第26話 地下ギルド【白亜の会】
地下ギルドというものがあるらしい。
どうしてこんなことになったのだろうか。
失踪した生徒の調査をしていたメモリアの説明によると彼らの共通点は全員が地下ギルドに所属していたことだ。
地下ギルド【白亜の会】。
ギルドとしての書面はなく、正式に活動を認可された組織ではない。
非合法の……言っていいならば犯罪にも関わるアウトローの集いだ。
聞くに、背徳的な響きと関係性が誰彼を虜にしたそうだ。
活動時間は夜間。
学校での競争に落ちこぼれた者たちがこぞって参加していたらしい。
負け犬の傷の舐めあいか。
うさんくさい集まりに関わって命を落とすのだから自業自得とも言える。
白亜の会。発見された惨殺死体はすべてが地下ギルドに関わりのある者だ。
彼女は……モルガンは毎晩その集まりに参加しているらしい。
どうして? 何の目的があって?
頭が真っ白になりそうだ。
メモリアが言うには僕たちが町を訪れた日と地下ギルドに参加する生徒たちが失踪を始めた時期がピタリと重なるらしい。
僕はそんなのは何の根拠もない憶測だと思っていたけれど。
メモリアは言うんだ。メモリアは……
「とんでもない女だわ。とぼけたふりをして猟奇殺人犯よ」
「待ってよメモリア。なんの証拠もないだろ! モルガンが人を殺した証拠なんて……」
「静かにして。この件は町を統括する賢人議会にも判断を仰いでいるわ。決して私の独断じゃないの。可能性の是非を考えるならあなたも捜査に協力しなさい」
「そ、そんなことを言われても……」
忘れもしない月夜の夜更け。
メモリアは僕にふたつのことを提案した。
ひとつはモルガンの身辺調査の協力。
もうひとつは夜間におけるモルガンの監視だった。
でもそんなのは酷すぎる。勝手な話だよ。
協力をしぶる僕に対してメモリアは強い口調で言う。
「私だって100パーセント確証があるわけじゃないわ。だけどね、あの女が【魔王の覚者】だという確信はある。あの女が罪のない学生たちを殺して回っているのなら、私は放っておくわけにはいかないの」
「メモリア……」
「私は絶対に殺人事件を止めて見せるわ。あの女と刺し違えてでもね」
それはメモリアが勇者だからなのか。
わからない。メモリアが悪魔を憎んでいるのは知っているけれど。
勇者の血を持つだけで悪魔を殺す使命感に縛られているメモリアの生き方と彼女の在り方は酷く危ういものに思われた。
メモリアは人間にとって大切な感情を見落としている気がしたんだ。
だからというべきか。
僕はメモリアを放っておくことができなかった。
僕の立場では捜査への協力を断ることもできたけれど、町の有力者が捜査に関わっているということは僕が断っても別の誰かに白羽の矢が立つだけの話だろう。
なら僕がやるさ。
モルガンの真実をこの目で確かめる。
それに退けばメモリアがどこか手の届かない遠くに行ってしまう気がした。
僕はそんなのは嫌だ。
メモリアだって僕には大切な仲間なんだ。
僕はメモリアが勇者の血の狂気に飲まれる姿なんて見たくない……
だから僕は答える。
「わかった。僕も行くよ。僕も捜査に協力する」
「ありがとう。フィフスが手を貸してくれるなら頼もしい。明日からさっそくモルガンを尾行しましょう。これからどんな行動を起こすにせよ。彼女が何をしているのか、まずはそれを確かめないとね」
………………………………
……………………
…………
そして今日。
僕とメモリアは静まり返った夜の町でモルガンを追っていた。
石造りの街並みに紛れて耳元にメモリアの声が聞こえる。
この時、メモリアの声は僕が手にした魔法の“水晶石”から聞こえてくる。
僕は路地の曲がり角に身を隠している。
ここにいるのは僕一人だ。メモリアはいない。
繰り返しだけど、メモリアの声は小さな水晶石から聞こえてくる。
水晶石は賢人議会が捜査のために支給してくれたマジックアイテムで、通信の用途に使われる便利な物だ。
水晶石が僅かに振動してメモリアと同じ音色で声を発する。
