第3話 百眼鬼竜の心

 私は信じられないものを見た。


 人間が竜になるなんて常識ではありえない。

 一、十。数えて百はあろうかという魔眼に私は魅入られた。


 うごかせない。剣をにぎる両手が凍りついたようにうごかないんだ。

 胸をおしつぶす圧倒的な存在感が私の心の奥深くをふるえさせていた。


 畏敬いけいだろうか? 臆病者にふさわしい恐怖か?


 私は目の前の超越者におびえていたんだ。


「おびえですって? 私が? 魔を狩る勇者であるこの私が……」


 地にぬいつけられたみたいに両足がうごかない。


 逃げ出せと追いたてる本能と拒む心の板挟みになって立ちすくむ。

 悪魔にしてみれば私は絶好の標的だっただろう。


 しかし悪魔が暴力の矛先を私にむけることはついぞなかった。

 悪魔でさえおそれる竜がいたからだ。


 闇の住民である悪魔もまた、おびえふるえていたのだ。


「待ってろ」


 巨竜が地を踏みならす。


 下敷きにされた悪魔がゼリーみたいにつぶされてはじけた。

 怒号を上げる悪魔の軍勢に、竜は一歩も退かず百眼をひらめかせる。


 頭から尻尾まで全身に金色の眼を持つ魔性の竜。

 どちらが悪魔かわかったものではない。


 フィフスと名乗る少年こそが、本物の悪魔だったのかもしれない。

 ただの人間が竜になるですって? それも一軒家ほどの巨体を持つ百眼の竜に?


 ありえないわ! 

 アレは殺すべき異形の魔物だ!


 私の身体に流れる勇者の血が狂ったように吠える。

 狂気に身をまかせれば身が軽くなるような気がした。


 竜はその大きな爪で悪魔を引き裂いた。

 竜は牙で紫の悪魔をかみくだきベシャリと臓物ぞうもつをはきすてる。


 腰をぬかした悪魔をふみつぶして、竜はあゆみつづける。


 おぞましい。

 あの残虐が人間だったモノのなせるおこないか?


 人間ではない。アレは魔物だ。

 人間ではない。アレは人間ではなかったに違いない。


 人間ではない。断じて人間ではない!


 なのに竜は悪魔の血を全身であびながら人間のようなことを言う。


「今、助け出す」


 熱気にあおられて今にも焼け死にそうになっている子どもたち。


 竜は子どもらをたすけようとしているのか?

 無理だ。竜がどれほど強くとも血気はやる悪魔の攻勢は上をゆく。


 同胞の臓物をふみつぶされて、肉片をけちらされながらも悪魔は執念で竜にいどむ。


 魔法によって生まれる無数の炎球ファイアボールが竜に直撃して巨体を焼きつぶす。


 槍で武装した悪魔たちが竜の身体にとりついて金色の眼へと槍先をつきたてた。

 柔らかいものがつぶれる音がして眼球の破片がとびちっていく。


 悪魔はおおよろこびだ。

 みにくい。暴力に酔う悪魔は本当にみにくい。


 私は今、悪魔と竜のどちらを殺すべきなのか?


