第24話 海を泳ぐトカゲ

 寮の自室でハンドレッドが愉快に明滅した。


「デートの時間だな。気分はどうだ? 色男?」


「おいハンドレッド。今はともかく。頼むから人前ではしゃべるなよ……」


 今日はモルガンとの約束の日。


 勉強会という名の食事会の日だ。

 最初はメモリアもいっしょに誘う予定だったんだけど。


 メモリアは用事があると言って勉強会への参加を断った。

 どうしてかはわからない。


 結果として僕はモルガンとふたりきりになってしまうわけだ。

 デートだよ。年頃の男女が二人きりで出かけるだなんて、まるでデートだ。


 だからこそ僕はハンドレッドにからかわれている。


「それにしてもすばらしい成長ぶりだ。陰気でかっこつけのキミがこうして素敵なレディとの縁を得ることができるとは……やはり世の中はどのように転ぶかわからない」


「違うってば」


「がんばれフィフス。私はキミの青春を応援している。草葉の陰から見守っているぞ!」


「だからさあ、そんなんじゃないってば。なんだよ草葉の陰って……」


 ハンドレッドは真面目なようでおふざけみたいな物言いが好きだ。


 彼は僕にとって竜の魂だというけれど、本当に僕自身の分身なんだろうか?


 以前にノーブル先生はハンドレッドが昔の僕に似ていると笑っていたけれど。

 僕はこんなふざけた性格をしていなかったと思うよ。


 それともハンドレッド自身も旅の中で変化しているのだろうか?

 僕が考えているとテーブルに置いた竜石が一層楽しそうに明滅する。


「ウソをつくな。本当はキミもモルガンと語らうのが楽しみなんだろう? そうでなくては出かける前に長々と身支度をしたりはしない。キミの言動は矛盾しているぞ」


「む……」


「素直な気持ちになりたまえ。人の好意と愛情は素直な方が魅力的なのだ」


「うるさいなあ……はあ、それにしても大丈夫かなあ。髪が寝ぐせで跳ねてるよ……こんな格好じゃデートにならない」


 僕のつぶやきを拾って、ハンドレッドがここぞとばかりに明滅する。


「ははは、ほら見ろ。自分でもデートだと認めているではないか。キミはモルガンが好きなんだろう? 照れるな、照れるな、青少年」


「だあああああああああ、うるさい! 今のは無し! デートじゃなくて勉強会だよ!」


「心配することはない。口下手なキミと違ってモルガンは話し上手だ。キミが多少のへまをしても彼女は笑って許してくれるさ。普通にしていればいい。自然体だ。町を歩いて、食事をして、そうして前回のように夕陽を見て語らえばいい。そして最後には」


