第8話 騎士の信任
翌日、子どもたちは騎士団に保護された。
最初は野宿を楽しんでいた子どもたちだったけど、今は疲労が色濃い。
子どもは風の子なんていうけど、何事にも限度があるということだ。
だけどもう安心!
頼もしくカッコいい騎士のみなさんに囲まれて子どもたちは大喜びだ。
……とはいえ彼らは見知らぬ他人だ。
人見知りの子どもには不安もある。
彼らは僕と先生の袖を引いて口々に言う。
「先生は来ないのー?」
「フィフスお兄ちゃんはー?」
先生は隣町で新しい生活を始めるために騎士団長と話があるみたいだよ。
騎士団を通して町の有力者に話をつける……とノーブル先生は言っていた。
子どもたち話すような内容ではないし僕が子どもたちに伝えたのは「先生は引っ越しの準備で忙しいんだよ」という誤魔化しだけだ。
僕も自分の気持ちを整理する時間が欲しかった。
僕は先生に話を聞いてもらいたかったんだ。人生相談さ。
子どもたちから離れるべきではないと思うけど、僕にはどうしても必要だった。
今後どうすればいいのか僕は迷いを解決できずにいる。
そういうわけだ。
ごめんね。みんな。
出発する子どもたちを見送って、僕はひとりになった。
メモリアも騎士団と子どもたちといっしょに出立した。
思えば彼女にはお世話になった。
お礼の言葉もままならずにお別れだなんて悲しいな。と思っていたら……
メモリアは別れ際に面と向かってこんなことを言う。
「落ち着いたらまた話をしましょう? 隣町であなたを待っているから」
ご指名とは恐縮だね……
竜になった僕はまともな人間ではないのに。
僕がメモリアに興味を持ったように、彼女も僕に興味を持ってくれたのかな?
うれしくないな。複雑な気分だ。
僕たちとここ数日をすごしたリグレットも出発する。
「騎士団に護衛してもらえるならあ。道中も安心ですからあ? 花丸満点ですう、ふふふ」
訳が分からないことを言っていたよ。
リグレットにもリグレットの都合があるだろう。
人を食ったような笑い方をする彼女のことは苦手だ。
だけどリグレットは僕にとっての大恩人だ。
リグレットの旅路にも幸があることを祈って僕は彼女を送り出した。
僕はノーブル先生が騎士団長と話し終えるのを待っている。
待ち時間の退屈しのぎに僕は竜石を取り出して呼びかける。
思えばハンドレッドに自分から話しかけるのは初めてかもしれない。
「おまえも笑うかい? 情けないお兄さんだって、さ」
「そんなことはしない。キミは竜になったがその心は人間のソレだからな。たとえば“ストレス”という言葉がある」
「ストレス?」
「心にかかる負荷の指標だ。竜になった現実と悪魔を殺した事実はキミにとって耐えきれないストレスだろう。恩師の助けを借りるといい」
「ありがとう。まさかおまえに励まされるとはね……」
「当然だ。私はキミの魂なのだからな。私はキミの理解者になれるつもりだ。繰り返しになるが今後のためにも心を休めるといい。おススメだぞ」
「今後のためにも、か……」
口やかましいハンドレッドに心配されるとは思わなかった。
僕はそんなに気が滅入って見えたのかな?
