かれた身体が重い。浅くない手傷だ。

 僕の強さはエミリーの足元にも及ばないのだとわかり切っている。


 でもね。綺麗事だとしても僕は自分の胸にある理想をエミリーに伝える。


「その時こそは、キミとメモリアには仲直りの握手をしてもらうんだ」


「つまらない人ですね。つまらない竜です。それほどの力を持ちながら、人の縁にほだされて、人間の感情を捨てられないでいる。それは弱さだと知っているのでしょうに」


 その時に、蜘蛛竜の姿が虚空に溶けた。


 文字通り目にもうつらぬ速さで蜘蛛竜が動いたのだと、僕は遅ればせに気づく。

 次の瞬間には、僕は蜘蛛竜の足裏に蹴飛ばされて、大地に叩き伏せられていた。


 百の眼が踏み潰され、傷口からはじゅくじゅくと血がしたたる。

 僕が金色の百眼を輝かせようとしても、そのそばから蜘蛛竜は先回りして眼を潰す。


 ひとつずつ、ひとつずつ、蜘蛛竜はその手と足で、僕の眼を潰していく。

 それはまっとうな戦いでさえない。一方的な蹂躙だった。


 その悲惨を見かねてか、メモリアが悲鳴を上げた。

 

 メモリアは蜘蛛竜の前に進み出てさけぶ。


「やめて、エミリー! もう十分だわ! あなたの相手は私よ! 私と戦いなさい!」


「情けなく怯えていたくせに。他人のためになら戦えるとでも思ったの? そんな考えは心弱い者の錯覚なのだと知りなさいな」


「っ、エミリー!」


「せいぜい無力を悔いて見なさい。この姉があなたのお友達を殺すところをね」


 蜘蛛竜が猛毒のしたたる牙をむいた。


 その牙を僕の首へと突き立てるべく、蜘蛛竜が毒牙をふりかざす。

 メモリアはまなじりを釣り上げて、自分の手を前方に突き出した。


 極光術【聖血せいけつの剣】だ。メモリアは剣を召喚しようと試みる。


「っ、させるものか! 光の極みよ――」


「光の極みよ。極光術――【聖櫃せいひつの盾】」


 しかしメモリアが剣を召喚するよりも先に、蜘蛛竜が紅の盾を呼ぶ。


 それは剣の召喚に先んじて攻撃を完封しただけではない。


 蜘蛛竜とその足蹴にされている僕を中心にした四方を囲む形で召喚された盾は、文字通りの“障壁”として内外の関わりを完全にシャットアウトしていた。


 メモリアが剣を用いて障壁に叩きつけるが、紅の盾には傷一つつかない。

 壁の向こうでメモリアが何かを叫んでいたが、僕にはそれも聞こえない。


 壁の内側で逃げ場はどこにもない。どうやらエミリーは本当に僕を殺すつもりらしい。

 せめてもの抵抗に暴れてみても、蜘蛛竜はその手足で僕を簡単に抑え込んでしまう。


 万事休すだ。


 僕の身動きを封じた蜘蛛竜がついにその猛毒の牙をむいた。


「さあ、手ぬるいフィフスくん。死ぬ準備をしてください」


 僕は死ぬのか。


 嫌だと駄々をこねても無駄なことはわかっている。

 そうだとしても、今の僕の心を満たすのは諦めや絶望の気持ちではない。


 それはただ悔しさだった。

 僕が望んだ何ひとつさえ守れずにメモリアの心を傷つけて終わる。


 そのことが僕は心から悔しかったんだ。

 ズブリと、僕の首筋に毒牙が突き立つ。


 猛毒が見る間に身体を侵して、僕の意思と自由を奪っていく。

 持ちうる意識が暗闇に消える。


 その瞬間に、僕はハンドレッドの声を聞く。


 ハンドレッドは苦笑いをするみたいに言った。


「やれやれ、キミは本当に無茶ばかりするな」


「ハンドレッド」


「“昔”のエミリー嬢も確かにへそ曲がりだったが……ここにいるキミも彼女に負けず劣らず強情だ。さすがだよ。それでこそ、この私を魂とする者に値する」


 なんだよそれ、褒めているのか、けなしているのか。


 褒められているのだとしても、死の間際では嬉しくなんてないけどね。

 蜘蛛竜の毒が回って、今は思考がまとまらない。


 とりとめもない散文的な言葉ばかりが、走馬灯のように脳裏で流れていく。

 ハンドレッドの声が今は遠くに聞こえる。


 しかしその言葉は、暗闇に沈む僕の意識を激励して、死の淵で踏みとどまらせる。


 ハンドレッドは言った。


「覚えているか、フィフス。学び舎の国で私はキミに言ったはずだ。キミが本当にメモリアのことを想うならば、キミは彼女の心を深く傷つける覚悟を決めなければならない」


「覚えているよ」


「さながら土足で踏み入るように、彼女の悲しみと苦しみを堂々と打ち破らなければならない」


「そうだね……」


「それはエミリーも同じだ。彼女は強い。メモリアの心にどんな苦しみを刻んででも成長を促そうとするエミリーの意思と力は、キミよりも強いと言える。フィフス、キミが彼女に敵わないのは当たり前のことだ」


