第28話 枯れ尾花

 町の南側を流れる川の傍に、マーヴィは立っていた。覗き込むと、川底の砂がよく見える。時々小さな川魚達が、連れ立っていそいそと泳いで行っていた。少し視線をあげ、一点の濁りもない川の流れを仔細に眺めた。かなり上流の方のため、幅も深さもそれほどない。淵のほうまで行ったとしても、胸の高さくらいの深さだろう。浅瀬に引っかかるようなことがあれば、元の体では容易には抜け出せない。慎重に行かなければ。



 そう決心をし、服を脱ごうとマントに手をかける。……指が、開かない。手を見ると、親指以外の指の肉が、ぴったりとくっついてしまっていた。



 「あーくそっ」



 うまく動かない手で、何とか服を脱ごうとする。両方のブーツを脱いだところで、マーヴィはバランスが取れずにその場に倒れ伏した。足を見るとくるぶしから下が、尾びれのような形でくっついてしまっていた。まだ体にまとわりついている服を、引きちぎるようにして脱ぐ。そのまま、両腕だけで這うようにして川の中へ入っていった。



 素早く、淵の深いところまで泳ぎ出る。川の流れに従って少し下ったところで、遠くに見える時計塔を見上げた。水から頭だけを出して、じっと見つめる。


 そのまま、チャプンという音を立てて、水の中へと沈んでいった。





 時計塔の町の中を、白い髪を揺らしながら歩く青年が一人。青年は、何かを探すように目線をせわしなく動かしながら、しっかりとした足取りで歩いていた。行き交う人々の動きを慎重に見ながら、自分の行き先を決めているようであった。



 ふと、一軒の建物の前で足を止める。その建物には、十字のマークがついた看板がぶら下げられていた。何のためらいもなく、中へと入っていく。



 床に寝そべっている怪我人たちを、踏まないようにゆっくりと進む。それでも、目だけは未だにせわしなく動かしていた。 



 「いたいよぉ。おかあさん」



 小さな子供が声をあげた。ゆっくりと歩いていた青年は、ふとその子供の前で立ち止まり、目線を合わせるようにして座り込んだ。添え木の括り付けられた子供の右腕を優しくとると、自分の手を覆いかぶせる。突然のことに逃げ腰になる子供に優しく笑いかけ、「大丈夫、大丈夫」と声をかけ続けた。青年の手から、青い光がしばらく溢れた。青い光は、子供の右腕を穏やかに包み込んでいった。その光りが消えると同時に、青年はまた優しく笑いかける。



 「もう大丈夫だよ。包帯、取ってごらん」



 それだけのことを言うと青年は立ち上がり、またキョロキョロと部屋を見渡しながらゆっくりと歩きだした。


 きょとんとした顔でその背中を見送る子供が、自分の右腕から痛みがなくなっていることに気づくのはもう少し後であった。




 「アンナ、大丈夫だ。もうすぐ治療してもらえるからな。だから頑張って息してくれ。そうだよ、その調子。ゆっくり吸って、吐いて。」



 青年は、一つの部屋を覗き込む。そこには、頭に包帯を巻かれた女と、傍らでその女性の手を握る男がいた。女性は、ベッドの上に寝かされている。その耳元に口を近づけて、男は何度も何度も震える声を出していた。


 青年は部屋を一通り見渡すと、男の隣に歩み寄って膝をついた。



 「どうされたんですか」



 男は唐突に表れた青年に驚き、肩をビクリと震わせた。真っ赤に泣きはらした目を青年に向ける。



 「瓦礫が頭の上に落ちて……」



 男は震える声で答えると、女の手を愛おしそうに撫でた。青年が、男の腕を掴んで優しく引く。



 「大丈夫。死んでいないなら、助かりますよ」



 男の手が女から離れると、青年は素早くその間に滑り込み、女の包帯を外していく。



 「な、なにしているんだ!?」



 男は驚いてやめさせようとするが、青年はただ微笑むだけで、その手を止めようとはしない。


 ついに、すべての包帯が取り払われた。青年が割れ物を扱う時のように女の頭を両手で包み込むと、ガーゼを少しずらして傷口をじっと眺めた。



 「頭蓋骨が広く陥没していて、脳にもかなりのダメージがはいっている。幸い、脳みその一部を落っことしてきたりはしてないみたいだけれど……頭は特に気を付けて治さないとな」



 そう独り言をつぶやくと、傷口に右手をかざす。また、青い光があふれた。光は、女の頭を正しく元の形へと戻していく。ひび割れて窪んだ頭蓋骨が、パズルのようにぴったりとつながり、さらにその周りを皮膚と髪が包んでいく。青年が手を離すと、スウーと女は深く息を吸い込んだ。



