第26話 白と黒
「「お、おはようございます!」」
出発しようと、日の出とともに部屋の扉を開けた三人の目に真っ先に飛び込んできたのは、カルカロドンの男たちだった。四人とも、緊張した様子で背筋を伸ばしている。
「マーヴィ様、朝食はどうされますか!?」
「いらん」
ぶっきらぼうに男たちを突き放すと、ギルとグラーノに目くばせをしてスタスタと歩き始める。そっと後ろを見ると、男たちもその数歩後ろを家来のように付き従って歩いている。
「律儀に、近くにいたんだね。一晩もあれば逃げそうなものだけれども」
ギルが背伸びをして、マーヴィにこそっと耳打ちをした。
「こいつらに逃げ切るまでの頭はない。昨日の脅しが利いているのもあるがな」
受付で新聞を広げている宿の主人に挨拶をすませ、外に出る。外は朝の冷たい風が吹き、肌寒いくらいであった。宿屋の庭に植わっている木も、鮮やかに紅葉し、風が吹くたびにその葉を振るい落としている。
「お前らは先に海に戻っていろ」
宿の外門をくぐったところで、マーヴィは四人の男たちに向き直りそう言った。同時に、人の顔の大きさはある大きな二枚貝を男たちに手渡す。男たちがそれを開くと、中には何かの黒い文字が書かれているようであった。陸で使われている字とは全く違う、不思議な幾何学模様の羅列である。男たちは、その文字を流し読みすると、何度も頭を下げて礼を言い始めた。
「あの、もう行かれるのですか?」
男たちは一通り礼を言い終わると、すぐには立ち去らずにおずおずと尋ねかけた。
「ああ、急ぎだからな」
四人の男たちは互いの顔を見合わせてヒソヒソと何やら相談し始めた。
「あのう。マーヴィ様たちは、魔王の討伐に来ているのですよね」
「そうだが」
はっきりとしない男たちに、マーヴィはまたいらいらとし始めていた。
「あの、時計塔には登らないのですか?」
「なぜ登る必要がある? オレたちは観光に来たんじゃねえぞ」
イライラを隠そうともせずドスのきいた声で言い放つマーヴィに、男たちは体を小さく縮めた。震えた声で何とか言葉を口にする。
「い、いえ! あそこの最上階から、魔王城が見えるので……」
「え、そうなの? じゃあ一回くらい見ておこうよ!」
嬉しそうな声を発したのはグラーノだった。
「案内してよ。ね、ギルもいいでしょ?」
目を輝かせながら、ギルの服を引く。ギルは“わかった、わかった”と苦笑いしながら、マーヴィの方を見た。マーヴィはため息をつく。
「はあ。まあ、敵陣の偵察は戦いにおいて重要ではあるな」
その言葉を合図に、グラーノは嬉しそうに飛び跳ねながら走り出した。
「はあ、もっと簡単に飛べたら、上まで一瞬なのに……」
時計塔の階段を、勇者とカルカロドンたちは登っていた。十一階まであるという時計塔の階段は、永遠に続いているようにさえ感ぜられた。少し見上げると、階段、階段、階段……さすがのグラーノも息を切らせていた。
「はあ、はあ、マーヴィおんぶして」
「ああ、ボクも……」
「お前ら、オレに体重をかけるな。うっとおしい」
服にぶら下がり、そのまま運んでもらおうとしている二人を振り払う。
「おい、もう着くぞ。今十階を通り過ぎたところだ」
最後の段を乗り越えると、眼前に大広間が見えてきた。一面ガラス張りで、町全体が見渡せるようになっている。まだ朝の早い時間帯だからか、人は数えるほどしかいなかった。
「こりゃあ、相当高いな」
へたり込んでいるギルとグラーノをしり目に、マーヴィは眼下に広がる景色を眺めた。昨日の市場が見える。朝の買い物に来た人々が蟻の軍隊のように蠢き合っていた。
「はい。それで、あそこが魔王城です」
カルカロドンたちの言葉に、ギルとグラーノも顔をあげる。太陽の光が差し込む反対側。そのはるか先に連なる山の間から、小くポツリと黒い古城が見えた。
「なんか、怖そうなところだね」
手前の山はなぜか禿げ上がってしまっている。魔王城に近づくほどに、地面が白い氷で覆われているようであった。不思議と生き物が近づいてはならないような、そんな気配を遠めでもわかるほどに発していた。
「あの山の先には永久凍土の土地があって、その最果てに魔王城があるんです」
カルカロドンの男の一人が指をさしながら説明を添えてくれた。
「うーん、手前にある山のせいで少し見ずらいな」
