逆叉編
第36話 氷の世界
一面の氷が、空の青色を反射して白縹色に輝いている。時折吹く冷たい風がパウダースノーを巻き上げ、視界を真っ白に覆った。巻き上がった雪が顔に当たり、ひどく冷たい。ギルはコートのファーの部分で口元を覆った。身をかがめて前を見ると、マーヴィの背中が見える。
「今日はこのあたりで休むか」
唐突に立ち止まったマーヴィはそう言いながら、背中に背負った巨大なリュックを下ろした。それを見て、ギルはその場にへたり込む。一方、最後尾のグラーノはその場に四肢を投げだして寝ころび、両手両足を動かして雪に跡を作り始めた。
「これ、どうやるんだ?」
リュックと一緒に背負っていた長い棒を持ってマーヴィはその場に立ち尽くす。おろしたリュックからは白い布が飛び出していた。
「まず地面に杭を打って。それは骨組み。後で使うから今は置いといて」
座り込んだままのギルが指示を出す。動く様子のないギルと遊んでいるグラーノに舌打ちをしながらも、マーヴィは足手まといにしかならないとわかっているからか、何も言わずに指示通り組み立て始めた。
「見て見て! 天使みたいになった!」
楽しそうな声に振り向いてみると、グラーノの寝ころんでいた場所には確かに天使のような跡ができていた。偶然出来上がった天使の地上絵に、グラーノは満足したようでくるくるとその場で回り出した。
「本当に寒いね。この氷、ずっと解けないの?」
何度も回った後にグラーノはまた雪の上に倒れ込み、青い空を見上げて笑いながら言った。
「永久凍土って言ってたし、そうだろうね。どのくらいこんな状態なんだろう……」
一人テントを組み立てるマーヴィをぼんやりと見ながら、ギルはポツリと呟く。それを聞いたグラーノが、何か思いついたように勢いよくガバッと上半身だけをおこした。
「あれ? ギルはずっとここにいたんじゃないの?」
「うん。でも眠りにつく前は、こんなんじゃなかったからね」
頬杖をつきながら、ギルは西の方を見やった。じっとそこにあるものを見たまま、話し続ける。グラーノもつられてそちらの方をみた。
「ジヤが城に住み着いたことが影響した……のかなあ?」
隆起した氷の山の向こうには、細長い塔が見えている。ギルが言うにはあれは魔王城の一部らしい。ここまで近づいて来て見た時は、その巨大さを実感して目を見張った。時計塔の四倍、いや五倍はあるだろうか。こんなに巨大な建造物が、雪と氷に千年も晒されていたにもかかわらず、倒壊しなかったのだ。これを造った古代の国とは、どれだけの技術を有していたのか。考えただけでも恐ろしい。
「君たち! この辺は危ない。早く離れなさい!」
唐突であった。広い雪原中に、男の怒鳴り声が響き渡る。咄嗟に身構えた三人が声のした方を見ると、橙色のコートに身を包んだ一人の人間がこちらに大きく手を振っている。
「早くこっちに! そのあたりはクレバスがあるんだ。落ちたらただじゃすまないぞ」
彼の声は山々に反響してところどころ聞き取りにくかったが、そのようなことを言っていた。コートの男は、木のステッキで自分の前の地面を刺しながら慎重に歩いてくる。どうやら心配してこちらに来てくれているようだ。三人は警戒を解き、その男の元へと歩み寄る。
「足元に気を付けて!」
男のその言葉に、三人もマーヴィを先頭にして地面に杖を突き刺しながら歩いた。特にクレバスに落ちることもなく、無事男と合流する。
「無事でよかった。この辺りにはヒドゥンクレバスがあるから、近づいちゃだめだよ」
近くで見て見ると、四十代くらいの浅黒い肌の色をした男であった。長い間剃毛していないのか、口元は白髪交じりの黒髭に覆われていた。彼が息をするたびに、その髭が凍り付いていくのが印象的であった。
「ヒドゥンクレバス?」
「ああ、雪で隠れて見えなくなってるクレバスのことだ。深さも結構あるからな」
尋ねるグラーノに笑いかけた男は、視線をあげて三人を見渡しながら首をかしげた。
「ところで、君たちはなぜここに?」
「魔王城に向かっているんです」
男の質問には、マーヴィの後ろからギルが出てきて答えた。
「魔王城?」
男は、西に見えている巨大な塔を見ながら自分の髭を撫でる。
「ともかく、ここは寒い。近くに私のテントがあるから、そこで詳しい話を聞こう」
しばらく考えた後で、疑念を顔に浮かべたままそう言った。男は、先ほど歩いてきた道を戻る。来た時と同じように、前方の地面にステッキを突き刺しながらゆっくりと進んでいく。それを見た三人も、一度顔を見合わせた後でその後に従って歩き出した。
