第46話 悪魔の勇者

 廃墟になった屋敷の庭園にエミリーは僕とメモリアを案内してくれた。


 ここがエミリーとメモリアの育った思い出のお屋敷なのだという。

 立ち話もなんですから、と言いつつ座椅子のひとつも用意されていない。


 当たり前の話だけどね。長年にわたって放置されていた庭園は手入れなんてされていなくて、雑草で酷い有様になっていた。


 メモリアは変わり果ててしまったお屋敷を悲しそうに見つめている。

 一方でエミリーは特に気にした様子もなくその場所で“昔話”をしてくれた。

 

 いにしえの神々と巨人の話。

 魔王が仕掛けた侵略戦争とそれに抗った人々の話。


 人間によって作り出された半人半魔の勇者の話。

 その戦いによって犠牲になった弱い人間と弱い悪魔の話。


 そして竜。

 僕が興味をひかれたのは勇者と悪魔の戦いを終わらせた竜の話だ。


 とりわけ若き竜王の力を分け与えられたという4体の竜。

 陽炎の尾を持つ竜だとか、潮騒の翼を持つ竜だとか。


 それは僕にとって聞き覚えのあるフレーズに違いなかった。

 偶然だと聞き流すこともできたけどね。それはあまりにも間抜けな考え方だと思う。


 なにしろ僕の目の前にいるエミリーが昔話の終わりにこう名乗ったんだ。

 自分こそは猛毒の牙を持つ竜である――と。


 その瞬間には僕もメモリアも本当に驚かされたよ。

 シーズンとモルガン、そしてネミーアウラに続く第四の竜だ。


 確証はないけどね。

 さりとて証拠を見せろと言わなくても、なんとなくは本当だろうと思う。


 エミリーはあまのじゃくな性格をしているけれど、こんな話でウソをついて自尊心を満たすようなつまらない真似はしないだろうと、そのくらいはさすがにわかる。


 エミリーは勇者の血を引いているらしい。

 しかもその彼女は竜の力までを持っているという。


 だけどもエミリーはこんなにも恵まれた自分の存在を誇ることをしない。

 曰く、この世界にはエミリーでさえ及ばない究極の頂点資格者がいるのだという。


 エミリーはその名を僕とメモリアに教えてくれた。


 メモリアを指さしてエミリーは言うんだ。


天魔王獣てんまおうじゅう【ルインボイス・ロード・オブ・ビースト】、長ったらしいので私は単に天魔王獣と呼んでいます」


「天魔王獣……」


「お聞きなさいメモリア。あなたの魂にはかつて神代を終わらせた究極の力が眠っている。天魔王獣を従えてこの世界を救済することが、あなたの“勇者”としての真の使命なのです」


 突拍子もない話だ。


 メモリアの魂に、神代を破滅させた天魔王獣が眠っているって?

 まるきりウソだと否定するつもりはないけどね。聞くに不自然な話だった。


 だってエミリーが聞かせてくれた昔話の終わりでは天魔王獣の行方は定かではない。

 なのにどうしてエミリーは天魔王獣がメモリアの魂に眠っていることを知っているんだ? というかそもそも、大昔にいた本来の天魔王獣は結局のところでどうなったんだ?


