伝説の剣士編

第30話 恩人


 禿山に分け入ると、いよいよ岩と慣らされていない赤土の道となっていった。長い間、人どころか獣も立ち行っていないのだろう。凸凹とした地面は、歩く者たちの足を何度も捕らえた。休み休み、何とか山を登っていく。


 


 ギルが赤い土から少しだけ顔を見せている石を足場に、体を上に持ち上げようとした時である。山の上の方が唐突に騒がしくなった。何かが地面を踏み荒らす音のようである。その音は徐々にこちらに近づいてきている。上を見ると、グラーノの小さな背中が見えた。彼は注意深げに耳を欹て、周りを見渡している。グラーノはしばらくそうやって固まっていたが、やがてハッとしたように向きを変えて走り出した。



 後ろにいるギルの身体に突進をし、二人そろって山を転げ落ちていく。一番下にいたマーヴィに受け止められたところで、ギルは目を見開いた。



 近づいてくる音の正体は、魔法生物たちの大群の足音であった。山の上の方から、視界を覆いつくさんほどの白い大群がこちらに向かって突進してきている。



 咄嗟にマーヴィが三人の周りを覆うように、ドーム状の氷をはった。魔法生物は、後ろ向きに大きく旋回した角をこちらに向けながら、山肌を滑り降り突進してくる。ドーム状の氷は、あっという間に白い大群に埋め尽くされてしまった。数頭の角が、氷にぶつかり大きなヒビを作っていく。そのたびに、マーヴィはその部分にだけ氷をはりなおして補強していった。



 魔法生物たちの様子は尋常ではない。皆、横長の瞳孔を見開き、仲間の身体に突進したり自ら岩に激突したりと正気を失っているようであった。山の下の方を見ると、バランスを崩して転んだ個体たちが山肌を落ちていくのが見えた。



 足音が通り過ぎ、周りを覆っていた白が姿をなくしたところでドーム状の氷も消える。改めて下の方を見ると、転げ落ちていった魔法生物たちがそこら中に動かなくなって転がっている。赤土の上は、より鮮やかな赤に覆われ、それを踏みつけながらまだ息のあるものたちが角を突き合わせて戦っていた。互いの足や耳に噛みつき、角の先を相手の腹に突き刺し、その繰り返しである。



 そうして戦っていた一頭が、こちらに気付いて角を振り上げた。足場の悪いところも、足の蹄で器用につかみながら登って来る。猛スピードで突進してくるその個体に、ギルとグラーノを後ろに隠し、マーヴィは氷の槍を投げつけた。放った槍は、正確にその魔法生物の脳天に突き刺さる。その個体は、突進してくるときの勢いのまま前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。



 「ふう、びっくりしたぁ」



 下の方で戦っている個体は、こちらには気づいていない。それを見て、グラーノが安心したような声を出した。


 


 「さっきのは、全部モンスターか?」



 「そうだろうね。魔王城も近いし。もうこのあたりには、粉塵に感染してない魔法生物はいないと考えた方がいいと思う」



 これを機に一休みとばかりに、ギルとマーヴィはその場に座り込んで水筒の水を飲み始めた。ここに来るまでの険しい道のりでかなり飲んでしまって、水筒の中はほとんど残っていない。



 「やはり、オレが先頭に立った方がいいんじゃねえのか? お前、サーベルは折れちまったんだろう?」



 「「絶対ダメ」」



 ギルとグラーノの声が一つに重なる。即座に否定されてしまったマーヴィは、居心地悪そうに頭をガシガシと掻いた。


 


 「……そういやガキ、お前は魔法使えないのか? どうしてサーベルなんざ使ってたんだ。お前も一応魔法生物だろ?」



 グラーノは何か言いたげに一瞬マーヴィの方を睨みつけたが、出かけた言葉を水筒の水とともに飲み干した。



 「天竜は普通、風の魔法が使える。練度の高い天竜だったら、鎌鼬とかおこして相手に攻撃できるんだけどね。ボクはあんまり得意じゃないんだ。生まれつき魔力が弱くって、自力で飛ぶのにも他のドラゴンより年月がかかったから」



