第10話 ハンドレッドアイズ・イミテイト・ドラゴン

  忌々しい竜のまなこが私を見ました。


 憎むべき怨敵の両目は未だ光を失っていない。

 壮観です。私は今こそ倒すべき怨敵の存在を信じられる。


 魔王さまをくびり殺した竜の眷属が対等な力を持って私の前にある。

 仇討ちが私の願いかって? いいえ、まったく違いますよ。


 確かに私は偉大な魔王さまに依存している。

 さりとて自分自身の身の振り方に興味がないわけではないのです。


 千年前の私は美しく気高い魔王さまを愛していました。

 冷たい思い出の残滓ざんしと“声”が今は狂ったように叫んでいる。


 竜を殺せと宿願を果たせと。

 しかしまた今ここにいる私は魔王さまへの依存から脱却を望んでもいるのです。


 真なる悪魔にふさわしい自分本位の意思は私の耳元でささやいていました。

 これでは駄目だと。こんなにも弱い竜では屈辱も無念も晴らせないと。


 板挟みと言うべきでしょう。

 だからこそ私はフィフスくんを見逃していたのです。


 彼を殺すことは簡単でした。

 心を壊すことも簡単でした。


 私が望めば彼という人間はすぐにでも廃人の有様に変わっていたでしょう。

 しかしそれでは私が救われない。


 しかしそれでは私が報われないのです。

 私のすべての考えは私自身の幸せのために。


 ああ、魔王さまはきっと悪魔らしく身勝手な私を褒めてくださるでしょう。

 板挟みの心で私は考え続けました。


 結局は苛立ちを我慢できなくなって、誰も彼も皆殺しにしたわけです……


 悩ましいことです。悪魔としての私には、どうも忍耐が足りない。

 でも魔王さまは算段を台無しにした私をねぎらってくださるに違いありません。


 だって結果だけを見ればすべてがうまく転んだのですから。

 私はフィフスくんと関わりながらずっと苛立ち続けていました。


 これでは駄目だと。こんなにも弱い竜を殺したところで私自身が救われないと。

 私は悪魔です。悪魔である私はどうせ誰にも救われない。


 だから腹いせにフィフスくんの大切な人をおいしくいただくことにしたのですが……


 それがどうしたことでしょうか?

 育て親の背に隠れることしかできず、家族の死に嘆きわめく未熟な少年が!


 心が折れて今にも泣きだしそうな哀れな少年が!

 私にしてみれば眼中にないとさえ言える失敗作の怨敵が!


 しかし! 今はまったく違う“眼”をしています!

 私は確信しました。


 この強いまなここそ、竜の心のまなこだと。

 今は私の魂に刻まれた魔王さまの記憶がけたたましく叫んでいます。


 竜を殺せと宿願を果たせと。

 そしてまた私自身の命も恍惚こうこつとおかしな喜びを叫んでいるのです。


 竜を殺せと念願を果たせと。

 私は今こそ“私自身”という精神の合一をこの手中に収めたのでした。


 ああ、こんなに幸せなことがあるでしょうか?


 身勝手にふるまい失敗を積み重ねた結果が幸せだなんてね。


「すばらしい……」


 怨敵である竜の存在。その姿は見れば見るほどにおぞましい。


 金色の瞳。それも百の眼を持つ邪竜ですか。

 まったくどちらが悪魔かわかったものではありませんね?


 フィフスくんだった竜は強く静かな瞳で私を見ています。

 それはすばらしくもくだらないキラキラしたガラス細工の優美でした。


 消えかけの灯火ですよ。私にはわかっています。

 あと一押しで心が砕ける。そんな者にありがちな陳腐ちんぷな強がりです。


 誰もが希望する「もしかしたら」という最後の輝きなのです。

 だとしても私は“この”瞳が見たかった。


 フィフスくんは自らの魂に眠る神話の罪を覚えていない。

 私は彼が大嫌いだったのです。


 日常に没した腑抜けた竜族など見たくもない。

 罪悪を背負い神罰を踏みにじってなお、争うことをやめなかった神話の竜。


 彼らをみじめたらしく殺してこそ私の念願は果たされる。

 決まっている話です!


 たとえすべてを忘れているのだとしても!

 かの魔王さまを殺した竜ともあろうものが!


 悪魔よりも悪魔らしい邪竜ともあろうものが!

 その者に限って安易な惰弱だじゃくが許されるはずがないのです!


