第4話 仙女リグレット

 僕はあてなく野山をさまよった。


 草木を踏みつぶして、奥地へ進んでいく。

 鹿やイノシシはみんな僕を見て逃げていった。


 怖がられているとよくわかる。

 僕が彼らと同じ立場に置かれたらウサギみたいに逃げだすだろう。


 あたりまえの話か。

 今の僕は竜だった。


 何者よりも強い。何者も比肩することができない。


 北の山脈に住まう知性のない飛竜とは違う。

 言語を介して神魔の極みを身に秘めた究極の魔法生命体。


 ――ドラゴン。

 いにしえの伝説に残る最強の種族だ。


 しかし、僕は何の話をしているんだろう?

 この訳の分からない知識はいったいなんの妄想だろうか?


 僕は気がどうにかなっているのだと思う。

 記憶がごちゃごちゃして、頭の中がぼんやりとする。


 大切なことを忘れている気がするけれど、思いだせない。


 ここにいる僕はフィフスだ。

 竜ではない。人間の心の持ち主だ。


 頼りない孤児院のお兄さん。

 好きな物は地をはうトカゲと花とまたたく星々。


 だけど今は……


「竜だ」


 僕の両手はとても大きな竜の手だ。

 それだけじゃない。鋭利すぎる爪牙と一薙ぎで熊さえ叩き殺せる太い尻尾を持っている。


 雄々しさを前世に忘れてきた僕が? なんの冗談だろ。

 自分らしさなんて考えたこともなかったけど、今ならよくわかる。


 僕は弱い人間だ。弱い心の持ち主だ。

 弱い者が強い力を手にしても、分不相応だ。


 メモリアが何者なのかは知らないけど。

 僕には彼女の問いに答えることができなかったんだ。


 メモリアの言葉と力強い瞳がひたすらに恐ろしい。

 おかしいよね。自分でもまるでおかしな話だと思う。


 僕の分相応だ。

 僕はノーブル先生みたいに大人じゃないし、メモリアのような覇気もない。

 悩んで道に迷う人間の心の持ち主だ。


 現実逃避にあるき、あるき、またあるき……


 たどりついた渓谷に降りて川のほとりにすわりこむ。

 一息ついた僕は、水面にうつった自分自身のすがたを見た。


 竜だということはわかっていたけど……


「むちゃくちゃだな」


 見れば見るほどにドラゴンだ。


 トカゲを巨大にして……というと月並みな表現だけど。

 今の僕は、昔に行商人から図鑑で見せてもらった“ワニ”という凶悪な生き物をずっと獰猛どうもうにした姿をしている。


 身体中に金色の眼が埋めこまれて見回しているのだから物凄い見た目だ。

 鹿もイノシシもにげだすし、熊がひっくり返ってもおかしくないね。


 冷静になってみると悲惨過ぎて笑えてきたよ。

 暗い気持ちでいても仕方ないから、ありがたい話だけど……


 このままではどこにも行けない。

 人里に向かうのはもちろん、ノーブル先生に会いに行くこともできない。


 ノーブル先生なら僕の話を聞いてくれるかもしれないけれど、子どもたちがおびえてしまう。怖くて泣きだしてしまうかもしれない。


 困った話だ。

 僕が悩んでいると、上流から砂利を踏む音が聞こえてきた。


 獣の足音や谷間を流れる風のいたずらではない。

 まぎれもなく人間の足音だ。


 僕はぎょっとする。すがたを見られたくなかったからだ。

 騒ぎになるのはどう考えても面倒だ。


 僕は迷わず逃げだそうとした。

 しかし望まれもしない来客は埒外らちがいの歩速で僕の前にたどり着く。


 一瞬だ。

“彼女”は逃げ出す僕の退路をふさいで、とぼけた物言いをする。


「わーお、同胞はらからの気配を感じて来てみればあ、なんだかおもしろいやつがいますねえ」


 女性は不思議な格好をしていた。


 澄んだ青い瞳にグネグネした黒い髪をなびかせて浅黒い地肌を外気にさらす。

 壮麗な装飾がほどこされた“布”を全身に巻きつけている“だけ”のお姉さん。


 肌色成分が強すぎて、青少年の目に毒だ。

 僕だって困るよ。心はフィフスお兄さんだからね。

 