 グラーノは水筒に蓋をすると、腰にぶら下げている、歪な花の刺繍が入った巾着袋に手を突っ込んだ。


中から布の塊を取り出す。布を開いて見ると、鋭く尖った金属の破片が数枚姿を現した。



 「ボクには、剣を振るう方があってるんだ」



 今の手では、簡単に傷ができてしまう。金属片を一つ、慎重につまみ上げてみた。太陽にあててみると、文字の部分がよく見える。



 「ねえ、グラーノはいつ地上に来たの? 剣術はいつ教わったの?」



 下の方で暴れているモンスターたちは、どこかへ走り去っていったり、戦いの末に力尽きて倒れたりとかなり数が減っていた。それでもまだ立って動き回っている個体が数頭見える。そちらを注意深げに見ながら、ギルが問いかけた。



 「……地上に来たのは三年くらい前だよ。一番最初に降り立った土地で、人間たちに助けられて、剣術と言葉を教わった」



 グラーノは日光にかざしていた金属片をまたハンカチの中に戻すと、丁寧に包みなおした。腰の巾着に入れて紐を縛ると、あたりを見渡す。やがてずっと先の方に視線を留め、不安げにポツリと呟いた。



 「……ここだ」



 



 一休みした後、さらに山を登っていく。ようやく頂上にたどり着いたころには、目の前に日が沈み始めていた。遠くにある魔王城が、太陽の光を受けて黒く佇んでいる。その手前には、見渡す限りの雪原が広がっていた。そのためか、かなり肌寒い。冬もすぐそこまで近づいて来ている。雪原を抜けるときは過酷な旅になるだろう。覚悟しなければ。



 とりあえず、せっかく登って来たのだがまたこの山を下りなければならない。腹をくくり、下を見下ろしたマーヴィは、目を見開いた。それもそのはずである。激しい下りの勾配に、点々と白い布の住居が見えたのだ。



 「こんなところに、人が住んでいるのか……?」



 「ちょうどいい、今日はここに泊めてもらおう」



 信じられないというようにあたりを見渡すマーヴィとは裏腹に、ギルはホッとしたような声を出した。その二人を振り返ってじっと見ていたグラーノは、前に向き直り、ピョンピョンと身軽に山を下り始めた。後ろの二人も、慌ててその後を追った。





 「ねえねえ。おじさん」



 勾配を下りていった先で、最も近い場所にある住居の前に三人はたどり着いた。住居の前には、この肌寒さだというのに、上半身裸の筋骨隆々の男が斧をもって立っていた。男は傷だらけの身体を揺らしながら、不機嫌そうな声を出す。



 「ああ? 何だてめえ……」



 男は振り返った先で、自分に声をかけてきた人物の顔を見る。一瞬、驚いたような顔をした後で、これまた傷だらけの恐ろしい顔を綻ばせた。



 「グラーノ? グラーノじゃないか!」



 男は嬉しそうに言うと、他の住居の方へ向けて大声で叫んだ。



 「おい! みんな、グラーノが帰ってきたぞ!」



 男のその声に、勾配の家々から何人かが顔を出す。皆、こちらを見ると慌てた様子で家を飛び出してきた。



 「グラ! 久しぶりだなあ」



 「無事だったか? 怪我してねえか?」



 集まって来た十数人の人々は、ギルとマーヴィの方には目もくれず、グラーノのもとへ一直線にかけてきた。彼を取り囲むようにして並び、再会の喜びをそれぞれ口にする。彼らは少し不衛生で、どこかしらに傷のある近づきがたい風貌であったが、グラーノの帰還を喜ぶ様子から敵ではないようだ。



