第43話 仲間

「……マーヴィ?」



 そう不安げにつぶやいた言葉が、広い空間の中に消えていく。フラフラと血を流しながら立つマーヴィは、虚な目でトロールの方を見つめていた。



 そこにはただ静寂だけが流れていた。



 「可哀そうになあ」



 静かな空間に、トロールの声だけが響く。



 「今、楽にしてやるよ」



 そう呟くと同時に、もう一度手をあげる。それを合図に地面から鋭く尖った岩が無数に飛び出し、ギルを通り越してマーヴィに突き刺さろうとする。マーヴィはそれを見ると相変わらずボーっとした顔のまま、自分が吹き飛ばされた先にあった強大な銅像を台座から折り取った。歴代のいずれかの王を模したであろうその立派な銅像は、トロールからの岩の槍を受けて無惨に欠けてしまう。首の部分が落ちて地面にゴロゴロと転がっていった。彼はそのまま、首のない銅像をトロールに投げつけた。トロールは咄嗟に岩石の盾を作り出すが、投げられたもの自体の重さとマーヴィの怪力が合わさって凶悪な威力になっていたようだ。薄い岩石の盾はあっさりと真っ二つに割れてしまった。数百キロにも及ぶであろうものに潰され、トロールは地面に倒れ込む。地響きのような音があたり一帯に響き渡り、エントランスの天井に反響して消えていった。



 「痛ってえな」



 胴体だけの銅像から、地を這うような低い声が聞こえてきた。トロールが片手で銅像を起こし、その下から這い出てくる。彼の鼻からはダラダラと緑色の液体が流れ出ていた。顔を拭いながら、マーヴィを睨みつける。マーヴィのほうも左肩と右腹からダラダラと血を流していたが、その表情は相も変わらない。


 このままここで遠距離攻撃をしていても倒せないと判断したトロールは、地面を蹴ってマーヴィの元へ飛び込んでいく。体のどこかが地面に触れていなければ、彼の岩石の魔法は使えない。だが、その気になればいくらでも城の床を叩き割ることはできる。ならば、奴の気を引きながらより近くで魔法を使えるように工夫すればいいのだ。


 大きな足音と地響きを鳴らせながら、マーヴィの元へ飛び込んだトロールはその頭めがけて棍棒を振り下ろした。その様子を見ても、マーヴィは相も変わらず虚空を見つめたままで動こうとはしなかった。



 「マーヴィ!」



 化け物たちの猛攻に動けなくなっていたグラーノが咄嗟に飛び込もうとするが、彼のサーベルはまたしても黒い翼の男によって止められた。



 「お前の相手はこっちだといっただろう」



 槍の刃部分に自分の右手の甲を当て、グラーノのサーベルを受け止めている。二つの鋼がこすれ合い、火花があたりに散った。



 「どいて!」


 


 そう声をあげながら、小さな体にさらに力を籠める。相手は小柄と言っても子供のグラーノに比べるとかなり大きい。それでも腕力で拮抗できているのは、彼が曲がりなりにもドラゴンだからだろうか。押し返すこともできず、黒い羽根の男はただ顔をしかめた。



 と、同時に男の背後から重いものがぶつかり合う鈍い音が聞こえてきた。



 両腕を自らの額の前で交差させたマーヴィが、トロールの棍棒を受け止めていた。



 そして棍棒を防いだまま体ごと右に受け流し、空いた左腕でトロールの右腕を掴む。そのまま力ずくで体を自分の方へ引き寄せると、右膝でトロールの鳩尾を思い切り蹴り上げた。体制を崩し、前のめりになるトロールの後頭部に、次は組み合わせた両手を叩きこむ。そのまま追撃とばかりに自分の体の使える部位をすべて使って、トロールのことを容赦なくボコボコにし始めた。



 その様子を、ギルは茫然と見つめていた。



 「マーヴィ……」



 こんなつもりではなかったのに。どうすればいいのだろう。粉塵にマーヴィが感染したのだとすれば、もう手遅れだ。先ほどの氷柱から、マーヴィは一切魔法を使っていない。自分の意思で魔法を使えないということは、彼の魔法を作り出す器官が壊れてしまっているということだ。その状態になった者を救うには方法は一つしかない……。


 ここに至るまでの記憶をたどる。自然と、あの獣医のことが思い出された。できるだろうか、自分に。あれほどの力を持つマーヴィを押さえつけて、尚且つ腹から臓器を取り出すなんて。


