第24話 未来

 遠くから、メキメキと何かが軋む音が聞こえ、宴の只中にあった村人たちは静まり返った。聞こえるはずのない異音に、誰もかれも息を止めて耳を澄ます。



 ドゴンッ



 何か大きなものが崩れ落ちる。重く大きな音は、ジャングル中に響き渡っていた。これを合図に、一部の大人たちは顔面を蒼白にする。一部の大人たちは、悲鳴のような声をあげながら狂ったように走り出した。



 「エリー!!」



 アンドリューとアリシアも、彼らに従って村から飛び出していく。



 「なに?」



 先ほどまで啜っていたスープの皿を下に置き、ギルが立ち上がる。



 「子供たちのいるところからだ……」 


 


 近くにいた青年がギルに事情を伝えた。先ほどの音と騒々しく駆け回る村人たちを見るに、何かあったのだろう。



 「ちょっと、あなたたちは動かないで!」



 青年が止めるのも聞かずに、三人は混乱に乗じて村を飛び出す。周りをよく見ると、同じようにして飛び出してきた村人は若すぎず老いすぎず、皆同じくらいの年頃の男女だった。彼らは自分の子供の名前なのか、何やら呼びかけながら走り続けている。何か嫌な予感を感じたギルは、息を切らしながらもなんとかマーヴィとグラーノに声をかけた。



 「二人とも、気を付けて! 何があっても、絶対に俺から離れないで」



 真剣なその声に、二人は足を緩めて思わず振り向く。勇者は脇腹を押さえ、激しく呼吸を繰り返しながらもこちらをじっと見据えていた。二人はその瞳を見つめ返すと、深く頷き、また前を見て走り出した。


  



  


 「実はね、あの箱はとっても丈夫に作られているんですよ。中のものが漏れ出さないよう、特殊な魔法がかけられていますからね。水につけて埋めていても、滅多なことでは、中の粉塵は消えないんです」



 木の根は、エリーの手を握って先を歩く。



 「じゃあ、どうすればいいの?」



 暗闇の中に浮かび上がる木の陰は、触手を伸ばす怪物のようである。怪物の陰に、少し不安そうな目を向けるエリーは、悪魔の腕を力いっぱいに握りしめた。



 「簡単なことです。箱の蓋を開けてしまえばいいんですよ」



 エリーはバッと顔を上げて悪魔の方を見る。不安げな表情の彼女を見て、悪魔は落ち着かせるように優しい声を出した。



 「大丈夫ですよ。箱を開ければ中の粉塵は飛び出してくるでしょう。しかしそれが水の中なら、粉塵は濡れて動きが鈍くなります。空気中に飛び散ると言うことはありませんので」



 悪魔はそこまで言うと立ち止まった。目のない顔で、足元の地面をじっと見つめる。豊富な草木が生い茂るジャングルで、その場所だけは不自然に地面が禿げ上がっていた。悪魔は、しばらくしてからエリーの方に振り向く。エリーの背筋に冷たいものが走った。そのなにもない顔が、なんとなくニヤリと笑ったような気がしたからだ。



 「ここですね」



 悪魔の言葉を合図に、そこいら一帯の植物が地面をえぐり出した。ものの数秒もしないうちに、土の間から人口の木箱が現れる。かなり大きなその木箱の蓋を開けると、中には土製の水瓶が隙間なく詰められていた。数十はあるだろうか。そのうちの一つの水瓶に、悪魔は根を絡みつかせると、ゆっくりと開いた。



 「御覧ください。これがあなたの兄君を殺した元凶ですよ」



 エリーは悪魔の言う通りに瓶の中を覗き込む。中には、見たことのあるからくり箱が水に浸かっていた。箱の死を感じさせるその不気味さに、思わず唾を飲み込んだ。 



 「さあ、箱を開けて見てくださいな。お父様も、お母様も、あなたとずっと一緒にいることを望んでいますよ」



 目を瞑ると、厳しくも優しい両親の顔が浮かび上がった。そして、怖がりな自分を、ずっと勇気づけてくれていた兄のことも。



 「エリー! 大丈夫だよ。ぼくがついてるからね」



 兄は、木で作ったおもちゃの剣を振りかざしながらそう言っていた。シーツをマントのようにして首にかけ、仁王立ちをするその様子は、さながら勇者のようであった。



 「だってぼくは……将来勇者になる男だもの!」



 「あなたが、村を救う勇者になるのですよ」



 エリーはゆっくりと目を開く。その眼には、もはや迷いも恐怖もなかった。


 




