第27話 ベルカの戦争

「モルガン、キミはここで何をしていたんだ?」


 剣に手をかけるメモリアを下がらせて僕はモルガンに問うた。


 その質問はそっくりそのまま僕へと帰ってくる。

 モルガンは涙をためた両目でさびしそうに僕を見る。


「そういうフィフス。あなたはどうしてこんなところにいるの?」


「……キミが人を殺すのをめようと思ったんだ。メモリアもそうだ」


 僕が望めばウソをつくことはできた。


 夜歩きするモルガンが心配になってついてきたとか。

 何をしているのか気になっただとか、はぐらかすこともできた。


 でもそれはしょせん不信と裏切りのごまかしでしかない。

 僕は愚鈍だとわかって正直に胸の内を打ち明けた。

 モルガンの両目をいっそう悲しみで曇らせるとわかっていても……


「殺す? ああ、生徒たちを……私様が生徒たちを殺す。そういうことよね?」


「そうよ。水路から死体の山が見つかったのは聞いているでしょう? 夜歩きして白亜の会のメンバーと密会するあなたがやったのだと、私たちは思っていたわ」


「悲しい決めつけね……そんなに私様が信用ならないの?」


 モルガンは涙をぬぐってメモリアと向かい合った。


 メモリアの視点ではモルガンが悪魔だという確信があるのだろう。

 だからこんなにも強い言葉でモルガンへの不信を口にできる。


 しかしモルガンの立場ではなんの根拠もない疑いだろう。

 僕がモルガンの立場でこんなことを言われたら絶対に納得しないさ。


 『私たち』とひとくくりにされても僕には反論をする余地がなかった。

 僕がメモリアの言葉に従ってモルガンを尾行していたのは事実だからだ。


 僕はモルガンを信じたかった。どうしてその気持ちに正直になれなかったんだろう。

 今さら言っても仕方がないけど。


 メモリアにしゃべらせるとモルガンと喧嘩になりかねない。

 僕は自分たちに非があるとわかっていながら、仲裁のためにはメモリアよりの発言をしなければならなかった。


 でなければ何もかもが手のひら返しになってしまう。そんなのは情けなく卑怯だ。

 僕はメモリアとモルガンの間に割り込んで言う。


「他に考えられなかったんだ。信じてもらえないかもしれないけれど、メモリアはいにしえの勇者の血を引いている。メモリアは直感でモルガンが悪魔の血を持っていることに気づいていた……」


「フィフス……」


「夜な夜な出かけていくキミを僕たちは不思議に思っていた。そんなときに惨殺死体の話を聞いたんだ」


「そう……」


「何も教えてくれないのに。僕たちだってキミのことを信じられなかったんだ。ごめん……でも勇者のメモリアがキミを疑うのはそんなにおかしいことじゃないよ」


 正直に言えば、僕にはまだモルガンが青い血を持つ【魔王の覚者】だという確信がなかった。僕はメモリアの言葉を鵜呑みにしているだけだからね。


 でもこの場で曖昧な言葉を使ってしまったらモルガンの真実が遠のいてしまう。

 僕はもうこれ以上モルガンから逃げることをしたくなかった。


 モルガンの気持ちを傷つけることだとしても僕にはそれが嫌だった。

 モルガンは一度まぶたを閉じて考える素振りを見せた。


 そしてもう一度その両目を開いたときに彼女はため息をついて苦く笑った。


「そうね。そうだわ。フィフスの言う通りなのよ。何も教えていないのに、私様を信じろっていうのは虫が良すぎたよね」


「ごめん」


「いいのよ。誰かに信じてもらうためには相手を信用しなくては始まらないもの。私様はふたりを普通の人間だと思っていたから巻き込みたくなかった……それだけはわかってほしい。でも今にして思えばひとりで背負い込んだのが間違いだったのかもね」


 モルガンの語りをメモリアが気まずそうに聞いていた。


 メモリアはモルガンを犯人だと決めつけていたから余計に気まずいのだろう。


 僕は口をつぐんだメモリアに代わってモルガンとの会話を続ける。


「僕たちこそ疑ってごめん。キミを犯人だと決めつけてキミの後をつけていた……これじゃあ僕たちの方がストーカーだ」


 僕はやりきれない気分でうつむく。


 僕にはモルガンと視線を合わせることができなかった。

 だけども話下手の僕とは違ってモルガンは冗談めかせて笑ってくれる。


 モルガンは口元に手を当ててクスクスと吐息をこぼす。


「ふふっ、ストーカーね。私様はフィフスにならストーカーされてもいいけどね。フィフスは私様が犯人だったらどうするつもりだったの? やっぱり悪魔を殺すつもりだった?」