 その旨をエミリーに尋ねてみると、エミリーは「細かい人ですね」と微笑んだ。

 リラックスした様子のエミリーは大きな庭石に腰かけて言う。


「しょせんは人間の視点での昔話だと、話の終わりにお伝えしたはずですよ。私は別の視点で伝わる昔話も知っている。それだけの話です」


「話してよ。今更つまらない隠し事は無しにしてほしいわ」


「メモリア……あなたはこの姉にいらぬ手間をかけさせたいの?」


「そうよ。姉さんがこの村を滅ぼした本当の理由を私は知りたいのよ」


 気だるそうに受け答えするエミリーを、メモリアが臆さず睨みつけた。


 先ほど手も足も出ずに殴り倒された後だというのに、メモリアは果敢だよ。

 家族の因縁に部外者が口出しするのは野暮な気もしたけど……


 かといって自由に姉妹喧嘩をさせて話が進まないのも困りものだ。

 僕は合間をはかってエミリーに問いかける。


 内容は昔話の真実についてだ。


「エミリー、僕からもお願いするよ。天魔王獣の行方とメモリアについての話を、キミの知っている限りで教えてほしい。その昔話は竜である僕にとっても気になる話だから」


「聞いてどうすると? 竜とはいえ部外者のあなたにできることはなにもないのに」


「僕がどうするかは話を聞いた後に自分で決めるよ。あなたが少しでもメモリアの成長を願うのなら、もったいぶらずに手助けをしてくれてもいいんじゃないか?」


 あまり遠回しに言われても解釈するのが面倒だ。


 エミリーはどうやらメモリアの成長を望んでいるようだからね。

 その点に訴えれば話を聞いてくれるんじゃないかと思ったんだ。


 歪んだ形であれ、エミリーがメモリアのことを妹として想っている……ような気がするのは僕の気のせいではないと信じたい。


 案の定というべきか、エミリーは僕の問いかけに考える素振りをみせてくれる。


「なるほど、確かに……私はメモリアの成長を望んでいます。その点では確かに天魔王獣の真実を伝える必要があるでしょう。しかし……今はどうしたものかと思います」


「なにがよ? 姉さんはいつもそうだわ。その白々しい物言いをやめて、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」


「なら言うけれど。メモリア。あなたは弱すぎる。もちろん身も心もという意味よ。仮に今のあなたが天魔王獣を目覚めさせたとして、誘惑に溺れるのがオチでしょう」


「…………」


「この姉としては、もうしばらくは真摯な研鑽に励んでほしいと思うところね。せめて……そう、せめてマリス王子を相手にできるくらいの強さが必要だわ」


 言われたメモリアは悔しそうに歯噛みしていた。


 具体例として挙げられたマリス王子をメモリアは過剰に恐れていた。

 もちろんメモリアが心ある人間としてマリス王子に劣っているとは思わない。


 だけど戦う者という意味合いでならばマリス王子はメモリアよりもはるかに強い。

 かつての僕はシーズンの協力を得てマリス王子に辛勝することができたけどね。


 一対一でもう一度戦って勝てるのかと問われれば、それは難しいと言える。

 僕が竜として持てるすべての力を引き出してなお、勝算は無いに等しい。


 そのマリス王子を強さの物差しに使うエミリーがどれほどの強さを持っているのか、僕には想像もつかない。


 先ほどの集団墓地でメモリアを殴り倒した軽やかな動きから想像するに、人間としても竜としても、エミリーは僕やメモリアのはるか上に立つ実力者なのだと思う。


 強いからって何もかもが許されるとは思わないけどね。

 勇者として竜として、僕はエミリーの心には大切なものが欠けていると思う。


 たぶん、エミリーは……

 失礼だと知りつつも僕は耐えきれずに言ってしまう。


「エミリー。キミはこの世界に自分以外の人間がいないと思っているのか?」


「この私を傲慢だとお説教するおつもりで?」


「そんなんじゃないよ。キミが何を考えて生きていても、それはキミの勝手だ。僕が詮索するような話じゃないさ。でもね」


「でも? なんですか?」


「あまりにも他人から軽んじられるのは誰だっておもしろくないだろう? あなたはもう少し、自分以外の人間も迷い悩んで考え事をするのだと、思い直した方がいいと思うよ。こればかりは皮肉じゃなくてね」


「というと?」


「教えてくれとは言わない。だけど、せめてひとつだけ僕の問いに答えてほしい」


 のらりくらりしているエミリーだ。


 エミリーに教えてほしいと無理にねだっても意味がないだろうからね。

 それならこちらで勝手に彼女の人脈を想像させてもらうさ。


 エミリーは勇者だ。

 彼女は勇者の村に伝わる言い伝えで、大昔の神話について知りえたのだと語った。


 おそらくこの言い伝えについてはメモリアも少なからず知っているのだろう。

 勇者の村に伝えられていたのは、“人間の目線”での、かつてあった物語だ。


 ならばその目線を補完する形でついになる物語はおのずと限られる。

 ふるさとの村を滅ぼして、メモリアから家族を奪ったエミリー。


 エミリーには村を滅ぼす悪魔の協力者がいたのだという。

 そうだ。つまりエミリーは青い血の悪魔と……【魔王の覚者】と交流があるんだ。


 ここまで考える材料がそろっているのに「教えてほしい」というのも間抜けだね。

 僕は自分の想像をエミリーに伝える。


「キミには悪魔の知り合いがいるんだろう? ならキミが“悪魔の目線”で天魔王獣がたどった結末や神話の真実について知っていてもおかしくない。むしろそちらの方が自然だよね? キミにとって不都合でなければ、その答え合わせだけしてくれないか」