 少なくとも私は彼と言う竜の弱さを許せなかった。

 しかし今は心を広く持って許してあげます。


 だって今のフィフスくんは良い顔をしている。

 悪魔らしいあまのじゃくではなく、皮肉でもなくてね。


 ほんの少しだけ……本当にほんの少しだけ。

 この瞬間の彼の魂は神話の竜王に近づいていた。


 だから私も本気を出します。

 他の【魔王の覚者】が私を見たらきっと嘲笑うでしょう。


 彼らは身も心も魔王さまに依存していますからね。

 怨敵を増長させるなと、私の怠慢を責めるに違いありません。


 だけど誰に笑われたって構いはしませんよ。

 私は自分の心に正直でいられる。


 殉ずることに何の迷いがありましょう。

 胸が高鳴る。心がときめく。彼という怨敵の存在が愛しくてたまらない。


 ひょっとしたら私はフィフスくんに恋をしたのかもしれません。

 しのぶれど……しのぶれど……なあんてね。


 いけない子ですね。静かで強い眼が私をもっとダメにする。 

 さあフィフスくん。


 あなたが射止めたお姉さんに心の底からおいしい思いをさせてください。

 竜と魔の逢瀬おうせ


 結末は悲劇あってこそ満たされるというものです。


 そう思うでしょ? フィフスくんあなたも。


「さあ、私を殺しにおいでなさい」


 愛しい少年。この胸に飛び込んでおいでなさい。

 私はそう……あなたの気持ちも同じはず。

 私たちはきっと。


 この“瞳”で殺し合うために生まれてきたのです。


 ◆◆◆


 墓土を踏んで跳躍ちょうやくする。僕は狼へと突撃した。


 人喰いの狼だ。悪辣あくらつを形にした悪魔リグレットの本当の姿だ。

 だとしても僕はまやかしを怖れたりしない。


 僕は竜だ。百眼鬼竜のドラゴンだ。

 自分の真実が弱者だったとしてもまるで構わない。


 敗れて朽ち果てる。


 それが僕の踏み出した道の結果だとしても――ー


「いいさ。僕は先生じゃない。挑戦者チャレンジャーなんだ」


 研ぎ澄ます爪牙に力がこもった。


 今の僕にはハンドレッドの声が聞こえる。

 竜の魂であるハンドレッドが僕と共に竜の身体を動かしている。


 僕の目となり耳となり、彼は僕と共に戦ってくれる。

 知覚に呼びかけて僕は叫ぶ。


「前方に突破攻撃を仕掛ける! その眼を見開け、ハンドレッド!」


「了解だ。限度いっぱいに行くぞ!」


 突撃に合わせて金色の百眼が輝いた。


 かつて悪魔の軍勢を一撃で消し去ったプリズムの閃光。

 その威力を広範囲に拡散させる形で僕は狼へと照射した。


 直線で進む光線レーザーのほとんどはあっちこっちへと拡散して墓石と近くの雑木林をなぎ倒す。

 だけどそれでいい。


 素早い狼のフットワークを封じるために、あえて光線を乱射しているんだ。


「いけえええええええええええええええええええええええ!」


「っ……」


 プリズム色の閃光が数限りなく狼の青い毛並みに着弾した。


 しかし閃光が狼を消し去ることはできない。

 村で戦った悪魔たちとは強さが違う。


 狼は青ざめたオーラのような“膜”で光線の直撃を防いでいた。

 膜に阻まれて屈折した光線はあらぬ方向へと乱れ飛んで景観を破壊する。


 通じていないのか? 僕たちの力が?

 いや、狼は苦悶の表情を浮かべていた。


 通じていないわけじゃない。なら僕が取るべき行動はひとつだ。

 竜の喉を猛る咆哮で震わせて、僕はなおも墓土を蹴飛ばして突き進んだ。


 変化する戦況を見つめるハンドレッドが状況分析の結果を僕に伝える。


「前方に魔力障壁を確認した。私たちの攻撃はあの障壁に阻まれて完封されている」


「魔力障壁? あの膜のことか?」


「【魔王の覚者】の魂には神話の魔王と同質の魔力が封じられているのだ。リグレットの魔力総量は今のキミをしのぐ。どうするフィフス?」


「望むところだ。飛び道具が通じないなら接近して叩く!」


「いいだろう。私がサポートする。キミのやりたいようにやれ」


 ハンドレッドの声が少しだけ遠のく。


 身体が軽くなったような気がした。

 人間とは違う重たい竜の身体が僕の思うように動く。


 プリズム色の光線を跳ねのけた狼は、竜の咆哮から逃げることをせずに真正面から牙をむく。


 互いが互いに暴力をためらう理由はひとつもない。


 暴風のように地を駆ける狼と激突して、僕は右の五爪を狼の毛並みに突き立てた。

 狼も傷口から青い血を流すだけではない。


 彼女は――リグレットは唾液でまみれた狼の牙で竜の左腕を噛み砕いた。

 

 互いが激突の衝撃で反発するように押し合って後退する。

 まだだ。まだ終わっちゃいない!


