第31話 守護

 空はすでに白み始めている。


 枯れた山肌にポツリと佇む布の住居から、三人の人影が姿を現した。その一つの小さな人影と二つの大きな人影は、山の斜面を登り始めた。



 「グラが来たんは、三年前。ある日突然、空から落ちてきたんよ。それを最初に見つけて、世話しとったんがブランドンいうおっちゃんやったんや」



 モーリーは右手でしっかりとグラーノの手を握り、後ろを向いて話した。後ろではギルがモーリーの話に相槌を打ちながらも、心配そうな顔でグラーノの後頭部を見つめている。



 「ブランドンは娘をなくしたばっかりで、それで寂しかったんやろうな。グラのことをよう可愛がっとった」



 グラーノのことを引っ張り上げながら、モーリーは慣れた足取りで楽々と山の斜面を上がっている。ギルは、すでに少し息を切らせ始めていた。



 「怪我で動けんこいつを何日も看病して、怪我がよくなったら地上で生きていくために、いろんなこと教えよったわ。文字やったり、剣術やったりな」



 「……。グラーノは、ずっとドラゴンの姿のままで?」



 ここに来て、初めてギルが口を開く。



 「いいや、怪我が治ってからはずっと人間の姿やったよ。ブランドンがええもん持っとったからな」



 「良いもの?」



 モーリーがそのことについて説明しようと口を開いたところであった。山の下の方が、急に騒がしくなる。モーリーの自宅は、すでに下の方に小さく見えるばかりだった。



 「あれ……」



 そう呟いたギルの目には、山の下に広がる平地が映っていた。西の遥か遠くから、昨日ギルたちを襲ったのと同じ魔法生物の群れが走ってきている。



 「ゴート……」



 昨晩あの筋肉の塊のような男から聞いた名前をポツリと呟く。



 「ああ、またか」



 モーリーは特段慌てる様子もなく、その群れが自分たちの住居に近づいて来ているのをじっと見ていた。白い大群に目を細めると、ポケットからまたキャンディーを出して興味なさげに顔をそらした。



 「戻らなくても大丈夫なんですか? モーリーさんの家に向かってますよ」



 キャンディーを口に咥えたままで、モーリーはきょとんとするグラーノの手をまた引っ張り始めている。



 「うちにはオーウェンとあんたらの仲間を一人残してきたやろ。昨日言った通り、自分の身は自分で守る。それがこの集落の常識や。いちいち戻ることとちゃう」



 それだけ言うと、後ろも振り向かずに歩き出す。その後姿を見ていたギルは、チラリと一度だけ後ろを見てからまた山の斜面を登り始めた。


 山を登り続ける三人の頭上には、他の住居と同じように斜面に佇む一つの布の家が見えていた。



 



 斜面の一番下にある家では、マーヴィが一人横になって目を閉じていた。ガラクタにまみれた部屋の中に少しだけ開けた場所を作り、そこに大きな体を埋めている。先ほどギルに一緒に来るかと聞かれたが、ガキの私情になど興味はない。魔王城も目前だ。十分な休息を取らなければ。



 外からは薪を割る軽快な音が聞こえてくる。また目を閉じて眠ろうとするものの、繰り返し聞こえてくるその音を、彼の鋭い聴覚は一音も逃がそうとはしない。やがて諦めたマーヴィは、体を起こして伸びを一つした。頭を掻きながら立ち上がると、注意深く足元を見ながら外へ出た。



 外では昨日出会った筋肉質な男が斧を振り上げていた。男は首にかけたぼろ切れで顔の汗を拭うと、家から出てきたマーヴィに気付いて声をかける。



 「おはよう。よく眠れたか?」



 「ああ、まあな」



 「そうか、そこに水を汲んできてある。顔でも洗えよ」



 男が指さした先には、バケツ一杯に張られた水が置かれていた。マーヴィはバケツに歩み寄ると、水に手を差し込んで自分の顔を濡らした。ただでさえ冬も目前に迫った朝はひどく冷え込む。そんな中で水に触れば体も凍るほどに寒いと感じるだろうが、寒い地域出身のマーヴィにとってはかえって心地の良いものとなっていた。  



 何度も水を浴びていたマーヴィの耳に、何かが近づいてくる音が聞こえてきた。その異音にマーヴィは動きを止める。この音は、昨日聞いたような気がする。後ろでずっと聞こえていた薪割りの音も今は静まり返っていた。



 ゆっくり後ろを振り返る。斜面の下の方から、白いゴートの群れがこちらに向かって走って来ていた。昨日襲われた時よりも数は少ないが、その群れはまっすぐこちらに近づいて来ているようである。



