第39話 仲間

 「しかし研究を続けるとなると、相当なイバラの道を歩くことになるねえ」



 シェリーマンはそう自虐的に言って笑った。言葉とは裏腹に、その表情はどこか嬉しそうである。



 「何か心配事が?」



 その傍らではギルが手に毛布を抱え、不思議そうな顔でシェリーマンを見ていた。



 「ああ、実は研究費のことでね」



 四人分の毛布を敷き詰めたうえで胡坐をかいて座ると、彼は自分の髭を撫でながら困ったという風に眉を下げた。  



 「今までは物好きな商人が研究を支援してくれていたんだけれどもね。最近、国の関係者がそっちの方にも釘を刺しに行ったようで……」



 他の三人も、毛布の上に座る。先ほどまで外で吹いていた冷たい風の音は、すでに聞こえないくらいになっていた。



 「そのくらいのことでなびく人ではないと思うが、これ以上迷惑はかけられない。研究を続けながら、町の方へも足を運んでみようと思うんだ。早速、明後日にでも出発するよ」



 「町に戻るの?」



 それまで静かに話を聞いていたグラーノが、目を輝かせながら声をあげた。



 「そうだよ」



 「じゃあ、じゃあ、少しで好いからサンド=グレイスって言う街に寄ってほしいんだけど……」



 グラーノがシェリーマンの顔色を伺うように覗き込む。シェリーマンはしばらく、何かを考えるように自分の髭を撫でていたが、やがて何か思い出したように目を見開いた。



 「サンド=グレイスか。確かあそこは砂漠のど真ん中じゃないか。かなり遠いし、行くには骨が折れるけど……どうしてかな?」



 「ボクの友達がいるの。ルイス」



 疑問を顔に浮かべていたシェリーマンは、この言葉で少し納得したようであった。



 「ああ、さっき言っていた考古学者になりたいって子か。その子に会ってほしいと?」



 「それもあるけれど……」



 グラーノは、そこまで言うと言葉を切った。言いたいことがあるのに、どう伝えていいかわからないとでもいうように視線をさ迷わせる。その視線は、隣で聞いていたギルの方を見て止まった。



 「もしかして、サマンサさんに助けてもらおうってこと?」



 ギルがその真意をくみ取り、言葉にして発したところ、グラーノはその通りとでも言うように何度も首を縦に振った。 



 「ルイスに勉強を教えているおばあさん。研究とか、大学のこととかすごく詳しいみたいだった。とても立派な家に住んでいたし、助けてくれる人を紹介してもらえるかも」



 そこまで言うとグラーノは丁寧に座り直し、ぺこりとシェリーマンに頭を下げた。


 


 「ごめんなさい。研究を続けろだなんて無責任なこと言っておいて。ボクはすべてが終わったら故郷に帰るつもりだし、国からお金を貰えるなら全部あげるよ。でも、今はこのくらいしか助けられないんだ」



 そういうと、グラーノは腰につけていた花柄の巾着から菓子の包み紙を取り出した。その紙に、近くに転がっていたペンで文字を書くとシェリーマンの手に握らせる。


 


 「もし、どうにもならないってなったら行ってみて」



 渡された紙を見てみると、簡易な地図と“サマンサ”というたどたどしい字が書かれていた。



 「ああ、ありがとう。可能性は多いほうがいい。助かるよ」



 そのたどたどしい字に、シェリーマンは表情をやわらげる。



 「うん、気を付けてね」



 グラーノも笑うと、少し照れ臭そうに布団にもぐった。


 砂漠の町から取り寄せた、キャメールの毛の毛布は断熱性に優れており、とても暖かい。匂いを嗅いでみると、砂の感触や少年の声が頭の中を走馬灯のように駆け巡った。そのなつかしさに心地よさを感じながら、布の家の下でグラーノは静かな夢を見始めた。


 




 「ギル。俺のじいちゃんな、すっげー貧乏なんだ。でも、それでも、森に捨てられた俺を拾って育ててくれた。今も生活は苦しいけど、俺は拾ってもらえてよかったと思う。だってあそこで死んでたらさ、今あるたくさんの楽しいことはなかったんだもんな」