「最後には、なんだよ?」


「モルガンのハートをばっちりゲットだ。がんばれフィフス! 私はキミの勇気と甲斐性に期待している!」


「……他人事だと思って楽しんでるだろ? おまえ?」


 寮を出る僕はハンドレッドと話すのに夢中になっていて、入り口で待っている人物に気が付かなかった。


 あやうくぶつかりそうになったところで僕は人物が誰であるかに気づいた。

 メモリアだ。


 目の下に不健康なクマを浮かべたメモリアが男子寮の前で待っていた。

 僕は不愛想な表情に驚きながらも不思議に思って声をかける。


「お、おはよう。メモリア。どうしたの? 顔色が悪いよ?」


「ちょっと野暮用でね。徹夜していたのよ。今日の夜、あなたに話があるから予定を空けておいて。学生のパーティに出席したらダメよ?」


「話? 話があるなら別に今でも……」


「女子寮の前で待っているから、すっぽかさないでね」


 青い顔をしたメモリアはフラフラと立ち去って行った。


 勇者として超人的な身体能力を持つメモリアが体調を崩すとは珍しい。


 本当にどうしたんだろうね? 心配になるよ。

 ハンドレッドも僕と同じことを考えているようだ。


 おふざけをやめたハンドレッドが控えめに明滅する。


「心配だな。私とキミのことなど上の空といった表情だった。ひょっとしたらなにか事情があるのかもしれない。今日の夜は覚悟しておけ、フィフス」


「うん、そうだね」


「それよりもデートだ! さあ、行くぞフィフス! キミの未来は明るい!」


「はいはい……頼むから人前では黙っていてくれよ」


 僕は待ち合わせ場所に向かった。


 学び舎の入り口。レンガによってつくられた大きな門の前でモルガンを待つ。

 しばらくすると紺色のコートを着込んだ銀の髪の女の子がやってきた。


 いつも通りのモルガンだ。

 教本と筆記用具を抱えたモルガンは僕を見て言う。


「お待たせ。さあ、行きましょう」


「うん、今日はよろしくね。モルガン」


 町に出かけた僕たちは約束の通りに海の見える喫茶店へと向かった。


 テスト対策の勉強会だ。

 神代の歴史と戦いについて僕はモルガンと語り合う。


 神代の歴史の解釈は3通りある。

 ひとつは以前にメモリアが言った通り「勇者と人間が勝利した歴史」――


 今を生きる人間にとって自然な成り行きの話だ。

 ふたつめは「魔王と魔王が率いる悪魔たちが勝利した歴史」――


 少しばかり異端の学説だね。

 今を生きる人間は戦いを生き残った悪魔の子孫である……という賛否両論の考え方だ。


 これを悪魔崇拝だと言って頭ごなしに否定する人もいれば、可能性を追って大昔の遺跡や千年前の痕跡を研究している人もいる。

 そしてみっつめ。最後は「勇者と魔王が共倒れになった歴史」――


 限りなく続いた戦いの果てにこの世のすべてが破滅した……という救えない話だ。

 この場合は大絶滅を生き残ったわずかな人間が僕たちにとってのご先祖様になる。


 神代の歴史の解釈は大きく分けてこの3通りだ。

 テストではどの歴史が最も正しくて信ぴょう性があるのかを討論することになる。


 テストというよりはディベートだね。口と言葉のうまさを比べて競うわけだ。

 もっとも、千年前の真実を知る者はこの世の誰もいないのだし答弁に正解はない……というのがあるいは正解なのかもしれない。


 知らない話を知ったふうに語るのもそれは難しいスキルさ。

 尊重するよ。それはそれとして、もちろんね。


 学生ギルド【円卓生徒会】として討論会に参加する僕はモルガンと扱う内容の相談をした。

 僕たちが選んだのは“第三の歴史”だ。

 

