第47話 フィフスの戦い

「さあ、殺し合いましょう」


 エミリーは臆面もなくそんなことを言ってのける。


 メモリアもソレを望んでいるのだと思う。

 人族の勇者と魔族の勇者。


 だけどそれ以上に妹と姉の戦い。


 横やりなんて望まれていないのはわかり切っている。

 だとしても、僕にはそれが嫌だった。


 僕はメモリアを背に庇って、前に進み出る。

 案の定というべきかな。エミリーが嫌な顔をした。


 きっとメモリアも僕の行動を不思議に思っているだろう。

 どうして止めるのかと、怒っているのかもしれないね。


 でもね、僕は嫌なんだよ。

 どんな理由があったって家族が殺し合うなんて馬鹿げている。


 僕にはもう愛する家族がいないけどね。

 他人の話だとしてもそんなのは嫌だったんだ。


 メモリアを止めなければ、メモリアの心が遠く手の届かない場所に行ってしまう気がした。だから……


「フィフス?」


「ごめん、メモリア。でもキミはまだお姉さんから大切な話を聞いていないと思う」


 苦し紛れに伝える僕に、メモリアが硬い声で問い返す。


「大切な話って、なに」


「青い血の悪魔に村を襲わせた本当の理由だ。煙に巻かれてなにも教えてもらってないだろ、何もわからないままで手の上で踊らされて戦うなんてさ。そんなのは情けない話だよ」


 こんなのは口から出まかせだよ。


 僕にはエミリーの思惑なんて想像もつかない。

 本当は悪魔に家族を殺させたことだって、大した理由なんてないのかもしれない。


 その時には、僕も心からエミリーと戦う覚悟を決めよう。


 僕は勇者じゃない。凡庸な人間の心を持つ、ただの竜だ。

 僕にはメモリアのような使命感はないし、エミリーのような非情さもない。

 言葉通りに凡庸な心の持ち主だ。


 だけども、その心が言っているんだ。

 メモリアとエミリーをこのまま戦わせてはいけないってさ。


 エミリーはおもしろくもなさそうに無表情で僕を見つめている。

 睨んでいるのかもしれなかった。


 エミリーはさも興味なく告げる。


「なにをくだらない。私は私の自由を縛る枷を外したかった。この村を滅ぼしたのにそれ以上の理由などありません。これで気は済みましたか? 優しい竜のフィフスくん?」


「……ウソが下手だな。キミはさっき、メモリアがこの村の人たちに利用されていたと言っただろう。ひょっとしてそれも天魔王獣に関わりのあることなのか?」


「何を言うのフィフス? そんなのはそいつの戯言だわ! 信じる必要なんてない!」


「黙っていてくれ! メモリア!」


 自分でも驚くほど強い声が出た。


 メモリアの話を聞くのに、当人に黙っていろって、おかしいよね。

 でもそれが必要だった。


 エミリーはきっとまだ隠し事をしている。

 エミリーの心は歪んでいるのかもしれないけど。


 彼女が姉としてメモリアを想う心はウソではない。

 僕はそう思ったし、そうであると信じたい。


 だから怒れるメモリアを制してエミリーの回答を待つ。


 エミリーは一見してなにも不都合なさそうに言う。


「ああ、それ? それはね……」


 しかし彼女は頑なに内容を語らない。


 代わりにメモリアの怒りと苛立ちを煽るように曖昧な物言いをする。


「フッ、口が滑りましたね。私にとってはおまけのような話です。ささいな話です」


「……聞かせてくれ」


「フィフス! いい加減にしてよ!」


「聞くんだ。メモリア。お姉さんと戦うならきっとそれはキミにとって必要な話だ」


 僕はメモリアを制してエミリーを見つめ続けた。


 エミリーは最初、無言を貫いていた。

 だけどやがて、彼女は根負けしたみたいに両目を閉じて口元を緩める。


 気まぐれだとしても語るつもりになってくれたのだと、僕にはわかった。

 エミリーは言う。


「……やれやれ、しつこいことです。まあいいでしょう。勇者の血脈の源流が、人間と悪魔の混血だという話を覚えていますか?」


「ああ、キミが教えてくれた昔話だよね。さっきの今で忘れはしないよ」


「そうです。勇者の村に伝わる昔話です。これ自体はメモリアも知っています。もちろん天魔王獣の話もね。魔王を倒した4体の竜を怖れた当時の人間は、魔王の血を持つ最強の勇者を作り出した」