「どう? フィフス? 私の声が聞こえる」
「感度良好……とでも言うべきかな。よく聞こえるよ」
「それはよかった。さあモルガンの目的を突き止めましょう。私たちはひとりじゃない。こうして正当な組織の後ろ盾を得ているのだから、後ろめたいことは何もないわ」
「うん……」
メモリアは今、遠くから“遠視”のマジックレンズでモルガンの動向を監視している。
僕はメモリアの指示に従って、モルガンの後をついていった。
それだけの話だ。それだけの共同作業だ。
「気をつけてフィフス。モルガンが動きだしたわ」
僕は息を殺してモルガンの動向を見守る。
結果から言えば、この日の尾行は収穫を得られずに終わった。
ひとまずメモリアにはそう伝えた。
モルガンは白亜の会のメンバーに接触してなにか話をしているみたいだったけど。
遠くからでは彼らがモルガンと何を話しているのかまではわからない。
そうさ、人間であればわからないはずだ。
だけど僕にはわかっていた。
僕の感覚は竜として人間以上に研ぎ澄まされている。
だから遠くからでもこんな会話を拾って聞き分けることができる。
「襲撃の計画は順調だ。本物の悪魔の協力を得られるとはありがたい。これでようやくこの町は目を覚ますことになる。各国からの支援にかまけて惰眠をむさぼる識者気取りどもを殺しつくしてやれるぞ。最高の気分だ。最高のショーの開演まで、あと少しだ」
「あなたたちは本気なのね。私様はね。それは愚かなことだと思うのよ……」
モルガンは呆れたように言っていた。
モルガンの表情は見えないけれど、きっと嘆いているのだと彼女の声音から察する。
襲撃の計画? 悪魔の協力? なんの話だ?
他人を殺しつくすだなんて、穏やかじゃないしまともな話だとは思えない。
僕は息を殺して彼らの密会を見守った。
地下ギルドのメンバーは口々にモルガンを嘲笑う。
「何を今さら、おじけづいたのか?」
「悪魔のくせに臆病なんだな」
「計画は順調だ。おまえが手を引いても結果は変わらない」
「臆病者はもう来なくてもよい!」
モルガンは何も言わずに踵を返して去っていった。
一日目の尾行は事なきを得て終わる。
新しい犠牲者はでなかった。
それだけのことで僕はほっと胸をなでおろす。
しかし数日と同じ工程を繰り返すうちに、モルガンの動きに変化が生じる。
モルガンは白亜の会のメンバーと激しく口論するようになり、あわや取っ組み合いの争いに発展する寸前までヒートアップすることもあった。
温厚なモルガンがここまで感情をあらわにするなんて。
僕にはそれがなにか恐ろしい嵐の前触れに思えて仕方がなかった。
ここまでで分かったモルガンの行動パターンはみっつ。
夜中に寮を外出して白亜の会のメンバーと密会しているか。
あてもなく夜の町をさまよっているか。
はたまた、ひとりで夜明けまで海を眺めているか……
メモリアが言うには特にふたつめの行動に注意を払うべきだという。
あてもなく夜の町をさまようモルガンは、まるで誰かをさがしているかのようだった。
メモリアは言うんだ。
次に殺す獲物を探しているのか。
自分と対立した白亜の会のメンバーを殺す場所と算段を企てているのか……
そうして夜が明けるまで尾行を続けているせいで昼間は眠くてたまらない。
メモリアが目元にクマをつくっていたのは、こういう理由からだね。
こんな後ろめたい真似をしながらも日中の僕はモルガンとの語らいを続けていた。
「フィフス……まったくもう、講義の途中に寝ちゃダメなのよ? 先生がカンカンだったじゃない」
「ごめん。眠くって」
「フフッ、今日のところは私が内容を教えてあげる。またふたりで勉強会をしましょう」
モルガンといっしょにいると僕は嫌なことをすべて忘れられた。
人生で初めてできたガールフレンドとの時間を大切にしたいと、今は心から思うんだ。
僕はモルガンを信じたい。
だけどモルガンは僕に何も言ってはくれない。
地下ギルドのことも、自分が夜中になにをしているのかも。
気づけば不信の気持ちばかりがこの胸にたまっていくのがよくわかる。