 孤児院で健全に育てられて、女性に免疫のない僕は戸惑ってしまう。

 メモリアも美人といえば健康的な美人だったけど、こちらさんには色香がある。


 竜が人間の色香に惑わされるのもおかしな話だけどね。

 僕はあっけにとられて、立ちつくした。


 お姉さんは竜の姿を見ても、これっぽっちもおそれることしない。


「あ、あの……」


 質問は山ほど思いついた。

 でも、この時に重要なのは細かな話じゃないよね。


 僕は素直な疑問を口にする。


「あなたは誰ですか?」


「私ですかあ? 私はあ、そうですねえ」


 とぼけているような掴みどころのない言い方だ。

 右の人差し指を紫色の唇にそえて、お姉さんはウィンクをしてくれる。


「仙女リグレット。獣の心の持ち主ですよお」


「獣?」


「ええ、青い瞳と青い血脈の獣ですう」


 青い瞳と青い血脈の獣? 不思議な表現をする人だな。

 なにを意味する言葉なのかわからず、僕は首をかしげるしかできない。


 お姉さんがたずねてくれる。


「あなたは? だあれ?」


「僕はフィフスと言います。孤児院育ちのフィフスです」


 自己紹介。こんな姿になっても僕は僕だ。


 僕にとって大切なのは自分に関わる自分の話だった。

 例えば、この直後にお姉さんが口にした内容だ。


「へえ、フィフス。さしずめあなたは竜の心の持ち主ですねえ?」


「そうかもしれませんね……」


「ふーん? なんだか元気がありませんねえ」


 リグレットは歯切れの悪い僕を観察した。


 見つめられると照れるよ。

 なんて間を外した考えをしている僕の気恥ずかしさは、いざ知らず。


 リグレットはすぐさま核心へと迫る。


「あなたはひょっとしてえ、元の姿への戻り方を知らないんですかあ?」


「!」


「ははあ、それは災難ですねえ。ずっと竜の姿だなんてえ不幸ですねえ」


 僕の悩みなんて知りもせず、リグレットがケラケラと笑い転げた。


 ひとしきり意地悪なやり方で笑った後に、リグレットは布下のふところから握りこぶしほどの“石”を取り出してみせる。


「これは獣石じゅうせき。というものです。これがあるとねえ便利なんですよお。必要のない時にはこの石の中に獣の力を封じこめておけるんです。」


「獣の力……」


「あなたにしてみればこの石に封じ込めるのは竜の力なんですかねえ?」


 なら僕の場合は竜石りゅうせきと呼ぶべきかな。


 不思議なマジックアイテムだ。見たことも聞いたこともない。


 貴重な代物だろう。そうでなくとも魔の法で精錬された道具は世界中で例外なく高値の取引をされていると聞く。

 リグレットはいきなり石を僕に放り渡す。


 僕は大きな竜の両手で、小さな石を慌てて受け止める。


「え? う、うわっ!? なんですかいきなり!?」


「さしあげます。自分のあるべき姿を念じてごらんなさい」


「へ?」


「……元の姿ですよお。さあどうぞ?」


 言われても困ってしまうけど。


 僕は目を閉じて自分のすがたを思い描いた。

 人間の僕自身だ。


 姿鏡なんて高級品は孤児院にはなかったけど。

 気を利かせた村長が孤児院に鏡を持ってきて、子どもたちに身だしなみの練習をさせてくれたから、僕は鏡にうつる自分のすがたを知っている。


 幸運に恵まれたからか、イメージのさじ加減なのか。


 僕が再び目を開けた時、リグレットと同じ高さで目線が交差した。

 同じ高さで……リグレットと同じ人間の背丈で、同じ人間の両目だった。


 川辺に映る僕は竜の姿ではなく人間の格好をしていて、僕の両手にはすっぽりと翡翠色に輝く獣石……“竜石”がおさまっている。


 僕は服を着ていた。

 ただし僕が着慣れた衣服ではない。


