第18話 現れる獅子

 ちくしょうちくしょうちくしょう!


 どうしてこんなことになった!


 いにしえの魔王の記憶と魂に選ばれた【魔王の覚者】である俺が……

 凡庸な人間に捕らえられただけではなく、どうしてこんな屈辱を……


 本来の俺は凡庸な人間だった。

 それが分不相応な力を手にした末路だとでもいうのか。


 勇者の血脈を受け継ぐ者たちに敗れるのが魔の者の定めだとでもいうのか。

 ありえないありえないありえない!


 俺はまだ悪魔としてなにも成し遂げていないんだ!

 思えば他の【魔王の覚者】も俺を嘲笑っていた。


 ひとりで群れはぐれて怯えるばかりの猿畜生だと……

 だがそれは冥狼リグレットも同じだったじゃないか!


 あの狼女はひとりぼっちで気ままに生きていた。

 俺と何が違う? 強ければ態度が悪くても許されるとでもいうのか?


 バカな! 俺とあいつの何が違う!

 みじめに敗れて囚われて……


 あまつさえ宿敵の勇者に命を拾われて使い走りにされて……

 だが! みじめに敗れて死んだのはリグレットも同じはずだ!


 何が違うものか! 何一つとして違いはしない!

 どいつもこいつも俺をコケにしやがって!


 特にあの勇者だ。

 弱い者に選択肢がないだと?


 とことんまで俺を見下しやがって気に入らない。

 後悔させてやるぞ。


 都合のいいように利用されるなんて絶対にお断りだ。

 勇者の思惑など知ったことか。


 フィフスなんてガキの命など最初から知ったことか。

 俺は俺という存在のすべてをかけてこの町の人間に滅びをもたらしてやる。


 手始めにこの親子だ。

 正午の訪れとともに時計塔から突き落としてむごたらしく殺す!


 その後は一切合切、誰も彼もを区別なく皆殺しにしてやる。

 俺は悪魔だ。人の世に滅びをもたらす【魔王の覚者】だ。


 その力をもってしてあまねく人間どもを殺しつくす!

 それが定めだ! なにもかもが決まっていることだ!


 俺は強い。さあ殺してやるぞ。非力な人間ども!


「そうはいかないわ」


 しかしその時に時計塔のてっぺんに風変わりな客人が訪れた。


 高所の強風に赤い髪をなびかせて赤い瞳で俺を睨む少女だった。

 少女は魔獣である俺の姿を見ても臆することをしない。


 それどころか苛烈な戦意を持って剣を抜き放った。


 我が身ひとつで戦うつもりなのか?

【魔王の覚者】であるこの俺と?


 この少女は何者だ? 察するにただの人間ではないはずだ。

 少女は傷だらけの俺を観察して剣を構える。


「苦しいのね。浅くない手傷でしょう。今、楽にしてあげるわ」


「……小娘、おまえは何者だ?」


「光によって魔を狩る者。青い血を狩る。そのためだけに旅をする女よ」


 少女は屋根を蹴って俺に突撃してきた。


 手狭な時計塔のてっぺんでも臆することをしない狂った戦士のようなふるまい。

 俺は悪魔の命を狩る者の存在を知っていた。


 勇者。

 それは【魔王の覚者】と同じく、いにしえの血脈に連なるバケモノの名だ。


 ――弱い者に選択肢はない。

 この俺に忘れもしない屈辱を刻んだあの男も自分が勇者だと言っていた。


 くそっ、舐めやがって! 何が約束だ! 何が役目を果たした暁には自由だ!

 最初から俺を殺すつもりで刺客を差し向けてきやがったな!


「……はっ、なんだ今更になって民草の命が惜しくなったのか? 勇者なんて連中は勝手なものだな。それが人間を守る光の者の流儀か!」


「戯言を。悪魔は死になさい。それが定めなのだから」


 少女は俺の話に取り合うことなく剣を振るった。


 一閃と共にくろがねが俺の肌を切り裂いて青い血を噴出させる。

 とっさに避けたつもりだったが、かわしきれなかったらしい。


 ああ、くそっ! 拷問で受けた傷のせいで満足に動けない!