僕は最低な奴さ。卑怯だとわかっていても自己嫌悪をしたくて仕方がないよ。
――変化が生じたのは七日目の夜だった。
モルガンは白亜の会に参加したその後で、ひとりの人間の後を追っていた。
モルガンが追うのはメンバーの語らいから退席したフード姿の女性だった。
僕も同じようにモルガンの後を追って歩く。
「フィフス? 気づいてる?」
「うん、今日のモルガンはどこかピリピリしている」
「あのフードの女を追っているみたいね。ひょっとしたら……」
あの女性が、モルガンの狙う獲物なのかもしれない。
そんな可能性をメモリアは想像しているに違いなかった。
でも僕はチャンスだと思った。
ここでモルガンが何もしなければ、モルガンへの疑惑が晴れるかもしれない。
そうでなくてもここ数日は猟奇殺人の犠牲者がひとりも出ていないんだ。
メモリアはモルガンが青い血を持つ【魔王の覚者】だと言うけれど。
だからといってモルガンが猟奇殺人の犯人であるとは限らない。
「正念場ね。私もそちらへ行くから」
僕とメモリアは合流した。
僕たちはふたりで路地裏に消えたモルガンの後を追う。
町の地図によるとこの先には水路があって行き止まりになっているはずだ。
人目につかず逃げ場もなく殺人には絶好の場所だと、メモリアは言う。
「ごめんなさい。出遅れてしまったわね。急ぎましょう! 手遅れになる前に!」
「手遅れって……」
「もちろん
「だけど……」
「今は考えているヒマはないわ。いいわね? 行くわよ」
果敢なメモリアが路地裏に立ち入る。
僕も音を立てないように気をつけながらメモリアの後を追った。
モルガン。キミはどうしてこんな場所にいるんだ。
本当に学生たちを殺したのはモルガンなのか?
そんなはずがない。そんなはずはないけれど……
「いた」
「モルガンは何を考えているんだろう」
「決まっているわ。フードの女性を殺すつもりなのよ。モルガンは……あの女は悪魔なんだもの。人間を殺すことなんて、何とも思っちゃいないわよ」
「……メモリアは本当にそう思うの?」
「ええ、この血錆びた剣に誓って。私は青い血の悪魔を許さない」
メモリアは小さくとも強い語調で言って僕を睨んだ。
「やる気がないなら下がっていて。こんなことを言いたくはないけど彼女はあなたのガールフレンドだものね。フィフスの気持ちもわかるけど、今は私情をはさんでいられる状況じゃないの。いざとなったら私ひとりで戦うから」
「ひとりで戦うなんて、それは無茶だよ。やめてくれ」
「無茶でもやるのよ。それが私の生きる意味だから」
メモリアは自分の主張を決してゆずらない。
だから僕も覚悟を決めた。
僕がモルガンを好きになったのは彼女の優しい人柄に惹かれたからだ。
正体が悪魔だとしてもモルガンの穏やかな言葉とふるまいを信じたからだ。
だけど、モルガンが本当に猟奇殺人の犯人ならば僕は自分の間違いを認める。
そのくらいの判断ができないほど僕は盲目な人間ではないつもりだ。
だから確かめよう。
モルガンが笑って人間を殺そうとするのなら、その時に僕は――
僕はモルガンが何事もなく路地裏から出て来てくれるのを待っていた。
だけど、その瞬間はついぞ訪れることがなかった。
モルガンが行動を起こす。
モルガンは路地の突き当りでフードの女性と何事かを話していた。
だけど今は心臓がやかましく脈打って会話の内容がまるで頭に入ってこない。
この場所は行き止まりだ。向かいには町を貫く巨大な水路が流れている。
今ここで何が起こっても闇から闇へ。
ここにいるのは、僕とメモリアとフードの女性と、表情の見えないモルガンだけだ。
その時に暗闇の中でフードの女性が驚くように一歩を退いた。
モルガンが懐から一本のナイフを取り出したからだ。
やめろ、やめろ、やめてくれ……
モルガンは何の感慨もなくフードの女性に歩み寄っていく。
フードの女性が一歩を下がれば二歩を詰め、二歩を下がれば三歩を詰める。
鋭利なナイフの刃がフードの女性を間合いに捉えるまで……後は少しで……
――ッ、ダメだ! もうッ!