グラーノがぴょんぴょんと飛び跳ねながら不満を口にした。
「もう少し上から見られないのかな」
チラリと、上りの階段の方を見る。そこは、ロープが張られており、入れないようであった。
「ここより上は関係者以外立ち入り禁止なんですよ。時計の仕掛けがある階なのでね」
背後から唐突に声をかけられる。振り向くと、赤髪に背広の男が少し離れたところに立っていた。男は上着の襟元を正しながら、ニコニコと笑って歩み寄る。
「四人とも、ご苦労様でした。もう行ってもいいですよ」
そうカルカロドンの男たちに笑いかけた。どうやら知り合いのようである。男たちは軽く勇者たちに頭を下げると、そそくさと階段の方へ走って行ってしまった。その背中を見送ると、赤髪の男は、腰のあたりで束ねた長髪を揺らしながら、ゆっくりと振り向く。
「お久しぶりです。そちらのお二方は初めましてですね」
男は、胸元にあるクラバットを撫でながら愛想よく笑いかけた。
「ははは、そんなに警戒しないでくださいよ」
苦笑する男の視線の先には、睨みながら手のひらをこちらに向けるマーヴィと、サーベルに手をかけるグラーノがいた。グラーノは前を睨みつけたまま、後ろの勇者に問いかけた。
「なんかよくわからないけれども、こいつを見た瞬間にすごく鳥肌が立った。こいつ、何なの?」
マーヴィも同じように何か思うところがあったのだろう。男の言葉を無視して、構えていた手のひらから氷の大鎌を作り出していた。
「……。彼は……」
ギルが二人の肩に手をそっと置く。そして二人の体を後ろに引くと、自ら前に進み出た。その表情は髪に隠れていて見えない。
「……悪魔……だよ」
言いずらそうに、床を見下ろしたまま呟く。その言葉に、グラーノはサーベルを引き抜いた。
「戦ったらだめ。大丈夫だから、二人とも落ち着いて」
ギルは二人に小声でそれだけを言うと、目の前の赤髪の男をじっと睨みつけた。
「何をしに来たの?」
男は一瞬目を見開くと、力なく笑った。
「ははは。随分な物言いですね。ようやっとあの木偶の坊から解放されて、ここまで迎えに来て差し上げたというのに」
「頼んでない」
ピシャリと言い放つギルに、男は愛想笑いを崩さずに右手を差し出した。
「相変わらずお厳しい。まあそうですね、目的はそれだけではありません。本当は、答えを聞きに来たんですよ」
男は差し出した右手の人差し指を立てて、ギルの胸元を指さした。
「もういいでしょう。十分です。いい加減、お決めになったらどうですか」
そこで一旦言葉を区切り、顔に張り付けた愛想笑いを止めた。無表情に、淡々と言葉を発する。
「魔王を殺すのか、殺さないのか」
男は細めていた目をかすかに開く。赤い瞳が、不気味に光った。
「まさか千年前と同じように、答えを出せずに先送りなんてこと、しませんよねえ? ねえ、勇者殿?」
ギルは黙ったままだ。しばらく地面を見下ろしていたが、やがてゆっくりと顔をあげた。
「さっきから何の話をしてるの? お前、いい加減ギルから離れなよ!」
何か嫌な予感を感じたグラーノが、咄嗟に前に躍り出る。手に持ったサーベルの刃を、悪魔に向けて威嚇した。同時に、パキンッと、金属の折れる音がする。
「!?」
グラーノのサーベルが、真っ二つに折れていた。折れた先の方は重力に従って落ち、木の床板に突き刺さった。
「ほう、イグナシオたちの末裔ですか」
「グラーノ、早く下がって」
「あなたたちはもう用済みですよ。よくここまで勇者殿を連れてきてくれました」
悪魔が右手をあげる。鋭く尖った爪でグラーノの左耳を指さすと、彼のイヤーカフが炎をあげて燃え始めた。
「あっつい!」
グラーノは慌ててイヤーカフを耳からむしり取る。床の上に落ちたイヤーカフは数秒と待たずに燃え尽きてしまった。茫然とその様子を見ていたグラーノの後ろから、黒い塊が悪魔の方めがけて飛び込んできた。
マーヴィの大鎌の先が、悪魔の前髪をかすめる。悪魔は身軽に数歩後ろに飛ぶと、さらに放たれる鎌の一撃を右手で受け止めた。
「!?」
悪魔の右手は氷に覆われている。鋭い鎌の刃は、その氷部分にただ傷をつけるばかりである。悪魔が空いた方の手をあげ、何かをしようとしているのをみたマーヴィは咄嗟に鎌を手放して後ろに飛ぶ。先ほどまでマーヴィの頭があった場所は、悪魔の左手から放たれた炎で覆われていた。
