第17話 砂漠の少年

 カップに入ったダージリンをちびちびと飲み、自分の左耳にぶら下がっている羽をいじくり回す。チラリと目の前の老婆に視線を移すが、すぐに視線を逸らした。グラーノは、落ち着きなく何度も自分の椅子に座りなおしていた。



 老婆はあいも変わらずに微笑んでいる。その得体の知れなさが、なんとなく恐ろしかった。


 広い部屋を満たす沈黙に耐えかね、グラーノは忙しなく揺らしていた手足を大きく動かして椅子から飛び降りた。



 「マーヴィと話をしてくる」



 「そう、風呂場はあちらよ」



 表情を崩さずに彼を案内する老婆に、グラーノの不信感は募る一方であった。腰から外したサーベルを両手で抱きしめる。あの怪力男がやられる訳ない。でも不意打ちを喰らったならどうだろう。先を歩く老婆の背中を鋭く睨みつけながら歩く。



 風呂場はそれほど広くはなかった。広さからして、湯船が一つと洗い場があるくらいだろう。 



 老婆はグラーノをそこに案内すると、“それじゃあ”とだけ言い残してリビングの方へ戻る。


 グラーノは、磨りガラスの戸をゆっくりと開けて慎重に入る。湯船の方を見るが、ここから見えるはずの頭が見えない。



 気配を忍ばせながら、恐る恐る湯船に近づいた。



 息をひそめて中を覗き見ると、黒いなにかが底に沈んでいた。黒い何かは、よく見ると細い糸のようなものの集合体で、その間から時々白い物が見え隠れしている。



 「マーヴィ!」



 グラーノは叫んで湯船のへりに両手をかける。慌てて水の中に手を入れると、その黒いなにかが動き出した。思わず手を引っ込めて後ずさる。



 ザバァという水の音とともに、マーヴィが湯船から頭だけを覗かせる。黒いなにかは彼の髪の毛だったようだ。いつもは結んでいる長い髪の毛が顔の前にも後ろにも垂れ下がり、昆布の怪物にみえる。



 「なんだ」



 髪の間から鋭い目を覗かせながら、不機嫌そうな声を出すマーヴィに、グラーノは胸を撫で下ろした。



 「何してるの?」



 「見りゃわかるだろ。寝てたんだよ」



 その言葉に、グラーノの中にあった少しの安堵は怒りに変わった。



 「ややこしい事しないでよ。ずっと動かないで沈んでたらびっくりするでしょ」



 「こっちの方が落ち着くんだよ。ベッドも悪くはないが、水があったほうがよっぽど好い」



 グラーノは、抱きしめていたサーベルを下に下ろしてため息をつく。



 「ギル、遊びにいっちゃったよ。なんか、レースがどうとか言ってた」



 マーヴィは片眉を上げた。



 「賭け事か? 賭博は国王の名義ではできんだろう」



 「多分、自分のお金でやるんじゃないかな? いくらか持ってるみたいだったよ」



 はあ、とマーヴィは深いため息をついて自分の髪をかき上げた。



 「まあ今日はもうここに泊まるんだ。明日までに帰ってくるなら構わん。あいつの財布の中身が空になろうとオレには関係ない事だ」



 「帰ってこなかったらどうするの?」



 「街から出るとは考えにくいからな。見つけ出して殴るだけだ。まあ、明日になったら責任をもって連れ戻すさ。それまで、もう少し寝かせてくれ」



 それだけ言うと、また水の中へと沈んでいく。中を覗き込むと、また湯船の底で目を閉じて蹲っていた。



 グラーノはまだ何か言いたげに口を開くが、出かけた言葉をグッと飲み込む。微動だにせず眠るマーヴィにこれ以上何を言っても無駄だろう。


 くるりと湯船に背を向けて風呂場を後にする。まっすぐリビングまで戻ってきたが、あいも変わらず木の椅子に座ってニコニコと笑う老婆の姿が見えた。そちらを見ないように、ドアの方へと歩み寄る。



 「ボクも、遊んでくる」



 これ以上、この老婆と二人きりでいることに耐えられなかった。賭け事になどなんの興味もないが、ここにいるよりは幾分マシだ。ギルに置き去りにされて、それがよくわかった。