 エミリーがフッと息をこぼして微笑んだ。


 「ご明察」と唇の動きで教えてくれたのはエミリーの気づかいだったのかもしれない。

 とはいえ、ここにいたってしらばっくれるほどエミリーも偏屈ではなかったらしい。


 素直なやり方で、エミリーはうなずいてくれる。


「ルユインのことですか。ええ、確かに。私は【魔王の覚者】と交流を持っています。特に裏切り者として勇者のみなさんに追われる私には、身を寄せる場所が必要だったのでね。彼にはお世話になっています」


「姉さん、あなたには悪魔と戦い人の世を守る勇者としての誇りはないのね……」


「ないわよ。そんなもの。だからおかげさまで今ではすっかり悪魔の一員。気のいい連中よ。私にしてみれば、同じ人間と語らっているよりもよほど愉快なくらい」


「このっ、外道!」


「いやね、メモリア。そもそもあなたが言ってくれたじゃない? 『悪魔って、それは姉さんのことだわ!』なんてね」


 バカにしているとさえ映らない自然体でエミリーはメモリアの神経を逆なでした。


 メモリアの表情から悲しみと怒りが抜け落ちる瞬間を、僕は見た。

 メモリアは血錆びた剣に手をかけ、問答無用で抜き放つ。


 僕は慌てて、メモリアの行く手をさえぎる。


「ま、待ってよ、メモリア」


「もう十分だわ! 勇者の裏切り者を、みんなの仇を! この腐れ外道を生かしておく理由なんてない!」


「可哀想なメモリア。その優しさを、あなたは村のみんなから利用されていたのにね」


 エミリーがどこかさびしそうな表情で息をついた。


 そんなすべてを知った風な物言いが、メモリアの怒りの炎に油をそそぐ。

 怒髪天をつくメモリアが剣の切っ先をエミリーに突きつけてさけぶ。


「戯言をぬかすな! みんな優しい人たちだったわ! それを姉さんが殺したのよ! あの優しい人たちを、私の家族を侮辱するなら、もはやおまえを姉とは呼ばない! 今ここで決着をつけましょう! それがおまえの望みでしょう!」


「確かにね。お互いにかける言葉はもう十分のようだわ」


 メモリアの意思に応えて、エミリーが庭石から腰を上げた。

 そしてエミリーは見計らったように指をパチンと鳴らした。


 ――それが合図だ。


 エミリーの周りの空間が歪んで、そこから騎士甲冑を着た異形の戦士たちが現れる。

 一目でわかる。それは青い肌に紫の瞳を持つ、悪魔の騎士たちだ。


 それも僕が今まで見てきたような、けたたましく笑う悪魔の雑兵とは違う。

 ひとりひとりが確固たる力と威圧感を秘めた正真正銘の強い悪魔だった。


 お手本のような伏兵だ。

 ざっと見渡して十数体、剣を構えた悪魔の騎士は僕とメモリアを包囲している。


 さすがのメモリアもこれには驚いて足踏みをさせられる。

 僕とメモリアは背中合わせになって、悪魔の騎士たちと向かい合った。


 メモリアが悔しさを噛み潰してうめく。


「伏兵、ですって……」


「転移魔法の気配さえ察せないとは。今はきっと天魔王獣が泣いていることでしょう」


「……おまえ、いったい何が本当の目的なの?」


 メモリアの問いを受けて悪魔の騎士を従えるエミリーが首をかしげた。


 言われたエミリーは今日初めて困ったように眉を寄せて言う。


「目的? 目的ねえ……別にないけど? しいて言うなら、あなたを天魔王獣の資格者として鍛えてあげることかな。それが私の人生の楽しみ」


「ふざけないで!」


「ふざけてなんかいないわ……ねえ、メモリア。それにあなたが言ってくれたんじゃない? 『悪魔って、それは姉さんのことだわ!』ってね。あれねえ、実は私もかなり気に入っていてね?」


「エミリー、キミは……」


「ごめんなさいね、フィフスくん。残念ながら今の私は悪魔の味方をする竜なので」


 エミリーはふところから一本のナイフを取り出した。


 戦闘用ではない果物ナイフみたいな小さな刃を彼女は僕たちに向ける。

 ……それで十分だという自信のほどがこれでもかというほどに伝わってくる。


 遊んであげると、幼い子どもを扱うみたいに思われているに違いなかった。


「聞きなさいメモリア。天魔王獣を宿すあなたが、人の世を守る人族の勇者であるならば」


 暗闇のように底知れない瞳が僕たちを見つめて手招きした。

 エミリーは怒れるメモリアとは正反対の穏やかな口調で言う。


「この姉は、悪魔の世を守る魔族の勇者よ」

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