 万全の状態ならばこんな小娘に後れを取るはずがないというのに……


 なんにせよ手負いに加えて手狭な時計塔の上では分が悪い。

 ここはひとまず空中に逃れて距離を置くべきだろう。


 しかしそれではせっかく捕らえた親子の身柄をみすみす逃してしまう。

 どうするべきか?


 決まっているさ。悪魔らしくやればいい!


「勇ましいな女勇者! だがそれ以上は動くな! さもなくば捕らえた人間どもの命はないぞ」


「……人質? 外道はとことんまで外道ね。反吐が出るわ」


「なんとでも言え。見捨てるならそれでいい。俺はおまえが一歩を踏み込む瞬間にこの親子を時計塔から突き落とす! おまえに選択肢はない! わかっているはずだ!」


 勇者の名乗り口上を口にした少女は立ち止まって無言になって俺を睨んだ。


 だがそれ以上のことは何もしない。

 さすがにこのまま抵抗すれば人質の命がないとわかっているからだろう。

 まったくお優しい。話の通じる勇者様で助かるな。


「…………」


「そうだ。それでいい。剣を捨てろ。」


 少女は剣を手放して時計塔の屋根上に転がした。


 自らの身を守る武器を失って少女は丸腰になる。

 こうなってしまえば勇者とはいえただの人間だ。


 魔獣である俺と少女とでは土台で腕力が比較にならない。

 まさか素手で殴りかかってはこないだろう。


 対する俺はほんの一捻りで少女の命を奪うことができる。造作もないことだ。

 やりやすくて助かるさ! 人質がいてよかった!


 それにしてもとんだ甘ちゃん勇者だな。

 ひょっとして俺に少年の殺害を依頼した勇者とは無関係なのか?


 だとしたら好都合だ。勇者を殺したとあれば俺の評価も改められる。

 この度のみじめな失敗をやり直して汚名返上することができるだろう。


 女勇者には俺があるべき立場に返り咲くための犠牲になってもらおう。

 それがいい。気分がいいぜ。はははははははは!


「さあ死ね」


 少女を殺すために俺は人質を手放して少女へと近づいた。

 しかし結論から言うとそれは功を焦った失敗だった。


「……の極みよ」


「――は?」


 少女の唇がふと動く。


 俺が近くで聞けばよくわかる。

 少女は呪うような言霊を繰り返していた。


 それは勇者の血脈に連なる“呪文”だ。


「光の極みよ」


 俺は悟った。


 少女は俺に殺されるために剣を手放したのではない。

 逆だ。


 油断した俺を殺すために要求に従うフリをしていただけだ。

 俺は慌てて退こうとしたが後手に回った状況では遅すぎる。


 少女はその苛烈な紅の瞳であわてる俺を射抜く。


「光の極みよ。光の極みよ。光の極みよ」


 少女の周囲に彼女自身の色彩と同じ“紅”の輝きが収束する。


 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……

 数限りなく収束する深紅の輝きはそのすべてが剣の形状をしていた。


 すなわち敵を切り裂いて殺すための武器だ。


 少女は呪文で召喚した光の剣の数々に命令する。


「血の盟約に従い、悪鬼羅刹を討ち果たせ」


「ひ、ひぃっ……」


極光術きょっこうじゅつ――【聖血せいけつつるぎ】!」


 深紅色に輝く無数の光の剣が少女の意思によって飛翔する。


 これは勇者の秘儀だ。一撃一撃が致命傷に至る威力を秘めているに違いない。

 光の剣が退く俺の右腕に突き刺さって、青い血を散らし蒸発させた。


 焼けるように熱い!? これは“熱”だ! 熱を持って血と傷を焼く光の剣だ!