 「おい、オーウェン。どうする」 



 マーヴィは顔を濡らしたまま、薪を割っていた男の隣に立ち尋ねかける。オーウェンは特段慌てる様子もなく、斧をその場において間延びした声を出した。



 「おー、来たか」



 オーウェンはゴートの群れに目を細めて見ると、モーリーの住居の中へズカズカと押し入った。その後に続いて歩くマーヴィは入り口のところで立ち止まる。



 「このままだと家ごと踏み荒らされるぞ。必要なら退治するが……」



 「いいや、殺さないでくれ。先生に数頭捕まえとけって言われてんだ」



 オーウェンは、モーリーの家の中にあるガラクタの山をごそごそと探し出した。やがて、“おーあったあった”と手のひらサイズの紡錘形の何かと、長いロープを数本取り出してきた。



 それを持ったまま、外へと出てくる。オーウェンは近づいてくるゴートの群れを見つめると、先ほど持ち出してきた紡錘型の頂点に刺さっているピンを抜いて、白い大群の目の前へと投げつけた。カラン、とその物体が落ちる音と共に、その場に大きな爆発音が響く。その場に、大量の土埃と爆風が舞った。



 その音に驚いたのか、乱れなくまっすぐに進んでいた群れはバラバラの方向へと走り出す。ほとんどの個体が爆発のあった場所から逃げるように踵を返して走り去っていったが、中にはパニック状態でこちらに突進してくる個体も数頭いた。



 ゴートたちの突進をひらりと交わしたオーウェンが、ロープを投げて一頭の角を絡めとった。残った個体も捕まえようと、暴れるロープを掴んだまま、もう一本のロープに手をかける。



 前を見ると、こちらに走って来ていたゴートは一頭残らず姿を消していた。疑問に思い、あたりを見渡すと、隣にいるマーヴィのそばに五頭ほどが集まっている。よく見ると、マーヴィが氷の鎖でその五頭のことを捕らえているようだった。抵抗して暴れるゴートたちの力など大したことないとでもいうように、マーヴィはこちらを見て鎖を持つ手を差し出してきた。



 「これでいいのか?」



 「あ、ああ。ありがとう。助かった」



 オーウェンはマーヴィの様子に感心したようで何度か頷くと、自分の手に持っていたロープを彼に託し、また家の中へ入っていった。ゴートたちは未だに暴れ続けている。マーヴィはロープと鎖を持ったまま、オーウェンが入っていった家の方をじっと見ていたが、低い地響きの音に気付いて振り返った。



 見ると、捉えた六頭のゴートたちを中心にして、放射状に地面が割れている。そのヒビは、ゴートたちが足を踏み鳴らすほどに広がっていった。ヒビがマーヴィの足元にまで到達したときのことである。唐突に割れた裂けめの中から、鋭く尖った岩がマーヴィめがけて飛び出してきた。マーヴィは寸でのところで上に飛び、氷の盾を作り出す。尖った岩が、氷の盾に深く突き刺さった。



 飛んだ先で着地をしたところ、息つく間もなくまた近くの割れ目から尖った岩がマーヴィめがけて飛び出してきた。また上に飛び、氷の盾を作り出す。着地するごとに尖った岩が飛び出してくる。逃げ場がなかった。



 「マーヴィの兄ちゃん。それはゴートたちの魔法だ。地面からそいつらを離せ」



 後ろから、オーウェンの声が聞こえてきた。それを聞いたマーヴィは、岩をかわしながら六頭のゴートたちの目の前に降り立つ。また岩が飛び出してくる前に、地面に手をついて氷の床を作り出した。氷は、ゴートたちの足元にも広がっていく。やがて、盛り上がった氷の床がゴートたちの身体を地面から数十センチほど離したところで、地割れと岩の追撃は止んだ。



 「おお、それ便利だな」



 オーウェンは随分と間延びした声で言った。片手には膨らんだ麻袋を数個持っている。



 「お前、これわかってたのか」



 マーヴィは氷の床から降りようと暴れるゴートたちの鎖を引っ張ると、真っ黒の目でオーウェンのことを睨んだ。



 「まさか。あの状態じゃあ魔法は使えねえと思ったんだがな。まあ、おれの判断ミスだ。悪かった」



 申し訳なさそうに眉を下げたオーウェンは、氷の床の上に慎重に乗ると、手近なゴートを一頭捕まえた。逞しい体でその個体を組み伏せ、麻袋でその頭を覆う。麻袋をかけられたその一頭は、初めこそ暴れていたものの、やがて動きを鈍らせていった。それを見たオーウェンは麻袋を外して、他の個体に手をかける。