 「アンナ? アンナ!」



 茫然と見ていた男が、女の息の音に気付いて駆け寄る。男はしばらく女の胸に耳を当てたり、口元に手を置いてみたりしていたが、やがて女のことを抱きしめて大声で泣きだした。


 その様子を見届けると、青年は何も言わずに部屋を出た。また、視線を動かしながらゆっくりと歩き出す。


 



 しばらく歩き続けた青年は、一番奥の部屋までたどり着いていた。その部屋の前だけ、これまでの廊下の喧騒が嘘のように静かだ。ここに人は一人もいない。そう確信したように、青年はくるりと向きを変えて歩き出した。



 数メートル進んで、ふと振り返る。後ろは相も変わらず、不気味なくらいに静まり返っていた。なにか迷っているように、青年は視線を泳がせる。


 しばらくそうやって立ち止まり、何やら考えていた青年は、何かを決心した顔でまた静かな空間に歩を進めだした。建物の一番奥にある部屋の扉に手をかける。



 中はさらに静かだった。扉を閉めると、わずかな環境音も聞こえてこない。部屋の中には、白い布が頭までかぶせられた人間が数人ほど横たわっていた。青年は、微かな肌寒さを感じながらも腹をくくり、一番手前にいる人間の布を剥いだ。顔を注意深く確認し、また丁寧に布をかけなおす。それを他の横たわっている人間相手に、何度も何度も繰り返した。



 最期の布を剥いだ時、その人間が唐突に大きなため息を吐いた。青年は顔をしかめて、布をかけなおす。死者は息を吐きだすことはあっても、吸い込むことはしない。ここにいる皆は、自分が死なせたようなものだ。


 自分の右手を開き、見つめる。また何か考えだしているようであったが、すぐにフルフルと首を横に振り、右手を下にさげた。横たわる人間たちに背を向けると、扉を開けて部屋から出ていく。小さく、“ごめんなさい”とだけ言い残して。





 青年は診療所を出たあと、町からも出て南へ下り始めていた。もう随分と歩いた。町人の話では、このあたりに川があるはずだが……。耳には、微かにせせらぎの音が聞こえている。その音を頼りに進んでいくと、遠くに人影を見つけた。どうやらその人影は、川に半身だけ浸かっているようであった。黒い長髪を地面に垂らしてピクリとも動かない。青年はそっと身をかがめると、その人影に近づいた。



 「さっきぶりだね、マーヴィ」



 マーヴィの下半身を見ると、すでに人の物ではなくなっていた。黒い皮膚に、大きく強靭な尾びれ。まだ辛うじて人間の様相を保っている上半身を水から出し、川縁にもたれかかって空を見上げていた。



 「随分と呑気だな」



 後ろから聞こえてくる間延びした声に内心呆れながら、水中の尾びれをゆらゆらと揺らした。



 「ははっ。人魚みたい」



 「男の人魚なんざ嬉しくねえだろ」



 マーヴィは腕だけを使って、何とか川から這い上がる。大きな尾びれを引きずりながら、這ってくる姿に笑いながら目線を合わせて座り込む。



 「待っててくれたんだね」



 「うるせえ、早く何とかしろ」



 「はいはい」



 青年は困ったように笑うと、マーヴィの首に新たに鉤爪の装飾がついたペンダントをかける。鉤爪は、どこも割れてはいない。装飾がかすかに光ったかと思うと、マーヴィの下半身は徐々に人の足へと変化していった。



 「これ、お前の爪だったのかよ」



 ようやく立ち上がることができるようになったマーヴィは服を着ると、苦々しい顔でペンダントをつまみ上げた。



 「魔力の器は、魔力の持ち主の体の一部だと長持ちするんだよ」



 青年は、ブーツを脱いで右足を見せた。靴から出した時には五本指の単なる人の足だったが、徐々に黄色味がかった、四本指の鳥の足に変わっていった。 指には鋭い鉤爪が生えそろっている。それは、これまでマーヴィの首にかかっていたどのペンダントの装飾とも相違ないものだった。



 「人魚の魔法のおかげで、切ってもすぐに生えてくるんだ」



 青年は嬉しそうに笑っていた。すぐに足を人のものに戻すと、ブーツを履きなおす。



 「そういば、グラはどこにいるの? まさか、時計塔の上とかじゃあないよね」



 「残念ながら、そのまさかだ」



 ペンダントを下ろし、腕組みをするマーヴィは少し苦々しい顔をしていた。



 「はは、それは骨が折れるね。……まあ、とりあえず迎えに行こうか」



 二人は、時計塔を目指して歩き出す。すでに、日は西に傾きだしていた。





 魔王城が、西日を受けて黒い影を手前の禿山に落としていた。歪んだ時計塔の窓枠に大きな手で捕まり、影の動きをただじっとグラーノは見ていた。もう、鱗は上半身にまで浸食し始めている。小指と薬指は変形し、腕に沿って肩側に長く伸びていた。その間には、薄い飛膜が張っている。



