第22話 いざ、円卓生徒会
海が見える町は壮観だった。
“海”――というものを僕は生まれて初めて目の当たりにした。
どこまでも続くダークブルーの水たまり。
いや、水たまりと呼ぶにはあまりにも大きすぎる。
僕たちが住まう大陸の方が小島のように思えてくるのほどの大きさだ。
この素晴らしい眺めを見ているだけで僕は心が落ち着く
あの空と海との境界線を“水平線”と呼ぶのだとモルガンが教えてくれた。
モルガンは物知りなんだね。
それとも僕が物事を知らなさすぎるだけなのかな?
とにかく教えてくれてありがとう。
僕がお礼を伝えるとモルガンは照れ照れと笑っていた。
今のモルガンはとんがり帽子で銀の髪を隠していない。
腰まで届く美しい銀の髪を潮風になびかせてとんがり帽子を頭にのせている。
青い瞳で紺色のコートを着こなすモルガンの姿を道行く誰もが振り返る。
美人、美女。表現するのは簡単だけどモルガンの振る舞いには華があった。
一挙一動がポーズをとるようにカッコよく“決まって”いるんだ。
いささか演技っぽいといえばそうなのかもしれない。
でも自然体でできるのだからモルガンはカッコいい。
ただし、見栄えがいいのは外見だけで口を開けばボロが出る。
厳密には“口を開けば”ではなくて“人付き合いをすれば”……かな。
モルガンは自分の興味があること以外をあまり話そうとしない。
こだわりがある……と言えば聞こえはいいけどね。いささか偏屈だ。
それでも僕と話が通じるのはモルガンの持って生まれた人の良さだと思う。
今もそうだ。
モルガンは僕と通りを並んで歩きながら色んなことを教えてくれる。
「この国にはね。大陸の各地から向上心のある若者たちが集まっているの。将来を有望視されている研究者だとか、領地を治めるために教養を求める良家の跡取りだとか、学問を修めて身を立てようとする立身出世の野心家だとかね」
「へえ、みなさんすごいんだね」
「そうなのよ。実際に都市国家の要人の関係者だとかすごい人材が集まっているの。だからこの国では“学校”が……」
「学校?」
「ああ、学校というのは学び舎のことなのだけどね? とにかくこの国には学校がたくさんあるの。それはもう国家が予算のほとんどをつぎ込んで運営しているのだから望外の設備投資でね!」
教養のない僕にもそれはすごいことなのだとなんとなくわかる。
国が予算を組んで計画的に運営されていることは僕も知っていたけどね。
予算のほとんどを学問のためにつぎこむというのはいささか常軌を逸している。
街道の整備だとか衛兵のお給料だとかはどうするんだろうか? 食料の蓄えは?
荒唐無稽とも言える突き抜けた国家運営に僕はただただ驚く。
するとモルガンが好ましそうに笑う。
「ほら今も言ったでしょう? この学び舎の国は周囲の国家群にとって有益な人材を育てているの。仕事のできる“人間”は各国にとってどんな黄金よりも貴重な財産でね。すばらしい貢献材料なのよ」
「ほお」
「だから周囲の都市国家が協定を結んでこの学び舎の国を支援しているの。つまりこの国は学問のための国で、この国の繁栄もまた学問によるものなの。すばらしいことなのよ!」
「へえ、すごいんだな」
「まったくもう、実感がわかないって顔ね? 私様がせっかくレクチャーしてあげているのに……無自覚な贅沢だわ。フィフスはもっと世の中のことを勉強しなさい」
「す、すみません……」
熱っぽく語るモルガンに気圧されて僕はしどろもどろに頭を下げた。
メモリアが「謝る必要なんてないわよ。気にしない、気にしない」と励ましてくれた。
他愛ないやり取りは僕たちが役所の受付にたどり着くまで続いた。
モルガンは町で暮らすために必要な住民登録の申請をするのだという。
もちろん、僕とメモリアも同じだ。
モルガンが教えてくれたところによると、この国では各地の学び舎に属する者を【学生】と呼んでいて学問に励む学生には国から生活のための補助金が出るらしい。
その制度を利用してモルガンと僕とメモリアは学生として生活するんだ。
つまりみなさんにまざって僕たちも学び舎に通うのさ。
読み書きと初歩的な算術……くらいはノーブル先生が教えてくれたから僕にもできる。もちろんそれで十分と言えるはずがないけど、何も知らないよりはマシだろうと思う。
手続きを終えて戻ってきたモルガンは僕とメモリアに寮の鍵を渡してくれた。
学生たちが暮らす無償の貸家。これから僕たちの住まう生活の拠点だ。
僕が暮らすのは男子生徒が集まる男子寮。
メモリアとモルガンの部屋は女子生徒が暮らす女子寮だ。
役所を出て寮の前で別れる時にモルガンは僕を呼び止めた。