彼のテントは、少し南へ下ったところにあった。赤色のかなり大きなテントであった。中に入ってみると、作りもしっかりしている。
「申し遅れたね。私はシュリーマン。考古学者で、古代の陸の国、別名“デザイヤ国”を研究している者だよ」
地面には石が敷かれ、その上にアルコールランプが置かれている。シュリーマンは自己紹介をしながらそのランプに火を灯し、小さなヤカンを置いた。湯ができるまでの間、待ちながら三人は自己紹介とここに来るまでの経緯をかいつまんで話した。
「なるほど、魔王をね……」
シュリーマンが相槌を打ちながら、鉄のカップに白湯を注いでゆく。それをじっと見つめていたグラーノが唐突に口を開いた。
「あの、さっき考古学者って言ってましたよね? あなたはなぜ、こんな危険なところに?」
「ああ、そうだね。せっかくだし、私のことも話しておこうか」
三人に白湯の入ったカップを渡しながら、シュリーマンは何度か頷く。そして、自分で入れた白湯を一口飲んで話し始めた。
「先ほど言ったように、私は考古学者だ。とはいっても国から何の援助も受けられていないから、ほとんど自称だがね。ここには、研究のために来ているんだ。千年前に何があったかを知るためのね」
そこでまた一口白湯を飲むと、テントの外を指さす。
「このあたりは、城があることからもわかる通り、もともと古代デザイヤ国の首都だったんだ。我々は“イリオス”と呼んでいる。今は氷に覆われてしまっているが、氷の下には千年前の人々の生活の跡が、
確かに残っているんだ。実際に、古代の物と思われる食器や家屋の跡をいくつも見つけた」
「本当!?」
グラーノが立ち上がり、嬉しそうな声をあげる。
「おや、君はこういったものに興味があるのかい?」
「うん!」
満面の笑みで大きく頷くグラーノに、シェリーマンは目を細めた。口元が髭に隠れて見えずらいが、おそらく笑っているのだろう。彼は立ち上がり、上機嫌に話した。
「ならば、特別に私の発見したものを見せよう。今日は珍しく晴れているが、後一時間もしたらまた曇ってくるだろう。見るならすぐに出るが、どうする?」
その言葉に、グラーノはさらに目を輝かせた。そして、伺いを立てるようにギルとマーヴィの方を振り向く。
「面白そうだね」
「ああ。魔王が誕生したころのことなら、倒すヒントになるかもしれねえ」
二人はそう言って立ち上がった。これを合図に、シェリーマンはステッキとランプを持って外へと歩き出した。
シェリーマンのテントから、四人はさらに南へ下がっていった。
「ルイスが聞いたら喜ぶだろうなあ」
道中、はしゃぐグラーノはずっと一人でしゃべり続けていた。
「ボクの友達にね、考古学者になりたいって言う子がいるの! 今必死で勉強してるから、何年か後に会えるかもね! 助手とかになったりしたらいいのに」
シェリーマンは話し続けるグラーノに、嫌がるそぶりも見せず相槌を打っていた。しかし、グラーノの“助手”と言う言葉に、初めて顔を歪める。
「ああ、そうか。それは嬉しいなあ……。でも……あまりおススメはできないかなあ。私達みたいなのは、どうやら国から目をつけられてるみたいだし……」
「目? あ……」
そういえばルイスは、考古学者のことをなんと言っていただろうか。グラーノは首をひねる。確か、大学を出なければなれない立派な職業だ。だが同時に、“地位は高くない”とも言っていたか。
「こういった調査は、正式に国立の大学を出た研究員にしか許可されない。一般の人間が勝手に行えば厳罰が下る。その一方で、お金を出して必死に勉強した専門の研究員にだって何の援助もない。こんなこと、よっぽどのもの好きじゃないとやらないよ」
後ろからは彼の表情は見えなかったが、その口調はひどく自虐的であった。彼の苦労を垣間見たような気がして、後ろの三人は黙りこくってしまう。そのまま進む四人の間には、しばらく雪を踏む重い音とステッキを突き刺す音だけが鳴っていた。
「ここだ」
四人の間の静寂を遮るかのように、シェリーマンが声をあげて立ち止まる。顔をあげて見て見ると、平地へと出てきたようであった。平らな雪の地面から、ところどころ黒いものが顔を出している。シェリーマンが歩み寄り、その黒いものにかかった雪を払いのけて見せた。
「見てくれ。私が氷の下から見つけたものだ。王冠や装飾品が出てきたから、もしかしたら博物館や宝物庫の類だったのではないかと思っているよ。まだ半分も掘り出せていないけれどもね」