 「麻酔っていうんだよ。先生が発見したんだ。これを吸うとしばらく眠っちまう」



 全てのゴートたちを眠らせたオーウェンが、不思議そうに見るマーヴィに、袋の中身を見せた。中には何かの草が、蓋の空いた小さなビン入っているのが見える。同時に、中から焦げ臭いような匂いもした。


 


 「こいつらはまだ完全にモンスターにはなってねえな。爆弾見て逃げるってことは、まだ理性が残ってるってことだ。おまけにちゃんと魔法も使えるってことは、感染の具合としてはかなり軽度だな」



 オーウェンが、眠っているゴートの目を開いて覗き込みながら言った。氷の鎖を解き、マーヴィは氷の床から降り立つ。



 「捕まえてどうするんだ」 



 「治すのさ。魔王の粉塵に感染した個体をな」



 オーウェンも氷の床から降りたところで、マーヴィが手をあげた。氷の床から細長い棒状の氷が生え、ゴートたちの周りを檻のようにして囲う。



 「治せるのか? そんなこと初めて聞くぞ」



 疑心を隠そうともせずに顔をしかめるマーヴィを見て、オーウェンは眉を下げた。



 「おれはできねえけどな。というか、これは先生しかできねえんだ」



 オーウェンはそれだけ言うと、手招きをして山の斜面を下り始めた。



 「治すっても薬とかじゃねえよ。魔王の粉塵は魔力に作用するから、腹を掻っ捌いて、体の中にある魔力を作り出す器官を取り出しちまうんだ」



 先を歩きながらオーウェンは説明を始めた。マーヴィもその後ろを素直についていく。



 「すげえ難しい手術だから、世界中を探してもこれができるのは先生くらいしかいねえ。あの人はこの技術を使ってたくさんの魔法生物を救ってきた。おれたちは皆、町から追い出されたはぐれ者だがあの人だけは違う。魔王城の最前線で、魔法生物たちの命を救ってやってる人なんだよ。だからああ見えても、本当はすごい人なんだ」



 斜面を下まで滑り降りると、オーウェンは少し北へ向かって歩き出した。



 「ここだ」



 示された場所は、大きな穴が掘られた斜面であった。穴には、高い木の柵が取り付けららている。促されるまま、柵ごしに穴の中を覗き込むと、横長の瞳孔と目が合った。ゴートだ。目測でも数十頭はいるだろうか。穴の中はかなり広いようで、ゴートたちはのんびりとくつろいだり干し草を食べたりしていた。



 「もちろん、器官を取り出された魔法生物は魔法が使えなくなる。野生で生きていくのは難しいから、こうやって保護してやってんだ。おれたちも、ミルクが飲めるしな」



 大人の個体は皆、腹に縫い目や大きな傷跡があるのが見えた。 よく見ると、大人のゴートに混じって数頭、子供もいるようであった。



 「先生に頼めば、あんたもしてもらえるかもな」



 興味深そうに柵の向こうを覗き込むマーヴィを見て、オーウェンはぼそりと呟いた。マーヴィは、目を見開いて後ろを振り返る。



 「何故オレが……」



 「あんたも魔法が使えるってことは、粉塵に感染するかもしれねえだろ。魔王城に向かっているなら尚更だ」



 彼はどうやら冗談で言っているわけではないようである。何よりその目は真剣そのものであった。その


目を見て、マーヴィは一度目を瞑った。



 「……いいや。魔法が使えなくなるのは困る……」



 そこまで口にしたところで、マーヴィは何やら思いついたように口を噤んだ。目を何度か泳がせて、小さな声で呟く。



 「そういや今まで危ない場面は何度かあったが、粉塵には感染しなかったな」



 悪運が強いのか目の前で粉塵に感染し、モンスターと化した魔法生物たちを幾度と見てきたが、自分の体調には何ら影響がなかった。おそらく、モンスターから他の魔法生物たちに移るということはないのだろうが、それにしても運が良すぎる。



 「なあ、粉塵の感染が軽度ってのは、そのまま放っていたらどうなるんだ?」



 考える中でふと思いついた疑問を思わず口にする。オーウェンは、首をかしげて考えるような素振りをしながら答えた。



 「えーと、確か先生が言うには……粉塵ってのは、体内に蓄積していくんだ。それが一定の量を超えると、体内にもとからある魔力と作用しあって爆発をおこす。その時に魔力を作り出す器官は爆発の威力に耐えられずに壊れちまうんだ。そうなるともう体内から魔力を取り除こうが、何しようが治らねえ。その状態を“モンスター”って呼ぶらしい。だからさっき捕まえた六頭も、いずれはそうなっていただろうな」 

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