第32話 玉石

 山の下の方から、爆発音が聞こえてきた。音がしてからというもの、何度も後ろを振り返るギルを見て、モーリーが口から棒付きキャンディを取り出す。



 「解決したみたいやな。足音も聞こえんようになった」



 半分閉じた目でそう言うと、またキャンディを口に入れてグラーノの手を引く。耳を澄ませてみると、確かに無数の足音はどこへと消え去っていた。そこで後ろを見ることを止めたギルは、前を見る。



 モーリーは、先ほどから見えていた住居の前を通り過ぎていく。それまであまり表情を変えずにされるがままに連行されていたグラーノが、ふと顔をあげた。その住居のことを茫然と見上げている。家の前を通り過ぎる前、グラーノがモーリーの手を唐突に振り払った。もと来た道を少し走り、その家の入口へと急ぐ。



 「ブランドン?」



 戸口のあたりに立って、中に声をかける。しかし、どれだけ待っても返事の声は返ってこなかった。やがてグラーノは肩を落とし、先に立って待っているモーリーの所へとぼとぼ歩いていく。



 モーリーが案内したのは、先ほどの住居の裏側だった。その場所だけ、微かだが緑の草が生えている。そのほぼ中心に、ボロボロの木材で作られた十字が立てられていた。モーリーは緑の草の手前で止まると、グラーノの手を離し、背中を押した。グラーノは素直に従い、十字の前に座り込む。泣くでも怒るでもなく、地面を何度も撫でたり、ぺちぺちと叩いてみたりただそれだけのことを何度も繰り返していた。



 その後姿を見ながらモーリーに視線を移すと、こちらを見ながら右手の人差し指を自分の鼻にあてていた。その右手を、今度は親指だけ立てて家の方を指さす。歩き出すモーリーに、ギルは従って歩き始めた。最期に後ろを向くと、グラーノはまだ十字の継ぎ目を撫でていた。





 モーリーは先ほどグラーノが立ち止まっていた戸口から、遠慮なく家の中へと入っていく。続いて入ってみると、中は随分こざっぱりとしていた。大部屋が一つだけあり、その中央には丸テーブルが置かれている。この集落では中で炊事をしないからなのか、後は小さな箪笥とベッドだけが置かれただけの物寂しい部屋であった。



 「さっき言いかけたけど、それな」



 中央のテーブルを指さしながら、モーリーはキャンディーを噛み砕いた。指の先を見ると、真っ二つに割れた黒い石のようなものが置かれていた。



 「ええもんや。手に取って見てみい」



 言われた通りに、割れた石の片割れを手に取ってみた。ギルが手を触れると同時に、その石は微かに光った。身に覚えのある気配に、目を見開く。



 「その石は“魔石”と言ってゴートの体内でのみ作られる特別な石や。その石の何が特別かっていうとな、魔力をよう吸収する上に外に出さん性質を持っとるんや。早い話が、込めた魔力を半永久的に保存できる石言うことや」



 もう片方の片割れを、モーリーも手に取ってみるがそちらは光らない。



 「あんたも吸い取られんようにせえよ」



 そう冗談めかして言うと、モーリーはカラカラと軽く笑った。ギルはニコリとも笑わず、石をまじまじと見つめている。この石の中には、ほとんど魔力は込められていない。ただ、ほんの少しだけ自分の魔法と似た気配を感じていた。似ているとは言っても、全く同じではない。他人のそら似のような不思議な感覚がしていた。



 「この石から、魔力を取り出す方法はあるんですか?」



 どこかでこの魔力に出会っているはずであるが、いくら頭を捻っても思い出せない。ついに降参したようにギルはモーリーに尋ねかけた。



 「ああ、あるで。その石をな、トンカチで割ればええねん。ただそんな風に真っ二つにしてまうと、一気に魔力が逃げてもうてもったいないで。長期間、魔力を使いたいならヒビくらいに止めとかな」



 モーリーがそこまで話したところで、ギルの頭の中にあった点が全て線となって繋がっていった。



 「……“ええもん”があるから、グラーノは人間の姿になり、ここで生活できた」



 ここに来るまでのモーリーの言葉を繰り返す。手の上で黒い石を転がし、目を閉じた。



 「この石に、変身魔法の魔力が込められていたんですね」



 「そうや」



 モーリーは両手をポケットに突っこんだまま、キャンディーの棒を何度も噛んでいる。



 「……それは、誰の魔力ですか」



 「娘や、ブランドンのな」



 白衣の両ポケットに突っ込んだままの手を出すと、ギルの手に握られている石を取り上げて自分の手にある石と合わせてみた。石は、互いを求めるようにぴったりときれいに合わさる。



