第19話 ああ、弱い者に権利はない

「さあ、俺を楽しませてくれ」


 強大な体を持つ真紅の獅子が苛烈に咆哮する。


 獅子はその牙を研ぎ澄まして僕に向かって突撃してきた。

 マリス……彼もまた獣石の力を扱う者だったらしい。


 先ほどまで戦っていた悪魔をマリスはゴミみたいに踏み潰す。

 卑劣な悪魔の末路に同情の余地はないけれどマリスの悪辣も度し難い代物だ。


 大通りには悲鳴を上げて逃げ惑う人々がいる。

 こんな場所で戦いを挑んでくるだなんて正気の沙汰じゃない。


 僕になんの恨みもないはずなのに戦いを挑んでくるだなんて……

 僕はマリスとの戦いを望まない。


 だけどもマリスは竜である僕を逃がすつもりはないらしい。

 彼にとってみれば竜も魔獣も同じく狩るべき獲物なのだろう。

 

 バカげているけどね。

 今は文句を言っている場合じゃない。


 獅子は勢いをつけて突撃してくる。

 ここで獅子の攻撃を避ければ僕は良くても逃げ遅れた人々が下敷きになってしまう。


 ならば選択肢はひとつだ。


 意を決した僕は竜の知覚を共有するハンドレッドに呼びかけた。


「逃げるわけにはいかない! 受け止めるぞ! ハンドレッド!」


「それは無理だ。フィフス。弾き飛ばされる!」


 僕の要求を聞いたハンドレッドが反対する。


 獅子が全体重をのせた体当たりを受け止めるのは分が悪いということらしい。

 それでもやるしかない。


 でなければ何の罪もない人が犠牲になってしまう。そんなのは嫌だ。

 僕はハンドレッドの反対を押し切って迫りくる獅子と向かい合う。


 大丈夫さ。頭が狂った猛獣に僕たちは負けない!


