第29話 再生
「いたいよお、いたい」
友人は、俺の隣で泣いていた。
「助けて、あつい、いたい」
どこが痛いの? ごめんね、俺には治せないや。
泣きじゃくる友人の右手を包み込み、優しくさすってやった。これが、俺の日常となっていた。
俺が代わるよ。
「いや! だめだ」
そうだよね、君はそういうやつだ。
俺は内心呆れながらも、友人の肩に持たれかかって目を閉じた。友人は、まだ泣き続けている。
次に目を開けた時には、友人は全身真っ黒になっていた。
ああ、苦しくて自分の姿を忘れてしまったんだね。大丈夫、それでも俺はそばにいるから。
先ほどまで、肩だったはずのそこを左手でそっと撫でる。
だって、君は、俺のことを初めてわかってくれた人。君をなくしたら、きっとまた一人ぼっちになってしまう。大丈夫。絶対に死なせたりしないから。
もう、とっくに涙の出なくなった目を擦る。そばに落ちていた毛布で、友人の真っ黒の身体を包み込んでやった。ふと、城の窓から外を見る。城の周りでは、凶暴になったモンスターたちが互いに殺し合いをしていた。そこら中に腐敗した死体や、完全に白骨化した死体が転がっている。酷い匂いなのだろうが、とっくに嗅覚なんて麻痺してしまっていて、それを確かめる方法はない。
一体、ここに閉じこもって何か月、いや何年になるのだろうか。飲まず食わずで、ずっと友人の世話をし続けた。それが、俺にできる唯一の罪滅ぼしだった。これから先も、世界が滅びるその時まで、ずっとこうしているつもりだった。
それなのにある日、男がやって来た。男は、ただ睨みつけるだけの俺とは対照的に、傷だらけの顔を歪めて優しく笑っていた。暗い暗い城の中では、男の小麦色の髪は黄金のようで、あまりにも眩しかった。黄金の男は、優しい笑みのまま、自分の名前を名乗った。
「イグナシオ……」
呟く自分の声で、意識が覚醒した。目を開けると、ここは暗い城の中ではなく、宿屋の一室のようである。横に目を向けると、小麦色の小さな頭が見えた。
「おはよう、ギル」
グラーノは不思議そうにギルの顔を覗き込むと、起き上がってぴょんとベッドから飛び降りた。
「いってえ!」
どうやら、着地した先にマーヴィが寝ていたらしい。ベッドの下の方から、呻き声が聞こえた。
その声に、ギルはゆっくりと起き上がり床を覗き込んだ。
「大丈夫? 回復しようか?」
「いらねえ」
そこには、腹を押さえてうずくまるマーヴィがいた。踏みつけた本人のグラーノは気にする様子もなく、洗面所で口をゆすぎ出した。
「このクソガキが……」
悪態をつきながら、マーヴィも起き上がった。洗面所の前を陣取っているグラーノを押しのけて、その手に握られていたカップを奪い取る。
「あ! 返してよ!」
グラーノは器用に、マーヴィの身体をするする登っていった。しかし時すでに遅く、マーヴィはカップの中に入った水をすべて、口の中に流し込んでしまっていた。
「ああ! ボクまだ終わってないのに!」
マーヴィの身体に捕まったまま、その肩をバシバシと何度も殴る。
「ほらよ」
「いらないよっ! どうせなら汲みなおしてよ!」
マーヴィは口をゆすぎ終わると、空のカップを押し付けた。それを見て、グラーノはより一層怒りをあらわにする。
「ふふっ。はははははは」
背後から、笑い声が聞こえてきた。振り向くと、ギルが腹を抱えて笑っている。急に笑い出したギルを見て、二人は顔を見合わせた。
二人の様子を見ていて、自然と笑いがこみ上げてきたのだ。不思議そうにこちらを覗き込む二人を見て、なんとか止めようとするが自分でも止め方がわからない。
「よかった、ギル。笑ったね」
気づくと、目の前にはいつの間にやら、マーヴィの身体から降りたグラーノがいた。安心したようにニコニコと笑っている。
「ボク、初めてギルの笑顔を見たよ」
「そうかな?」
ベッドに腰かけ、憑き物が落ちたように笑い続けるギルを見て、グラーノも隣に座った。
「ねえ、ギル。ボク難しいことはよく分かんないけれども、こうしているのが楽しいよ。ずっと続けばいいのにと思うくらいに。だからさ」
グラーノが、一通り笑い終わったギルの顔を覗き込んだ。改まった態度で、居ずまいを正すその姿に、ギルも自然と真剣な顔になる。
「振るう剣はなくなっちゃったけれど、また、ついて行ってもいいかな?」