 「ブランドンは、東のえらい遠いところにある森から来たみたいやった。十年近く前の話や。なんでも、村の厳しい掟から娘を守るために、はるばる旅をして来たんやと」



 モーリーは、テーブルに腰を掛けて昔話をし始めた。ギルもその横に並んで腰かける。



 「腕っぷしは強いみたいやったな。なんせ、ここまでサーベル一本で娘を守りながらたどり着いたわけやから。人助けもしよったみたいで、巷でもよう噂になっとったわ。“伝説の剣士”言うてな」



 モーリーがそこまで話したところで、ギルはベッドの上に目が行く。何か細長いものが、毛布にくっついているのが見えた気がしたのだ。テーブルから降り、念のため確認をしに行く。その細長いものを指でつまんで見てみると、何かの動物の毛のようであった。灰色っぽい色をしており、質感からして人の髪ではない。



 「ブランドンさんは、人間だったんですよね」



 「……せや」



 確認のために聞いたギルの言葉に、モーリーは少し間をおいて答える。その言葉にギルは胸を撫でおろした。弛緩した体から、息をゆっくりと吐きだす。今度は微かに微笑みながら、モーリーの方を振り向く。



 「優しい人だったんですね」



 「ああ、超がつくほどのお人よしや。いや、もうお人よし通り越してただの阿呆やったな」



 モーリーは斜め下を見たまま寂しそうに呟くと、自分の髪をかき上げた。



 「グラーノもちゃんと気づければいいんですがね」



 「ほんまやわ。いつまでこんなくだらん親子喧嘩に付き合わされなあかんねん。うちの専門は医学やっての」



 モーリーは嫌そうな素振りも見せずにテーブルから飛び降りた。テーブルの上に持っていた石を置き、出入り口へと歩き出す。モーリーの手から離れた石は、また二つに分かれて転がった。



 



  家から出て裏側へ回ってみると、十字の前でグラーノはまだ座り込んでいた。後ろにギルが来ても振り返らない。



 「グラーノ?」



 名前を呼び、肩を叩いたところようやくこちらに向き直った。何の感情も感じられない顔でギルとモーリーのことを茫然と見上げる。その様子に見かねて、ギルが右手を差し出す。



 「グラーノ、悲しい時はね、泣いていいんだよ」



 その右手でグラーノの左手を掴んで立たせる。服についた土埃を払ってやりながら、優しく語りかけた。



 「……わかんない」



 グラーノは、下を向いてポツリと呟いた。消え入りそうなその声に、ギルは耳を澄ませる。



 「悲しいかどうか、わかんない。……涙が出てこないんだ。昨日一晩考えてみたけれど、なんかグチャグチャで」



 「……そっか」



 ギルも目を伏せて答えると、立ち上がってグラーノの手を引いた。



 「大丈夫。答えはいずれ出るよ」



 後ろで、モーリーが大きなため息を吐く音と足音が聞こえてきた。ギルは苦笑しながらも、グラーノの頭をポンポンと撫でる。そしてその手を引きながら、モーリーの後に続いて歩き出した。





 モーリーの家では、テーブル越しにマーヴィとオーウェンが向かい合っている。二人ともテーブルの上に右ひじをつき、互いの手を掴んでいた。見つめあうその目は真剣そのものである。オーウェンの掛け声とともに、緊張の糸がプッツリと途切れた。次の瞬間には、マーヴィの右腕がオーウェンの右手をテーブルに組み伏せていた。



 「ああ! また負けたよ。あんた、本当に強いな」



 オーウェンが悔しそうに地団太を踏む。その様子を見て、マーヴィは大きくため息をついた。



 「もう一回、もう一回頼むよ! 今度は左で」



 「断る」



 テーブルに左ひじをつき、待ち構えるオーウェンを一蹴すると、マーヴィは足元のガラクタを少し動かしてそこに腰かけた。それを見たオーウェンも、諦めたのか足でガラクタを退かして腰を下ろした。