気疲れしていたのかもしれない。
ハンドレッドの言う通りだな。
ひとりで強がっていても仕方がない。
今後のためにも……か。
僕は竜になった。
人間に戻ることはできたけど。
これまでと同じようにみんなと暮らしていけるのか? とか。
悪魔たちがまた襲ってくるんじゃないのか? とか
僕の心には不安が尽きない。
不安が現実になったときには家族の命が危険にさらされる。
子どもたちだけじゃない。見ず知らずの大勢の命が危険にさらされるだろう。
僕にはそれがたまらなく恐ろしい。
僕は竜になれる。
戦う必要に迫られれば……あまり気は進まないけど戦うことはできる。
竜になった自分が悪魔に負けるとは思わない。
きっと勝てるよ。悪魔を殺して僕は勝つ。
でもそれは……僕だけが無事で僕だけが生き残るという話だ。
最初は気にも留めていなかった。
時間が経って頭が冷静になるにつれて恐怖が心から離れなくなった。
恐ろしい。自分が傷つくのが恐ろしいんじゃない。
自分のせいで誰かが傷つくのが恐ろしい。
命の責任を問われるのが恐ろしいんじゃない。
誰にも責められることなく誰にも打ち明けることもできず、すべてを自分の胸の中で抱え続けなければいけないのが、心の底から恐ろしい。
勝手な話だ。妄想じみていると思う。
だけど妄想は僕の頭から離れてくれない。
気疲れしていく自分の心がよくわかる。
ハンドレッドは僕を情けないと言ってくれなかった。
心配りだったのかもしれないけど、僕には嫌だった。
本当は「おまえは情けない奴だ」と言われて安心したかったんだ。
自虐だな。おかしくて笑ってしまう。
気がどうにかなってしまいそうだ。
「先生はどう思いますか?」
ノーブル先生は何も言わずにじっと僕を見た。
おしゃべりなハンドレッドも今は何も言ってくれない。
僕はきっと酷い顔をしていたに違いない。
先生はいつもみたいに僕をさとすことさえしない。
口を結んで空を仰いだ。
先生が僕の方を向いた時。
先生は笑いもせずに僕の肩を叩いて言う。
「場所を移そうか。少し歩こう」
僕が先生を追ってたどり着いたのは村の共同墓地だ。
悪魔に殺された犠牲者が埋葬されて、墓地は満員になっている。
僕は気を滅入らせた。目を背けることはできない。
とはいえ空元気でいるよりも陰鬱に考える方が物事は気楽だからね。
願ったりかなったりだ。
さりとて、先生は暗黙の真剣さで告げる。
つまらないネガティブで僕を堕落させるために話をするのではない、と。
先生は僕に背中を向けたまま表情を隠して言う。
「『守りし者が心を折るのはすべてが終わったその後だ』」
「え?」
「これは私の恩師がのこした言葉でね。私が話すことは話半分に聞いてくれればいい」
先生は振り向かなかった。
犠牲になった村人の墓前で片膝をつく。
僕は立ったままで先生の背中を見下ろしていた。
先生は摘んだ野花を墓前に献花している。
「フィフスくん。昔の私はね。王国に仕える騎士だったんだ。平和の理想を夢見て志を同じくする仲間と剣の技を磨く……そうだな、フィフスくんくらいの歳の頃は師の背を追って騎士の見習いをやっていたよ」
「騎士? 先生が?」
初耳だった。僕は不思議と驚くことをしなかった。
思い返す。錯乱した村長が燃える村で叫んでいた気がする。
ノーブルを呼べ――あの騎士くずれを――
そうだ。僕は先生の過去を知らない。
でも先生ほど優しく高潔な人なら誇り高い騎士であっても不思議ではない。
僕らの先生はやっぱりすごい人だったんだ。
自分の不安も棚上げして僕は心がうれしくなった。
子どもたちにも聞かせてあげたい。ノーブル先生は王国の騎士様なんだよって。
勝気な男の子たちに剣術の稽古をつけてあげてほしいね。
いいんじゃないかな? みんな元気が出るよ!