 半壊した木造の建物を見て、大人たちはさらに走るスピードをあげた。それぞれが自分の子供のもとに駆け寄り、必死で声をかける。



 「マリィ、マリィ!」



 座り込んで茫然とする少女に、その母親が駆けよる。



 「大丈夫? 怪我はない?」



 うつろな目をしていた少女は、その声に安心したのか、涙を浮かべて抱き着いた。母親も強く抱きしめ返す。



 「よかった、無事で。なにがあったの?」



 「うぅ。お母さん、悪魔が来たよ」



 「悪魔?」



 ギルたちもなんとか追いついてその場を見渡す。親たちは、自分の子供が無事なことに安堵したようで各々、その小さな体を抱きしめていた。そこかしこに倒れている男児も、眠っているだけのようである。



 「エリー! エリー!」



 その中で唯一、アンドリューとアリシアだけは落ち着きなく建物の周りを歩き回っていた。



 「おじさん、おばさん」 



 母親に抱きしめられたままの体勢で、少女は嗚咽を繰り返しながら呼びかけた。



 「マリィちゃん、エリーはどこ?」



 その声に気づいたアンドリューが歩み寄り、その肩を掴んで尋ねる。少女は、しゃくりあげながらもなんとか話し出した。



 「エリーちゃん、悪魔に連れていかれちゃった」





 徐々に周りが騒がしくなってくる。悪魔は、エリーに聞こえないように小さく舌打ちをした。


 


 「思ったよりもずいぶんと早かったですね……本当は全部開けたかったのですが……」



 悪魔が小声で悪態をつくと同時に、木の根は力なくその場に倒れた。周囲の草むらの中から、村の大人たちが姿を現す。



 「エリー、そこから離れなさい!」  



 エリーが水瓶の中に手を突っ込んでいるのを見て、アンドリューとアリシアは気も狂わんばかりに叫んだ。



 パキッと甲高い音が聞こえる。目を見開いて固まる両親から目を離し、水瓶を見ると大きな亀裂が走っていた。次の瞬間、パリンッ!と瓶が粉々に砕け散る。その様子がやけに鮮明に見えた。エリーが中の箱を開けてしまった他の瓶たちも、それを合図に次々と割れていく。掘り起こした十ほどの瓶は、一瞬で全て粉々になってしまった。中にあった大量の黒々とした水は、重量に逆らうことなく、地面に落ちて土の下に染み込んでいく。粉塵の一部を、地表に残して。



 エリーの腕が誰かに捕まれる。次の瞬間、エリーの体は遠くへ飛ばされた。飛ばされる前の一瞬の間で、その顔を見る。アンドリューだった。



 微かに吹いた風が、地面に残った黒い粉塵を舞い上げる。一部とは言っても、十ほどの箱から放たれた粉塵の量が少ないということは決してなく、堰を切ったようにアンドリューの口からその体内に侵入していった。



 「パパ!」



 エリーは飛ばされた先で、ギルに受け止められる。



 「俺から離れないで! 他の皆さんも、早く村に戻ってください。粉塵は決して吸わないで。念のため、鼻と口を塞いで走ってください!」



 ギルは村の人たちを急かす。村人たちは立ち尽くしたまま呟いた。



 「ああ、終わりだ」



 「早く走って!」



 グラーノが村人たちの背中を強く押した。村人は自暴自棄になって叫ぶ。



 「村に戻るったって、そこまで粉塵が来たら意味ないじゃないか!!」



 「大丈夫、粉塵は濡れていたから、そう遠くまでは飛ばない。それに……」



 苦々しい顔でギルは振り返る。そこには、惚けたように虚空を見つめるアンドリューがいた。



 「彼がほとんど吸ってくれた……」



 アンドリューはゆっくりとこちらを振り向く。歯を剥き出し、大きく見開いた目で村人たちを睨みつける。先ほどまでアンドリューだったそれは、怒りの咆哮をあげた。近くにいるエリーに噛みつこうと飛びかかる。ギルは彼女のことを抱え込み、鋭く彼を睨みつけた。