 「そう、気をつけて遊んでいらっしゃい」



 老婆は笑ったままだったが、声のトーンが少し下がったように感じる。ボクといたって楽しくないだろうに。そんな疑心を抱きながら、扉を開けて外へと出た。





 外は先ほどよりも人が増えて騒がしくなっていた。人だかりの後ろから、小さな体を跳ねさせてギルの姿を探す。大人、特に大柄な人間の男の背中が多く見える。何度か跳ねた後、今度は人だかりの足元から中に入ろうと試みる。最初こそ小さな体でするすると人の間を縫っていたが、進むごとに足を踏まれ、何度も蹴とばされた。痛い思いをしながら命からがら人混みを抜け出したグラーノは、もう一度人混みを見てため息をつく。とぼとぼと、レース会場からもサマンサの家からも逃れるように歩き出した。



 内心嫌気が差していたからだろうか。自然と人の少ないところへと足が向いた。気づけば人気のない裏通りへと入っていた。薄暗く、不気味な雰囲気であったが、その陰鬱さが今の自分には心地よかった。 



 特に行くあてもなく、ブラブラと誰もいない道を徘徊する。何度も右へ左へと曲がり、裏通りの迷路に身を埋めようとした時であった。何かの音が聞こえる。立ち止まってよく耳を澄ましてみると、誰かがすすり泣く声のようである。行く当てもなく歩いていたグラーノは、そこで初めて目的を持って歩き始めた。



 声の主はそう遠くないところにいるようである。今いるところから右へ曲がり、一つ目の角を左へ曲がった。その道は一本道で、先の方は袋小路になっているようであった。行き止まりの少し手前に、蓋つきの大きな箱が置いてある。おそらく、そこはゴミ捨て場なのだろう。周りには木の実の皮や、何かの骨が転がっていた。



 箱に近づくにつれてすすり泣きの音は大きくなっていく。音をたてないようにそっと箱の影を覗き込むと、そこにはグラーノよりも少し年上くらいの人間の少年がしゃがんでいた。こちらに向けた背は、何度もしゃくりあげるように上下していた。



 「どうしたの?」



 グラーノは、少年の背後に同じようにしてしゃがみこんだ。声をかけられた少年はビクリと肩を震わせ、こちらを向く。長いこと泣いていたのだろう、少年の目は赤く充血していた。その赤い目で、少年はグラーノのことをじっと見つめる。



 「どうして、泣いてるの?」



 何も言いださない少年に、グラーノはもう一度訪ねた。少年はしばらくうつむいた後に、ようやく小さな声を絞り出した。



 「……父さんに……殴られた」



 そう呟く少年の唇は、少し切れて血が流れだしている。グラーノは腰に付けた花柄の巾着からハンカチを取り出して、少年の口元を拭ってやった。



 「……ごめん、ありがとう」



 「いいよ」



 少年の口を拭いたハンカチを無造作に巾着袋の中に突っ込むと、自身もその横に座り込んだ。



 「君、見ない顔だね。旅の人かな? 名前は?」



 「グラーノ。仲間と一緒に旅をしてるんだ」



 「へえ、すごいね。あ、ぼくはルイス。よろしくね」



 少年は、未だに充血の残る目を細めて笑った。その表情を見たグラーノも、自然と笑顔を浮かべる。



 「ねえ、君はどうしてここに来たの?」



 「うーん。色々と嫌になっちゃったからかな」



 「はははっ。ぼくも同じだよ」



 「そっか。一緒だね」



 ルイスは笑いながら、立てていた足を崩して胡坐をかいた。グラーノも一緒につられて笑う。孤独を望んだ少年が二人。グラーノは冷め切った心が熱を取り戻し始めているのを感じた。



