第44話 歓天喜地
開け放たれた城の扉の前に、三人は立っていた。目の前に横たわる巨大な氷塊を前に、どうここを抜けようか思案していたギルだったが、ふと自分の体の変化に気付く。両足に違和感を感じて急いでブーツを脱ぐと、そこには鋭い爪の生えそろった鳥の足があった。
「お前、さっき回復をしてまた変身魔法の魔力が弱まったろ。残り少ない魔力が、さらに侵食されちまったわけだ」
それに気づいたマーヴィがため息をついて声をかける。
「いいのかよ。お前、その友人とやらともう言葉を交わせなくなるかもしれねえぞ」
そうだ。気づいてなかったわけではない。むしろ、心のどこかで覚悟をしていたことだ。ゆっくりと目を閉じ、鳥の足で床に爪を立てる。
「構わないよ。今はそれよりも大事なことがある」
そう言い切ると、一度言葉を区切って前を見据えた。
「でも……。そうだな。もしできることなら……」
悲し気に言いながら、二人の方に笑いかけた。
「"今度はもっと自分を大事にしろって"言いたいかな」
それだけ言い残して一度俯いてから、ギルはゆっくりと歩き出した。
「その言葉、ボクが預かるよ!」
後ろから、グラーノが叫ぶ。彼の言葉にギルは一度立ち止まったが、やがて振り返ることなく進み続けた。だがその顔は先ほどの悲し気な物とは違い、どこか穏やかなものであった。
マーヴィがギルのことを氷塊の上まで投げ飛ばし、グラーノはその横を氷塊のわずかな窪みを利用して身軽に上がっていった。氷塊を超えて階段の手前についた二人の後に遅れて、マーヴィも飛び降りてくる。
「まって!」
階段を上がろうとする二人に、グラーノが声をかけた。振り向くと、グラーノは地面にしゃがんで何かを拾い上げていた。
「どうしてここに……」
グラーノの手には、“Dear brandon”と刻まれたサーベルが握られていた。このサーベルは確か、あの黒い翼の男に向けて投げたはずだ。そして正確に、男の腹を貫いていた。にもかかわらずこのサーベルは血の一滴もついておらず、そして最初からここにありましたと言わんばかりに階段の前に落ちていた。
「グラーノ」
そうギルに声をかけられ、グラーノはハッとする。ここで考えていても仕方がない。今はタイムリミットがあるのだ。急がなければ。
グラーノが頷くのを見ると同時に、三人はギルを先頭にして走り出した。
ラプターの足は、地面を走るようにはできていない。肉食の彼らの足は、他の鳥類に比べると強靭だが、それは獲物を掴む時だけの話である。ギルは何度も足をもつれさせながら、階段を駆け上がっていった。それでも、後ろに付き従う二人は彼の歩調に合わせて走っていた。完全にラプターの姿に戻って飛ぶことができれば、どれほど楽か。だが残念ながら、この城は広いと言っても大型の鳥類が飛び回れるほど広くはなかった。
階段を上がり、二階へ着くとギルはいくつも並んでいる部屋のドアには目もくれず、階層の最も奥にある重い石扉へ向かった。軋む石扉を押し開けると、そこには永遠に続く螺旋階段が現れた。
上に伸びる螺旋階段は、この城の上部にある塔の最上階につながっている。すでにギルは息切れを起こし始めているが、そんな自分の体に鞭を打って螺旋階段を駆け上がり始めた。
階段を上がる間、ギルの息の音と三人の足音だけがそこらに響くだけであった。永遠とも思える階段を、ひたすらに上がり続ける。体力のないギルは途中何度も立ち止まりそうになるが、そのたびに後ろからマーヴィやグラーノがその体を押し上げる。そうしてギル自身も何度も自分の足を奮い立たせ、また上がり始めるのだ。
