第33話 仁術
ちょうど太陽が真上に来た頃に、ギルたちはモーリーの自宅へと戻って来た。自宅前では、オーウェンが肉の塊を焚火で炙っている。こちらに気付いたオーウェンは、木の枝に突き刺した肉をこちらに向けて振り始めた。
「おーい、先生。そろそろ昼飯にしましょう」
モーリーは彼に対し片手だけを上げると、自宅には入らずそのまま焚火の前に座った。
「ほんで、捕まえたんか?」
「ええ。あの黒目の兄ちゃんに手伝ってもらって、六頭も捕まえましたよ」
オーウェンは後ろで立っているギルとグラーノにも肉を差し出しす。それを合図にギルも隣に腰かけた。グラーノはというと、差し出された肉から顔をそらし、そのままどこかへ歩いて行ってしまう。すぐに追いかけようとギルが立ち上がるが、誰かに腕を掴まれ無理やり座らされた。
「一人でゆっくり考えたらええ」
モーリーはギルの腕を掴んだまま、受け取った肉を頬張っている。小さくなっていくグラーノの背中をしばらく見送ってから、諦めたようにギルも肉を食い始めた。
「しかし、そりゃあ忙しくなるなあ。日没までに終わればええんやけど」
「ええ。頼みますよ、先生」
モーリーは何かを急ぐように、肉を口に押し込む。
「何かあるんですか?」
対照的に一口一口噛みながら食べるギルは、疑問を口にした。
「手術や。魔王の粉塵に感染しないためのな」
口いっぱいの肉をオーウェンから差し出された水で無理やり流し込むと、モーリーはさっと立ち上がった。急ぐように自宅へと戻る。しばらく中から何か探し回るような音が聞こえた。大きな音が二つとマーヴィの不機嫌そうな声が聞こえた後で、大きな木の鞄を提げて彼女は出てきた。
「行くで。あんたも来るか?」
最初オーウェンに声をかけたモーリーは、ギルの方にも顔を向けて尋ねかけた。
「あ、はい」
「ほな行くで」
有無を言わさず歩き出す彼女に、オーウェンは眉を下げて笑った。桶の水をかけて焚火の火を消すと、その後ろをついていく。その二人の様子を見ていたギルは、肉を口いっぱいに詰め込むと、慌てて彼女たちを追いかけ出した。
「ちょっと、血もらうで」
そう言うとモーリーは一頭のゴートに、麻袋をかぶせた。斜面に彫られた穴の中から連れ出されたそのゴートは、最初少し暴れていたが、今はオーウェンにしっかりと捕らえられて大人しくしている。モーリーが麻袋をかぶせられたその個体の身体に、小さなポンプのようなものがついた針を突き刺した。徐々に血が抜き取られていく。
「捕まえたんはどこや」
十分に血を抜き取ったモーリーは、その傷口に白いガーゼを当ててあたりを見渡した。
「ああ、行こうか」
オーウェンは眠っているその個体を担いでまた斜面の穴の中へ戻すと、モーリーの家とは反対の方向へ歩き出した。
「まだ魔法が使えるみたいだったからな、あの兄ちゃんに手伝ってもらって、家から遠ざけておいたんだ」
柵の前をしばらく進んだところで、氷の檻が姿を現した。オーウェンは腰に差していた大きな斧で、氷の檻を叩き割っていく。その後ろで、モーリーは鞄の中身を取り出し始めていた。荒い織り目の大きな布を地面に広げ、その上にハサミやらナイフやらを並べていく。
檻に十分な隙間ができたところで、オーウェンは斧を腰に差しなおし、中からゴートを一頭担いで来た。どうやら、そのゴートも眠っているようである。首に鎖を巻かれたその個体は、先ほどモーリーが広げた布の中心にそっと寝かせられた。
モーリーはすべての道具を出し終わるとその個体のところまで歩み寄り、瞳孔を確認したり、胸元に耳を当てて心音を確認したりし始めた。一通り確認し終わったモーリーは、先ほどのポンプから、血液を皮袋に移し始める。
血液で満たされたその袋を、オーウェンに押し付ける。オーウェンは何も言わずにその袋を持って立ち上がった。どうやら袋には細い管のようなものがついているようである。その管を、眠っている個体の足に突き刺し、紐で結んで固定する。そうして、ようやく彼女はナイフに手をかけた。
モーリーは慣れた手つきでゴートの腹を裂き、中に手を入れた。ハサミの軽快な音が二度聞こえる。取り出した血まみれの彼女の手には、拳大の赤い肉の塊が握られていた。その塊を足元に置き、すぐに針と糸に持ち替える。
「あ、あの。手伝います。傷を塞ぐなら、魔法を使った方がずっと早いと思うんで」
それまで、手術の様子をまじまじと見ていたギルがようやく声をあげる。
「……ほう」
モーリーはゴートからは目を逸らさずに、少しだけ横にずれた。そこにギルは膝立ちをする。