 「ぐっ」 



 素早く間に割って入ったマーヴィの左腕に、アンドリューの牙が深く突き刺さる。そのまま腕の肉を噛みちぎろうとする彼の頭を、逆側の手で鷲掴みにした。マーヴィの左腕ごと、頭が凍りつく。身動きの取れなくなったアンドリューは、首から下だけで暴れ出した。



 「なにモタモタしてやがる! 早く行け!」



 無茶苦茶に放たれる拳や蹴りを、右腕だけで流しながら、マーヴィが怒鳴った。


 村人たちはそれでようやく我に帰る。



 「長老だ! 長老を呼べ! 他は足手纏いになるだけだ。村に戻るぞ!」



 一人の若い男が叫ぶと、村人たちは頷きあい、踵を返して走り出した。



 「っ!? アリシアどうした?」



 走り去る村人のうち一人が、動かないアリシアに気付いて立ち止まる。彼女は、その場に座り込んで茫然としていた。彼女の目線の先には、凍りついた頭部を力任せに引き剥がすアンドリューがいる。



 「ボクに任せて!」



 グラーノはそう言うと、その村人の背中を押し、自らアリシアのもとへ走り寄った。



 パキッという音が響き、マーヴィの左腕から頭が離れた。自分の頭部に残った氷を、両手で掻き毟って無理矢理引き剥がす。無理に剥がしたせいで顔中は血塗れになっていたが、本人は気にもとめずにまたエリーの方へ飛び込んでいった。エリーに噛み付く寸前で、マーヴィが作り出した鎖鎌をその足に絡めさせて止める。その隙に、ギルがエリーを抱えてアリシアのもとまで下がった。



 「いや、アンドリュー。やめて、目を覚ましてよ」



 「アリシア! 早く」



 自分の娘を殺そうと暴れる夫に、愕然としながら、必死に呼びかける。グラーノの声は届いていないようだった。



 鎖を引きちぎろうとして再び暴れるアンドリュー。氷の鎖はバキバキと音を立てながらヒビが入っていた。マーヴィが鎖を持ったまま、片方の手で槍を作り出す。うつ伏せに倒れるアンドリューの心臓の位置を確認して槍を振り上げた。



 「パパーーー!」



 「やめて! 殺さないで!」



 エリーとアリシアの泣き声が響く。ふと、マーヴィが動きを止めた。その尋常でない様子に、ギルとグラーノは目を見開いた。普段は無愛想な彼の顔が悲痛に歪み、さらに槍を持つ手はわなわなと震えていたのだ。



 「マーヴィ! どうしたの、早く殺さないと!」



 「やめて! お願い。もうこれ以上、家族を奪わないで」



 アリシアはアンドリューのもとへ向かおうと立ち上がった。それを、グラーノが引っ張って止める。



 「アリシア! 感染したら治す方法はないんでしょ!? だったら……」



 「そんなの、わからないじゃない!」



 彼女の心からの叫びに、グラーノは押し黙る。そうだ。この言葉はかつて、自分も使ったことがある。未来のことなんて、誰にもわからないのだから。だからきっと大丈夫だと、うまくいくと、そう思いたかったから。そう信じていないと、何かが崩れてしまいそうだったから。下唇を噛み締める。暴れ狂うアンドリューの姿と、今にも千切れそうな鎖を交互に見て、グラーノは何かを決意したように声を上げた。



 「アリシア、ねえエリーを守ってよ! 家族を失いたくないんでしょ? 今も、それからこれからもエリーを守れるのはアリシアだけなんだよ。だからお願い。……子供を、見捨てないで」