階段を上がり続けること十分ほど。三人の前に、先ほどよりも大きな石の扉が見えてきた。そろそろ、時間的にマーヴィの限界も近いだろう。ギルは、迷うことなく重い扉を押し開けた。
扉の先には、先ほどのエントランスの半分ほどの空間が広がっていた。そしてその中央に、大きな黒い塊がうずくまっている。黒い塊は、身じろぎも出ずにただ横たわっていた。まるで何かに耐えるように。周りを漂う黒い粉塵が、その塊からあふれ出ていることは明白であった。初めて見た魔王の禍々しい姿に、マーヴィとグラーノは顔をしかめた。唯一ギルだけが、その塊に駆け寄る。
「ジヤ! 俺、見つけたよ。君を助ける方法。ずっと、苦しい思いさせてごめん」
そう言いながら、ギルが塊に触れようとした瞬間
ギルのその手を”誰か”が掴んだ。見るとギルと魔王の間に、長い赤髪の男が音もなく立っていた。背広姿のその男は、顔をしかめながら、空いた方の手で首元のクラバットを緩めている。
「ギルさん、困りますよ。勝手なことをされては」
「……アバドーン」
一番会いたくない奴にあってしまった。イヤ、ここに来て彼に会わない方が不思議だろう。
「彼を助けるなんてそんなことをしたら、私の“夢”が叶わなくなってしまうじゃないですか」
そう不敵に笑うと悪魔はギルのことを突き飛ばし、自らも後ろに飛んだ。突き飛ばされたさきでギルは背中を強く打ち、力なくその場に倒れ込んだ。遅れて、先ほどまで悪魔がいたところの床にグラーノのサーベルが振り下ろされる。悪魔は軽々と宙を舞うようにして、近くの地面に降り立った。だがすぐにまた飛び上がる。今度は、マーヴィの拳が彼のいた床に突き刺さっていた。身を翻した悪魔に、またグラーノが切りかかる。グラーノの攻撃をよければ次はマーヴィと、二人の猛攻が始まった。
「やれやれ」
しばらく悪魔は彼らの攻撃をかわしていたが、やがてため息をついた。そして、二人の攻撃のわずかな合間に、右手を筒の形にして自らの口に押し当てる。
「ふー」
悪魔がそう息を吐くと、右手の筒を通して炎が噴き出た。その炎は、マーヴィとグラーノめがけて容赦なく吹きかけられる。咄嗟に避けようと二人は身を翻すが、予想だにしなかった攻撃に逃げ遅れる。炎はマーヴィの右腕、そしてグラーノの顔と右耳についたイヤーカフを焼いて消えていった。痛みに顔をしかめながらも、マーヴィはすぐに体制を立て直す。その体はわなわなと震えていた。おそらく、呼吸も限界が近いのだろう。マーヴィは酸欠に眩む足を無理やり立たせて、右足で悪魔に蹴りかかる。
悪魔はまた身軽にその攻撃を避けるが、マーヴィは追撃に今度は左足で蹴りかかった。追い込まれたマーヴィの攻撃は、理性を失ったモンスターのように次々と繰り出される。避けるか防御の姿勢をとるだけだった悪魔が、不意に地面に手をついた。この部屋は全体が石造りでできている。マーヴィの足元から、既視感のある石の槍が飛び出てきた。数本の槍は、マーヴィの体を貫く。そのうちの一本は、狙ったように、マーヴィの胸元にあるペンダントを貫いていた。
「あなた達を生かす理由もないのでね。さようなら」
そう呟くと、石畳に魔力を込めた。すると石の槍はさらに複雑に曲がり、マーヴィの体を裂いていく。思わずマーヴィは呻き声をあげた。だが、その目はまっすぐに悪魔を睨み続けていた。
「さよなら……すんのは……。てめ……のほう……だ」
そう途切れ途切れに呟く。
「うわああああああ」
叫び声に悪魔が見上げると、先ほどまで顔を焼かれて倒れていたグラーノが目の前に飛び込んできた。避けようと体を傾けるが、グラーノの早さについて行くことはできなかった。