 「みんな、その辺にしてやってえな。グラーノ、困っとるやん」



 人ごみを後ろから見ていたギルとマーヴィのさらに後ろから、低い女性の声が聞こえた。その声に、グラーノをもみくちゃにしていた人々は、照れ臭そうに道を開けた。ギルとマーヴィの横を通り抜けた声の主は、三十代くらいの女であった。ぼさぼさの髪に、すっぴんの顔が彼女のことをだらしなく見せていた。



 「先生」



 グラーノはその女を見た瞬間に、ポツリと呟いた。



 「グラーノ、なんで戻って来たん」



 「……勇者を連れてきた。魔王城に行くために。今夜一晩泊めてほしい」



 グラーノはギルの方を指さすと、どこか苦しそうにそれだけを言った。女は指さされた方向を見ると、ボサボサの髪をかき上げて歩き出した。



 「ふーん」



 女はギルのことを上から下までくまなく観察すると、丸眼鏡をクイッとあげて右手を差し出してきた。


 


 「初めまして。モーリーといいます。獣医師をしています」



 その要望に似合わぬしっかりとした口調に、ギルは戸惑いながらも、何とか右手を差し出した。



 「どうも……ギルです。こっちはマーヴィ」



 女は握っていた右手を離すと、マーヴィの方をチラリと見た。軽く会釈をするマーヴィから目をそらし、薄汚れた白衣のポケットに手を突っ込む。中から棒付きのキャンディーを取り出して包装を破り捨てると、口にくわえて気だるげに話し始めた。



 「まあ、グラーノの頼みやから。今夜はうちに泊まってええよ。はいはい、皆、解散」



 モーリーが両手をパンパンと叩くと、集まって来ていた人々はそれぞれグラーノに別れの言葉を言って立ち去り始めた。



 「先生、今日はお祝いだ。肉を持っていくから、火を起こしておいてくれ」



 「はいはい」



 グラーノが最初に声をかけた筋肉の塊のような男は、その場に残って嬉しそうに言った。それを軽くあしらいながら、モーリーは三人の方をチラリとみて山を下り始める。それに従って、ギルとマーヴィも山を下り始めた。



 「ん? グラ、どうしたの?」



 自分の服の裾を掴んだまま、動こうとしないグラーノに気付いたギルが声をかける。



 「……なんでも、ない」



 グラーノは自分の頬を軽くたたくと、険しい顔のまま歩き出した。





 モーリーの家は、山肌で最も低いところにあった。下から見上げると、どの住居よりもかるかに大きい造りなのがよくわかる。



 「散らかっとうけど、気にせんといてな」



 「はい、ありがとうございます」



 そう言いながら住居の入り口に垂れ下がっている布をあげるモーリーに、感謝の言葉を言いながら中に入っていく。中はなるほど、散らかっているという言葉の通りであった。地面には本や何やらわからない植物の束、ぐちゃぐちゃの布がそこら中に散らばっていた。散らばった荷物の間に、一つずつの椅子と机、そしてベッドが辛うじて顔を出している。



 「あ、そこ針置いとおから。踏まんようにな」



 三人が入っていった後ろから、モーリーが声をかける。変に歩き回ると、よくないことが起こりそうだ。三人は下によく気を配り、ゆっくりとその場に腰かけた。



 「さっきのおっちゃんが、もうすぐ肉を持ってきてくれると思うから。そしたら夕食にしよか。ちょっと火ぃ起こして来るわ」



 モーリーは家に入らず、入り口の布を下げてまた外に出ていった。やがて外から、カチカチと石を叩く音が聞こえてきた。





 「いやあ、しっかしグラーノは変わらねえな」



 日はすっかり沈んでしまっている。真っ暗の外には薪と石で作られた簡易のコンロがあった。そこにおこされた火が、鉄製の鍋を赤く照らしている。その周りを囲むように、五人は座っていた。肉を持ってきた男は、嬉しそうにグラーノの肩に腕を回した。グラーノは、眉を下げて苦笑いを浮かべている。喜んでいるような、いないような、そんな顔だった。