 この世のすべてが破滅したという救いようのない歴史だね。

 やっぱりこれが一番ありえそうな話だよ。


 神代の歴史を熱っぽく語るモルガンもそのロマンを楽しんでいる様子だった。

 討論の練習を終えた僕たちは食事の後で少し暗くなった町をいっしょに歩く。


 僕の腕によりかかるモルガンはそっと、こんなことを言う。


「フィフスは怖くならない?」


「怖いって、なにが?」


「千年前のこの世界には人間を殺す悪魔が確かにいたのよ。なら、今もこの世界には悪魔がいるのかもしれないわ……」


 僕の腕につかまるモルガンの身体はわずかに震えていた。

 僕はその怯えと震えを黙って受け入れる。


「おかしいよね。変なこと言っちゃったかしら」


「いや、おかしなことじゃないよ。悪魔がすぐそばにいたらって思うと僕だって怖い」


「そう、そうよね……」


 僕にとって村を襲った悪魔の存在は憎い仇だ。


 僕の家族を奪ったリグレットを僕は決して許さない。いつまでだって許さないさ。

 思えばシーズンも……マリスに青い血の悪魔だと呼ばれていたけどね。


 そんな憎しみと友情を都合よく天秤にかけて僕は思う。

 青い血の悪魔だってすべてが人間の敵とは限らないんじゃないかな。


 そうでなければ僕はシーズンに合わせる顔がない。

 どんな姿でもシーズンはシーズンで、僕の友達は僕にとっての友達なんだ。


 だから僕は、うつむいてしまったモルガンに、はっきりと伝える。


「でも悪魔だって悪い奴ばかりじゃないと思うよ。人間にだっていい奴と悪い奴がいるさ」


 顔を上げたモルガンは青い両目で僕をじっと見ていた。

 そして、無言のままではにかむ。


「何? 僕の顔になにかついてる?」


「フィフスって不思議ね。悪魔が悪い奴じゃないなんて、そんな人は初めて見た。あなたにはひょっとして悪魔の友達がいるの?」


「え、ええ!?」


「ふふふっ、なんちゃってね。人間に悪魔の友達なんているわけないか。さあ、行きましょうフィフス」


「そうだね、そろそろ寮に……」


「そうじゃなくて」


 暗がりに紛れてモルガンが優しく微笑んだ。


 僕はその美しい表情に見とれる。

 モルガンは僕をまっすぐに見つめて言う。


「私様といっしょに、海を見に」


 もう暗いけど……とは、僕は思わなかった。


 灯台と街灯の薄明かりを頼りにして僕たちは海辺の通りに向かう。

 そこには昼間とも夕陽が沈むころとも違う、暗黒の世界が広がっていた。


 月明かりと満天の星の下で銀の髪が幻想的に揺れる。

 僕は最初、海に近づくモルガンに「危ないよ」と伝えた。


 でもそんな心配は必要ではなくて、モルガンは慣れた様子で海辺の柵に手をかけた。


 真っ暗闇の世界を眺めてモルガンはすがすがしく笑う。


「私様は海が好き……同じことばかり言って芸の無い奴だって思うでしょう?」


「いいや、素敵だと思うよ。いいセンスだ」


「フィフスは何が好きなの? 教えて」


「僕はね。トカゲが好きさ。地を這うトカゲと花と……またたく星が好きなんだ。ちょうどこんなふうに光る空が好きなんだよ」


 綺麗なものだけど、我ながら統一性がないと思うよ。

 だけどモルガンはこんな僕の語りを聞いて好ましそうにうなずいてくれる。


「なら海を泳ぐトカゲを探しましょうよ。私様は学び舎の国で仲間を集めた後で世界中の海をめぐるのよ。きっと海を泳ぐトカゲが見つかるわ」


「海を泳ぐトカゲか」


「フィフスもそうは思わない?」


「うん、素敵だと思う。素敵な発想で、それは本当に素敵なトカゲだと思うよ」


 楽しい時間と語らいはあっという間に過ぎていった。


 月が真上に上るころ。夜が更けていくその頃に。

 僕はモルガンに目配せをして言う。


「帰ろうか。もう寮の門限はとっくに過ぎてるけど……」


「あら、朝まで私様に付き合ってはくれないの?」


「朝までって、それはさすがに風邪をひくよ」


「……私様といっしょに、いたくないの?」


 モルガンは熱っぽい瞳で僕を見つめた。

 僕は慌てた。妙に色っぽいモルガンの物言いが……僕は怖くなったんだ。


「え、と、その、僕は……」


「……いいわよ。別にね。最初からフィフスに甲斐性は期待していないから」


 言うなりにモルガンはクルリと回れ右をして町の方へと歩き出した。


 僕はその背を追って気まずく歩く。

「さ、帰りましょうか。寮長様がきっとカンカンに怒っているのよね」


「あの、モルガン……ごめん」


「へえ、なんで謝るの?」


 僕は慌てた。僕は怖かった。

 だけどどうしても、僕は勇気を振り絞って言わなければいけなかった。


「僕は情けない奴かもしれない。でも……僕はモルガンが嫌いなわけじゃないんだ」


「…………」


「わかってほしい。虫のいい話だと思うけど」


 モルガンは何も答えてくれなかった。

 ただ振り返ってくれた彼女は月明かりの下で微笑んでいる。


「また僕と一緒に海を見に来てくれるかな?」


「ええ、いいわよ。明日でも明後日でも、いつでもどこでも付き合ってあげる。でもいつかはカッコよく素敵な紳士になって、私様をエスコートしてね?」


 いつか、いつか、か。


 でもいつかなんて希望が、今をないがしろにする者のカレンダーにあるんだろうか?