「ぐうっ……」


 ちくしょうちくしょう!


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 俺は我が身の無様を忘れて、無我夢中で時計塔から転げ落ちるように空中へと逃れた。


 人質の存在など今は気にしていられない。

 とにかく距離を取らなくては、俺の方が殺されてしまう。


 幸いにも光の剣の射程距離はそう長くなかったらしい。

 翼を広げて逃げた俺の姿を少女は時計塔の上から口惜し気に見ている。


 ざまあみろ。そうら、お返しをくれてやるぞ!

 右腕はまともに動かないがそれでも左腕が動けば魔力弾を撃ち出すくらいはできる。


 少女を直接に狙っても良かったが……芸のない真似をしてもつまらない。

 俺はニタリと笑って、怯える人質の親子とその足元の屋根に魔力弾をぶつけた。


 破壊されて崩落する時計塔。

 その残骸と共に悲鳴を上げる子どもとその母親が落下していく。


 その有様を目撃した勇者の少女が悲痛に叫んだ。


「っ、しまった!?」


「ははは、ざまあないぜ! 言っておくがおまえのせいだぞ? 女勇者!」


 あとは哀れな親子が転落死する姿を眺めているだけだ。


 しかし俺が望む陰惨な結末が訪れることはついぞなかった。

 なぜなら高所から滑空して横合いから割り込んだ“人型のシルエット”が落下する親子を器用に受け止めたからだ。


 子どもを片手で抱き留めて、そいつは空いた方の腕で婦人の腰に手をまわして支える。

 さながら作り話の怪盗のような者は人間の背中から俺と同じコウモリの翼を生やしていた。


 俺に匹敵するほど巨大な翼だ。人間の身体にはいささかアンバランスに見える。

 望みもしない出会いに俺は我が目を疑った。


 割り込んだ者……茶の髪と茶の目の少年が翼を広げて「ッフフ」と皮肉っぽく笑う。


「無様ですね。悪魔ジョシュア。そんな美学の無い真似をしているから、あなたは他人に軽んじられるのです。自分の評判をあなたはご存じでしたか?」


「……な、何ぃ?」


 出会いがしらに嘲笑われた俺は怒りよりもとまどいの感情を優先した。


 こいつは俺を……いや【魔王の覚者】と悪魔の存在を知っているのか?

 間違いないこの男は悪魔だ。それも青い血を持つ高等な悪魔だ。


 それがなぜだ、なぜ同胞の悪魔が俺の邪魔をする!?


「おまえ、悪魔だな!? なぜ悪魔が人間を助ける!?」


「悪魔にだって美学はあるんですよ。それにこんな町中で悪魔の存在を公にしてしまっては長年の計画に支障が出る。それは魔の血族にとって好ましくない話だ」


「な、なにい?」


「ええ、あなたには悪魔ではなく、魔獣として死んでいただきましょう」


 笑顔の仮面の下では一片の同情さえのぞかせずにその男は軽薄に喉を鳴らす。


 状況がわからないのは同族に死を宣告された俺ばかりだ。

 どういうことだ? 何がどうなっているんだ?


「ふざけるな! おまえは同族を見捨てるつもりか!?」


「ッフフ、悪魔に人道を説かれるとは思いませんでしたね。悪魔ジョシュア。あなたは私を仲間だと思っているのかもしれませんが……あいにくと私には生まれてこの方、仲間と呼べる存在はひとりもいないのです」


「っ、そうかおまえは勇者どもに寝返ったんだな!? 悪魔の面汚しめ地獄に落ちろ!」


「私が勇者に寝返る? さあ、それは考えたこともない話ですが……」


 悪魔の少年が時計塔の上を見上げた。


 勇者の少女は俺ではなく横入りの悪魔を厳しい眼差しで睨んでいる。

 それは敵意。まごうことなき敵意だった。


 光によって魔を狩る者の立場にしてみれば、俺もこの少年も今は平等に殺すべき敵であるらしい。くそっ、狂犬め。話にもならん!


