鮫編

第25話 鱶

ジャングルを抜けて何度か野宿をした先にたどり着いたその町は、町の西側に建つ時計塔をシンボルとしているようであった。町の外から見た塔は、かなり離れているというのにしっかりと町の居場所を示しており、三人を迷うことなくここまで導いてくれた。上部に取り付けられた巨大な時計まで、百メートル近くはあるのだろうか。もっと近くに寄って見上げてみれば、きっと圧巻だろう。



 街に入ってすぐの大通りには、市場が開かれている。そこでまた数日分の食糧を買おうと勇者たちは歩いていた。



 「なんだか、大きさの割には静かなところだね」



 町のいたるところには、観光客向けに時計塔を描いた絵ハガキや菓子が売られていた。だが、それを買う人間はほとんどと言っていいほどいない。市場特有の威勢のいい客引きの声も聞こえてこない。目に見える範囲の店は、軒並み疲れた顔の店主がただ座っているだけで、その様子はかなり異様に見えた。



 「どこかの店で話を聞いた方がいいかな?」



 「じゃあ、あそこにしようよ!」



 名案を思い付いたとでもいうように、グラーノが指さした先は時計塔を模したクッキーを売っている店のようだった。店先に、初老の男性が新聞を開いて座っている。



 「お前、あの菓子を食いたいだけなんじゃねえのか」



 顔をしかめるマーヴィの声など聞こえないという風に、グラーノはギルの手を引っ張って行く。



 「あの、すみません」



 「ああ、いらっしゃい」



 初老の男性は、新聞から顔をあげてギルの方を向く。



 「クッキーを一袋……」



 「まいど」



 疲れた顔で代金を受け取り、クッキーの袋をギルに渡す。“早く”とでもいうように服を引っ張るグラーノに、クッキーの袋を押し付けると、ギルはまた新聞に目を落としてしまった男性に質問を投げかけた。



 「あの、この町、やけに静かですけれど何かあったのですか?」



 ざわっ



 背後で店の人々がどよめく声が聞こえた。振り向くと、大通りのど真ん中を四人の男がズボンに両手を突っ込み、あたりをギロギロと睨みつけながら闊歩している。



 「おうおう、見回りに来てやったぜ」



 「ついでに金を出しな。“じんけんひ”ってやつだよ」



 「払わなかったら、どうなるかわかってるよな?」



 男たちが店先に立つと、店の店主たちは何も言わずに金貨を何枚か差し出す。そしてそそくさと店の奥へと引っ込んでしまった。



 「あいつら、“カルカロドン”だ。何カ月か前からこの町に住み着いて、ギャングみたいなことしてるんだよ。みかじめ料だって、店の売り上げ半分持ってったり……あいつらのせいで観光客も寄り付かなくなっちまった」



 男性は苦々しい顔をしながら、小さな声で囁く。カルカロドンという言葉に、マーヴィが方眉をあげた。



 「追い出さないんですか?」



 「最初は追い出そうとしたさ。だがあいつら、人食い鮫の名の通り恐ろしく強くてな。誰も勝てなくて皆諦めちまった」



 男たちの容姿をよく見ると、皆、両の頬に同じ入れ墨が入っている。黒い、三本の線のようなもの。魚類のエラのようにも見える。ニヤリと笑った時に見えた歯は、平らで鋭く尖っていた。



 「こっちには来ないでくれよ……て、おい兄ちゃん。何するつもりだよ」



 店主の顔がみるみると青ざめていった。唐突にマーヴィが立ち上がり、目つきの悪い男の集団にツカツカと歩み寄っていったのだ。ここで大ごとを起こされては困る。ギルとグラーノは、顔を見合わせながらもマーヴィについていった。



 「おい」



 「ああ?」



 マーヴィがドスのきいた声で男たちを威嚇する。男たちの方も怯まずに睨み返した。



 「なんだあ? 兄ちゃん、なんか文句あんゴフッ」



 一人の男がガンをつけながら近寄るが、次の瞬間にはその顎にマーヴィの左拳がめり込んでいた。



 「てめえ!」



 仲間が情けなく飛ばされるのを見て、他の男たちは怒りの声をあげた。マーヴィは肩や首をぽきぽきと鳴らしながら、襲い掛かって来る男たちを、底冷えするような凍てついた目で鋭く睨みつけた。





 高く上る太陽の下で、町の通りには顔中がぼこぼこに腫れあがった男たちが倒れていた。



 「いってえな……覚えていろよ!」



 「待て、どこへ行く」



 一人の男が、意識を失っている仲間を置いて逃げようとするが、マーヴィが素早くその首根っこを掴んで引き留めた。男は、グエっとカエルがつぶれるときのような声を出したが、すぐにその手を放そうと暴れ出した。