着地した先で、マーヴィは素早く左手で自分の右肩を掴んだ。パキパキと音を立てながら、右肩を中心にして、上半身を覆うように氷が張り巡らされていく。右手の指先は鋭く尖り、鉤爪のように長く伸びていた。鉤爪を持つ氷の鎧騎士となったマーヴィは、床を蹴って悪魔のもとへ飛び込む。その顔めがけて振り上げられた右手は、退屈そうな悪魔の顔を正確に捉えた。しかし、その鉤爪が悪魔の肉をえぐることはなかった。悪魔とマーヴィの間に、床板が割って入ったのだ。床板は、悪魔を守るようにして下から起き上がっている。鉤爪は、床板の木目に大きな傷をつけるだけであった。
建物が、大きく揺れ出した。時計塔を形作る木材が、意志を持ったようにうごめきだしたのだ。二人の戦いの様子を見ていた他の人々は、パニックに陥り、我先にと階段へ押し寄せている。あちらこちらから怒声や泣き声が聞こえてきた。
「おい、何をぼさっとしてやがる!」
うごめく床板に足を取られながらも、マーヴィは座り込んでいるグラーノを見つけて抱き上げた。
「マーヴィ! グラ!」
すぐにギルもふらついた足取りで合流する。
「くそっ。こいつ、なんでもありじゃねえか」
「だから、戦ったらダメだってば!」
時計塔の上部は、ミシミシと音を立てながらひねりあげられていく。窓も全て割れ、この階に存在するすべての物がいびつに歪んでいった。三人が立っている場所も、徐々に傾斜を大きくしてく。マーヴィは咄嗟に、グラーノを左手で持ったまま、ギルを背中に乗せた。その頃には、ほとんど傾斜六十度近くなり始めている床に、鉤爪を突き刺してぶら下がる。下を見てみると、ガラスの割れた窓枠と、数十メートルほど下に離れた地面が見えた。落ちれば、間違いなく命はないだろう。
「マーヴィ、左手にも鉤爪を作って登れない?」
マーヴィの背中にしがみついたまま、ギルが提案をする。
「ああ、左手が空いてたらな」
「じゃあ、グラのことも氷の鎖かなんかで捕まえといて……」
「この鎧で出せる氷は全部だ」
「じゃあ鉤爪以外の部分を解けばいいんじゃないの?」
「この鎧はこれで一式なんだよ。言っておくがオレはそんなに器用じゃない。他の部分を解けば、鉤爪の部分も引っこ抜ける可能性があるがそれでもいいか?」
珍しく、マーヴィの口調には落ち着きがない。いくら彼とはいえ、この状況でずっといられるわけではないだろう。なにか、他に策を考えなければ……
「ははは、見ものですねえ」
上部から声が聞こえる。三人が見上げた瞬間、バキッいう何かが折れる音がした。木材で作った足場の上から、悪魔が氷の大鎌を振りぬいていた。鎌の先は、正確にマーヴィの鉤爪を狙い、すっぱりと切り取ってしまう。三人が落ち始める前に、悪魔は二撃目を振りぬいた。今度はマーヴィの胸元を狙う。その場に鮮血が飛び散った。
落ちてゆく。重力に従って、下へ下へ。
全てがスローモーションのように見えた。空がだんだんと遠くなっていく。マーヴィは、ただゆっくりと目を閉じた。
ふわりと、体が浮き上がる。何か、柔らかいものに包まれているようだ。かすかに目を開くと、一面の白銀。太陽の光を浴びてキラキラと輝く白は、海面のようにも見えた。
“ああ、ここがあの世というものか”マーヴィは思った。
身を包む温かさに、眠ってしまいそうだった。だが、この心地よさは永遠には続かなかった。急に、柔らかい場所から硬い地面に落とされたのだ。周囲には、多くの人が集まって来ているようである。徐々に騒々しくなってきている。
けだるげに目を開けると、目の前には白い……鳥。人よりもはるかに巨大な、白い鳥がそこにいた。自分は先ほどまで、この鳥の背中の上にいたのだろうか。顔をよく見ると、猛禽類特有の鋭い爪と嘴に似合わず、透き通った水色の目をしている。
「…………ギル……?」
白い鳥は肯定も否定もせず、マーヴィの様子をただじっと見ているだけであった。そして、翼を広げ、そのまま何も言わずに羽ばたき始める。
「……!? 待て!!」
マーヴィの制止も聞かず、白い鳥は飛び立ってしまった。
後には半壊した時計塔の残骸と、集まる野次馬たち。そして、白い羽根が落ちる地面の上に、力なく横たわるマーヴィとグラーノだけが残された。
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