「え、いや、あの……殺すって、僕はそんなことはしないよ。でも最悪の場合、モルガンが間違っていることをしているなら刺し違えてでもそれをめるつもりだった。僕にできるとは思えなかったけど、僕はモルガンに罪を償ってほしいと思っていたよ」


 しどろもどろに答えた僕の言葉をモルガンは一層に笑う。


「へえ、熱烈なのね。フィフスったら。刺し違えてでも私様をめるだなんてさ。無理心中みたいで魅力的なのよ。まあフィフスは頭が固いっていうか、思い込みが強いところがあるわよね。そういうところ私様は好きだわ」


「怒らないのか?」


「怒ったりなんかしないわ。私様はむしろうれしいくらい……なんちゃってね。さっきはびっくりしたのよ? この夜の暗闇でいきなり後ろから掴みかかってこられたんだから! 心臓が口から飛び出るかと思っちゃった。まったくもう!」


「そ、それはごめん……」


 僕たちは気まずく笑い合った。


 だけど今はそれ以上の不信もあと腐れもない。

 お互いがお互いのことを考えているとわかればすれ違いを許すことはきっとできる。


 僕はそう思っていたし、モルガンも同じように考えてくれているようだった。

 ひと段落だね。


 僕は改めて現在の状況について尋ねる。


「モルガン。さっきのあの女……あの人魚は誰なんだ?」


 モルガンは腕組みをして一拍だけ考える間をおいてから僕に答えた。


「彼女はベルカ。私様と同じ、青い血を持つ悪魔よ。そちらのメモリアが勇者ならフィフスも【魔王の覚者】についてはいくらかを知っているのかしら?」


「ベルカ?」


「悪魔は私様の知り合いなのよ。話せば長くなるんだけどね。私とベルカの関係を話している時間はない。それよりも今は――」


「待ってくれ。できれば話を聞かせてほしい。僕たちは思い込みでキミを疑ってとんでもない失敗をしてしまった。もうそんなのは嫌だ。隠し事は無しにしてほしい」


「…………」


「頼むよ。お願いだ。【魔王の覚者】のことなら僕も名前だけは知っている」


 僕がそう伝えるとモルガンは観念したように息をついて肩を落とした。


 それからモルガンは一度だけ夜空を仰いで僕とメモリアから視線を外した。

 自分の話をするのに何から話すべきかを考えているようだ。


 モルガンは言う。


「そうよね。隠し事は無しがいい。さて、どこから話せばいいのかしら……」


「ベルカって悪魔の話を」


「ベルカはね……【魔王の覚者】の中でも比較的高い地位にいる悪魔なのよ。魔の者は遠い昔から人間との戦いに備えてきた。その計画についても彼女は私様よりもずっと深くまで知っている」


「なるほど、ふざけているようで知恵者なんだな」


「そうね。ベルカが望めば魔の者の采配を振るう指揮官の立場さえ得られたでしょう。だけどベルカはそれをしなかった」


「というと?」


「魔の者がこの世界での栄光を取り戻すためには地道な仕事が必要だと言って斥候せっこうの役割を自らがすすんで引き受けたのよ。【魔王の覚者】っていう連中はどいつもこいつも我が強いからね。それは驚くべき献身だったのよ」


「…………」


「でも思えばそれさえベルカの考えの内だったのかもしれない。ベルカは諜報活動を引き受けることで魔の者の計画の深くにまで立ち入るようになったし、組織における権限と発言力を強めていった」


「なるほど」


「とうとう、ベルカは斥候の身の上でありながら多くの軍勢を動かす大々的な作戦を立案したのだわ。人間の国を滅ぼす。おそろしい作戦をね」


「それって……」


「ええ、お察しの通り。学び舎の国のことなのよ」


 モルガンはうなずき難しい表情で口を曲げた。


「フィフスも知っての通りに悪魔は千年前の戦いに敗れた。それが勇者との共倒れだったか、一方的な敗北だったのかは、わからないけどね。だけど種族として純粋な力でまさっている悪魔が人間に敗れたのには大きくふたつの理由があったの」


「やっぱり相手を侮っていたから?」


「そうね。もちろんそれもあるけど、一番は悪魔の性格が個人主義で集団戦闘に適していなかったということかな」


「個人主義か、確かにそれらしいな」


「もうひとつは力を持つ悪魔をまとめる知恵ある統率者が最高権力者の魔王以外には誰もいなかった一点に尽きるのよ。要するにみんなが好き勝手にしていたから各個撃破されてしまったの」