モルガンと出会ってから初めて、彼女は真剣な表情をしている。
「ねえ、フィフス。これから学び舎の国で私たちはいろんな学びを得ることになるわ。だけどね。ひとつだけ約束をしてほしいの」
「約束? なにかな?」
「この先になにがあっても最後には私様のことを信じてほしいの」
僕はきょとんとした。
自分を信じてほしいだなんて大げさな話だと思ったからね。
それに出会ってすぐにそんなことを言われても困ってしまう。
案の定というべきかメモリアも眉を寄せて微妙な表情をしていた。
僕は不思議に思って尋ね返す。
「信じてほしいって、それはどういうこと?」
「あなたたちには自分を強く持ってほしい。知識とは積み重ね。学問とは知識の体系……すなわち人間の“歴史”そのものよ」
「人間の歴史、か」
「そう。それは途方もなく物凄い叡智の結晶なのよ。その重圧に負けて自分を見失って気を狂わせてしまう人も大勢いる。私はそんな悲しい人たちをたくさん見てきたわ」
モルガンは神妙な表情で僕とメモリアを交互に見た。
モルガンが冗談を言っている様子はない。
僕はたたずまいを正してモルガンに向き直った。
モルガンは言う。
「だけどね、今を生きる私たちは学問の偉大さに怯えてはいけないし、その偉大さの言いなりになってもいけないの。自分を見失わずに一歩でも多く未来へと歩みを進めること。それが人間にとって学びと成長の本質なのだから」
「自分を見失わずに……」
僕にとっても他人事ではない考え方だった。
僕は僕の未熟さゆえに自分自身を見失って大切な家族を失ってしまった。
自分がもっと
自分自身を見失わないその大切さを僕は痛いほどに知っていた。
モルガンは教養のない僕を世間知らずの旅人だと思っているのだろう。
僕が学び舎で痛い目を見ないように忠告をしてくれているのかな?
語るモルガンは青い瞳で僕をまっすぐに見て言う。
「学び舎ではいろんなことを考える人がいていろんなことを語る人がいるのよ。ウソも
「モルガン……」
「同じギルドの仲間として、短い間かもしれないけれど
モルガンはニッコリと微笑んだ。
友、仲間か。屈託のない笑顔で言ってもらえると僕もうれしい。
顔見知りだったシーズンの時とは事情が違うけどね。
新しく得られた人の縁を今は大切にしたいと思う。
僕は同じくモルガンにうなずき笑い返した。
だけどもメモリアはあまり楽しそうな表情をしていない。
メモリアはモルガンの話を要約して、フッと息をこぼす。
「早い話が口の上手いやつらに騙されるなってことでしょ? あなたに言われるまでもないわ。だけど私があなたを信じるかどうかは、それはまた別の話よ」
「冷たいのよね……ううっ、辛い……」
「ぼ、僕はモルガンを信じるよ? メモリアはどうしてそんなにモルガンに突っかかるのさ?」
「フィフスこそ、どうしてその女の言うことを鵜呑みにするのよ!? ちょっと顔がいいからって浮かれているとそれこそ痛い目を見るんだからね!」
そ、それは今の話と関係がないんじゃないかなあ?
僕はそう思ったけどね。
この場でメモリアに言い返しても話がこじれるだけだと思ったのでやめておいた。
女の子ってさ。言いだしたら人の話を聞かない時があるよね。たまにね……
まあいいさ。
出会ってすぐの相手に心を許すなというメモリアの考え方が正しいんだ。
だけども僕は僕だからね。自分の考えを尊重する。それだけの話だよ。
僕はふたりと別れて寮に向かった。
役所でもらった書面を確認する。
学び舎での活動において僕とメモリアとモルガンは三人一組の扱いだった。
学び舎に通う学生たちはみな、何かしらのグループに所属しているらしい。
聞くにグループの名前をひとくくりに“ギルド”と呼ぶのだそうだ。
今の僕とメモリアはモルガンが主催するギルドに所属している。
どれどれ。書面によると……
ギルド【円卓生徒会】……ってあれ? 円卓歴史研究会じゃなかったのかな?
うーん、よくわからないけれど何か手続きの問題があったのかもしれない。
名称は特に気にしないでおこう。ネーミングはモルガンの気分かな?
ギルドマスターはモルガン。
サブマスターは不在でギルドメンバーはそれぞれ僕とメモリアがひとりずつだ。
さて、どうなることかな。
手荷物を片付けた僕は寮のベッドで横になって天井を見上げた。
僕たちは数奇な出会いを経て学生としての生活を始める。
そこに待ち受ける陰惨な戦いと陰謀の数々などを知る由もなく――
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