「それが天魔王獣」


「そうです。聞くにおぞましい話でしょう? こればかりは悪魔さえ逃げ出す、追い詰められた人間の狂気というものですよ」


「…………」


「この村にはね……1000年前の魔王の血が残っていたんです。勇者の秘宝として厳重に保管されていたわけですよ」


 その時にエミリーはメモリアを哀れむように見た。


 「可哀想なメモリア」と唇だけでつぶやいたエミリーの声を僕は聞き逃さない。

 真実を語るエミリーは心の底からつまらなさそうに見える。


「16年前……これはメモリアが生まれる前の話ですが。この世界には【魔王の覚者】が現れ始めていました。魔王の魂の断片を持つ悪魔のような人間たち。彼らに立ち向かうことは勇者の血族にとってさえ困難を極める戦いでした」


「…………」


「そこで、この村の長は……つまり私とメモリアの父親はひとつの決断を下しました。聞くにおぞましいその決断をね」


 エミリーの語りにメモリアが表情をサッと青くした。


 おぞましい、おぞましいと繰り返されてそのつながりに気づけないはずもない。

 なにせ部外者である僕でさえ気づいたんだ。

 当事者であるメモリアは震える声でエミリーに問う。


「待ってよ、それってまさか……」


「おや、さすがにあなたでも察せたの? 生まれてくる赤子たちに魔王の血を組み入れようという話よ。まったく、どちらが悪魔の所業なのかわかったものではないわね」


「なっ……」


「あなたはこの姉を狂っていると思っているのかもしれないけれど、私に言わせればあなたが優しいと評したこの村の住民の方がよほど狂っているのに! 真偽も定かではないいにしえの伝承を頼りにして、大人でも子どもでもなく、赤子を混血の実験に使おうだなんて!」


 エミリーはすっかり呆れ果てていた。


 思い出したくもないと目でも口でもなく身にまとうエミリーの雰囲気が語っている。

 およそ僕が想像した通りにエミリーは悪魔の所業を評する。


「なにせ、世界を救うという名目のためだけに、誰も彼もが生まれたばかりの我が子の命を喜んで魔王の血に捧げたのだからね。物心ついたばかりの私でさえ、当時その異常さに怖れを抱いたものよ。もう数年早ければ、この私も混血の犠牲になっていたでしょう」


「う、ウソよ。そんなのはおまえの勝手な妄言だわ!」


「どうぞ判断はご自由に。ただしメモリア。あなたは大勢の赤ん坊を犠牲にした混血実験のただひとりの成功例だったのよ」


「ウソよ」


「それを知ったときのあの愚かな父親と、あの愚かな母親の狂喜といったら、見るに堪えない有様だったわ」


「ウソよ……」


「まして自分たちの子どもを犠牲にされたというのに、それを称える村の大人たちのあの醜い笑顔ときたら……まったく、誰も彼もが生きるに値しない!」


 だから殺した。


 とは言わないんだろうけど、それがエミリーの本心なんだろうと思う。

 メモリアとエミリーの目線では勇者の血族に対する評価が致命的に異なっている。


 かたやメモリアにとって勇者とはこの世に光をもたらす存在で。

 かたやエミリーにとって勇者とはこの世の歪みと穢れそのもので。


 エミリーのしたことは決して許されないと思う。

 でも僕とメモリアは物事を一面的に見過ぎていた。


 エミリーの視点では、狂った村の中で幸せの幻想を見せられて生きるメモリアの姿は見るに堪えない代物だったのだろう。


 さながら鳥かご。そうでなければモルモットだ。

 たったひとり何も知らない妹だけが……僕なら絶対に耐えられない。


 僕がどうするべきか、そんなことは決まっている。

 僕はメモリアを守ると誓ったんだ。彼女の心を守ると。


 僕は今こそ上辺ではないエミリーの心と向き合う覚悟を決める。


「エミリー、それがキミの心の闇か」


「闇? フッ、安心してください。私は自分の行いを正当化なんてしませんよ。私はこの狂った鳥かごから逃れるために、青い血の悪魔の力を借りた」


「なるほどね」


「ええ、そのことを後悔なんてしていませんし。それどころか今は自分の判断を誇りにさえ思っています。そもそも勇者なんて、それにすがる人間なんて、誰しも生きるにも値しない存在なのですから」