 「君、歳はいくつ?」



 「うーん。よくわかんない。ルイスは?」



 「ぼくは今年で十三歳になるよ。後二年で父さんの仕事を継げるようになるんだ」



 「仕事?」



 「うん。ぼくのお父さん、レンガ職人なの。この街の家の壁はほとんど父さんと先代の爺ちゃんが作った物なんだ」



 「へえ、すごいね」



 「だろ? ……」



 ルイスは嬉しそうに笑っていたが、唐突にうつむいた。



 「でもぼくね、本当は考古学者になりたいんだ。そのことを父さんに言ったら何考えてんだって殴られた」



 悲しそうな声でポツポツと話し始めた。



 「どうして? なにをしようがルイスの勝手じゃないか」



 「うん、そうなんだけどね。でも父さんだってぼくのことが嫌いでそう言ったんじゃないと思う。考古学者の地位はそんなに高くない。他の分野と違って王国からの補助も出ないから、余程の大発見でない限りはほとんどがタダ働きなんだ。多分、ものすごく苦労すると思う。それで父さんは心配してるんだよ」



 全てを諦めたように、ルイスは両足を前に投げ出した。



 「でも、それでもやりたいからお父さんに言ったんだよね?」



 「……うん」



 「だったら……」



 「無理だよ」



 ぴしゃりと言い放たれる。



 「学者になるには学校に行かないといけない。学校に行くにはものすごくお金がかかるんだ。ぼくには到底払えないよ。奨学金っていう手もあるけど、それだって父さんの同意がないと……」



 ルイスはまた顔を歪めてそっぽを向いた。



 「ごめん……」



 自分の目元を拭うルイスを見て、グラーノは一度深く目を瞑った。そして大きなため息をつく。



 「ああああ、もう。大人ってなんでこんなに子供を苦しめるのが好きなんだろう」



 グラーノは勢いよく立ちあがる。



 「おまけに頭でっかちだ」



 そして、ルイスの前にもう一度しゃがんだ。一呼吸おいて話し出す。



 「大人なんて、たくさん知っているようで何もわかっちゃいない。ボクね、お父さんとお母さんに見捨てられたんだ。すごく高いところから落ちたから、多分死んだと思われてる。そう決めつけて、諦めて、探しにすら来なかった」



 ルイスの顔を挟んでこちらを向かせる。



 「でも、ボクはここにいる!!! だからこうしてルイスと出会えた!!」



 涙がこぼれそうになるが、ぐっとこらえて話し続ける。



 「大人はボク達よりもたくさんのことを知っている。たくさんのことを経験している。だから、なんでもわかった気でいるんだ。自分の目で、耳で、体で感じてみなきゃ、本当のことは何にもわからないのに」



 ずっと心の中にあったわだかまりを吐き出すように叫んだ。



 「ルイスはどうなの? 本当はどうなるかなんてわからないのに、勝手に自分の未来を決めつけて諦めるの?」



 ルイスの顔から手を放す。ルイスは顔を歪めたまま、フルフルと頭を横に振った。



 「じゃあ、他の方法を探そう。お父さんへの説得も、何回だってやってみようよ」



 その言葉に、何度も何度も頷いた。



 「うん……ありがとう」



 ルイスは、ごしごしと自分の目元を脱ぐってまた笑った。そして、グラーノと同じように勢いよく立ち上がる。



 「ねえ、この街の先にある遺跡に行ってみたことはある?」



 唐突に聞かれたグラーノは、何も答えずにただ首をかしげる。



 「すっごいんだよ。とても大きくてきれいな三角形をしているんだ。おまけに今の技術でも作るのは難しいのに、残った痕跡から数万年前に建てられたものなんじゃないかって言われている」



 ルイスは息を弾ませて話すと、グラーノに手を差し出した。



 「今から行こう。絶対にびっくりするぞ」



 グラーノも自分の目元を擦って、その手を取る。二人は薄暗い裏通りから、明るく未だに賑わいを見せ続ける表通りへと飛び出していった。





 全十二レースの内、すでに五レースが終わっていた。色々な賭け方をしてみたが、どれも結果は振るわない。


 それでも、ギルはよかった。この場に自分がいて、他の人と一緒に娯楽に興じている事実がただただ嬉しかった。物足りないとすれば、幼いころに闘技場を外から一緒に眺めていた友人が、隣にいないことだろうか。



 「ジヤ……」



 彼は何にも持ってはいなかった。俺はいろんなものを持ちすぎていた。だからこそ、俺たちはともにこんな平凡を望んでいた。



 「お先に、ごめんね。今度はちゃんと……」



 六レース目がそろそろ開始する。でかかった思いを飲み込んで、ギルは席へと急いだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る