 「そんなに急ぐなよ。せっかく再会できたんだ。ゆっくりしていけ」



 マーヴィは傷一つない涼しい顔で、気を失っている男のもとまで彼を引きずっていく。首根っこを掴んだまま、倒れている他の男の上にゆっくりと腰を下ろした。



 「マーヴィ、どういうこと? この人たちは知り合い?」



 「ああ。まあ、そんなところだ」



 倒れて気を失っている男を木の枝でつついているグラーノを横目で見ながら、ギルが疑問を口にした。



 「お、おれは知らねえ! こんなバケモノのことなんざ……」



 「ほう」



 諦め悪く暴れる男の顔を、無理やりこちらに向かせる。自然と真っ黒の目と見つめあう形になった。その瞳孔が不気味に細まるのを見て、男は震えあがってすぐに動かなくなってしまった。



 「カルカロドン、何年か前に海の国で勢力を伸ばしていた反政府軍の名だ。長い間、国軍と戦っていたが、主導者の死をきっかけに組織は離散した。しばらくは残党狩りが行われていたが、まさか陸にまで逃げていたとは……」



 「ど、どうしてそんなこと……」



 男はマーヴィの瞳に見入ってしまっていた。首根っこを掴まれたまま、顔をさらに近づけられる。自分の死期を感じた男の体は、情けなくガタガタと震えていた。



 「まさかお前ら、自分たちの主導者を殺した奴の名を忘れたんじゃねえだろうな」


 


 “マーヴィ”確か、この恐ろしい男はそう呼ばれていただろうか。その言葉を聞いた瞬間、他の倒れていた男たちは突然起き上がり、堰を切って駆け出した。しかし素早く反応したマーヴィが、氷の鎖を作り出して彼らの足を一つ残らず絡めとってしまう。



 「まだ元気そうじゃねえか」 


 


 そうニヤリと笑いながら、ゆっくりと鎖を引く。男たちは、引っ張られまいと地面に爪を立てて銘々に叫んだ。



 「い、いやだ。放せ! おれはカルカロドンとは関係ない!」



 「あの主導者に唆されただけなんだ。とっくに足は洗った! だから見逃してくれ!」



 「すみませんでした、マーヴィさん。いや、マーヴィ様、お許しください」



 わずかな抵抗も虚しく、マーヴィのもとへ引き寄せられた男たちは懇願し始めた。



 「さて、フカヒレなんざ久しぶりだ」



 “く、食われる……!?”



 マーヴィは舌なめずりをすると、男の腕を踏みつけた。気づけば、あいた方の手に氷でできた肉切り包丁を持っている。それを見た途端に、男たちはさらに態度を一変させて泣きじゃくった。あまりにもおびえる男たちの様子に、さすがの町人たちも引き気味になってしまっている。