 下を見ると、行き交う人々が見えた。空には、何かの鳥の群れが連れ立って飛んでいる。グラーノは、ため息を吐くと、階段の方へ前足の爪を使って登っていった。悪魔の仕業で、かなり傾斜のひどくなった階段に腰かけて下を見下ろした。先ほどから、ずっとこの繰り返しだ。外を見ては肩を落とし、階段に座っては落胆し、いつまでこんなことを続けるのだろうか。



 そうして座っていると、外が暗くなっている感覚を感じた。また外を見に行ってみよう、とグラーノが立ち上がった時である。階段の下の方から、聞き覚えのある話し声が聞こえてきた。


 階段をいくつもすっ飛ばして、飛び降りる。身軽に飛び、駆け抜けるグラーノは風のようであった。二人の話し声は徐々に大きくなっていく。最期の階段を駆け下りたグラーノは、目の前に現れた白い青年の胸に飛び込んだ。



 「ギル!」 





 「あー。つまりお前は、千年前に魔王を封印した勇者本人で、魔王と一緒に千年間眠っていたってことか?」



 昨晩泊った宿屋に戻って来た三人は、その一室で向かい合って座っていた。ギルは、湯気の立つカップを傾けながら、コクリと素直に頷いた。



 「すごい! 世界を救った勇者だなんて!」



 グラーノは、左耳のイヤーカフを揺らしながら身を乗り出した。



 「その言い方はあんまり好きじゃないかな」



 ギルはカップをテーブルに置き、しかめ面で座り方を正した。



 「まず、世界を救ったのは俺じゃない。一人の人間だ。彼は、俺の友人なんだけど……」



 宿の窓から、暗い外を見やる。西の太陽はもう跡形もなくなっていた。



 「戦争が起こったんだ。王国を打倒しようとする動きが、国民の間で広まった。繰り返される争いに、世界は怒りで満たされていった」



 マーヴィとグラーノは、黙って真剣な表情で聞いていた。部屋の空気は、ピンと張り詰めていた。



 「だから、彼は争いを止めるために、世界中の怒りを吸い上げたんだ。世界を覆うほどの膨大な怒りは、彼の体に取り込まれた。そして絶えることのない怒りに身も心も焼かれて、苦しみ続けた」



 ギルは、窓の外を指さす。



 「それが、魔王の正体だよ」



 ギルが話し終わったと同時に、微かに部屋の緊張がとける。マーヴィは、小皿に盛り付けられた、時計塔を模したクッキーに手をのばした。



 「なるほどな。気の毒な話だ。だが、実害がある以上は殺すほかない」



 サクサクという軽い咀嚼音を立てて飲み込む。目の前のギルは、悲しそうに俯いてしまっていた。



 「お前も見てきただろう。魔王の粉塵は凶悪だ。そいつ一人殺せば、この先の何百、何千という命を救える。確認しておくが……お前は、かつての友人を殺す覚悟はあるのか?」



 隣で、グラーノが何か言いたげに動いたのが目の端に見えたが、素早くその口を塞ぐ。マーヴィは、ただギルの答えだけを待っていた。



 「……殺せない……かな。だから、こうして他の方法を探して旅をしているんだ。魔王を救うための旅をね」



 ギルは悲痛な面持ちで、顔をあげた。



 「その方法は、見つかったのか?」



 「…………いや」



 マーヴィは深く息を吐きだし、頭をガシガシと掻いた。



 「もう魔王城はすぐそこだぞ。ふざけるんじゃねえ」



 苛立ちを隠そうともせずに立ち上がり、部屋の扉に手をかける。



 「風にあたって来る。少し考えさせてくれ」



 それだけ言うと、マーヴィは扉を思い切り閉めて出て行ってしまった。残ったグラーノは椅子から飛び降りると、うつむくギルの頭を、背伸びをして撫でた。



 「意外だね。グラは、悪者嫌いでしょ?」



 「うん……モンスターに襲われた人も、人狼も、それから猩々たちもみんな可哀そうだと思うよ。だから、魔王のことは許せない。…………でも、それ以上にギルが辛そうだから」



 撫でていた手を下ろし、クッキーの入った小皿に手を伸ばす。それをギルの膝の上に差し出すと、小さな声で呟いた。



 「きっと大丈夫だよ、未来のことなんて誰もわからないんだから」 

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