「それは、なんというか、ちょっと間抜けだね」


 僕はついつい間を外した感想をつぶやいてしまった。


 だけどそうだよね。純粋な力では悪魔が人間に劣るはずはないのに知恵と機転の差で負けてしまうなんて、それこそ戦いにおけるお手本のような失敗談だよ。


 その点はモルガンも共感してくれるようで彼女は苦く笑ってうなずいた。


「そう、その通り。実際に間抜けなのよ。だから今度は同じ失敗をしないように作戦を練ることにしたの。長い長い時間をかけて戦力を整えて……そして人間を滅ぼすための作戦をね。そして今に至る。というわけよ」


「へえ、悪魔も頭を使って考えたわけか」


「それもあるけどね。だけど悪魔が個人主義という点は今も昔も変わらないのよ。最初はよくても長期戦になれば集団戦闘の優位は人間の側にある」


「…………」


「だからこそ、悪魔は戦いを始めるにあたって、まずは人間の統率と知恵の在り処をくじくことを望んだ。それこそがベルカが立案した作戦なの」


「どういうこと?」


「学び舎の国のことよ。大勢の優秀な人材を輩出するこの場所は周辺国にとって人材交流の拠点であると同時に政治的にも重要な中立の安全地帯なの。もし仮にこの国が戦火で焼かれて失われたならば、各国の連携にも乱れが出る。なんなら失われた利権の獲得をめぐって水面下で争いが起きるかもしれないわ。ベルカはそれを狙ったのよ」


「ということは……」


「そうよ。悪魔が人間との戦争で最初に狙う標的は人間の知恵と人材が集まる学び舎の国。つまりこの町のことなのよ。そうやって奇襲で学び舎の国を滅ぼした後にね。ベルカは人間と“停戦協定”を結ぶことを提案したの」


 僕は不思議に思って首を傾げた。


 停戦協定? 戦争を仕掛けた直後に停戦を申し出るだなんて何の意味があるんだろう?

 仲間を殺された人間や周辺の国が黙っていないだろうに。


 現実的で地道な作戦から一転して突拍子もない急転直下の提案だ。

 僕の気分が伝わったのか、モルガンが補足をする。


「もちろん仲間を殺された人間が退くとは思っていないし、悪魔の側にも本当に停戦をする意思はないの。だけどね。人間の国家の意思決定には大勢の判断と識者の議論が必要になる」


「相手に手間をかけさせるってこと?」


「そうよ。停戦協定というひとつの可能性をちらつかせるだけでも、戦争に反対する者がいれば少なからず意見が割れるのよ。その不和を煽れば人間の足並みはますます乱れることになる」


 聞くに自然な話だと、僕は思った。

 モルガンは言う。


「奇襲で得られる戦果なんてたかがしれているからね。本格的な戦争を始めるにあたって、ギリギリまで人間の勢力を結束させないようにと考えたのね」


「それは全部、ベルカが考えたことなのか?」


「そうよ。彼女ほど裏で糸を引く陰謀屋の仮面が似合っている悪魔もそうはいない」


 点と点を線でつないでここで僕はようやく気づいた。


 モルガンはベルカを倒すことで悪魔の侵攻を少しでも遅らせようとしていたんだ。

 しかしその絶好の機会を僕とメモリアが邪魔をした。


 僕たちは望まずとはいえ人間を滅ぼそうとするベルカの陰謀に加担してしまったんだ。

 でもわかってよかったことがひとつだけある。


 モルガンは悪魔だけど人間と戦うつもりがないということだ。

 僕はほっと胸をなでおろす。


「じゃあモルガン。やっぱりキミは悪くないんだね? 悪魔だとしてもキミは人間の味方でいてくれるんだ?」


「悪くない。というと語弊があるのよね。私様は私様のために生きているから。なんだかんだと人間を助ける正義感で動いているわけじゃないし」


「え?」


「私様はね。学び舎の国で仲間を集めて世界中の海と遺跡を旅するのが夢なのよ。前にも言ったでしょう?」


 モルガンが以前に教えてくれた彼女自身の夢だ。


 僕は察する。そうか、モルガンは自分の夢のためにそれを邪魔する悪魔の計画を敵対していただけなんだ。

 ある意味で集団の正義よりも信頼のおける考え方だ。


 身勝手な気もするけどね。僕はモルガンの主張に同意する。


「なるほど。でもモルガンはベルカを倒してどうするつもりだったんだ?」


「うーん、これは希望的な観測なんだけどね。学び舎の国を襲撃する計画はすべてベルカが計画したものだから。彼女にとって上司といえるより上位の悪魔を動かしたのもベルカの言葉だった」