 クシャクシャに顔を歪めながら訴えるグラーノに、アリシアは茫然とエリーの方を見た。同時に、アンドリューの足に絡み付いた鎖が割れる。動きを止めたままのマーヴィは、飛び出したアンドリューに少し出遅れた。



 アンドリューは真っ直ぐにエリーのもとへ飛びつく。だが、あと少しのところで、またその小さな体に噛みつくことは叶わなかった。地面に広がる植物の根が、アンドリューの体に絡み付いていた。彼が振り解こうと暴れれば暴れるほど、植物は深く体に食い込む。



 アリシアが、地面に両手をついていた。ポロポロと涙を流しながら、ぐっと両手を握り込むと、素早く立ち上がってエリーのことを抱き上げる。



 「アンドリュー、エリーを守ってくれてありがとう。私たちを大切にしてくれてありがとう。そんな優しいあなたが、ずっとずっと、大好きよ」



 アリシアは、村の方へと走り出した。その肩越しに、エリーは母の操った植物に抑え込まれ、暴れ狂う父の姿をじっと見ていた。



 「パパ……ごめんなさい。……ありがとう」





 アリシアたちの姿が見えなくなったところで、アンドリューの動きを止めていた植物は、ぶちぶちと彼の怪力によって引きちぎられた。ようやく解放された彼は、しつこく彼女たちを追おうとしたが、遅れたマーヴィが氷の混紡で遠くへ叩き飛ばした。



 「マーヴィ! もう殺すしかない! 迷ったらこっちがやられるよ」



 「くそっ、わかってる」



 すぐに体制を立て直し、飛び込んでくるアンドリューを混紡で受け止める。力づくで地面に押し返すと、右手に氷の剣を作り出した。マーヴィがそれを振り上げると、アンドリューは素早く反応し、剣を鷲掴みにして折ってしまう。掴んだ方の手は切れて血が流れだしていたが、物ともせずにその手でマーヴィの右頬を殴り飛ばした。その衝撃に吹き飛ばされながらも、何とか受け身を取って追撃の蹴りをかわす。理性を失った彼には、もはや手加減などという概念は存在しない。休みなく次々に蹴りや拳を放つアンドリューと、それを受け流すマーヴィは一進一退を繰り返すばかりであった。



 そんな争いの中、アンドリューの動きが突然にピタリと止まった。



 「マーヴィ殿、今のうちじゃ」



 アンドリューの体に巻き付いた植物は、彼が暴れることすら許さない。駆け付けた長老は地面に力なく座り込み息を切らしながらも、アリシアの魔法とは比較にならないほど大量の植物を操って、アンドリューの動きを止めていた。



 マーヴィは右手にもう一度氷の槍を作り出した。去っていったアリシアとエリーの顔を思い出す。心の中で“すまん”とだけ謝り、歯を食いしばって氷の槍を突き刺した。彼の放った槍は、的確にアンドリューの心臓を突き刺し、やがてその動きすらも完全に停止させた。怒りに歪んでいたアンドリューの顔は徐々に弛緩していく。


 そして「はああ」と最後に深く息を吐きだすと、ゆっくりと目を閉じそのまま動かなくなってしまった。





 「勇者さんたち、ありがとう」



 村の出口で、エリーとアリシア、そして長老が見送りに出ていた。



 「あの箱は何があっても、もう触らないでくださいね。悪魔は口がうまいですから」



 ギルの言葉に長老たちは深く頷いた。こうして忠告しても、いつか同じことを繰り返すのだろうか。長老や、エリーたちがいなくなった先の未来で。いや、そんなに未来のことを考えても仕方がない。粉塵をどうすればいいのか、自分たちもわからないのだから。勇者たちは頭を下げてジャングルへと歩み出した。



 「やはり、勇者様というのは強くて優しいお方なのじゃな」



 その背中を見送りながら、つぶやいた長老にエリーはコクリと頷いた。



 「うん。ルゥちゃんと、パパみたいだね」



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