「無茶はわかっているよ。周りに人がいるんだ。逃げるわけにはいかない!」


「ダメだフィフス! 物事には限界がある!」


「僕は竜だ。限界はない!」


 直後に強大な獅子の体躯と竜の巨体が激突した。


 鈍器で頭を殴りつけられているのかと思うほどに凄まじい衝撃だ。

 実際には鈍器で殴られるよりもはるかにおそろしい威力の体当たりだろう。


 なにせ互いが一軒家に匹敵する巨体だ。

 その体重で体当たりすれば同じく家屋だって簡単に砕け散る。


 竜とはいえ僕の身体がバラバラにならなかったのは奇跡と言っていい。

 僕は大地を踏んで獅子を受け止めた。


 しかし突撃の衝撃を殺しきれなかった分だけ僕は弾き飛ばされる。

 ハンドレッドの言う通りだ。


 竜の力でもさすがに無理があったらしい。

 吹き飛ばされた僕は向かいの露店とその奥の家屋を倒壊させてめり込んだ。


 くそっ、なんて破壊力だ。

 リグレットと戦った時と同じか……それ以上の威力を平然と繰り出してくる。


 ただの一度の交差で僕は獅子の強さを思い知らされていた。

 僕はのしかかるガレキを払いながら痛みに耐えて立ち上がる。


 逃げ出すべきだと生物としての本能が叫んでいるようだ。

 案の定というべきか。おしゃべりなハンドレッドが小言を言う。


「あまり無茶苦茶をするな。手伝う私の身にもなれ」


「悪いね。でも犠牲はでなかっただろう?」


「結果論だが。確かにそうだ。キミの判断は正しかった。どうするフィフス? 金色の百眼で迎撃することもできるが、拡散する光の威力は逃げ惑う人々を巻き込む恐れがある」


「そうだね」


「およそ不可能に近いが真っ向勝負で、あの狂った獅子を抑え込むのか? それは私としても推奨できない作戦だ」


「ならどうしろって?」


「撤退だ。撤退を推奨する。逃げるにしかずとはこういう状況を言うのだ」


「相手が逃がしてくれるならね。僕だって今すぐに逃げ出したいよ」


 獅子はこの瞬間にも間髪入れずに向かってきた。


 一切の容赦をしない獅子と組み合って僕は大通りの路上を転がる。

 いや転がる……というよりは殴り倒されたというべきかな。


 暴力の手腕では素人の僕よりもさすがに歴戦のマリスに軍配が上がる。

 マリスはおそらく僕を殺すつもりで戦いを挑んできている。


 勘弁してくれ。

 僕の側にはマリスと戦う理由がない。


 彼は青い血の悪魔ではないし、僕にとって家族の仇でもない。

 降りかかる火の粉を払うしかないと頭ではわかっているけど。


 やっぱり心のどこかでは納得できない気持ちがある。

 その迷いが僕の動きを重くしていた。

 襲い来る獅子が苛烈さとは反対の落ち着いた声で言う。


「どうした? 少年フィフス。竜の力はそんなものか? もっとおまえの力を見せろ」


「ぐっ、狂人め……」


 狂人だ。まごうことなき戦闘狂の物言いだ。


 やっぱり僕とは物事の価値観が違いすぎる。

 最初から分かっていたけどね。


 やりきれない気分だ。

 しかし痛めつけられながらも僕は同じ人間と戦う迷いを捨てきれない。


 この時にそんな僕を助ける者がいた。

 上空から光の弾丸が雨あられと降ってくる。


 それはハンドレッドいわく【魔力弾】という代物であるらしかった。

 生物が体内に持つエネルギーを威力に変えて撃ちだす魔法……であるらしい。


 猿の魔獣もさっき使っていた。

 だけどこの時に魔力弾を撃ちだしたのは既に死んだ悪魔ではない。


 巨大なコウモリの翼で滑空してくる人型の悪魔……

 先ほど時計塔から落ちた親子を助けたシーズンだ。


 シーズンは僕だけを避けてその魔力弾で獅子を的確に攻撃する。

 獅子は魔力弾の直撃を避けて素早い動作で後退する。


 シーズンは地上すれすれに滑空してから再び獅子の手が届かない高空に上昇する。

 お手本のようなヒットアンドアウェイ。


 その優美を観察して獅子がうなる。


「……ほう、先日の少年か。おまえも青い血の悪魔だな」


「ええ、愚かな王子。あなたにフィフスをやらせはしませんよ」


「おもしろい。その竜を庇うならもろとも殺してやろう。ああ、血がたぎるぞ。竜と悪魔が獲物ならば相手にとって不足はない」


「つくづく呆れ果てる。その愚かな高揚は私にはとんと縁のない感情ですね……」


 手の届かない場所にいるシーズンが忌々しげに獅子を睨んだ。

 起き上がってどうにか体勢を立て直した僕はシーズンを見て声をかける。


「シーズンか。ありがとう助かった」


「お礼を言うのは後にしてください。今はこの窮地を切り抜けるのが先決だ」


「そうだな。でもシーズンは今の僕を見ても驚かないんだね?」


「ッフフ、ソレはキミも同じでしょう。醜い翼を生やした悪魔を見てもキミは私のことをシーズンと呼ぶ。ならば同じことだ。それは土台で同じ話ですよ」


 僕の問いかけに答えてシーズンが好ましそうに微笑んだ。


 そうだね。どんな姿でも僕にとってシーズンはシーズンだ。

 親友が共に立ってくれるならこんなに頼もしいことはない。


 そうさ。僕たちの関係は昔と同じだよ。

 シーズンが隣にいてくれるなら僕は誰にも負ける気がしない。


 メモリアは時計塔の上から思いっきりシーズンを睨んでいたけどね……

 彼女は勇者としてマリスに味方をするのかな?