身を乗り出して見て見ると、その黒いものはどうやらレンガのようである。ここから半径数メートルほどの間にバラバラに散らばっている。
「へえ……。これが千年前の建物の跡かあ。見つけた王冠とかはどうしたの?」
「ああ、残念ながら今は手元にない」
「まあ、そんな貴重なもんをいつまでも野ざらしにするわけがねえわな」
グラーノとマーヴィはそれぞれ、雪に埋もれたレンガを掘り返して見ている。ただ一人、ギルだけはその場に茫然と立ち尽くしていた。
「ギル?」
グラーノが気づき、声をかける。ギルは痛そうに自分の頭を押さえていた。その視線は、下を向いている。彼の足元を見ると、そこにはいつの間にやら小さな雪だるまが座っていた。
「ここ……宝物庫だった。……隣にはレストランがあって……確かこの向こうには」
ブツブツと何事か呟きながら、ギルは唐突に走り出す。
「ギル? どこ行くの?」
「君! そっちはダメだ!」
シェリーマンが慌てたような声を出す。マーヴィとグラーノはすぐに駆け出した。後を追ってみると、五十メートルほど離れたところで、ギルは一心不乱に雪を掘り返していた。その傍らには、目も鼻もない小さな雪だるまが座っている。
「何してるんだ」
追いついたマーヴィとグラーノが尋ねるも、ギルは聞こえていないようで必死に雪を掘り続ける。
「おい」
「あった」
業を煮やしたマーヴィがギルの肩を掴んだところで、ギルが声をあげる。その視線は、先ほどまで掘り返していた場所を見つめている。視線を辿っていくと、何か鉄の塊のようなものが顔を出していた。
「鉄の……鳥……」
「いやあ、君目ざといなあ。見つかってしまったか」
遅れてきたシェリーマンが息を切らしながら言う。その顔には苦笑いを浮かべていた。何が起きているのかわからないという風に顔を見合わせるマーヴィとグラーノを見て、シェリーマンは頬をかきながら数歩進んだ。特に何を言うでもなく、その鉄の塊を掘り返していく。
鉄の塊はかなり大きいようであった。ギルとシェリーマンがいくら掘っても、なかなか全身が出てこない。掘り進めている間も、小さな雪だるまはギルの足元にぴったりとくっついていた。マーヴィとグラーノの二人も加わって掘り、その全体像が見えたのはあたりが暗くなり始めたころであった。
「何……これ」
それは、すべてが鉄で作られていた。二対の翼を持ち、鳥のような形をしている。全長は三十メートルくらいだろうか。
「鳥? 何だこれ、でかいな。古代の置物か何かか?」
「いいや、違うよ」
マーヴィの疑問には、シェリーマンが答えた。
「中を少し開いて見てみたんだ。とても複雑な構造だった。ただの置物とはとても思えない」
「どういうこと?」
シェリーマンは苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らす。
「……ああ、あんまり考えたくはないのだがな。これは……その……」
「……空を……飛ぶんだよ」
歯切れの悪いシェリーマンに代わって、ギルが声をあげた。意味が分からないというような顔を向けるマーヴィとグラーノの方を見上げて、ギルはもう一度ハッキリと言った。
「空を飛ぶんだよ。これで」
ギルの人差し指は、確かにその鉄の鳥を指していた。そして、まだ頭が痛むのかその手を自分の頭に持っていった。
「古代デザイヤ国は、もともと絶滅しかけた人間と、それを救った三種類の魔法生物たちによって作られた国だった……」
痛そうに顔を歪めながらも、キッと自分の足元にある雪だるまを睨みつけた。
「氷河期は、もともと人間が招いたものでした。長い長い、戦争がありました。当時の兵器は、太陽を隠してしまうものでした。だから、すべてが終わったころには完全に太陽が見えなくなってしまいました」
次に聞こえてきたのは、その場にいる誰の声でもなかった。酷く楽しそうな、男の声。旅を続けてきた三人はこの声に聞き覚えがあった。マーヴィとグラーノの二人は、咄嗟に武器を構えてあたりを見渡す。
「しかし、浅ましいことに人間達は自分たちの技術と知恵を使って生き残ろうとしました。周りで苦しんでいる声など、耳にも入らないようでした。だから、魔法の力は必要なものに与えられただけなのです」
「どこだ、話してないで出てこい! 悪魔!」
グラーノが声をあげるが、慇懃無礼なその語り手は笑いながらただ物語を語り続けていった。
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