 大股で強引に一歩を踏み出して狼に頭突きを繰り出す。

 虚を突く奇襲だ。しかし狼は先ほどと同じように魔力の膜を作って威力を減衰する。


 敵ながらクレバーなやり方だと思うよ。

 野蛮で暴力的な戦いが竜の流儀なのかと言われれば僕には返す言葉がない。


 それでいいさ。僕は僕にできることしかできない。

 僕が僕にしかなれないのであれば、僕は僕にできることをなす。


「ハンドレッド、言いたいことはわかるな!」


「ああ、思い切りぶちかましてやるといい」


 金色の百眼が輝く。


 超至近距離で放たれたプリズム色の光線が面制圧もかくやの威力で魔力の膜を焼いた。

 そのほとんどは屈折されて虚空を射抜いたが、ありったけの閃光に焼かれた青い粘膜もまた水分を奪われて障壁としての役割を失う。


 障壁に守られていた狼の首筋が露出する。

 硬く青い毛並みが今は僕の目の前にある。


 僕はそれを竜のアギトで噛み砕く。


「ここだああああああああああああああああああああ!」


 青い鮮血が噴水のように吹き出した。


 狼がけたたましい悲鳴を上げてもがき苦しむ。

 我が身と血肉を引きちぎりながら狼は深手を負って後退した。


 狼の脚力はすさまじく、一瞬で距離を空けられてしまう。

 青い血肉を吐き捨てて僕は百眼を見開き咆哮する。


 逃げても同じだ。何度でも何度でも僕は悪魔に挑み続ける。


「僕は弱い。だからこそ、僕はこの“夢”に挑んでみせる!」


「フィフス。その夢は悪夢か?」


 僕の覚悟を試すみたいにハンドレッドが問うた。


 僕は負けん気で一歩も譲らず、ハンドレッドに答える。


「僕とおまえの“夢”だ! 悪夢で終わらせはしない!」


「わかった! いくぞ、フィフス!」


 狼には深手を負わせた。


 僕たちも狼に噛み潰された左腕が動かない。

 痛み分けだ。


 リグレットの性格ならば無謀な直接対決を避けて逃げ出していてもおかしくはないと思う。彼女にはそういうところがあると思えた。


 だけど狼は逃げなかった。


 懲りもせず突撃する僕に向かって、青い血液をまき散らしながら吠えたてる。

 単純バカを嘲笑っているのか? いいや、そんなまやかしは関係がない。


 竜とはいえ脚力で劣る僕には狼が本気で逃げ出したら決して追いつけない。

 今しかない。


 真っ向から勝つためのチャンスは、いつだって一度きりしかないんだ。

 

「全方位から攻撃を仕掛ける! その眼を見開け、ハンドレッド!」


「いいだろう。金色の百眼とすべての力を解放する!」


 金色の百眼がうごめき莫大な輝きを放出した。


 攻撃の予兆を察した狼は魔力の膜を全身に張り巡らして閃光の着弾に備える

 放たれたプリズム色の光線は、一度は障壁に阻まれてあっちこっちへと屈折する。


 最初からわかり切っている話だ。しかし僕は光線の照射を続けた。

 先ほどのような不意打ちでなければ青い膜に風穴をあけることはできない。


 僕にはそれもわかっている。

 一見して無意味な力押しを咎めて、ハンドレッドが叫ぶ。


「無駄だ! 言ったはずだぞフィフス! リグレットの魔力総量は私たちを凌駕りょうがしている! 根競べでは奴に勝てない!」


「わかってる!」


 狼は……リグレットは意固地に逃げない。


 ならば僕だって逃げることをしない。

 これは意地っ張りじゃない。


 決して意地の張り合いなんかじゃない。

 これは、僕が彼女を逃がさないためにできる唯一のことだ。


「すばらしい」


 狼が……リグレットが笑った。


 僕が息切れするのを待っているのか。

 たくわえた力の消耗によってじわじわと実力の差が明確になっていく。


 さぞ楽しいだろう。

 すばらしかろうが、みじめだろうが。

 僕は今ここにいる僕にしかなれない。


 僕は拡散する閃光のゆくえから勝利につながる道を見つける。


「さあ、私を殺しにいらっしゃい」


 誰にもこの心を阻ませはしない。


 僕はそう。子どもたちの笑顔を覚えている。

 僕はそう。先生の優しさを知っている。


 僕は……じぶんの心を誰にも譲らない!