「これ、持っていてくれませんか? 多分、戻ろうとしちゃうんで」
魔法をかける前に、ギルは足元にあった肉の塊を掴んで差し出した。オーウェンは革袋を持ったままキョトンとしている。
「早よ」
モーリーに急かされたオーウェンは、困惑しながらも左手で肉塊を受け取った。
それを見て、素早くギルはゴートの腹に両手をかざす。ギルの手から、青く優しい光が溢れた。
「おい、ちょっと待て」
オーウェンが素っ頓狂な声を出す。見ると、彼の左手がゴートの腹に向かって突き出されていた。
「この肉、どこに行きやがる!」
「離さないで」
ギルは傷口と向き合ったまま、ピシャリと言い放った。オーウェンは肉に引っ張られながらも、何とか手を握りしめて踏ん張った。
先ほどまで臓器とつながっていた血管たちは互いに切り口を合わせていき、やがて裂かれた腹も元通りにぴったりとくっついていく。ギルの両手から青い光がなくなると同時に、オーウェンの左腕を引っ張っていた力も消えた。オーウェンは力を抜いて、その場に座り込む。
「終わりました」
顔をあげたギルは、モーリーから差し出されたタオルで血と汗を拭う。
「あんた、何やその魔法」
ひとりでに動き出した肉塊を気味悪そうに放り投げるオーウェンを横目に見て、モーリーは身を乗り出した。
「えっと、その……人魚の魔法です」
“人魚”と言うその言葉に、モーリーは一瞬目を見開いた。そしてすぐに嬉しそうに声をあげる。
「人魚……。そうか、あんた人魚に……」
そう、ぶつぶつと呟きながら何かを考えているようである。
「オーウェン、次や。ギル、あんたには後で聞きたいことがある。でもとりあえずは全部終わってからや。手伝ってくれるか?」
表情はそれほど変わらないものの、興奮気味の声に彼女が喜んでいることがわかる。ギルはそこまで喜ばれることに首をかしげながらも、コクリと頷いた。
斜面を登っていく小さな小麦色の髪は、密集した集落の方を一度見上げてからまた下を向いて歩き始めた。
「グラ!」
誰かに呼び止められ、振り返る。そこには、両肩にバケツを担いだ初老の女性が立っていた。
「こんなところでどうしたの? あんまり一人でウロウロしてたら危ないよ」
女性はそういうと、担いでいたバケツを下におろし、グラーノの手を握った。
「うちにおいで。あんたが好きやった砂糖菓子、うちにたくさんあるから好きなだけ食べていきな」
最初はその場から動こうとしていなかったグラーノは、“菓子”という言葉に少し顔をあげる。特に行く当てもなく歩き回っていたいたのだ。昨日は久しぶりの再会だというのに、ほとんど言葉を交わすこともなく別れてしまったのだ。少しくらい集落の人々と話をしていっても構わないだろう。
「……うん。ありがとう、おばさん」
年配の女性は優しく微笑むと、グラーノの手を引いた。集落の方へと歩いていくにつれて、グラーノの名前を呼ぶ声は徐々に増えていった。
「何個か質問したいことがある。答えてくれるな?」
「……はい」
モーリーの家ではガラクタを端に追いやって、中心に二脚の椅子が向かい合わせで置かれていた。一つの椅子には、モーリーが羽ペンと無地のノートを持って座っていた。もう一つの椅子には、背筋をピンと伸ばし、緊張した面持ちのギルが座っている。
「まずは一つ目。あんたは手術をしたゴートの傷を塞いでくれたけど、取り出した臓器がまた後から生えてきたりいうことはないんか?」
「それは大丈夫です。俺の魔法は、ないものを作ることはできませんから」
モーリーは素早くギルの答えをノートに書き留める。ほとんど走り書きで、彼女以外の人がそれを見たところで読み解くことは不可能だろう。
「ほな、あるものを取り除くんは?」
「それもできません」
またモーリーはノートと向かい合った。ギルはちらりとガラクタの方を見やる。そこには先ほどまでマーヴィが寝ていたのだが、先ほど不機嫌そうにオーウェンとどこかへ行ってしまった。
「なるほどな。そんなら単に治すわけやなくて、“再生”に近いわけか。傷を塞ぐだけやなく、できるだけもとの姿に戻す。それが人魚の魔法の特徴か」
少し困ったような顔をした後で、モーリーに声をかけられ、そちらに向き直る。
「……うちがやっとるんは一時的なもんや。臓器を抜いても、子供が生まれたらまたその子の臓器を取らなあかん。キリがない」
そう話しながら、モーリーは立ち上がった。白衣のポケットからまたキャンディーを取り出し、口に含むとガラクタの山に向かって歩く。