「…………」


「悪逆だとしてもエミリーの心は揺るぎない。キミは竜としての実力だけではなく、その芯の強さでエミリーに負けているのだ」


「そうだろうね」


 僕は未熟だ。すべては誰にさとされずともわかりきっている話だ。


 そんなありのままの現実から僕を逃がさずハンドレッドはなおも言う。


「そうだと知ってまだ戦うか? まだキミはメモリアの隣に立ちたいと望めるか? 誰の助けも借りずに自分の力でエミリーに勝ちたいと言えるか?」


「そうだ」


 死の淵に立つ僕は、心の奥底でなおも諦め悪くうなずいた。


 竜の身体は動かない。思考は雲がかかったように不明瞭だ。

 今はハンドレッドの声だけがよく聞こえる。


 いいさ、おまえに力を貸せなんて言わないよ。

 僕は勝つ。僕はエミリーに勝つ。


 暗闇にはいつくばって、冥府の穴底から這い出してでも僕は勝つ。


 そして、その時こそは――


「ふたりに仲直りをしてもらうんだ。それがきっと一番さ」


「なるほど、呆れた手前勝手だ。キミは善意で気が狂っているようだな、フィフス」


 うるさいな、なんとでも言え。

 そう言い返してやると、暗闇の向こうでハンドレッドが笑う。


「その狂気に敬意を表して私も勝手にやらせてもらう」


 何も見えない暗闇に淡い翡翠色の輝きが灯った。


 温かい光だ。

 だけどその輝きに頼ることをしてはいけないと……僕の心がそう言っている。


 そんな僕の強情を見透かすみたいに、ハンドレッドは言う。


「それでいい。私はキミに力を貸さない。今はもうこれ以上、私はキミに伝える言葉を持たない。だからフィフス。ここから先はキミ次第だ。自分の力でキミの魂に眠る“瞳”の記憶を引き出して見せろ。キミがすべてを思い出した時、その時こそは……」


「ハンドレッド?」


「星の瞳の竜王よ。私の青き血の宿敵にして久遠くおんの友よ。その時こそは、血塗られた未来でまた会おう」


 僕の心の内からハンドレッドの気配が消えてゆく。


 虚脱感のような、それでいて満たされた感覚が僕の意識を包みこむ。

 ハンドレッドは最後の最後におよそ彼らしくない不敵なやり方で……


 おそらくは“彼自身“の本当の笑い方で僕に告げる。


「幸運を祈る。あんなやつに負けるなよ、フィフス」


 ハンドレッドは僕の心のどこからもいなくなった。


 彼がどこへ行ったのかは定かではない。

 だけどその時に僕はひとつだけを思い出した。


 自分の力を、自分の存在そのものを、かつてありえた自分の……本当の気持ちを。


「負けないさ。おまえに言われなくたって、僕はこんなことでくじけやしない」


 悲しむメモリアを残してこんなところで終われはしない。


 ここで諦めたら、シーズンに笑われてしまうよ。

 ここで死んでしまったら、モルガンを泣かせてしまうさ。


 ここでうつむく僕の卑屈になんて、ネミーアウラはきっと納得しない。

 そして、エミリー。


 へそ曲がりの彼女ときたら、本当に世話が焼ける。

 まあいいさ。


 たとえ千年の歳月が流れても……

 たとえこの身を引き裂かれて迷える魂になったとしても……


 僕は自分の選択を後悔なんてしない。


 だって僕にとって、キミたちは――


「見開き目覚めろ。この名は星の瞳を持つ竜の魂」


 暗闇の中で竜の瞳が胎動する。


 今は僕自身だとわかる竜の瞳が、僕をじっと見つめている。

 群青と翡翠色のふたつの瞳だ。


 異なるふたつの色彩の瞳を持つ、この名こそは星の瞳のプラネットアイズ――

 ――そして僕は大地を踏みしめた。


 ゆらゆらと立ち上がる百眼鬼竜の姿を、蜘蛛竜が驚いた表情で見ていた。

 確実に殺したと思っていた相手が立ち上がったのだから無理もない。


 きっと今のエミリーは幽霊でも見ている気分だろうね。

 期待に添えなくて申し訳ないけれど、僕は幽霊じゃない。


 だからね。もう少しだけゾンビの相手に付き合ってもらうよ。

 無言を貫く蜘蛛竜がその単眼で立ち上がった僕をにらみつける。


 メモリアも悪魔の騎士たちも、今は声を失って僕を見ている。


 僕は百眼とは違う、ただ二つの眼を見開いて、エミリーに伝えた。


「竜の秘法を見せてやる」


 ここから先は神代をなぞる再現だ。


 金色の眼を持つ邪竜と赤い蜘蛛竜の戦い。

 しかしそれが竜と竜の優劣を競う戦いであるならば……


真化しんかの領域】を極めた者が、万事狂いなく勝利する。

 何度でも言おう。


 すべてが虚しい綺麗事だとしても。

 その虚しさを超えてこそ、僕が望んだ“現実”があるんだ。


 猛毒で溶け落ちる肉体のタイムリミットを感じながら、僕は大いに笑う。

 この瞳に宿す自分の気持ちを、僕はこの世の何者にも奪わせはしない。


 たとえ僕たちの選んだその道が悪夢のそのへと繋がっていくのだとしても。


「いくぞ、へそ曲がりのエミリー」


 この夢の在り処を守りぬく。


 僕の力はそのための力だ。


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