 僕は恐ろしかった。僕は怖かった。


 今は心臓が口から飛び出そうなほどに跳ねている。

 僕たちは無言で誰もいない町中を歩き続ける。


 寮の前にたどり着いた時に、モルガンは僕に平手を振る。


「また明日ね」


「うん……」


「何? どうしたのかしら?」


「……おかしな話なんだけど」


 僕はうつむきながら……だけどそれではダメだと思って恐る恐る顔を上げた。

 目を合わせるモルガンはいつになく真剣な表情で僕を見ている。


「言っても笑わないかな?」


「笑わない」


 モルガンが静かな言葉で僕の背を押してくれる。


 そう考えたのは僕の都合のいい妄想なんだろう。

 でも、今だけは。ソレでいいと思う。


「僕は――」


 その瞬間に。

 僕の心臓の音が、止まった。


「キミのことが好きだよ」


「そう」


 モルガンは笑わなかった。


 彼女は何も言わず僕に近づいてきた。

 そして――


 やわらかな自分の唇でそっと、僕の唇に触れた。


 って、ええええええええええええええええ!?


「わっ、わっ、う、うわあっ!?」


「ふふふっ、その調子でもっとずっと私様のことを好きになってね」


 赤面して動揺でずっこけた僕とは反対にモルガンは優雅なすまし顔をしていた。

 彼女は踵を返して、僕にもう一度だけ別れの挨拶を伝える。


「また明日ね。未熟な紳士様」


「え、あ、う、うん」


 モルガンが女子寮の中に消えてから僕はしばらくの間、ぽけーっと呆けていた。


 キス? 僕が? 僕はモルガンとキスをしたのか?

 なんていうか、なんていうか、なんていうか。


 うれしい。それ以外に言葉が見当たらない。

 高揚した気分のままに僕は男子寮に戻ろうとする。


 その時に。


「いいご身分ね。待ちくたびれちゃった」


 恨み骨髄な物言いで、僕に約束をすっぽかされたメモリアが僕を呼び止めた。

 

 そ、そういえば! メモリアとも夜に会う約束をしていたね!

 しまった、モルガンと過ごす時間が楽しすぎて完全に忘れていたよ。


 ごめんと言っても許されないだろうけど、この場は謝るしかない。


「ご、ごめん。メモリア」


「……別にいいわよ。でもね、フィフス。ひとつだけ私の話を聞きなさい」


「本当にごめん。でも今日はもう遅いから明日にしない? 明日なら僕は予定が空いているからさ。メモリアも今日はゆっくり休んで――」


「聞きなさい、フィフス!」


 驚くほど強い声でメモリアが僕に怒鳴った。


 怒鳴った後に後悔するみたいにメモリアは僕から視線を逸らす。

 僕が不思議に思って黙っていると。


 メモリアは意を決したふうに僕と視線を合わせなおす。


「このところね。この町の各地で学校の生徒たちが夜中に失踪しているの」


「知ってるけど。それはみんな、ただ夜遊びが高じているだけだろ……」


「つい昨日、全員が死体で見つかったわ」


 間髪入れずにメモリアが答える。


 僕にとってまったくの予想外で考えもしない悲惨な結果だった。

 メモリアは死者に瞑目して、言う。


「死体は水路の中にゴミみたいに捨てられていた。むごたらしい有様だったそうよ。まるで血も涙もない悪魔に殺されたみたいに。夜に街を歩く殺人鬼に命を奪われたみたいに」


「あの、メモリア? それって……」


 僕がしどろもどろに問うた。

 メモリアは動じることさえせずに戸惑う僕を睨むように見る。


「私はあの女を疑っているのよ。最初からずっと思っていたけど、あの女には違和感があった。私の身体に流れる勇者の血が、そうだと言っているのよ」


 僕はメモリアが何を話しているのか分からなかった。


 僕はつとめてわからないフリをしようとしていた。

 浅はかな僕の抵抗を無意味だと断じて、メモリアは冷ややかに告げる。


「あの女は災厄の血を持っている」


 勇者であるメモリアにとって、その名は宿敵に他ならない。


 そしてまたその名は、望まずに家族を奪われた僕にとっても……


「モルガンは、青い血を持つ【魔王の覚者】よ」


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