第37話 記憶

 「総統! 東に向かった第一空軍が壊滅したとの知らせが!」



 随分と騒がしい。ここしばらくずっとそうだ。



 「何!? ラプターたちはどうした」



 東側に取り付けられた窓の外を見ると、遠くに赤い火の手が上がっているのが見えた。



 「……空軍のラプターたちはほとんど撃ち落されたとのことです」



 ああ、死んだのか。あの嫌いで嫌いで仕方のなかった父親が。



 「残ったラプターたちを集めろ! ここが瀬戸際だ」



 まあ、どうでもいいや。あんな嘘つきのことなんて。



 「すまないが、もう君の身の安全は保障できない」



 今はそんなことよりも、気になることがある。



 「だが、君が望むなら逃げる準備を」



 彼のことだ。



 「俺にも、出撃させてください」



 彼を探さなければ。逃げるのは、それからでも十分だ。



 



 記憶が掘り起こされる。その雪だるまが話すたびに、脳みそがかき回されるようだった。目の前には白い雪と氷の大地が広がっているはずだ。それでも、脳が見せる映像はただひたすらに赤い赤い炎の色で……。



 「人間は絶滅しかけながらも、自分たちの技術と知恵だけはずっと語り継ごうとしました。人間は字を使いましたから、それを使ってたくさん情報を残したようです。そして何千年、何万年と経った頃、ようやく国を作れるほどに人口が回復しました」



 そこでまた、意識が記憶に乗っ取られていく。小さな雪だるまの声を聴きながら、俺はまたあの場所にいた。





 俺は、白い羽根を震わせた。顔には革のヘルメットをとりつけ、背中には人が乗るための鞍を背負っている。若い青年が俺のもとに歩み寄り、緊張した面持ちで話し始めた。 



 「いや、まさかあなたと一緒に組めるなんて。光栄です」



 パートナーも持たない新人パイロット。彼は引き攣った笑顔で、そんなつまらない挨拶をしていたか。俺は両足を折り、彼が乗れるように体をかがめてやった。青年は、戸惑うようにあたりを見渡す。周りにいるパイロットたちは、皆視線を逸らせていた。



 「鉄の鳥も用意しておけ!」



 後ろで総統の怒鳴り声を聞いたところで、背中に人の重みを感じた。こんな真っ白な姿は、敵からすれば格好の標的だろう。俺はともかく、この青年は本当についていない。



 「総統! あれを使うのですか? あれは……」



 まあ訓練も碌にしていない俺が乗せられるのは、大の大人一人と少しの荷物くらいか。どちらにせよ、彼を見つけたならばこの青年は置いて行かなければならない。



 「ここが瀬戸際だといったろう! いいから早くパイロットたちを呼べ」



 だから、同情したって仕方がないのだ。俺は、自分にとって大切なものを守る。ただ、それだけのことなのだから。





 「古代デザイヤ国が最初におこなったのは、氷河期を生き残った人間たちが残した情報を集め、統制することでした。氷の下に眠る石板や、特殊な処理を施された紙を数えきれないほど掘り起こしました。それは、設計図であったり説明書のようなものであったり、図鑑であったり。これを使って、デザイヤ国は大きく発展しました」



 悪魔の声に、また意識が氷の大地へと引き戻される。ギルは激しい頭痛を耐えながらも、足元に寄り添うように座っていた雪だるまを掴んだ。



 「……何を……しに来た。話はもう終わった。早く帰ってくれ、アバドーン」



 そう言うと雪だるまを鉄の鳥めがけて投げつける。硬い鉄に当たった雪だるまは簡単に砕け散り、ただの雪片へと成り果てた。



 「全く、酷いことをしますね。剣を向けたり、依り代を壊したり」



 しかし、それでも悪魔の声は途切れることがない。あたりを見渡してみると、今度はシェリーマンの足元に、先ほどと同じような大きさの雪だるまが座っていた。 



 「こんな危険なことをして調べなくても、私が教えて差し上げますよ。千年前に何があったか。……それとも、あなたもこのままクレバスに落ちた方が幸せですか?」



 悪魔の言葉を聞いたシェリーマンは目を見開いたまま固まってしまった。伸び放題の髭が、わなわなと震えている。その目には戦慄が走ったようで、雪だるまのことを怯えたような表情で見ていた。



 途端、シェリーマンの足元を、一つの閃光が走った。雪だるまが真っ二つに裂ける。



 「くっ! 手ごたえがない……!?」



 サーベルを振りかざしたグラーノが悔しそうな声をあげた。


 