 ジヤはそんな風に自分の生い立ちを話していた。王都で周りの大人たちに、衣食住に関しては何不自由なく育てられきた自分とは大違いだった。



 「俺もじいちゃんみたいに、貧しくても誰かを助けられるような大人になりてーな」



 違うのは境遇だけではない。この少年は、どこまでもお人よしだった。人に対して一切の興味を持てない自分とは正反対だ。



 「そんなことして何になるのさ。一度助けたらまた蠅みたいに集って来るでしょ。面倒くさい」



 少し嫉妬もしていたのだと思う。こんなに真っすぐ育った彼に。無償の愛情を注いでくれる存在がいる彼に。だから時々、こんな風に自分の本心をさらけ出してみたのだ。そうすれば少しは嫌な顔をするのではないかと、そう思っていたのだ。



 「また頼らなくてもいいように助けてあげるのさ。助け方にも色々あるだろ。俺は無責任な助け方はしない」



 それでも、彼は俺を突き放さなかった。彼の目はどこまでも真っすぐなのだ。



 「机上の空論だね。町をよーく見てごらんよ。どこにいったって上と下がある。根本的な問題で助けられないやつってのはたくさんいるんだよ」



 どこまでも、ずっと前だけを見ているのだ。


 


 「一番は……みんながみんな自分よりも困っている人を助けられるような、そんな余裕があればいいんだけどね。びりがいなきゃ、首位は存在できないんだから」



 彼は俺の本心を見聞きしても、一つも顔をしかめなかった。誠実に、真っすぐであり続けたのだ。



 「そんな世の中になると思う?」



 だから俺はムキになって、彼の前では無防備に本心をさらし続けていた。



 「……少なくとも、俺は助けるよ。自分よりももっと困っている人を」



 “よい子”の仮面は、自分を守るための盾であった。利己的な父親や、自分のこの白い見た目に惹かれて寄って来る、薄汚い大人たちから。彼らは普段人のよさそうな顔をしているが、その実、心の奥に欲という名の化け物を飼っている。この化け物は、俺が“よい子”の仮面を取った瞬間に、きっとその正体を現すのだ。



 「意味もないことを……」


 


 俺は、彼らが化け物に成り果ててしまうことを何よりも恐れていた。



 「意味なくなんてないよ。良いことっていうのは自分に返ってくるんだ。たくさん喜んでもらえて、たくさん感謝してもらえて。そうして分けてもらった誰かの“喜び”は、どんな宝石よりも貴重な宝物だと思わないか?」



 だからこそ、唯一化け物を飼っていないこの少年のことだけは……彼のことだけは大切にしたいと、そう思ったのだ。





 緑青色の光の帯が、暗い夜空を照らしている。そういえば故郷の水面から顔を出すと、こんな景色が見られたなと遠い昔を懐かしみながら、マーヴィは柔らかい雪を踏みしめていった。


 少し歩くと、テントから十メートルほど離れたところに茶色いコートが座っているのが見えた。天気がいいからか、そのコートの人物はフードをかぶっていない。その青白い髪は、今にも周りの雪と同化して消えてしまいそうだった。



 「お前も、眠れないのか?」



 その背中に声をかけると、青白い髪が揺れ、ゆっくりとこちらを振り向いた。



 「……まあね」



 青白い髪の持ち主はそれだけを言うと、先ほどまでと同じように前へ向き直り、空をじっと見上げた。その一連の動作を見届けてから、マーヴィもその人物の横へと腰を下ろす。空に光る緑青色の帯は、ゆっくりと形を変えて揺らめいていた。



 「寝て、全部思い出したよ。故郷のこととか」



 横にマーヴィが座ってからしばらくして、青白い髪の持ち主……ギルはポツリと呟いた。



 「ああ。あの悪魔が、記憶を消したとか言っていたな」



 「うん。でも、あんまりためになる情報はないよ。そもそも、魔法をかけられたくらいで簡単に忘れちゃうようなことだし」



 ギルは、その手に短剣を握りしめていた。いつかの日のように、鞘に施された天使のレリーフを撫でながら。



 「どういうことだ?」



 マーヴィの言葉に鞘を撫でていた手を止め、空にあげていた目線を下におろす。西の遠くに見える城を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。



 「俺は、封印から目覚めた時点では大切な人との楽しかった記憶しかなかった。多分……忘れたくないっていう気持ちが強かったんだと思う。反対に両親のこととか故郷のことは、ほとんど忘れてしまっていた。忘れたかったことも、忘れてしまっていた。悪魔の魔法に対抗できるほどの強い意思とか、執着がなかったってことなんだよね」