それだけ言うと、グラーノは気恥ずかしくなったのか、顔をそらした。意外な言葉に、ギルは最初こそ驚いた顔をしていたものの、すぐにまた笑ってグラーノの頭に手をポンと置いた。
「ああ、もちろんだよ。こちらこそ、またよろしくね」
グラーノがはにかみながら、ギルの方に向き直る。
そのやり取りを聞いていたのかいなかったのか、マーヴィがベッドの隣に置かれた椅子にドサリと座った。
「マーヴィは……? これから、どうするの? 」
椅子の手すりに右腕を置き、その手の上に頬杖をつくマーヴィに、ギルは慎重に尋ねかけた。マーヴィは真っ黒の目で一瞬こちらをじっと見ると、斜め前に置かれた姿見に視線を滑らせた。
「俺は、任務を遂行する。魔王を倒して、平和を取り戻す。それは変わらねえ」
ゆっくりと言葉を噛みしめながら、昨晩決めたことを吐き出していった。
「お前が魔王を救いたいのならば、敵対することもあるかもしれん。それでもいいなら、オレはついていく」
ギルはその言葉に、心底ホッとしていた。昨夜の話では、呆れて見放されてしまっても、致し方ないと思っていたからだ。思わず、破顔してしまう。
「オレは、お前がいないと陸にいられない。お前も、オレたちがいないと満足に冒険できない。だから、城に着くまでの間だ。それまでに、どうするか決めておけ」
部屋の窓から、ちょうど西のあたりを指さす。ギルは自分の背後、そのはるか先にあるはずの城の形を思い出していた。そして、隣に座るグラーノと、目の前のマーヴィの姿を見る。二人と視線を通わせると、ゆっくりと目を閉じた。
「ああ、二人とも、ありがとう」
「ねえ、悪魔も言ってたけれど、“イグナシオ”って何のこと?」
宿の食事処で、三人は朝食を取っていた。口いっぱいに頬張ったサンドイッチを飲み込んだところで、グラーノが唐突に訊ねかけてきた。
「ああ、それはね、昔俺が会った天竜の名前だよ」
器用にベーコンを切り分けるギルが、隠すことでもないというようにあっさりと答えた。
「え? ボク以外にも、陸に来た天竜がいるの!?」
グラーノが、驚いたように椅子の上に立ち上がる。あまりにも大きな声を出したため、他の宿泊客が一斉にこちらを向いた。
「おい、ガキ。静かにしろ。後、座れ」
すでに空になった皿の前で、マーヴィはため息を吐いた。紅茶の入ったカップに手をかざすと、取っ手を持って一気に飲み干す。
「それって本当なの?」
「うん、そうだよ。実をいうと、陸に来た天竜はいっぱいいる」
ギルはまだ半分ほど残っている皿を横に滑らせて置くと、声を潜めて話し始めた。
「千年前にはまだ、空と陸の交流はあったんだ。地面から飛び立つのが苦手な天竜のために、海の近くにたくさんの高い建物が建てられた。今はほとんど残っていないみたいだけれども、確実に一つは残っている」
ギルは西の方角を指さした。グラーノも、つられてそちらの方を見る
「魔王城の後ろは断崖絶壁の海だ。千年前、あそこは王都だったんだ。そして、陸、海、空すべての交流の中心部でもあった。大陸の西の果てに、魔王城が存在する理由はそれだよ。海が目の前で、土地も低くなく、前方に山もあるから他の土地から攻めて来づらい。とにかく一番の好条件がそろった場所なんだ。四方を山に囲まれた、現在の王都とは大違いだね」
そこで一度紅茶を飲み、一息をつく。
「近くで見てみると、圧巻だよ。この町の時計塔なんて目じゃないくらい高いんだ」
ギルは大方話し終わったというように、横に退けていた皿を自分の目の前に戻した。それを見たグラーノも、立ち上がっていた椅子に、行儀よく座りなおす。
「それなら、このガキも上に戻れるかもしれねえのか。よかったじゃねえか」
新しく茶を注ごうとポットに手をかけるマーヴィを、グラーノは睨みつけた。
「ボクは戻らない。戻りたくない」
「は?」
聞き返すマーヴィから、フイッとそっぽを向く。グラーノは、また口いっぱいに残ったサンドイッチを押し込んだ。
その様子を見て、マーヴィは居心地悪そうに頭を掻く。
「それにしても、千年前の天竜たちは、どうやって地面を歩いていたんだ?」
少し悪くなった空気を敏感に感じ取ったマーヴィは、話題を変えようとギルに質問を投げかけた。ギルは最後のベーコンの切れ端を口に入れると、紙ナプキンで口元を拭って話し出した。