空中に、切られた悪魔の右腕が飛び上がる。グラーノは攻撃の手を休めることなく胴体を切りつけ、倒れ込んだ悪魔の首にサーベルを突き刺して床に縫い留める。それでも悪魔は絶命することなく、残った左手を動かして魔法を使おうとした。それを目ざとく見つけたマーヴィが、力づくで自分を床に縫い留める石の槍を折り取って駆け寄った。自分の体に刺さった槍を抜き、悪魔の体に叩きつける。マーヴィの一撃で、悪魔の左手は簡単に潰れてしまった。
「今だ!」
まだ何かあるのかと、悪魔は視線をさ迷わせながらどの魔法で対処すべきか考えた。考え付いた方法で、魔法を使い始める。
「「ギル!」」
二人の掛け声は、悪魔に対する追撃のためにかけられた言葉ではなかった。悪魔の選んだ氷の魔法は外れを引き、マーヴィとグラーノを凍り付かせる。
悪魔が顔をあげたその時には、もうすでにギルは魔王の目の前に立ちはだかっていた。
「――!」
喉を貫かれ、声の出ない悪魔はそれでもなにか叫ぼうとした。それを意にも返さず、ギルは魔王に左手を伸ばす。ギルの指先がふれた。
次の瞬間
部屋中に埋め尽くされた黒い粉塵がぐるぐると渦巻き始めた。やがてその黒い渦は魔王とギルの二人を取り囲み、その姿を隠してしまう。外からは黒い巨大な渦の中に点々とした白い粉のようなものが混ざり、徐々に灰色へ変色していっていることだけがわかる。その様子を、氷ごしにマーヴィとグラーノは見ていた。薄れゆく意識の中で、二人は視線だけを合わせて笑い合った。
痛い
熱い
苦しい
色んな悲しい声が聞こえる。この悲しいエネルギーの、元の持ち主の物だろうか。俺は、それを何千何万と聞き続けていた。狂ってしまえればどれほどよかっただろう。
でも、それは許されなかった。時々苦し気な声の間から、懐かしい声も聞こえるのだ。
「ジヤ、ごめん。ごめんね」
「大丈夫、俺はずっとそばにいるよ」
「ジヤ、今日天竜の冒険家が城に来たよ。その冒険家が言うには北に少し行ったところの山に、不死殺しの剣って言うのが封印されているんだって……。俺、その冒険家と一緒に行ってみるよ」
「大丈夫。君を一人になんてしないよ。俺も、すぐに後を追うから」
「ごめん……ごめん……。ごめんなさい」
「俺の我儘でまた余計に苦しめてしまう。だからせめて、一緒に眠ろう」
「……アバドーン……お願い」
そこから先の記憶がない。確かなのは、俺はそこから長く眠っていたことだけ。眠っている間は、不思議と苦しみを感じなかった。代わりに、昔の夢をたくさん見た。とても、幸せな時間だった。
だがそれもやがて終わりを告げた。眠りから覚めると、また地獄が始まった。今度は、懐かしい声は聞こえてこなかった。ああ、そばに彼はいないのだな。そう思うととてつもなく寂しくなった。
そんな孤独の中、自分の中のなにかが日に日に消えていくのを感じながら、ただ毎日を消費していた。
「ジヤ」
唐突に懐かしい声が聞こえる。同時に暗闇しか見えていなかった俺の視界に、白いものが映りこんだ。久々に見る、友の姿。
友は人間の姿をしていたが、その首元には羽毛が生えそろっていた。彼は俺の頬に左手を添えて微笑みかける。
嬉しかった。永遠とも思えるような地獄の中で、また友に出会えたことが。この上なくうれしかった。
「 」
彼は何かを言おうとするが、周りを蠢く粉塵の音で明瞭に聞き取ることができない。続けてまた何かを言おうと開いた彼の口は、すぐに羽毛に包まれ、そこから硬いくちばしに変わっていった。周りの粉塵は、黒を消して一気に白の割合が多くなる。同時に、視界がホワイトアウトした。ジヤの意識は、徐々に白の世界に吸い込まれていった。
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