第34話 孟母

 その日、ボクは薪を拾いに行っていた。一仕事終えたボクは、上機嫌でスキップなんてしながら家に向かっていた。いつもより多く拾えたのだ。きっとブランドンも喜ぶだろう。



 白い布の住居が見えだしたころ、道端の先の方に小さな青い花が咲いているのに気が付いた。赤茶けた土の上で、その花の青はあまりにも鮮やかで眩しい。ボクはその名も知らない花を一目で気に入ってしまった。花の根元をつまんで、ゆっくりと引き抜く。なんという名の花なのか、帰ったら聞いてみよう。花を大事に両手で包みながら、白い布の家に向かった。





 戸口に立って、垂れさがっている布を押し上げる。いつものように、ブランドンがそこにいた。部屋の奥には、先生が腕を組んで立っていた。ボクが出かけている間に訪ねて来たようだ。後ろを向いたブランドンの背中に向かって、“ただいま”と声をかける。返事はない。奥で立っている先生は、飴を口に入れたままでブランドンの方を睨みつけていた。なんだか嫌な雰囲気だ。



 背負っていた薪を下ろし、青い花だけを持ってブランドンに近寄る。ボクが教えてとせがめば、ブランドンも先生も喧嘩を止めて、いつものように優しく教えてくれるだろう。そんな期待を抱きながら、手を伸ばせば届きそうなくらいのところまで近づく。そして立ち止まって、深呼吸を一つした。そうして気持ちを落ち着かせると、意を決してその背中に手を伸ばした。




 「出ていけ」



 ボクの手は空を切った。



 「え?」



 何を言われたのか理解できずに固まるボクに、ブランドンは振り返った。



 「出て行けと言っているんだ!」



 ブランドンは怒っていた。とてもとても変な顔で、怒っていた。



 「え……なんで」



 突然のことに、ようやくそれだけの声を絞り出した。



 「お前が邪魔だからだよ。わかったら早く出ていけ」



 頭が真っ白になる。目にジワリと温かいものがせり上がってくるのを感じたが、それを必死に抑えて目の前の男に縋りつく。



 「い、いやだ! ボク、邪魔しないよ。良い子にするから、お願い追い出さないで」



 「うるさい! もうお前にはうんざりなんだよ。大っ嫌いだ」



 ブランドンは、ボクの身体を軽々と投げ飛ばした。床に叩きつけられたボクは、顔面を強打してしまった。鼻を抑えると、手に赤いものがこびりついた。顔をあげると、相も変わらずに変な顔をしたブランドンが仁王立ちしながら手を伸ばしてきた。



 「いやだ! 離して。悪いことしたなら謝るから。お願い、まだここにいたいんだ!」



 ブランドンは土気色の腕でボクの首根っこを捕まえて引きずる。ボクはもう耐えるのを止めて泣きわめいていた。家から出たところで、ブランドンはまたボクを放り投げる。投げられた先で茫然と地面を見つめていたボクは、踵を返して家の中に戻るブランドンの気配を感じた。慌てて顔をあげると、目の前には先生が立っていた。



 「グラ、これ持って行き」



 先生は大きな風呂敷包みを持っていた。



 「そんな……」



 風呂敷の意味を理解したボクは、それを受け取ろうともせずに先生の足元に縋りついた。



 「ボク、いい子にするよ。先生からも何か言ってよ」



 「グラーノ」



 先生はボクを自分の足から引き剥がすと、風呂敷包みを押し付ける。まだ受け入れられないボクは、風呂敷包みを投げ出して先生に手を伸ばした。そんなボクに向けられたのは、優しい笑顔でも甘い言葉でもなく、片手ほどの小銃。先生はボクの額に小銃を向け、目を細めて言った。



 「よう聞けよ。今すぐ出ていかんかったら殺す。戻ってきても殺す」



 先生の手元を見ると、引き金に指がかかっていた。



 「わかったら早う行け」





 それからボクは、どこへ行くにも戻るわけにもいかず、フラフラと風呂敷を持ったままでそのあたりを歩いていた。風呂敷には確か食糧やら数日分の服やら色々と入っていたが、途中であの二人の顔を思い出してしまい、すべて嫌になって投げ出してしまった。


 


 そうして歩いているうちに、近くにいた兵士に保護された。王都まで連れてこられたボクは、そこで魔王討伐の補佐役に選ばれたことを知った。どうしてこうなったのか、自分でもよくわからない。でもこうして立派に悪者と戦っていれば、いつかは二人の目に留まる日が来るだろう。そう思っていた。ボクを邪魔者だといったことを、後悔させてやる。そんな気持ちでモンスターたちをただ切っていた。そうだ、こんなつもりではなかったはずなのだ。そう、こんなつもりでは……。