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおお」
僕はメモリアが動くより先に物陰から飛び出していた。
ナイフを持ったモルガンに掴みかかって彼女の動きを封じる。
モルガンは僕にひどく驚いた様子で青い両目を見開く。
「フィフス!? なんであなたがここに――」
「やめろよ、やめてくれ。なんで、なんでこんなことをするんだ!」
メモリアが後ろから走ってくるのがわかる。
彼女はきっと剣を構えているんだろう。
今、モルガンから手を離さなければ僕もいっしょに斬られてしまうかもしれない。
だけど僕はモルガンの腕を捕まえ続けた。
ここでモルガンの手を放してしまったら、僕はきっと一生を後悔することになる。
僕はモルガンを止める。
モルガンが人間を殺そうっていうなら彼女を説得して見せるさ。
そうだ。どんな恥をさらしても構いはしない。
たとえ悪魔を憎むメモリアに恨み殺されたって――
だけど僕の懸命な気持ちに水を差したのは、想像もしない第三者だった。
フードの女性が口元を歪めてニヤリと笑う。
「なあんだ。私をつけて来ていたのねえ? 勇者の小娘と愚かな子どもが」
「へ?」
「フィフス、伏せるのよ!」
僕はモルガンに押し倒された。
その直後に僕が立っていた場所を光の弾丸が通り過ぎる。
――魔力弾だ。
当たれば簡単に人を殺せるその威力を行使したのはフード姿の女性だった。
フードの女性……いや違う。
その時には“彼女”はもう人間の姿をしていない。
「私の魂の獣石よ。破滅の歌を奏でなさい」
魔石――獣石を手にした半人半魚の悪魔がそこにいた。
美しい人間の女性の上半身と巨大な魚と触手の下半身を持つ恐るべき悪魔だ。
僕は吟遊詩人が歌うおとぎ話でその存在を知っている。
「人、魚?」
「バカな人間と哀れな裏切り者。とってもお似合いのカップルだわあ。あんまりにも愚かだから、どちらも私がみずから殺してやりたいところだけどね……」
「光の極みよ! 極光術【聖血(せいけつ)の――】」
「だけど残念! めんどくさい邪魔者がいるみたいね! ここは逃げる。逃げるにしかずっていうのは便利な言葉よねえ。あっはっは!」
軽薄な笑いを残して、人魚の悪魔が後方の激流の水路へと飛び込んだ。
電光石火の逃亡劇だ。
メモリアの呪文が完成する前に人魚の悪魔はその姿をくらませてしまう。
遅れて立ち上がったモルガンが水路に駆け寄るが、もう遅い。
なにもかもが手遅れの現状でモルガンはしゅんと肩を落とした。
やがて振り返ったモルガンは同じく立ち上がった僕を見た。
「モルガン……?」
モルガンは僕とメモリアを交互に見比べてさみしそうに微笑んだ。
「これは罰なのかしらね」
「モルガン、キミは……」
「私様はフィフスを信じてあげられなかった。だからこうして裏切りにふさわしい報いを受ける」
「チッ、逃げられた! まさか……まさか悪魔がふたりもいるだなんて! どういうことなの! 説明してよ!」
苛立つメモリアがモルガンに詰め寄った。
だけどモルガンの両目はメモリアを見ることなく、じっと僕だけを見つめていた。
涙のたまった瞳で、決して涙の流れない青い瞳がさびしそうに泣いていた。
「ごめんね、フィフス。私様はこの町を守れなかった」
「モルガン……」
「ごめんね……」
その時になって僕はようやく気がついた。
愚かなのは僕の方だ。僕は取り返しのつかないことをしてしまった。
僕は倒すべき悪魔を逃がして、モルガンの気持ちを裏切った。
それはきっとこの町に生きるすべての者に破滅をもたらす……
最低で最悪の失敗に違いなかった。
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