「将来的なことを考えるなら、いっそのこと臓器を持っとらん個体を作って増やしていくんがええんやろうけどな。それはえらい時間もかかる。何か特効薬みたいなもんを作れたらと思うんやけどな」
モーリーはガラクタに埋もれた机の上をかき分け、中から古びた分厚い本を取り出した。
「なんせ情報がなさすぎる。いろんな文献を読み漁ったけど、どこにもヒントはなかった」
そう言うと、その分厚い本を雑に投げ捨てた。また同じようにガラクタを漁り始めたモーリーは、しばらくして今度は薄い横長の本を取り出した。彼女が本を開くと、中は文字が少なく絵が多い。子供向けの絵本のようであった。
「唯一使えそうな情報がのっとったんは、薬学の本でも、歴史の本でもなくこの絵本やったわ」
「“天使から喜びの魔法を授かった人魚たちは、怒りの魔法で争う魔法生物たちの怒りを沈めていきました”ってな……単なるおとぎ話かもしれんけど、これが本当なら粉塵に感染したモンスターたちを治す手がかりになるかもしれん。というか、もうこんなんでも信じてないとやってられんわ」
その絵本を、ギルに押し付ける。開かれたそのページを見てみると、数人の人魚たちが海辺に座っている絵が描かれていた。人魚たちは包み込んだ両手から青白い光のようなものを出している。その光は長く伸び、左のページで暴れている様子の魔法生物たちを包んでいた。
「ただ、これを信じるにしても問題がある。人魚たちがどうやって争いを沈めていったのかが、どうも書かれてないんよ。人魚に関する書籍も漁って見たけれど、強力な回復魔法を使っていたってことくらいしかわからん。まさか陸にまで上がってきて、傷ついた生き物の怪我を一つ一つ治していくなんて途方もないことはせんやろうしな」
モーリーはお手上げとでもいうように自分の頭を押さえた。
「そこで、や。自分、なんか知らんか」
ギルは絵本に描かれている人魚の絵を優しく撫でた。勿忘草のような美しい青色の髪を持った人魚の姿が思い出される。
「……すみません、わかりません。俺の先生は、あまりそういうことを話す人ではなかったので」
「そうか……」
落胆した声を出すモーリーは自分の髪をかき上げ、またガラクタの山へ向かった。
「あの……今度は俺が質問してもいいですか?」
「ええよ」
絵本を閉じ、ガラクタをかき分ける彼女に目を向ける。モーリーはこちらをチラリとも見ずに不愛想に答えた。
「どうして、魔法生物のためにそこまでしてあげるんですか? こんな危ない場所にまで赴いて」
ガラクタから、大きく分厚い本を取り出したモーリーはその本を開く。彼女の背中越しに見たところ、めくられていくページのすべてが一つの絵と大量の文字で構成されているのがわかった。どうやら何かの図鑑のようである。
「そりゃあ、あんた。人助けするんと同じやわ」
彼女は図鑑を一通り見ると、また後ろに放り投げてガラクタを漁り出す。ギルの足元に落ちてきた図鑑の表紙には、“編:フラジール”と書かれているのがわかった。
「でも人間はもう魔法生物とは暮らしていませんよね? 技術も発展しているし、魔法と肩を並べるほどのものになる日だってそう遠くないはずです。見捨てることだってできるのに」
「ちゃうちゃう。そんなことやないねん。うちはな、人間も魔法生物もそう変わらんと思っとる。この世に生まれてきた以上、命は皆同じや。やから助けるねん」
モーリーはガラクタの中から目当ての本を見つけたようで、それを開きながらまた椅子に腰かけた。
「あんたも、その魔法が使えるなら経験したことくらいあるやろ。助けたい命を助けられんかったこと」
ペラペラとその薄い本を捲っていく。中には、先ほどの絵本よりもかなりリアルな絵柄の人魚が描かれていた。
「うちはな、あの世や生まれ変わりなんて馬鹿らしいと思うわ。今を必死に生きてこそ、意味があるのにな。でも命ってのはほんま簡単になくなってまう。死んだら終わりや。どんだけお金を持ってても、どんだけ大切な家族を持ってても、死んだら全部失う。それはな、生きてる以上は皆同じやねん。そうならんように助けるんが、うちら医者の仕事や」
満足いくまで本を読み進めたモーリーは、ぱたんと大きな音をたてて本を閉じた。
「……なるほど。そうなんですね」
ギルはすでに体の緊張を解いていた。こちらをまっすぐ見つめるモーリーの目を見つめ返し、笑いかけた。
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