 その言葉を聞いたマーヴィは憐れむような、訝しむような、そんななんとも言えない表情をしてギルを見た。



 「そうか……オレにはその気持ちはよくわからねえながな」



 そういえば、マーヴィは軍人だったか。故郷のために戦う彼にとっては、そういったものに執着がないという感覚は理解し難いのだろう。 



 「どいつもこいつも、自分のことしか考えていなかった。本当に、笑っちゃうほど滑稽だったよ」



 そのことを感じ取ったギルは少しだけ、話してみることにした。



 「でも……他人のことを考える連中もいたんだ。確かに」



 すでに一年近く旅をしている。ギルは魔王城を目の前にして、少し寂しさのようなものを感じ始めていた。



 「俺のことを、大切にしてくれる人たちがね。それがたまたま親とか、周りの大人とかではなかったってだけのことだよ」



 「そんなものなのか」



 「そうだよ」



 理解してもらえたかどうかは分からない。ただ、こうして話を聞いてくれる存在がいることが、素直に嬉しかった。



 「まあでも、戦争でかなりの魔法生物や人間が死んだことも事実だけどね。俺の種族なんて、絶滅しちゃったし。それを可哀そうと思うのは自由だよ」



 「……恨んでいるのか」



 ギルは短剣を手に持ったまま、後ろに両手をついて足を延ばした。


 


 「……別に。もともと、愛着のなかったものだし。だから、今更なんとも思わない。ただ……」



 言葉を切ったのを不思議に思い、マーヴィはギルの方を向く。ギルは、前を向いたまま視線をさ迷わせている。言うべきかどうか、迷っているのだろう。マーヴィは、彼の言葉を待った。



 「大事なものを奪ったことには、怒っているかな。争いをおこした奴らと……それから自分に」



 話してどうこうなるものではない。だが、ここまで一緒に来た仲間に、愚痴をこぼすくらいのことならきっと誰も責めはしない。


 ギルは一度目を瞑り、やがて言葉を一つ一つ選ぶように話し始めた。



 「俺、反乱軍が連れてきたドラゴンに右半身を食われたんだよね」



 後ろについていた手を前に戻し、短剣を見つめる。鞘の金色が、空の緑青色を反射して光っていた。



 「その半身を取り戻すために、何の力もない人間が悪魔に力を借りて魔王になった。力のある人魚は、俺を死なせないために禁断の魔法を使った。そして、苦しむ魔王と俺に手を差し伸べてくれたのが、一頭の天竜だった。……みんな、大切だったんだ。俺にとって」



 短剣の柄の所を握り、ゆっくりと引き抜く。その刃には、水の中を思わせる白い泡のような模様が点々とついていた。



 「この剣は……俺が生きることに飽きて、いずれ死にたいと思ったときのためにここにあるんだ。人魚のかけてくれた不死の魔法のおかげで、死ねないから」



 何度か刃の部分を回して見てから、ゆっくりと鞘にしまいなおした。



 「でも、まだ死ねない。俺は、助けてくれた彼らに報いるようなことを、まだ何一つしていない」



 「ああ……。そうだな」



 珍しく自分のことをよく話すギルに、マーヴィは静かに耳を傾けていたが、ここで初めて言葉を返した。



 「……それに、まだいるよな」



 「うん、まだいるんだ。一人だけ、俺がずっと大事にしていた人が」



 二人はずっと西の先を見ている。その城の中にいるはずの、人間を。



 「君たちのことを呼んだのは、単なる俺の我儘だよ」



 先に目線を外したのはギルだった。話を聞いてくれた礼ではないが、彼が疑問に持っていることをせめて話そうと思ったからだった。



 「千年前、俺とジヤを助けてくれたのが空の天竜と、海の人魚だったから。また助けてくれるんじゃないかって、そう思っただけなんだ」



 思った以上に、単純明快なものだった。陸の国の兵士ではなく、マーヴィやグラーノがここまでついてきた理由は。



 「オレは人魚じゃねえがな」



 「王都の人も困ったと思うよ」



 重苦しい雰囲気をなくすように、二人は冗談めかして笑った。一通り笑った二人は、空に浮かぶ緑青の帯をまた眺め始めた。



 「お前は……もし旅の道中で魔王を救う方法を見つけていたら……オレたちのことを置いて、その翼で飛んで行ったのか」



 空を眺めたまま、マーヴィが唐突に疑問を呟いた。



 「どうだろ。昔の俺ならそうしたかもしれないけれど……」



 ギルもまた、空を眺めながら言葉を返す。



 「きっと、それじゃあだめなんだと思う」



 「そうか」



 緑青色の帯は、だんだんと薄くなっていっている。それが完全に消え失せるまで、二人は空を眺め続けた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る