 




 顔をあげると、目の前には暖かい飲み物と、星形の砂糖菓子が置いてあった。周りでは、集落の大人たちがまだ昼間だというのに酒盛りをしている。最初にグラーノに声をかけてきた初老の女性が、黙ったままで置物のように座るグラーノを気にかけ、隣に腰を下ろした。



 「グラ、そんなに神妙な顔してどうしたんだい? 久しぶりに私たちに会えて、嬉しくはないのかい?」



 「……ううん。そんなことないよ。みんなに会えたのは嬉しい……。でも……」



 口籠るグラーノに、初老の女性は何かを察したのか、その小さな頭に手を乗せた。



 「グラ、どんなに大切なものも、いつかは消えて無くなってしまう。それを理解するには、お前はまだまだ純粋過ぎるのかもしれないねえ。でも、これを乗り越えた時に、きっとお前は強くなれる。お前は、優しい子だからね」


 


 じわりと目尻が熱くなるのを感じた。それを振り払うように、女性の手を払い除ける。



 「ボク、十分強いよ。ブランドンのお墓に行っても、涙なんて出なかったもん」



 周りで酒盛りをしている声が、なんとなく小さくなったような気がする。女性は柔らかく微笑むと、テーブルの上に指を組んで置いた。



 「そうかい。どうしてだろうねぇ」



 女性は間延びしたような声を出した。グラーノはたまに大人たちが見せる、このわざとらしさが苦手だった。



 「大体、先生もブランドンも勝手なんだよ。勝手に助けといて邪魔になったら追い出すなんてさ」



 それでも、抑え込んでいた本音を隠し切ることができなかった。



 「あんなことになるくらいなら、出会わなければよかった。ボクなんか落ちた時に死んでいればよかったんだ」



 息を吐くように、言葉が出てきてしまう。



 「そうしたら……そうしたら、先生にもブランドンにも、迷惑をかけずに済んだのに」



 白いマグカップを両手で握りしめる。


 あんな別れ方をしてしまうなら、出会わなければよかった。最初からボクがいなければ、ブランドンにあんな顔をさせなくてよかったのに。



 「グラ、おれたちはお前にあったことをすべて知っているわけじゃない。でも、どうして二人がそうしたのか、わかる気がするよ」



 後ろで聞いていた大人たちも会話に加わる。声をあげた彼はジョッキを傾けて、酒を飲み干した。



 「みんなも二人の味方をするの?」



 「そうじゃない」



 別の男が言った。ジョッキを置いて、グラーノの後ろに座り込む。



 「やっぱり大人は皆そうなんだね。これだから大っ嫌いなんだよ」



 ぼそりと呟くグラーノを、十数人の大人たちは目を細めて見ていた。グラーノの次の言葉を待つようにじっと動かない。


 


 「……どうして……ボクは追い出されたのかな」



 カップの中に広がる波紋の中心を見つめながらグラーノはポツリと呟いた。ここを追い出された時から、本当は気になっていたのだ。どうしてブランドンが急にあんなことを言い出したのか、ずっとわからなかった。でももう傷つきたくなくて、ずっとずっと奥底にしまっていた疑問だ。



 「あんたは、“ここは危険だから出ていけ”って言われたらどうしたの?」



 「そんなの、居てみなきゃわからないじゃない。本当に危険かどうかわからないのに出ていかないよ」



 周りの大人たちは安堵したように笑っていた。待ってましたとばかりに初老の女性が声をあげる。



 「でも、危険だとわかった時にはもう手遅れなんじゃないの?」



 「そのときはどうにかするよ! ボク、大丈夫だもん!」



 また別の女性が言う。グラーノはすぐに反論した。



 「大丈夫じゃないかもしれない」


 


 「でも!」



 最初に声をあげた初老の女性が、立ち上がったグラーノの肩に手を添える。優しく微笑む彼女の顔を見て、グラーノは口を噤んだ。


 