 「しかし、こんなところに人が住んでるなんて驚いた」



 困ったグラーノの顔を見ていたのか、マーヴィが助け舟を出す。



 「ここは、世捨て人や町にいられなくなった放浪者たちの集落だ」



 男はグラーノから手を離すと、ステンレスの皿にシチューをよそいながら話した。それをマーヴィに渡す。



 「ほら、食え。ゴートのミルクと肉で作ったシチューだ。うめえぞ」



 全員に皿が行き渡ったところで、男は待ちきれないとでもいうように、自分の皿に入っているシチューを掻き込み始めた。



 「でも、ここは魔王城も近いし、危険じゃないですか? 俺たち、ここに来るまでに巻き角を持った白いモンスターに襲われましたよ」



 「ああ、それがゴートだな」



 スプーンで一口一口丁寧に食べるギルを不思議そうに見ながらも、男は答える。



 「ここでは自分の身は自分で守るのが常識だ。それができるやつだけが残っているのさ」



 「まあ、できん奴は死ぬか出ていくだけのことや。危ないことは危ないけど、スリルがあって楽しいんよ」



 早々に食い終わったモーリーが、二杯目にと鍋の中に入っている大きなスプーンに手をかけた。それを見ながら、男は眉を下げる。



 「そんな風に言えるなんてな。やっぱり先生にはかなわねえや」



 感嘆の声を漏らす男には目もくれず、モーリーはシチューの皿を下におろしてグラーノに目をやった。



 「ところでグラーノ、ブランドンのところには行かんでええん?」



 モーリーのその言葉に、皿を傾けていたグラーノの動きがピタリと止まった。



 「……行かない。向こうも、会いたくないだろうし」



 グラーノも皿を下ろし、視線を下に向けたままポツリと呟いた。その手は震えている。グラーノの様子に、モーリーは小さくため息をついた。



 「あんな、さんざん世話になっといてそれはないんとちゃう?」



 モーリーのその言葉に、グラーノの顔が大きく歪んだ。ギルもマーヴィも見たことのない、怒りの表情だ。



 「でもボクのこと、ここから追い出したのもブランドンだし。ボクのこと、邪魔だって言って」



 「あほ、ちゃうわ」



 グラーノはまだ中身の残っている自分のシチューの皿を転がし、モーリーに飛びかかった。



 「何が違うんだよ、先生だって見てたんでしょ? そう、見てただけだった。ボクがどれだけ頼んでも、ブランドンと一緒にボクのことを邪魔者扱いして!」



 グラーノの目からはボロボロと涙が零れ落ちている。



 「大人はずるいよ! うまいこと言って何も知らない子供を騙して。捨てるつもりなら最初っから拾わないでよ!」



 そこまで一気にいうと、グラーノはモーリーの上から飛びのいてどこかへ走り去ろうとした。その腕を、モーリーが咄嗟に掴む。



 「離して! 先生もブランドンも大嫌いだ。どうせそっちも、会いたくなかったって思っているんでしょ? だったら出て行ってやるよ!」



 「やから、ちゃう言うとるやろうが。会いたいとか、会いたくないとかそういう話とちゃうねん」



 「うるさい! お前らの顔なんかもう見たくない」



 「ええ加減にせえ!」



 モーリーがグラーノの腕を強く引き、大声をあげた。



 「こんのあほうが。お前は恩人の墓参りもでけへんか?」    



 モーリーのその言葉に、暴れていたグラーノは動きをぴたりと止める。



 「えっ」



 「心配せんでも、ブランドンにはもう二度と会えへんわ。二週間前にぽっくり逝ったからな。最期までお前の心配しよったわ」



 モーリーは白衣のポケットから薄汚れたハンカチを出し、グラーノの顔を雑に拭きだした。



 「お前の剣術は誰に習ったん? 文字は? 言葉は? 大怪我をしとったお前の世話を、ろくに寝ずにしてくれたんは誰やったん? 追い出されたんがショックなのか知らんけど、そんな意地ばっかりはっとらんで、墓石にありがとうの一言くらい言ったらどうなんや」



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