 わからないけど時計塔を駆け降りるメモリアがこの場に合流する前にケリをつけたい。

 その時にシーズンが無数の魔力弾を収束させる。


「フィフス、波状攻撃を仕掛けますよ。私が魔力弾で牽制してあの獅子の動きを封じる。その隙にキミがアレを倒せ! 私とキミならばできるはずだ!」


「わかった!」


「無駄だ。青い血の悪魔の小細工など俺は飽きるほどに見てきた」


 迫りくる光弾の数々と突撃する竜を目の当たりにしても獅子は余裕を崩さない。

 獅子が牙を剥き出しにしておごそかに言う。


「光の極みよ」


 それはメモリアが先ほどに時計塔の上で行使した剣と同質の“力”だった。

 凄絶な力の顕現に対してシーズンが表情をひきつらせる。


「っ、勇者の秘儀か!?」


「光の極みよ。光の極みよ。光の極みよ」


 獅子の周囲に真紅の輝きが収束する。


 輝きは一切を隔てる“障壁”になってシーズンが放った魔力弾を完封した。

 ……強い。獅子が放つ尋常ではない重圧で竜の肌身がざわつくようだ。


 間違いなく獅子は今の僕よりもはるかに格上の敵だとわかる。

 だとしても負ければ死だ。退くわけにはいかない!


「極光術――【聖櫃せいひつの盾】」


「だけど動きが止まったならば! やれるか! ハンドレッド!」


「無論だ。進行方向に町の住民はひとりもいない。その目を見開け。金色の百眼を解放するぞ!」


 金色の百眼が膨大な輝きを放ってプリズム色の光線レーザーが獅子を撃った。


 数限りない閃光の威力は……しかし真紅の盾によって封じられてしまう。

 獅子は身じろぎひとつせずに堂々と立っている。


 強すぎる。本当にまるっきり通じていないのか?

 リグレットでさえ攻撃を防いだ時には苦悶の表情を浮かべていたのに……


 劣勢を悟る僕は立ち止まって獅子と睨み合った。

 だというのに対峙する獅子は今この時にも涼しい表情をしている。


「弱い。おまえたちは戦いを何だと思っているのだ?」


「なんだと?」


「負ければ死だ。敗れた者はすべてを奪われる。富も名誉も愛する者もなにもかもだ。破滅が待つだけだとわかっていて戦うことを躊躇ためらう者はいないだろう」


「それは……」


「おまえたちは俺を愚かと呼ぶが、俺にしてみればおまえたちの腑抜けた言動こそが理解に苦しむ」


 獅子は僕たちを見て呆れたように言った。


 シーズンは「愚かな王子だ」と舌打ちしていたけれどね。

 愛する者を奪われる……僕にはどうしても他人事だと思えなかった。


 黙る僕を見つめる獅子の両目も今だけはどこか静かな色をしている。


「少年フィフス。おまえは今のこの世界がどんな状況に置かれているのかを知らないのか? 魔の者が目覚めて人間を殺戮するこの世の地獄が訪れようとしているのだぞ。おまえの故郷を襲ったような悪魔の暴虐が今はもう目の前にまで迫っているのだ」


「なんだって?」


「……なんという惰弱だじゃくだ。フィフス。おまえたちは手ぬるいにもほどがある」


 獅子は一度だけ何かを悔やむように天を仰いだ。


 それも一瞬だ。獅子はすぐに僕へと向き直って牙をむく。


「しかし伝説の竜とはいえ勇者の血脈に名を連ねない者であるならばそんなものか。よくわかった……やはりおまえたちでは地獄で戦う役者としての力が足りない。もういい、死ね。今日のこれは無意味な戦いだった」


「なにを勝手なことを!」


「もろともに死ね。もはやおまえたちに語る言葉はない。竜も悪魔もすべてを殺して俺は地獄を統べる者になる。弱い者にはその覇道を彩るいしずえとなってもらう」


「マリス。おまえは……」


「取り合う必要はありませんよ。フィフス」


 僕は怒りと悲しみの余りに言葉を失った。


 シーズンは僕を制して高所から地に降り立った。

 彼は悪魔の翼をたたんで普通の人間の姿に戻る。


 どうしたんだろう? 戦う意思を放棄したのだろうか?