だけど献花を終えて立ち上がった先生はアレコレ妄想している僕なんて気にも留めず、右手の指先で“サイン”を作った。
人差し指と中指をまっすぐに伸ばして親指を添える。
薬指と小指を折りたたんで右腕を高らかに天へと掲げる。
先生はそのまま右腕を正面へと振り下ろし目線の先へと指先を向ける。
「これを騎士の信任。ナイトサインという」
「
「単に『先に行け』という合図にも使われる。だが、このサインをある騎士が他の騎士の瞳に向ける時。その時には全く異なる意味を持つ」
「意味? どんな意味があるんですか?」
「この行く道をキミに任ずる。という意味だ」
告げる先生の言葉は誇らしく……しかしどこか悲しい響きを備えていた。
「言葉にすれば他愛ない。だが『行く道』とは他ならない『自分の道』だ」
「自分の道?」
「騎士としての自分の名誉と自分の誇り、騎士ならずとも自分が築き上げたすべてのことを……自分の生きた証を、託すということだ。私は恩師にそう教わった」
「…………」
「
先生はナイトサインを解いて腕をおろした。
僕には後に続く先生の言葉が不思議とわかるような気がした。
先生の背中がとてもさみしそうだったから。
「未熟な私には恩師に任じられた道へ殉ずることができなかった」
「……先生が? どうして?」
「大した話じゃないよ。私の恩師は剣の道で万民を救う未来を志していた。それは魔を絶ち切り悪を断罪することで勝ち得る理想だ」
聞くに素晴らしい理想だった。だけど……
「私にはその道を理解することができなかった。剣術はしょせん殺人術だ。人を救うなら他にいくらでも手段がある……かつての私は、反発して騎士の道から離れたんだ」
「でも、そんなのは……」
「言いたいことは痛いほどにわかるよ。キミは当時の私なんかよりもよほど大人びている。現実を見ているというべきか……いや、現実を諦めているのかもしれないな」
先生は自嘲するみたいに言った。しかし決して安楽に笑うことをしない。
僕には何も言えなかった。先生の語る内容が重すぎたのと、僕に対する「現実を諦めている」という評価が心を深くえぐったからだ。
うれしいはずがなかった。
でも、違うと言い返せない僕は黙るしかできない。
「正直に言うとね。私は、自分の剣術に限界を感じていた。苛立ちもあった。だから
「…………」
「歳月ですべてを忘れても。その後悔だけは私の心に根を張っている」
語り終えた先生はようやく僕の方に向き直った。
先生はいつも通りに優しく穏やかな表情をしていた。
いつも通りだ。いつもと何も変わらない孤児院の先生。
清濁をひっくるめて僕はこの人ほど尊敬できる人物を知らない。
なのにどうしてだろう。
どうして僕は先生の笑顔を見たくないと思うんだろうか。
「どうしてそんな話を僕に……」
先生は答えてくれなかった。
代わりに脈絡もなく口を開く。
自分が失敗した経験に合わせてなにか説教じみたことを言うつもりなのだろうか。
嫌だ。そんなのは嫌だよ
やめてくれ、僕が知っているノーブル先生はそんな
そんなのは嫌だ!
「フィフスくん。私はキミを責めるつもりはない。ただ――」
「言わないでください! もうたくさんだ!」
口から出た否定の言葉は悲鳴のような叫びになった。
同情じみたセリフは聞きたくもなかった。
嫌だったんだ。
僕の信じるノーブル先生の理想が汚されるのが。
先生は僕らの憧れなんだ。僕と子どもたちの“夢”なんだ。
幼い子どもの
「先生はそんな人じゃない! 僕が知っているノーブル先生はもっとすごくて誇り高い人だ! 子どもたちだってそうだ! みんな僕と同じように思っていますよ!
「フィフスくん」
「先生。あなたが本当に過去の選択を後悔しているのなら、僕に押し付けないでください! そりゃあ僕だって今はつらいけれど輪をかけて重圧をかけられたんじゃたまらないですよ! もうたくさんだ!」
「フィフスくん」
「弱音を吐くのはやめてください。聞きたくもない! あなたは僕になにか説教を聞かせて満足なのかもしれませんけど、押し付けられた僕の気持ちを考えてくださいよ。先生はすごい人だから自分の中で迷いや悩みを整理できるのかもしれないけど。僕にはできないんですよ! 僕は孤児院の中では年長だけど先生はずっと年上なんだからそのくらいの道理はわかるでしょう!? 先生ならわかる。わかるはずなんだ!」
「フィフスくん」
「先生は僕らの憧れなんだ。道に迷った僕と子どもたちが頼る
「フィフスくん……」
「それを期待させるだけ期待させて。思わせぶりに言って裏切るんですか。許しませんよ。僕は絶対に許さない。そんなのは、そんなのは――」
文句を言うのに夢中になった僕は先生の顔を見ることをしなかった。
好き勝手に妄想をぶちまけて心の思うままにさけぶ。
「そんなのはただの卑怯者だ!」
言ってしまって僕は自分の暴言を後悔する。
後悔に怯える僕は先生の顔を見ることができなかった。
そして。
「フィフス」
先生は僕の名を呼ぶ。
水を打ったような静寂を経て。
先生は。
「ああ、その通りだ! よく言った!」
本当にいつも通りのやりかたで、笑った。
ついでにバシッと、うつむいたままの僕の脳天をぶっ叩いた。
え、なんで叩くの?