 獣の皮のようにゴワゴワして竜の鱗のように硬い石くれで飾られた装飾服。

 ローブというべきか。慣れない格好でなんだか落ち着かない気分だ。


 落ちつかないのはともかく、言うべきことがある。

 リグレットがニコニコと笑う。


「フフフ、その竜石と衣服はあなた自身が持つ竜の力のあらわれです。素敵なファッションですねえ。ああ、うらやましい……」


「あの、リグレットさんどうかお礼をさせてください……本当になんと言ったらよいのか」


「お礼なんていりませんよお。私は仙女リグレット。世俗に興味はありません。でも……」


「でも?」


「でもあなたがどうしてもとおっしゃるのならあ」


 リグレットが妖艶ようえんに微笑んだ。


 僕は息をのんだ。うまい話には裏がある。

 物事に正当な対価があるべきなのは、あたりまえの話だろう。


 親切の代償にどんなに無茶な要求をされるのか僕はこわくなる。

 しかし、結果から言えば取り越し苦労だ。


 リグレットは、身構える僕をひょうひょうと見つめる。


「あなたが一番大切に思う人たちの話を聞かせてください」


「え、本当にそんなことでいいんですか?」


「……ダメなんですかあ?」


 孤児院育ちでロクな身銭を持たない僕には、天の助けだ。

 リグレットの提案を断る理由は無い。


 僕はおおよろこびで答える。


「よろこんで! 僕の先生と家族の話をさせてください!」


「それは楽しみですねえ」


 リグレットは岸辺のごつごつした岩に腰かけてニッコリと笑った。


 僕は日が傾きかけるまで彼女に孤児院の家族の話をした。

 ノーブル先生と子どもたちと僕自身の話を。


 退屈だろうに、リグレットは嫌な顔一つせず聞いてくれた。

 なんだかうれしいな。いい人だなあって思うよ。


 だけど、ゆっくり話してはいられない。

 子どもたちが待っている。ノーブル先生も心配しているだろう。


 メモリアは……どんな顔で僕を出迎えてくれるだろうか?

 出たとこ勝負だな。やむを得ない。


 僕は長話の後でリグレットに頭を下げる。


「すみません。そろそろ帰らないと家族が心配するので」


「そうですかあ。たのしい思い出話をありがとうございました。フフフ……」


「ありがとうって、それは僕が伝えるべきセリフですよ」


 彼女には感謝してもしきれない。


 リグレットに出会っていなければ僕は竜の姿で途方に暮れていただろう。

 ゾッとする話だ。


 僕はふと名案を思いつく。


「よかったら招待しますよ。リグレットさんを子どもたちに……その格好で会わせるのは難しいかもしれませんけど。ノーブル先生は気にしないと思うので」


 リグレットは何も答えてくれなかった。


 彼女はおかしそうに笑って僕の後ろについてきた。

 山道で迷って遭難そうなんする心配はない。


 木々をなぎ倒してきたから、来た道の痕跡こんせきはよくわかる。

 ローブ姿ではかなり歩きにくいけど、竜の姿から人間に戻れただけで大金星だ。


 さあ帰ろう。村は焼けてしまったけれど僕には帰る場所がある。

 先生と子どもたちが僕の帰りを待ってくれている。


 思うだけで、なんだか目頭が熱くなった。

 今日のことは全部忘れてしまおう。


 人が竜になるなんておかしな話さ。

 明日になればきっと全部が夢になる。


 現実逃避だけど、僕には前向きな考えが必要だ。


 そうとも!


矮小わいしょうですねえ。このおにーさんが魔王さまの怨敵ですか……」


 リグレットのつぶやきは渓谷の風にまぎれてよく聞こえなかった。

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