 「グラ。それは依り代だから切っても意味がない! ……本体がいなくてよかったけど」



 「じゃあどうすれば……!?」 


 


 一帯の雪がひとりでに集まり、またその体を作り出していった。頭を抱えたままのギルの前に、同じ雪だるまが姿を現す。


 


 「全く。あなたがあまりにも可哀そうだから記憶を曇らせて差し上げたのに。まさか、曖昧な記憶がかえって悪影響を及ぼすとは思いませんでした。でも、まあ今回ので思い出せるでしょう。……どうしてジヤヴォールがああなってしまったのか」



 雪だるまには顔がなかった。それでもこれを介して話す人物が、“笑っている”ことは容易に想像がついた。ギルが何か言いたげに雪だるまに手を伸ばすと、今度は掴んだだけで簡単にバラバラと崩れてしまった。


 


 氷の大地には、もう悪魔の気配はどこにもない。全員が武器を下ろし、肩の力を抜いたところで、ギルが雪の上に倒れ込んだ。朦朧とした意識は、また白い空間から赤い空間へと転換していく。はるか遠くに、仲間たちの声が聞こえたような気がした。





 胸倉を掴まれた。



 「どうして、あの青年を見殺しにした! その魔法があるのに」



 キリキリと首が締め上げられていく。目の前で怒りに満ちた顔をする友人を見て、俺はただ首をかしげるばかりだった。



 「だって、彼がいたら君を乗せられないじゃないか。俺は君を助けに来たのに」



 全く罪悪感のかけらもなく言い放つ俺を見て、目の前の友人はさらに激高した。



 「俺は助けなんていらない! 誰かを犠牲にして生きるくらいなら、死んだ方がましだ」



 そんなことを言われた俺は、酷くもやもやとした気分になった。我ながら珍しいとは思うが、その時だけは少し感情的になっていたのだ。



 「俺は助けたい奴を助ける。こんな状況だから、命の選択をしただけだよ」



 違う。こんな喧嘩がしたいんじゃない。ただ、大切な友人を助けたかっただけなのに。



 「こんな状況だからこそ、助けなきゃいけなかっただろう!」



 ジヤは、右手をあげた。俺は、殴られるような気がして目をぎゅっと閉じた。



 「もういい。俺は自分で逃げる。お前も好きにすればいい」   



 平手は、飛んでこなかった。目を開けると、ジヤの背中が見えた。振り向きもせず、自分の体に巻き付いたボロ布を引きずって歩いていく。


 


 ああ、怒らせてしまった。こんなつもりではなかったのに。彼はもう、手を伸ばしても届かないところまで遠ざかってしまっている。引き留めようとあげた右腕を、ゆっくりと下ろした。俺が行ってもまた怒らせてしまうだけのような気がして、ただその背中を見送ることしかできなかった。でも……。それでも、もしここで引き留めることができていたならば…………未来は、変わっていたのだろうか。





 「なるほど、あれは魔王の手先なのか」



 ひそひそと話す複数の人の声が聞こえる。ゆっくりと瞼を開くと、橙色をした天井が見えた。体には、何枚ものコートや毛布がかけられている。頭の鈍痛に顔を歪めながら体を起こすと、他の三人が座っているのが見えた。



 「ギル!」



 グラーノが小さな体を跳ねさせながら飛びつく。その頭を撫でながら、他の二人の顔を見た。



 「もう少し安静にしていなさい」



 シェリーマンが歩み寄り、ギルの顔色を見ながら言った。一方のマーヴィはただ呆れたようにため息をついた。



 「だから心配いらねえって言ったろうが。そいつは殺しても死なねえよ」



 「でも、急に倒れたら心配するじゃんか!」



 言い合う二人を見ていると、ギルは頭の痛みが少し楽になるのを感じた。自然と、笑みがこぼれる。その顔を見たシェリーマンも、安心したように顔を綻ばせた。



 「大事ないみたいだね。さて……」



 シェリーマンは床に手をついて立ち上がった。自分のコートを纏い、外へ出る支度を始める。


 