「ドラゴンハントだ! 飛竜を狩るみたいにおまえの臓物をひきずりだしてやるぞ!」


「邪魔だ」


 息まく悪魔を大きな片手でにぎりつぶして邪竜はなおも前進する。


 我が身をつらぬかれる痛みを最初から感じていないように竜はふるまった。

 破滅的な戦いに魅入られる私は自らの問いに答えを出せずに立ち尽くした。


 悪魔は殺すべきだ。

 しかし彼は……フィフスくんだった竜は……


「見開け、金色の百眼」


 竜の百眼が歪にうごめいて――目がくらむような閃光を発した。


 輝き、悪意ある外敵にむけて照射されたプリズム色の光線レーザー


 光がやんだ時に、竜に取りついていた悪魔は身体のほとんどを欠損させて命を失っていた。それがたった数個の竜の眼をつぶした代償だ。


 割にあう話であるはずがない。

 悪辣に息まいていた悪魔の誰もが黙らされた。


 フィフスくんだった竜は笑うことをしない。

 その時に、ひときわ大きな巨体の悪魔が進みでた。


 手にするのは2メートル近い刃渡りの大剣。

 石柱みたいな大剣をあつかう悪魔の大きさは竜の巨体にも匹敵する。


 大きさににあわない素早いうごきで、悪魔が大剣をふりかざす。


「お、お、おもしろいじゃないかあ。ドラゴンスレイヤーになるのは、お、お、俺だあ!」


 さすがの竜もあたれば致命傷はまぬがれない。


 血と臓物でよごれた大地をけって竜が横っとびで避けた。

 素早い悪魔をさらにツーランクは上回る俊敏しゅんびん


 しなやかな野獣を思わせる動き、持って生まれたフィジカルが違う。


 軽々とかわされ、置き去りにされた悪魔が見苦しく吠えている。

 巨体の悪魔は大剣を構えなおすが、後の祭りだ。


 すでに竜の眼は、悪魔をにらんで照準している。


「に、に、逃げるなあ! お、お、俺としょ、しょ、勝負しどお!」


「つらぬけ、金色の邪眼」


「うあらおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああ!」


 突撃する悪魔の怒号はそのままが断末魔に終わった。


 プリズム色の閃光が直線的にほとばしって悪魔の全身をつつみこむ。

 次の瞬間にはもう悪魔の姿はこの世にはなく、存在の形跡さえ残さずに蒸発していた。


 無駄だ。数でかこんでも、個の力でいどんでも決してかなわない。

 この場にいあわせた誰の目にもあきらかな事実だ。


 むごたらしい亡骸の数々に尻込みする悪魔にとっても。

 何もできずに立ちすくむ私にとっても……


「は、話が違うじゃねえか」


「逃げろ! 撤退だ! 俺たちでは、かなわない!」


 仲間の死体をのこして敗走をはじめる悪魔たち。


 燃える村には私と竜だけがのこされた。

 竜は逃げる悪魔を追わず、家屋へと近づいていく。


 熱気で苦しむ子どもらを見やり、大きな手でひとりひとり器用にすくい上げて建物の外に、助け出す。


 喰い殺す方がにあっているように思うのは、私の心がよごれているからだろう。

 悪魔さえにげだす魔貌まぼうの竜が子どもたちを助けるすがたには、ある種の滑稽こっけいさがあった。


 ぐったりする子どもらは生きているのか死んでいるのかもさだかではない。

 竜は満足そうに「ぐるる」と獣じみた音でのどをならした。


 私はすべてを見ていた。

 嵐が通りすぎるのを待っていただけだ。


「ハンドレッドアイズ……」


 最初に聞こえた竜の名乗りが口から自然とこぼれた。

 私は色濃い畏怖と恐怖でひどい顔をしていたように思う。


 おびえていたのか。それとも……


「ハンドレッドアイズ・イミテイト・ドラゴン」


 勇者として殺すべき者をにらんでいたのかもしれない。


 じぶんながら気の触れた話だと思う。

 私は竜と対決して剣をかまえつづけた。


 フィフスくんだった竜は何も言わなかった。


 彼は思い出したみたいに自分の両手を持ち上げてじっと見ていた。

 人間ではない竜の手を?


 バカげている。おまえは人間ではない魔物だろうに。

 人の心なんて持ち合わせているはずがない。


 なのに、私はどうしてか竜に言葉を伝えていた。

 無意識のうちに出た発言だ。


「答えなさい。竜よ。返答によって、私はあなたを殺さなければなりません」


 勇者の血は狂ったように竜との対決をのぞんでいる。

 私は私自身の意思でその狂気をおさえこむ。


 人間は悪魔とはちがう。

 この竜は邪悪な悪魔竜とは違うのだと、心のどこかで思えたからだ。

 血にまみれた自分の両手を見つめる竜の眼に、ガラス細工の“心”を見たからだ。


 考えが矛盾しているのはわかっている。

 しかし私の感じた“心”が悪心でないならば……


「あなたは人間ですか? それともそうではないのですか?」


 竜は一度だけ子どもらを見た。


 竜はいびつな百眼をとじて私に背をむけた。

 フィフスくんは何も答えてくれない。

 大きな背中は、行き場を失くした孤児のように弱々しかった。


 どこへ行くのだろうか? 彼は村を出て野山へとむかっていく。

 身を隠すつもりなのだろう。哀れな話だ。私は剣を下げた。


 問わずとも私にはわかっていた。彼は人間ではない。

 さりとて竜でもないのかもしれない。


 もっと別の……おとぎ話の住民なのかもしれない。

 バカげた話だ。私は妄想を払って、かぶりをふる。


「フィフスくん」


 村に死屍累々ししるいるいを生み出した存在は、現実にちがいない。

 私はひとまず子どもらを助けることに決めた。


 うなされる子どもらは私を見て感謝を伝えてくれる。


「ありがとう。お姉ちゃん」


 この日に私は村を救った勇者様になった。


 竜が守った愛しい子どもたちの勇者様に。

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