「ならばどうする。一族の秘を守るために手負いの俺をここで殺すのか!?」


「そのつもりです。しかしそれをなすのは私ではない。あなたは無力な人間を傷つけた。そのとがは怒れる者によって裁かれるのが筋というものだ」


「っ、そうはいかんぞ! 俺は生きる。生き延びてやる! 【魔王の覚者】である俺がこんな場所で死んでいいはずがない!」


 勇者の少女は追ってこれない。


 時計塔を降りるまでにはいくらかの時間が必要なはずだ。

 悪魔の少年も今は両手がふさがっている。問題ない。


 大通りには怯えている人間がたくさんだ。

 人質を新しく見繕うくらいのことはわけもない。


 そうとも! 俺にはまだ打つ手があるのだ!

 俺は大通りに降り立って人間どもを見渡す。


 怯えすくんで悲鳴と共に逃げ出す人間たち。

 しかしその中にひとりだけ……


 逃げ出すことをせずに俺の前に立つ者がいた。

 石くれで装飾されたローブ姿の少年だ。


 ははは、お坊ちゃんだな。

 それとも恐怖で腰が抜けたのか?


 なんにせよ、出会いがしらに好都合だ!


「まずはおまえから死ね、人間!」


「見開け……」


 俺を睨む少年が翡翠色の“石”を掲げた。


 その石が俺たち悪魔の獣石じゅうせきと同質のソレだと気づくまでに時間は必要ではない。


 なぜなら次の瞬間に少年の姿が淡い緑の輝きに飲まれて消え去ったからだ。


「じゅ、“獣化じゅうか”の光だと!?」


「この名は金色のまなこを持つ百眼の竜」


 俺は見た。


 俺は知った。


 圧倒的な力。

 超越的な存在。


 この世の何者も及ぶことがないその雄々しくも美しい姿を――

 すなわち我らが怨敵の百眼鬼竜のドラゴンだ。


「ハンドレッドアイズ・イミテイト・ドラゴン」


 竜のうごめく百眼から数限りない閃光が放たれた。


 俺はプリズム色の輝きに飲まれて地に伏した。


 ……竜が放った閃光に身体の半分を消滅させられても俺はまだ生きていた。

 意識だけがあった。と評するべきか。


 なんにせよ遠からず死を迎える未来はわかり切っている。


 醜く往生際の悪い俺の無様に怨敵の竜も呆れているだろう。

 百眼の邪竜は静かな瞳で俺を見ている。慈愛にも似た瞳だ。


 悪魔としての生き恥が極まったその時に……

 俺は聞き覚えのある声を聞いた。


 悪魔よりもおぞましく竜よりも恐ろしい。ただの狂人の言葉を。


「竜。竜か。そうかそれがおまえの正体なのか。少年フィフス。なるほど、伝説の竜が相手であればリグレットが敗れたのもうなずける」


 金色のたてがみをなびかせて、真紅の瞳の青年が大通りを我が物顔で歩んできた。


 話しかけられた竜は何も答えない。

 気のせいかもしれないが……竜は対決する青年を嫌がっているように見えた。


 声の主。

 勇者マリスは最初から返答を求めていないやり方で竜に一方的に言い渡す。


 頭の狂った勇者が手にしているのは真紅色の獣石だ。

 一目でわかる。こいつは余興気分で恐るべき竜と戦うつもりなのだ。


「言葉は不要だ。そのはずだな」


 真紅色の輝きが青年の全身を飲み込んで姿を変貌させた。


 黄金のたてがみと真紅の肌と真紅の瞳。

 強大な体躯を持つ若き獅子。


 すべてを燃やし尽くす暴力の化身がその場所に現れる。


 俺は――


「さあ、俺を楽しませてくれ」


 俺は、現れた“獅子”に踏み潰されて路傍の虫けらみたいに……死んだ。


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