 「目を覚ましてすぐに悪いんだけど、留守番を頼めるかな? さっきの出来事で、近くのテントが無事か確認しておきたいんだ」



 「待て、また悪魔が来るかもしれない。外に出るのは控えた方がいい」



 マーヴィも立ち上り、ランプを持とうとするシェリーマンの手を掴んだ。



 「もうこのテントには油がないんだ。取りにいくついでだよ。すぐ近くだから心配はいらない」



 シェリーマンは眉を下げながら、もう片方の手でランプを手に取った。マーヴィは不服そうに手を放す。



 「マーヴィ、心配ならついて行ってあげて。こっちにはグラがいるから」


 


 その言葉に、マーヴィは自分の後頭部を掻いた。シェリーマンの方を見るとすでに準備は終わったようで、こちらを見て待ってくれている。しばらく考えたマーヴィはため息を吐きながら、自分のコートに手をかけた。





 テントを出たシェリーマンが向かったのは、 鉄の鳥があった場所とは逆の方向であった。空はすでにほの暗く、風も吹き始めている。それでも、シェリーマンの足取りには何の迷いもなかった。おそらく、通いなれているのだろう。身軽に先を進みながら、時折後ろを振り向いてマーヴィがついて来ているのを確認していた。マーヴィも遅れまいと自然と小走りになっていく。



 数百メートルほど進んだところで、雪の間に赤いものが見えてきた。よく目を凝らしてみると、テントのようだ。シェリーマンはそれに向かって小走りに駆け出した。マーヴィも雪に足を取られながら、何とかついて行く。



 「これだよ」



 赤い色が白い地面に映えてうす暗い中でもよく見えていたが、近くで見てみると大きさはそれほどない。シェリーマンのテントの半分もないくらいの大きさだ。



 「なんだ、このテントは。他にもここで寝泊まりしてる奴がいるのか?」



 「いいや、違うよ。中に入ってごらん」



 シェリーマンは凍り始めている髭を撫でながら、優しく微笑んだ。もう片方の手でテントの入り口の布を押し上げ、中に入るよう促す。マーヴィは少々警戒しながらも、体をかがめて中に入った。


 


 中は外よりも暗く、ほとんど何も見えなかった。下には何も敷かれておらず、むき出しの地面が見えていることくらいしかわからない。しかし後ろからシェリーマンがランプを持って入って来たことで、ようやくこのテントの中心にあるものに気が付いた。それを見た瞬間、マーヴィは目を見開いて固まってしまった。



 ランプの光に照らされて現れたのは、一体の氷像だった。テントに守られながら、ど真ん中にどっしりと立ちはだかっている。いや、立っているといってよいものか。その氷像は、人間の形をしていなかった。横たえたその体には、一通りのヒレがついている。美しく、しなやかにねじれたその体は、まるで生きているかのようであった。中でも逞しく太い尾ビレは、陸の上であるにもかかわらず、重い水を蹴っているかのような力強さがある。この生き物の姿を、マーヴィは誰よりも知っていた。



 「“逆又”と呼ばれる魔法生物の像だ。海に住むから、一般人にはあまりなじみのない生き物だがね。……割れているところはないね。無事なようでよかった」



 氷像の鋭い眼光がこちらをじっと見据えている。その瞳から、マーヴィは目が離せないでいた。



 「これは……。お前が作ったのか……?」



 シェリーマンは像の周りをぐるりと回りながら、丁寧に傷がないかを見て回っている。



 「いいや、違うよ」



 一周回って来たシェリーマンが、気恥ずかしそうに眉を下げて言った。



 「何年か前に、突然ここに来た女性が造っていったんだ。不思議な女性だった……。目が真っ黒で……そう、ちょうど君みたいな目だったよ。腹に赤ん坊を抱えていたみたいでね。いろいろと世話してあげたんだ。そうしたら、帰り際に私のために氷像を作ってくれた。それがこれだよ」



 マーヴィは数歩進み、その氷像を目に焼き付けるかのようにじっと見つめた。



 「……その女とは、何か話したのか」



 「ああ、いろいろ話したよ。私のことも、彼女のことも」



 そこで、それまで氷像にくぎ付けだったマーヴィが、ふっと振り返った。


 


 「……なんて言っていた?」



 「そうだなあ」



 シェリーマンは首をかしげて、自分の記憶をたどってみた。



 「“海の国から来た氷像士”と言っていたか。どうやって海から上がって来たのかは言ってなかったが……名前は確か……」



 「   」



 シェリーマンがその名を口にした瞬間、マーヴィはまた目を見開いた。体をねじり、再び氷像を見上げる。少し早くなったマーヴィの呼吸音だけが、赤いテントの中にしばらく響いていた。 



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