「俺たちラプターが、やって来た天竜たちに人の身体を与えていたんだ」
「えっ!? ちょっと待って? ラプターって、絶滅したって言われている生き物だよね? ギルって絶滅してたの?」
グラーノが、また椅子の上に立ち上がる。マーヴィは顔をしかめてそちらを見やった。
「ちょっとお前、黙ってろ」
「だって、だって、初耳だよ! ギルもボク達と一緒で、人間じゃないの!?」
グラーノは、面食らった顔でギルの方を見る。当のギルは、周りの目線がこちらに向いているのを背後に感じて、苦笑いしていた。
「あのなあ、だいたいお前、おかしいと思わなかったのか。さんざん人間は魔法を使えないって言われてるのに、こいつ二つも魔法を使えるんだぞ」
マーヴィは、頭を痛そうに抱える。
「でも、それはスランバーとか、猩々族の人たちもいるし……」
「それだけじゃねえだろう。崖から落ちた時とか、このもやしがどうやって登って来たと思っているんだ。他にも、おかしいことはたくさんあっただろうが」
テーブル越しに腕を伸ばし、グラーノの頭を押さえつけて無理やり座らせる。グラーノは唖然としたまま、素直にその場に座った。
「え、そっか……。もしかして気づいてなかったの、ボクだけ?」
「そうだ」
グラーノは何か考える素振りを見せた後、目を輝かせてテーブルに身を乗り出した。
「ねえ、ギル。ラプターってどんな生き物なの?」
絶滅したはずの生物が目の前にいることが、嬉しくて仕方ないのだろう。彼の皿の上には、まだスクランブルエッグとサラダが残っていたが、それを食べようともせずにギルの答えを待った。
「えっと、すごく大きい鳥だよ。人を乗せて運べるくらいにね」
「変身魔法は皆使えるの?」
グラーノは先を急かすように、さらに体を乗り出した。
「うん、そうだよ。もともとは狩りの時に獲物と同じ姿に化けるために使っていたみたいだけれども、人間と一緒に暮らすようになってからはもっぱら人間になるために使ってた。普通の人間と、変わらない生活を送るためにね」
「へえ、フラジールさんも言ってたように、人間と仲良く暮らしていたんだね」
グラーノのその言葉に、ギルは少し目を伏せた。またカップを持ち上げて一口飲むと、眉を下げて笑った。
「うん、そうだよ。俺たちラプターは、必ず一人、人間のパートナーを作ることが一般的だった。食事の時も、労働の時も、そして戦いの時ですらも、ずっと一緒にいる。背中を預け合う、いわば互いの半身だ」
そこまで言うと、一瞬動きを止める。何かを思案するような素振りを見せた後、カップの中の紅茶を飲み干し、椅子を引いて立ち上がった。上着を羽織り、グラーノにまた笑いかける。
「グラ、早く食べて。こんな話してたら、会いたくなってきちゃったよ」
ギルは、そそくさと傍らに置いていた荷物をまとめ始めた。それを見て、マーヴィも立ちあがる。グラーノは、きょとんとしながらも、残った皿の上の物を片付け始めた。
「なあ、お前馬とかには変身できねえのか?」
時計塔の町を出てしばらく西に進んだ。目の前には、高い禿山が立ちはだかっている。そこに向かうまでの道のりは、徐々に岩と堅い土だけの、険しいものになっていく。
「うーん、昔はできたんだけれどもね」
ギルは、すでに息を切らせ始めていた。
「できたのかよ」
一度立ち止まって、息を整える。それを見た、マーヴィとグラーノも立ち止まった。
「最近、変身魔法がうまく使えないんだ。何とか、人の姿だったらなれるし、人にもかけられるけれども。なんとなく、魔力が弱まっている気がする。でも、回復魔法の方は全然平気なんだ。だから、よくわからない」
「なんだよ、それ」
ギルは、そばにあった腰かけにちょうどいい石の上に座った。水筒の蓋を開け、喉を潤す。
「? グラ、どうしたの?」
マーヴィも近くの石に座り休憩を始めたというのに、グラーノだけは立ったままで辺りを見回していた。それを見て、ギルは疑問を口にする。
「ボク、ここ知ってる」
緑のほとんどない土色の景色を、グラーノは何度も見回していた。その表情は、嬉しそうな、悲しそうな、ともかく複雑なものに見えた。
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