 「グラ、あんたの言うように大丈夫だったかもしれない。でも大丈夫じゃなかったかもしれない」



 グラーノをそっとその場に座らせると、女性はしっかり目を合わせた。



 「あんたがこんな魔王城の近くにいて、粉塵に感染しない証拠なんかどこにもなかった。二年もここにいられたことが、ほとんど奇跡なんだよ」



 女性はグラーノの頬に手を添えると、目を細めて笑った。



 「グラ。お前は本当に、まっすぐでいい子だね。でもね、この世界に生きている人は、皆同じじゃないんだ。お前みたいにまっすぐな子もいれば、ひねくれものもいる。特にお前の嫌いな“大人”ってのはとんでもないひねくれものだ。思ったことを素直に口にできないし、逆に思ってもないことを言う時もある。本音を言わないんだ。でもねそうする理由は、案外単純だったりするんだよ」



 女性の顔から、視線を周りに移す。周りを取り囲む大人たちの顔を一つ一つ見渡していく。皆、優しく微笑んでいた。それを見たグラーノは、口を閉ざしてうつむく。自分の胸のあたりがじんわりと熱くなっていくのを感じていた。





 「あいつは、ちょっと純粋過ぎる」



 モーリーは机に腰かけながら外を眺めていた。入り口に垂れ下がっていた布は捲り上げられ、今は紐で結ばれている。



 「純粋って言うのは、混じり気がないこと。決して、悪いことやない。実際、純粋っちゅう言葉はいい意味で使われとる。ただ、正も不も混ざらない真っ白な存在が、果たして本当に人と呼べるんか」



 その後ろでは、ギルが彼女の蔵書に視線を落としていた。開かれたページには、リアルなタッチの人魚が描かれている。



 「……どうでしょうね。俺は……色んな人に会って、色んな考え方を知ることも必要だと思います。それは決して穢れではないと思いますが」



 「なんや、随分と話の分かるもやしやな」



 嬉しそうに言うモーリーに、ギルは本から視線をあげて振り返った。



 「俺も、ずっと純粋な子供だったんです。でも色んな人と出会って、どれだけ自分が無知だったかを知りました。その時初めて、俺は人になれたんです」



 眉を下げて困ったように笑うギルを見て、モーリーも微かに表情を綻ばせた。食い終わったキャンディーの棒をテーブルに置き、乱雑に前髪をかき上げる。



 「あいつは自分の主観でしか物を語らないし、語れない。自分が大切だと思ったものにはめっぽう優しいけれども、それ以外の物には基本興味がない。というより、苦手なもの、苦しいものから常に目を逸らしている。それと向き合うようにならなければ、永遠に真っ白なままやろうな」



 ギルは口を閉ざしたまま、本を閉じた。今度はしっかりと、体ごとモーリーの方へ向き直る。



 「おまけに、大事なもんがずっとそばにあって当たり前やと思ってる。そんなんじゃあ、この先失う度に後悔し続けるやろうな。あるときにできる限りのことをしとかな。死んだ人ばっかりを気に掛けるよりも、今もそばで生きている人を目いっぱい大事にせんと」



 「……確かに、そうかもしれませんね」



 一瞬目を伏せたギルは、目を細めて笑いかけた。



 「グラーノは幸せですね。こんなにいろんな人に愛されて」



 その言葉にモーリーは一瞬目を見開き、視線を逸らした。



 「これは……。一瞬でもあいつの世話をした者の責任や。関わった時点で、あいつの人生にうちらはなにかしらの影響を与えとるんやからな。ちゃんと見届けるんは、大人として当然のことや」



 モーリーは照れているのか、先ほどかき上げた前髪を下ろして顔を隠してしまった。その顔は、家の外に向けられている。そちらをじっと見つめたまま、白衣のポケットに手を突っ込んで動きを止めていた。



 「親に守られている雛鳥は、巣の中のことしか知らん。嫌なことからは全部親が守ってくれて、しんどいことは全部親が肩代わりしてくれる。でもな、そんな雛鳥もいずれは巣から飛び立たなあかん。外の世界は巣の中のように温かくはないし、しんどいことばっかりや」



 彼女の視線の先を見ると、家の先で長い尾羽を持つ小鳥が地面を啄んでいた。チョコチョコと小走りに歩いていた小鳥は、またすぐに別のえさ場を探し求めて飛び立ってしまう。



 「あんたはどうなんや。あいつを、ちゃんと飛ばせてやれるんか」



 家の外を見ていた目線を、またモーリーに戻す。おろした前髪の間から、品定めするような鋭い視線がこちらに向いていた。



 「……グラーノはちゃんと自分で飛ぶと思いますよ。それを止める権利は、俺にはないです」



 「……そうか」 



 モーリーはポケットから手を出すと、その手を前に差し出しながらギルの方へと歩み寄った。



 「なら、これからもよろしく頼むな」




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