 次から次に、そのための手段を思いついては現実的ではないと自ら消していく。そんなことを幾度か繰り返した後で、別の方向からグラーノの雄たけびが聞こえてきた。



 グラーノは、自分の体よりも大きな男の槍を弾き飛ばしていた。すかさず周りを囲んでいた他の翼の男たちがかばおうと前に躍り出るが、グラーノのスピードについて行くことはできなかった。彼のサーベルが、小柄な男の胸元を捉える。あたりには鮮血と、黒い羽根が飛び散った。小柄な男が地面に倒れ伏すと同時に、加勢に入った男の槍がグラーノの体に突き刺さる。



 それを見たギルは無意識に飛び出した。そうだ。魔法生物はマーヴィだけではない。とにかく今はこれ以上被害を拡大させないようにしないと。走りながら、剣の鞘を払う。かろうじて人の手の形をしている左手で、柄の部分を強く握りしめた。


 ギルの足音に気付いた翼の男たちが振り返り、グラーノの体に刺した槍を引き抜こうとする。


 しかし、それは叶わなかった。男の一人が早々に倒れ伏す。


 


 「ボクの相手は君たちじゃなかったの?」



 グラーノが素早くサーベルを投げて男の腹に突き刺したのだ。残った二人の槍をそれぞれ片手で掴み、引き抜けないように抑えている。



 「ギル! 今だよ!」



 その声を合図に、ギルはさらに左手に力を込めた。



 彼の剣が男たちに届こうとしたその時、とてつもない轟音と共に何かがこちらに飛び込んできた。その何かはいい塩梅にギルとグラーノを除け、その間にいる四人の黒い翼の男たちだけを巻き込んで吹き飛んでいった。



 みると、先ほどまでマーヴィにタコ殴りにされていたトロールであった。顔中が、原型がわからないほどに膨れあがっている。腫れあがった顔から覗く視線の先には、血を流しながらフラフラと立っているマーヴィがいた。



 吹き飛ばされたトロールは呻き声をあげながらも、何とか体を起こす。自らの巨体の下敷きになった部下たちを一瞥すると、天井に向かって吠えた。そして、右手に持った棍棒で思い切り床を叩き割る。使う魔法の種類では氷より硬い岩石を操るトロールに軍配が上がる。しかし、肉弾戦においては殺すための訓練を受けているマーヴィの方が遥かに上だ。遠距離でも中距離でもいい。とにかく魔法を使わなければ、トロールに勝ち目はないのだ。そう確信したように地面に手をつき、前を睨みつけたまま魔法をかけ始めた。



 岩盤が……。浮き上がってこない。それどころか、地面についた右手がどういうわけかひんやりと冷たい。恐る恐る視線を下げたトロールは目を見開いた。 



 トロール達の足元には、地面と彼の間を遮るように氷の膜が張り巡らされていた。その氷の膜を伝って、地面から次々に鋭く尖った氷が飛び出す。なんとか避けようとトロールは身を翻すが、手負いの巨体では素早く動くことはできない。氷の棘が、トロールの右足につき刺さった。さらに無数の棘が追撃を行うが、今度は彼の振り回す棍棒にあっさり砕かれてしまった。トロールは一つ雄叫びをあげ、今度はその棍棒で地面を覆う氷を叩き破ると、地面に触れて再び岩盤を隆起させようと魔法をかけ始める。だが、それは叶わなかった。割られた氷が瞬時に戻り、トロールの腕を凍り付かせ始めたのだ。


 叫び、力づくで氷を引き剥がそうと腕を引く。そのトロールの頭上に、大きなものが影を落とした。



 見上げると、今まで見たこともないほどの巨大な氷塊。城のエントランスを覆い尽くさんばかりのその氷塊が、彼を押し潰そうと狙いを定めているのは明白であった。



 「っ!?」



 氷塊は、術者の指示通りにトロールの頭上に落ちていく。同時に、ギルとグラーノの体は何者かの強い力によって城の外へと引き摺り出された。後ろからはトロールの野太い咆哮が聞こえていた。




 城の入り口に取り付けられた階段を、重い音をあげながら転がり落ちた二人は、各々頭を押さえる。痛みに顔をしかめながらゆっくりと顔を上げると、そこには片手を地面についてうずくまるマーヴィがいた。彼は苦しそうに荒く呼吸を繰り返している。



 「ちっ。血を流しすぎたな」



 ふらつく足を地面にしっかりつきなおし、マーヴィは顔を上げる。その目には以前のように鋭さが戻っていた。



 「マーヴィ、どうして……?」



 「説明は後だ。早くそのチビ治してやれ」



 その言葉を聞き、ギルはハッと我に返った。すぐに自分の傍らにいるグラーノに近づき、回復魔法をかけ始める。刺さっていた槍は深いところまで達していなかったのか、先ほど黒い翼の男たちがトロールと一緒に吹き飛ばされたときに抜けてしまったようだ。グラーノはしばらく痛みで呻いていたが、ギルの魔法が効くとともに落ち着いていった。それを見てギルは一息つくと、次はマーヴィの方へ歩み寄った。