 「しかし、魔法が使えるうえに腕っぷしも強いなんて、向かうところ敵なしじゃねえか。あんた、負けたことなんてないんじゃねえか?」



 オーウェンは冗談めかして笑う。笑うたびに、その腹筋は上下に揺れていた。



 「……んなわけねえだろ」



 マーヴィは面倒そうにその場に体を横たえた。腕を枕のようにして、オーウェンから背を向ける。



 「……オレにも一度だって勝てなかった人はいる」



 「へえ、そりゃあ興味深いね。強いあんたを負かしたその人の話、よかったら聞かせてくれよ」



 オーウェンは寝そべるマーヴィの後ろに近寄り、興味津々に声をかけた。近くにあったワインボトルを手に取ると、力づくでコルクを中に押し込み、ゴクゴクと飲み始めた。



 「なんだよ、教えてくんねんのか? 連れねえな」



 「うるせえ」



 耳を塞いで蹲るマーヴィの肩を、オーウェンは笑いながら何度も叩く。叩く手を止めたかと思うと、ワインを呷り、また笑いながら肩を叩くという動作を繰り返した。何度か同じことが繰り返された後でついにマーヴィも我慢の限界が来たのか、起き上がってオーウェンの方に向き直った。



 「手を出せ」



 ようやく話す気になったのが嬉しいのか、酒が回っているからなのか、オーウェンは上機嫌な様子で右手を差し出した。その上に、マーヴィも右手をかざす。青白い光があふれたかと思うと、オーウェンの右手が冷たい空気に包まれた。そして同時に少しずつ右手に重みが加わっていく。手のひらに現れた重く冷たいものを、落とさないようにと咄嗟に左手を添えた。マーヴィがかざしていた右手を引っ込めると、オーウェンの手のひらには、四本足の歪な動物の氷像が鎮座していた。その氷像をまじまじと見ながら、オーウェンは不可解そうに呟く。



 「なんだ? これ。猫? いや、狼か」



 細い四本足で、ようやく立っているその氷像は長めの顔と大きな耳を持っていた。見たことのない生物だ。



 「……ゴートだ」



 どうやら、耳だと思っていたところは角だったらしい。マーヴィは居心地悪そうにあたまを掻くと、また背を向けて寝そべった。



 「あ、ああ。そうか、ゴートか。よくできてるな」



 「いい、気を遣うな。我ながらひどいと思う」



 マーヴィは自分を囲っているガラクタと睨み合いながら、ポツポツと話し始めた。



 「氷魔法ってのはな、本当はもっといろんなことができる。構造のわかっている物なら、基本的になんでも作れる魔法だからな。海の国では銃や小さめの戦艦なんかを作り出して、戦うのが一般的だ。でも、オレはダメなんだ。チビのころから不器用でよ。単純な形の物しか作れねえ」



 マーヴィは右手をかざして、じっと見つめる。ごつごつとしたその右手を、裏に返したり表に戻したリと何度も繰り返し、やがてその手を下ろした。



 「その人は、氷彫刻の職人だった。繊細かつエネルギーの満ちた像を作り出すその人は、他の奴らから“海の国一番の氷像士”と呼ばれていた……オレはな、本当はその人になりたかったんだ。でも、なれなかった」



 「それで、諦めちまったってのか?」



 「……ああ」



 オーウェンの言葉は、少し鋭い。空になったワインボトルを下に置き、足を組みなおす。どう言葉をかけていいかわからないというように、オーウェンは頭を抱えた。その様子を感じ取って、マーヴィは話を続ける。



 「氷魔法の欠点は一つ、術者がいなきゃいずれ溶けちまうってことだ。言い訳に聞こえるかもしれねえが、オレはその人の作品を見たことがない。オレが生まれてすぐに死んだからな。だからこれから先、永遠に勝つこともできない。だから努力でどうこうなるもんじゃねえんだよ」



 そこまで言うと、マーヴィは後ろに垂れた自分の長髪を前に持ってきた。指で何度も髪を梳かすとそのまま目を閉じる。オーウェンは、もう何も言わなかった。物音一つ立てずに立ち上がると、部屋の出入り口へと歩いていく。オーウェンが出ていったのを背中越しに感じ取ったマーヴィは、一つため息をついて訪れた睡魔に身を委ねた。





 青くて明るい、水の中。父さんが笑っている。



 「お前はあいつとよく似ている。きっと大丈夫だ。お前ならできる」



 そう言われると、嬉しくなった。だからがんばった。あの人になれるように、あの人に近づくために。



 黒くて暗い、水の中。父さんが怒っている。



 「どうしてお前は、こんなこともできないんだ」



 そう言われると、悲しくなった。だから諦めた。あの人にはなれず、あの人は永遠に遠いまま。   

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