138 強まる圧政②

 すれ違い様、口角をつり上げた女帝の笑みに、ジェーンはすべてを察する。

 急な勤務時間変更も、それをジェーンに知らせなかったのもわざとだ。だいたい、トイレ掃除と雑用しかさせないくせに、たった十分だけ早く出勤させてなんの意味があるというのか。


「ジェーン……!」

「クリスは私のサポートに入りな! レイジはノーマンと溜まった依頼書を消化するんだよ。連日の雨で雨具の創造や撥水はっすい加工の依頼が大量にきてただろ!」


 気遣わしげな表情で立ち上がったクリスの腕を、アナベラはすかさず掴み引き止める。そして抜け目なくレイジとノーマンに指示を飛ばしながら、扉を乱暴に開け放った。


「ほら、さっさとしな!」

「は、はいっ。すみません……!」


 びくびくと震えながら依頼書を掻き集め、扉に向かうノーマンにつづき、レイジも席を立つ。彼はなにか言いたげにジェーンを見たが、そのわずかな仕草もアナベラに呼び咎められた。

 小さくこぼれた舌打ちがレイジの精一杯の反抗だった。

 扉が閉まる間際まで、クリスはジェーンから視線を外さなかった。デザイン案が描かれたスケッチブックを、取りに戻ることも許されない。

 それが整備士たちの現状だ。


「ジャスパー部長は壊せって言ってたけれど……」


 変更された勤務表を拾うついでに、ジェーンは夜勤のニコライの机に額をあてて項垂れる。

 長年飼い殺されてきた犬たちは、戦い方を知らない。それは、記憶を失ってよちよち歩きの子犬も同じだ。




「あのクソババアが」


 午後になってジェーンのボルテージはますます上がっていた。

 レイジの口調をまねて通路を闊歩かっぽする彼女の足元からは、その心情を表すかのように塩化ビニル樹脂の床材が棘となって立つ。従業員におそるおそる声をかけられて気づき、修復作業で余計にイライラした。

 アナベラはまたジェーンをひとり置き去りにしたのだ。クリスとレイジに名指しで用事を言いつける様は、ジェーンから引き離したい魂胆が見え見えだ。

 では、なにをすればいいか尋ねると「知らない。自分で探せ」とくる。いっそサボって、仕返しの嫌がらせでも考えてやろうか。

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