 「オレたち逆又族は、肺を持ちながら海で暮らす生物だ」


 


 ギルの回復魔法を受けながら、マーヴィはゆっくりと話し出す。彼の傷はかなり深いものだった。特に右腹の傷は、内臓がえぐれてしまっている。完全に元に戻すのは無理だとギルはすぐに悟った。穴を無理やり塞げば、内臓が元よりも少し小さいサイズになってしまう。それでもあの氷に潰されたエントランスから、彼の一部がついた石弾を探すのが現実的ではない以上、今は無理にでも塞ぐしかない。



 「普段は潜水しながら生活している。水面には息継ぎに何度か出ていくくらいだ。長時間の潜水は軍に入るときも厳しく訓練される科目だしな。さすがに人間の姿では限界があるが……まあせいぜい十数分ってところだな」



 それでも、マーヴィは変わらず話し続ける。きっと、彼も承知の上で戦っていたのだろう。



 「早い話がずっと息を止めてたってこと?」



 「そうだ」



 魔法に集中するギルに変わって、グラーノが質問をする。そういえば、この男は湯舟の中に沈んで昼寝をしていたこともあったか。なるほど。粉塵を吸いこんで感染するなら、息をしなければいいということらしい。



 「それにしても、あれだけの量の氷をどうしたの?」



 右腹の傷を塞ぎ終わったギルが、今度は彼の左肩に手をかけながら尋ねる。



 「この城の背面は断崖絶壁の海なんだろう。あいつも都合のいい勘違いをしてくれていたからな。利用させてもらった」



 マーヴィが言うには、トロールの魔法を見た瞬間から少しずつ、細い氷の管を地面づたいに海の方へ伸ばしていたようだ。一度に出せる氷の量には限界がある。だからこそ、あまりその場から動かず力技だけでトロールの相手をしていたらしい。そして氷の管が海の水に触れた瞬間、勢いよく吸い上げ、その水を利用してエントランス部分の地面を凍り付かせた。そしてさらには海の水を利用してあの氷塊をも作り出したのだという。



 左肩の傷を塞ぎ終わり、安堵の表情を浮かべるギルにマーヴィは向き直る。



 「ほとんどお荷物状態だったお前をここまで連れてきたんだ。そんな俺たちがお前には脆弱にみえていたのかよ」



 少し責めるように言われたギルは目を丸くする。



 「そうだ!」



 何か思いついたように声をあげたグラーノは、珍しくギルではなくマーヴィの側について言葉を続けた。



 「ボク達天竜族も、空気の薄い上空に住んでるから少しの空気で動けるんだ。ボクは魔力も弱いし、粉塵の影響も受けにくい。だから、大丈夫だよ!!」



 そこまで一気にいうと、グラーノは羽毛の生えそろったギルの左手をとった。



 「せっかくここまで来たのに、一人で行こうとしないでよ」



 それを聞いたギルは、最初こそ目を見開いたまま固まっていたが、やがてゆっくりと目を瞑った。



 俺はどうやら意図せず、ここに連れてくるのに最適な存在を味方につけていたらしい。彼らの能力はもちろんのことだが……。こんなにも……こんなにも…………



 …………そう、嬉しいのだから



 「うん……ごめん」



 ゆっくりと目を開ける。その目はどこか、潤んでいるようにも見えた。



 「ありがとう」



 そして二人の目を交互に見て呟いた。ギルからの言葉を受け取り、グラーノは満面の笑みでギルに抱き着いた。後ろでマーヴィも照れ臭そうに目を瞑っている。



 「残念な知らせもあるぜ」



 グラーノの頭を撫でるギルを見て、マーヴィが言葉を発しながら立ち上がった。



 「さっきのでほとんど魔力を使い果たしちまった。同じ方法を使うのはもう無理だな」



 そして城の方へ歩きながら、言葉を続ける。それに続くように、ギルとグラーノも立ち上がった。



 「俺が息を止められる時間も有限だ」



 そこまで言うと、振り返ってマーヴィはニヤリと笑った。



 「だから、“短期決戦”だ」



 その言葉を受け取り、ギルは深く頷く。もう一度城の扉を押し開けると、マーヴィの落とした氷塊が目の前に鎮座していた。その氷塊を越えなければ、上に続く階段にはたどり着けない。氷塊を見上げたまま、ギルは強く言った。



 「行こう」



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