 小さな人間の姿で僕と獅子の間に立つシーズンはいつもと変わらない態度をしている。

 しかし今のシーズンが紡ぐ言葉は、どんな暴言よりも強く重い響きを備えている。


「愚かな。それに加えて野蛮ですね。やはり勇者という連中は反吐が出るほどに度し難い。あなたのような愚鈍な者に人の世を守る資格などはありませんよ」


「好きに思え。弱い者に選択肢はない。権利もない。得られる物もない。人の縁にかまけて手ぬるく愚かなのはおまえの方だ。青い血の悪魔。おまえもすぐに殺してやる」


「……変わりませんね。戦いに明け暮れて神代に生きるすべての者を破滅させたかつての勇者たちと何一つ変わらない。どうやら今のあなたは彼らと同じ悪夢を見ているようだ」


 シーズンは遠い目をしていた。

 ここではないどこかを思い出すようにシーズンはまぶたを閉じる。


「それは誰もが生きる道を諦めた地獄です。しかしかつてはその地獄に手を差し伸べる者がいた」


「……なんだ? 青い血の悪魔、おまえは何を言っている?」


「思い出話ですよ。あなたにはなんの関係もない話だ」


 シーズンがどこか影のあるさみしいやりかたで微笑む。


 なぜだろうか。その微笑みに僕は胸が痛む。

 どうかそんな笑い方をしないでほしいと、僕ではない僕の記憶が泣いているんだ。

 シーズンは言う。


「愚かさが極まった光の者と魔の者の戦い。その戦災に焼かれた無力で哀れな子どもたちがいた……そしてそのたった四人の子どもを救うためにすべてを投げ出した竜がいた」


 シーズン?


「竜がいたのです。自らが持つすべての権能を分け与えて、死者をよみがえらせる禁忌の領域に手を染めてまで、“私たち”を守り育ててくれた心優しい竜が。この星と同じ色の瞳を持つ本当に強く優しい竜が」


「…………」


「好きなモノは地を這うトカゲと花とまたたく星々」


 歌うようにうそぶくシーズンが懐からくすんだ土色の“石”を取り出した。


 獣石? 違う。僕にとってなぜか懐かしい色彩を秘めた魔石だった。

 なぜだろうか。


 僕は秘められた力がなんであるのかを、知っている気がする。


「この命が悠久に潰えてこの記憶がたとえ暗闇に飲まれようとも、あの優しい瞳と声を私たちはこのひとみで覚えている……そうだ。私たちはかつて共に誓ったのです。あのお方の笑顔とあのお方が望んだ幸せを永遠に守り続けると」


「獣石だと? いや、違う。なんだソレは? 青い血の悪魔おまえは一体……」


「彼が愛した地を這うトカゲを。今は私が守ってみせます」


 シーズンはもはや獅子の問いかけに答えることをしなかった。


 土色の魔石が輝きを放つ。

 ダークブラウンの輝きがシーズンの身体を静かに覆い包んでいく。

 輝きが晴れた時に、僕は圧倒的な力の存在を目撃する。


「ぬるいというなら見るがいい。星の瞳の竜王が命を賭して守った弱き子どもの信念を」


 ゆらめく陽炎かげろう


 さながら夕陽のようにゆらめき燃ゆる“尾”を持つ巨大な竜だ。

 悪魔そのものと呼べるほどにねじれた二本の角を頭部に備えた恐るべき黒竜だ。


 他の色彩を拒絶する真っ黒な翼と茶の瞳を持つ魔の竜だ。


 “悪魔竜”――そんな呼び名がしっくりとくる。


 シーズンが変身した悪魔竜は狂った獅子へと静かに告げる。


「この名は魔を焼き光を討つ者。私の名はファントムテイル――」


 竜の爪牙と漆黒の両翼が大きく広がる。


 ゆらめく陽炎の尾が悪辣な者との戦いを望んで燃え盛る。


「私の名は、ファントムテイル・デーモンズ・ドラゴン」


 その勇猛と優美には歴戦の獅子でさえも怖れを抱く。

 

 ――わかっているよ。


 どんな姿でも変わらない。彼は僕の友達だ。


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