「だよね」


「ベルカがいなくなってしまえば侵攻が大きく遅れると思ったのよ。さすがに一度動き出した計画が中断することはないのでしょうけどね。私様はそうして得た猶予を使って自分の青い血を証拠にして悪魔の存在を公に告発するつもりだったわ」


「……告発って、悪魔の計画が丸つぶれだな。モルガンはきっと悪魔に恨まれているよ」


「そうね。悪魔にとって私様は裏切り者だもの」


 「失敗したけどね」とモルガンは悲しそうに笑って暗い話を誤魔化した。


 モルガンは自分の命を賭してこの町と人間たちを守ろうとしていた。

 それを僕とメモリアが邪魔してしまったんだ。


「今はこれでよしとしましょう。悲しいけれどこれ以上は私様にできることはなにもない。人が死んで血が流れて国が滅ぶ。それも長い歴史の一ページならば仕方のないことなのよ」


「モルガン……キミはどうしてそこまで」


「私様は海が好きなのよ。海が見える。海と共にあるこの町が。だから守りたかった。私様の夢をかなえてくれるかもしれない、この町を守りたかったのだわ」


「…………」


「それにこの町は私様にとってフィフスと出会えた特別な場所だもの」


 モルガンは優しく笑ってくれた。

 その痛ましく優しい微笑みが今は僕の胸をえぐる。


「だけど放っておくことはできないよ。悪魔の襲撃をめなければ大勢の人が犠牲になってしまう! 知っているのに何もしないなんて!」


「知っていても今からでは何もできないわよ。襲撃は間もなく。しかもこの町には悪魔の襲撃を手引きする人間がいるのよ。彼らは悪魔の密偵のようなものでね。悪魔に協力すれば自分たちだけは助かると信じている」


「白亜の会か」


「そういうことよ。下手をすれば悪魔と人間の両方を敵に回すことになるわ。私様は背中を刺されてまで人間を守るつもりはないのよ」


 モルガンはすっかり諦めた様子だ。


 僕も今からでは何をどうしていいのかわからない。

 悪魔の数が少数ならば戦いを仕掛けて蹴散らすこともできるのだろうけどね。


 ひとつの国を滅ぼそうという軍勢に対してただの個人ができることなど何もない。

 僕は竜だ。だけど竜だとしても多すぎる敵には敵わない。


 それはくしくも千年前の悪魔が人間に敗れたのと同じ理屈だった。

 本当にどうにもならないのか……何か手はないのか……


 そんなふうに暗い表情でうつむく僕を気遣ってくれたのだろう。

 モルガンはつとめて明るい言い方で場をにぎやかすみたいに言った。


「でもまあ、これからフィフスがどうするのかは知らないけどね。今日のところは帰りましょう。嫌でも眠らなくては気が滅入ってしまう」


「それはそうだけど」


「だけど? なに? あなたったら、私様をつけまわしていたから、すっかり疲れているんでしょう? 今日の講義でも眠っていたし」


「ソレを言われるとつらいね……」


 メモリアも同じだ。目の下にクマを作って酷い顔色をしていたからね。


 そうだな。疲れた頭では名案も浮かばない。

 今は帰って眠らなくっちゃね。


 それが現実逃避だとしても食事と睡眠は生きるために必要なことだ。


「ひとまず帰ろうか。メモリア」


 僕は振り返ってメモリアに声をかけた。


 だけど後ろの暗闇にメモリアの姿はなかった。

 アレ、おかしいな。さっきまでそこにいたはずなのに。


「メモリア? おーい、メモリア、どこに行ったんだよ?」


「あれ、先に帰ったんじゃないのかしら? さっき私様の話の途中に歩いて行ってしまったのだけど」


「え?」


「気づいてなかったの?」


 僕は呆けた。


 またしても失敗を悟った

 メモリアは悪魔を憎んでいる。


 悪魔が学び舎の国を滅ぼそうとしている事実を知ってどうして黙っていられるだろう。

 メモリアは戦いを選ぶ。僕が知るメモリアならば自分の命を投げ捨ててでも――


「っ、メモリアは勇者なんだ! まさか、ベルカを追っていったのか!?」


「光によって魔を狩る者の宿命というわけね……ベルカはきっと悪魔の軍勢と合流するのよ。その場にはベルカより高位の悪魔もいる。いくら超常的な力を持つ勇者の血族とはいえ、絶対に敵う相手ではない」


「だとしたら……」


 重い沈黙。


 月夜の静けさが酷くもどかしい。

 メモリアの行く末を評してモルガンは深刻な表情で言う。


「だとしたらね。彼女の命には一刻の猶予もないわ」


 メモリア。そんなどうして……


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