「ここだ!」


 僕はじぶんを譲らない。


 おまえは違うのか? リグレット?

 そうだろ。僕たちはきっと。


 この“ひとみ”で自分自身を勝ち取るために生まれてきた!


「“曲がれ”えええええええええええええええええええええ!」


 屈折して拡散した閃光の数々が再び“曲がった”。


 狼がハッと空を見上げたが、もう遅い。

 文字通りの全方位攻撃。


 ありとあらゆる方向から飛来するプリズム色の輝きが青い魔力の膜ごと狼の巨体を完膚なきまでに焼き尽くす。


 力の奔流ほんりゅうに飲まれる冥狼リグレットはけたたましい悲鳴を笑い続けた。

 肉片が消し炭になって光の中に溶けるまで。


 彼女の最期の瞬間に僕は忘れられない幻聴を聞く。


「これでようやく――」


 リグレットは笑った。

 悪魔も魔王も関係ない。

 赤い血も青い血も関係がない。


 魔王の記憶に魂を毒された、ただの人間の笑い方だ。

 少なくとも今だけは……


「私は死んで、私はようやく私になれる」


 少なくとも今だけは。


 ◆◆◆


 しばらく歩いていくと道端に半裸のメモリアが座り込んでいた。


 先生の埋葬を終えた僕は騎士団を追いかけて隣町を目指したんだ。


 道半ばで僕はメモリアと再会する。

 周りには赤黒い血と肉片がバラバラに散乱していた。


 汚れてしまった子どもたちの衣服も一緒に。

 いびつにひしゃげた騎士団の鎧も一緒に。


 地獄みたいな場所にメモリアはひとりで座り込んでいた。


 僕の姿を見つけたメモリアは虚ろな両目で僕を見る。


「勝ったのね」


「メモリアも生きてたんだね」


「死んだほうがマシだった」


 虚ろな瞳のメモリアが投げやりなことを言った。

 まるでここではないどこかを見ているように目の焦点が定まっていない。


 今のメモリアは現実よりもずっと辛い夢を見ているのだろう。


「私は負けたの。13の誕生日に、青い血の悪魔に愛すべきすべての人を奪われたの」


「そうか」


「今日も」


 リグレットに負けて守るべき人々を失ったわけだ。


 僕も同じだったけどね。

 今はどんな言葉も慰めにならないと、そのくらいの事情はわかっている。


 僕はうつむくメモリアの手を取った。

 ひとりぼっちとひとりぼっちで僕らはちょうどよくお似合いだ。


「一緒に行こう」


「どこに? どうして?」


「それはね」


 僕にはメモリアの考えが鏡写しのようによくわかった。

 誰を頼らずとも彼女の手を握ることを迷いはしない。


「僕たちがまだ、自分の生きる夢を諦めていないからだ」


 メモリアの手を引き立ち上がらせてから、僕は作業を始めた。


 僕たちは手分けをしてリグレットに殺された死体を埋葬した。

 僕が竜になって墓穴はかあなを掘れば簡単な事だよ。


 陽が暮れるまでずっと作業を続ける。

 僕とメモリアは日暮れまでそれ以上の言葉を交わすことをしなかった。


 できなかったというべきかな。気まずくてね。

 人の死と別れの日にはいつになっても慣れることができない。


 いつかは慣れる日がくるのだろうか?

 すべてを忘れることはできるのかもしれないけど。


 ――僕は忘れられるのかな?

 僕の想いは知らずに言葉になっていたらしい。


 沈む夕陽に瞑目めいもくするメモリアが、僕にそっと教えてくれる。


「忘れることなんて、できやしない」


 僕はうなずいて歩き出した。


 僕たちは旅を始める。

 それが神代の血と魂に縛られた暗い宿命と夜の道なのだとしても。


 旅立つ僕たちがこの場所に戻ってくることはない。

 

 旅立つ僕の名前はフィフス。

 好きなものは地を這うトカゲと花とまたたく星々。


 竜として生きる僕がこれからなにをすべきなのか。

 それだけは――


「いこう」


 それだけは、夢にまどろむ記憶じゃない。

 ここにいる僕自身が知っている。


 ドラゴンになった僕は生きていく。

 竜として。


 光と闇が待つ、この黄昏たそがれの世界で。

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