 「ねえ、あれ、勇者のお供としてどうなの?」



 グラーノが背伸びをしてギルの耳に囁いた。



 「うーん……アウト……かな」



 「だよね」





 「あの……マーヴィ様。本当におれたちが減刑されるよう、口添えしてくれるのですよね?」



 先ほどまでの勢いはどこへやら。すっかり借りてきた猫のように大人しくなったカルカロドンの男たちは、腰を低くしながらおずおずと声をかけた。 



 「お前らの働き次第だな」



 宿の一室でソファに寝そべるマーヴィは、空になったポットを一人の男に押し付けてそう言い放った。



 「は、はあ」



 「なんだ、不服か?」



 「い、いえ。滅相もございません! すぐに適温の紅茶を準備いたします! 失礼します」



 男たちは連れ立って部屋を出ようとするが、すぐに呼び止められる。



 「ああ、待て。行くのは一人で良い。他の奴は話を聞きたいからここにいろ」



 ポットを押し付けられた男が破顔するのを、他の三人は睨みつけた。



 「では失礼します」



 「ああ、念のため言っておくがな」



 ポットを持った男は、小走りに部屋を出ていこうとするがまたマーヴィに呼び止められる。



 「な、なんでしょうか?」



 「少しでも逃げるような素振りを見せたら、裁判なぞ待たずにオレがここで殺す。久しぶりに海の幸を味わうのも悪くねえからな」



 マーヴィは生えそろった牙を見せて笑った。男はコクコクと何度も頷き、逃げるようにして部屋を出ていった。



 「さて、聞きたいことはいろいろあるが……まず、どうやって人間の姿になった?」



 寝そべった状態から体を起こし、座りなおす。男たちは床の上に正坐した状態で身を寄せ合っていた。



 「えっと……あの……変身魔法を……」



 「誰かに教わったのか?」



 チラリとギルの方を見る。顔色一つ変えず、部屋の隅でグラーノと一緒に尋問の様子をただ見ていた。



 「ええ、あの……その……」



 言いずらそうに男たちは口ごもる。互いの目を見合わせて、まるで誰かが言ってくれるのを待つように、視線で押し付けあっていた。



 「はっきり言え」



 うじうじと話し出さない男たちに、マーヴィも徐々にイライラを募らせていた。右手にまた包丁を作り出し、男たちに向けるとヒッと悲鳴をあげてようやく話し出した。



 「あ、悪魔に教わったんですよ……」



 「悪魔?」



 男たちの言葉に反応したのはマーヴィではなくギルだった。



 「え、ええ。残党狩りに追われているときに声をかけられて……」



 「ああ、“変身魔法を教えてやるから陸に逃げろって”助けられたんだ。悪魔に」



 ギルは興味深そうに、すたすたと歩み寄ると、マーヴィの横に腰かける。



 「何か代償は求められなかった? タダで助けるわけがないけれど……」



 「いや……特には。誰も殺されなかったし、体のどこも失ってねえ」



 ギルは顔をしかめて、何かを考えるように黙ってしまう。



 「悪魔ってそういえば猩々族の村でも聞いたな。同じ奴か?」



 「たぶん……けれども……。ねえ、他には何か言ってなかった?」



 男たちは困ったような顔で互いを見やる。マーヴィの手に握られている包丁をチラチラと見ながら、必死で何かを思い出しているようである。



 「あっ……」



 一人の男が何かを思いついたように声をあげる。



 「そういえば、腹が減ったから食事をさせろって言われたな」



 「あっ、そういえばそうだった。でもおれたち、何も食い物なんて出してねえよな?」



 「そりゃああれだろ? 怒りがどうとかで」



 ギルがソファから立ち上がる。正坐をしている男に歩み寄り、その肩を揺さぶった。



 「それ、もっと詳しく!」



 その必死の形相に、男たちはたじろいだ。 



 「えっえっと……確か悪魔は普通の食事では腹いっぱいにならないとか。唯一腹を満たせるのが誰かの怒りとか悲しみの感情を食べた時だけで、そのために悪魔は悪さをしに来るんだと……わざと怒らせて、食事をするんだってそう言っていた」



 男のその言葉に、ギルは目を見開いて手を離す。そしてぼうっと、虚空を見つめたまま動きを止めてしまった。



 「おい」



 マーヴィが声をかけるも、聞こえていないようである。



 「ちっ。おいお前ら、今日はもういい。出ていけ」



 尋常でない様子にすぐに気づいたマーヴィは、三人の男たちを睨みつけた。



 「あまり遠くへ行くなよ、わかってるだろうな」



 さっと立ち上がり、ドアへと我先に向かう男たちに、包丁を見せながら釘をさす。男たちは何度も頷きながら部屋を飛び出していった。


 




 「あんなに脅さなくても……」



 「奴らは腕っぷしは強いが、頭が悪い。そのうえ性格も凶暴だ。あのくらい脅さねえとまた調子に乗るぞ」



 男たちが出ていった部屋で、三人は茶を啜っていた。外はとっくに暗くなっている。



 「ねえ、ギル。大丈夫?」



 グラーノが心配そうに、クッキーの余りを一つ差し出す。



 「うん、ありがとう。うん、ちょっとびっくりしただけ」



 受け取ったクッキーを咀嚼しながら、苦い顔で二人を見やった。



 「“ちょっと”っていう風には見えなかったがな」



 マーヴィがグラーノの方へ手を差し出すが、グラーノはクッキーの袋を自分の後ろに隠して、舌を出した。



 「はは。でも驚いたよ。マーヴィ、海国軍の関係者だったんだね。どおりで強いと思った」



 「あ? あたりまえだろ」



 グラーノの頬をつねっていた手を離し、その手で頭をガシガシと掻く。


 


 「逆に疑問だな。魔王の討伐だってのに、こんなガキをよこす空の国とか。ろくに戦えないやつを勇者に選ぶ陸の国だとか。お前らの故郷のお偉方は一体何を考えていやがるんだ」



 呆れた声を出し、カップに手をかける。



 「ガキじゃない! 世界一の剣士だよ、バカ」



 「ガキはガキだろうが」



 グラーノの方を睨みながら、二口分ほど紅茶を啜る。しばらく味わってからごくりと嚥下し、目を閉じてため息をついた。



 「なあ、お前。オレたちにまだ話していないことがあるよな」



 その言葉にギルはカップを持ち上げる動きをピタリと止める。



 「それ、話す気はないのか?」



 顔をあげ、二人の顔を見比べる。話すべきだろうか。……いや、話せばきっと、二人は怒るに違いない。



 「……時が来たら……話すよ」



 視線をそらし、斜め下を見ながら呟く。



 「……そうか」


 


 しばらくしてから、すでに賑わいを取り戻しつつある時計塔の町で、宿屋の一室から漏れる光がふっと消えた。

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