「痛っっっっ!?」
「そうだ。言葉は呪いだ。自分が口にしたどんな言葉も自分を縛る呪いになる。だけどね。呪いはいつか、自分を正す誓いにもなる」
はっはっはっ、と先ほどまでとは別人のような清々しさで先生が笑った。
ぶっ叩かれた僕は、先生の変わり身に戸惑うしかできない。
先生は笑う。僕にも笑えと先生は図々しくもそんなことを言う。
「フィフスくん。キミは正しいよ。まっすぐな言霊がキミの進むべき自分の道だ」
「先生?」
「キミは後悔するな。自分が抱える辛い気持ちを人に背負わせることをするな。そんなのは自分が死ぬよりもずっと、悪魔に殺されるよりもずっとみじめなことだ」
人差し指と中指をまっすぐに伸ばして親指を添えた。
薬指と小指を折りたたんで、右腕を高らかに天へと掲げた。
先生は――
右腕を正面へと振り下ろして、自分の指先を“僕の瞳”に向ける。
「キミが迷うなら“俺”の誓いをキミに託そう」
「あっ……」
「忘れてくれるなよ。私にとってフィフスくんはかけがえのない家族だ。今更、どうして過去の後悔なんかに負けてやるものか」
先生がニッコリと笑う。
「もうそれでいいのさ。だって私は――」
先生の瞳には後悔も迷いもありはしない。
僕は知らずに涙を流した。
今だけはこの心に恐怖も不安もない。
「みんなが大好き。子どもらみんなのノーブル先生だからね」
よかった。
大好きな先生を心から信じられる。
たったそれだけのことが僕の心を自由にしてくれていた。
よかった。こんなにもうれしいことはない。
僕は声を上げずに泣いていた。
もう何も怖くないと心の底からそう思える。
だけど……
「なるほどなるほどお」
不愉快なやり方で嘲笑う者がいた。
軽薄な拍手をパチパチと響かせながら大勢が眠る墓地の上をそいつは踏みにじって歩いてくる。
ノーブル先生が静かに両目を閉じる。
僕には一瞬、歩んでくる人物が誰なのかわからなかった。
だってその人は……
「『守りし者が心を折るのはすべてが終わったその後だ』ですかあ。それは、それは、素敵な師弟愛の極みですねえ……」
壮麗な“布”の衣服を風になびかせながら見知った女性が歩いてきた。
ノーブル先生は一歩も動かず、声の主へと冷たい流し目を向ける。
状況が飲み込めない僕にはきょとんと目を丸めることしかできない。
彼女は言う。
「しかし、せっかくみじめな
「え?」
「よーし、それじゃあもう一回! その心をへし折られてもらいましょうかあ?」
墓石を蹴飛ばす女。
おちゃらけて振る舞いながら彼女は相当に苛立っているらしい。
先生の語りがそんなに気に入らなかったのだろうか?
「さあ、私に
傷口から流れる血液は絵の具みたいなコバルトブルーだ。
「それはもう、それはもう……」
青い瞳と青い血脈の――
血を流すリグレットは見たこともない無表情を演出して、言う。
「クソ不愉快な茶番がチャラになるくらい。徹底的に」
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