「待ってよ、エミリー! どうして……どうしてそんな大切なことを今まで話してくれなかったの!?」


「決まっているでしょう。あなたが弱すぎて役に立たなかったからよ」


 誰に頼ることもできなかったと、それだけの話に違いなかった。


 過ぎた重責をメモリアに負わせることをしないのは、自分だけが頼りだったからだろう。

 メモリアは困惑を隠せず、今は剣の切っ先を下げている。


 その優柔不断をさびしそうに笑って、エミリーはナイフを手元で回してもてあそぶ。


「優しいのね。メモリア。ひょっとして都合よく忘れてしまったの? この姉が妹のあなたでさえ、ルユインに……青い血の悪魔に殺させようとした過去を」


「それは……」


「それに答えられないのならば剣を捨てて去りなさい。誰に何を言われようと関係がない。それだけが私たちの生きる“現実”なのだから」


 真実でも虚偽でもない。


 ただここにある清濁合わせた自分自身を評してエミリーはナイフの柄を握った。

 その時に、ナイフの刃が淡い紫の輝きを放つ。


 動じないエミリーはその輝きに身をゆだねて僕たちの前に立つ。


「私は自分だけの正義に殉じる」


 そしてその輝きが晴れた時に僕たちは猛毒がしたたる牙を見る。


「この名は魔をみすべてを刈る者」


 毒々しい緑色の液体がしたたる大地を溶かす。


 それは獲物を狩り殺すためだけの“牙”を持つ巨大な竜だった。

 かつて神に近づいた魔王さえ、その毒牙でくびり殺したという恐るべき竜だ。


 返り血にも似た赤い鱗と翼と、そして蜘蛛のような単眼たんがんを持つ魔の竜。

 “蜘蛛竜”――言葉そのままに蜘蛛の毒牙を持つ魔竜だ。


 エミリーが変身した蜘蛛竜は対峙する僕とメモリアへと静かに告げる。


「私の名はスパイダーファング――」


 鋭利な牙から猛毒がしたたり落ちた。

 うごめく単眼が未だ迷えるメモリアを咎めて睨む。


「スパイダーファング・ルナティック・ドラゴン」


 蜘蛛竜と対峙するメモリアは剣を握って震えていた。


 姉の真実を知って心が揺らいだのか。

 それは弱さなのかもしれない。


 いや、掛け値なしに意志薄弱に違いなかった。

 だとしても僕は今、メモリアの想いを誇りに思う。


 僕は前に出た。

 悪魔の騎士たちも、動かずに僕とエミリーの対決を見守っている。


 どうやら人並みの分別があるみたいでうれしいよ。

 悪魔を相手に人並みなんて言うのも、おかしな話だけどさ。


 その時に蜘蛛竜が僕を威嚇するみたいに毒牙をむく。


「どきなさい。竜の少年。私の相手はあなたではありません」


「やっぱりあなたは、メモリアのお姉さんなんだな」


 僕は少しだけうれしくなった。


 あまり妹を甘やかすなって、きっとエミリーはそう言いたいんだろうさ。

 わかっているよ。メモリアは自分で立てるし、迷いを振り払って立つべきだ。


 僕がやっているのは、メモリアの行くべき道を阻むお節介なのかもしれない。

 だとしても、たったひとりの家族で殺し合うなんて不幸を見てはいられない。


 ハンドレッドに小言で背を押してもらうまでもないさ。

 僕が何をなすべきなのか、それは過去の記憶ではなく、ここにいる僕が決めることだ。


「僕は選べなかった。残酷な運命の濁流だくりゅうに流されて、大切なものをすべて失ってしまった」


「…………」


「メモリアはまだ選べるはずだ。自分の意思で、彼女の望む現実が人の弱さそのものだったとしても、メモリアはきっと自分の意思で自分が本当に望む未来を掴めるのだと、僕はそう信じている」


 綺麗事さ。すべては虚しい綺麗事だよ。


 力ない理想は無力だ。理想のない力は暴力だ。

 わかり切っている話だ。だとしても僕はメモリアの理想を守ると決めた。


 だからそれでいい。その虚しさを超えてこそ僕の選んだ現実がある。

 淡く輝く竜石を取り出して僕は蜘蛛竜に突きつける。


 この名は魔を狩り光を討つ者。

 そして――


「この“夢”を守る。僕の力はそのための力だ」


 ハンドレッドアイズ・イミテイト・ドラゴン。


 百眼鬼竜と蜘蛛竜とが向かい合った。

 一触即発の戦場で、僕は自分の想いをエミリーに伝える。


「勇者エミリー。僕はあなたを倒すよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る