砂漠の少年編

第16話 サンド=グレイス

 陸の国の王都から、西へ遙か進んだ場所。そこにある大きなボロ城に“それ”はいた。 


 黒い全身は微動だにしない。人など簡単に踏みつぶせてしまいそうな巨体を、塔の最上階に横たえていた。「横たえる」とはあくまで比喩表現である。“それ”には顔がなかった。また、どこが手でどこが足なのかも皆目検討つかない。唯一わかるのは、背中と思わしき箇所から生えた二対の翼。その翼も穴だらけでどこからどうみても飛べそうにはない。



 “それ”は待っていた。封印が解かれた時から、ずっと待っていた。まるで何かに怯えるように、ほんの少しの身動きさえせずにじっと待っていた。



 コツコツと何者かが革靴の音を立てながら“それ”に近づく。



 「外は面白いことになっているようですね、魔王様」



 革靴の正体は、黒い背広に身を包んだ赤髪の男であった。男は腰のあたりまで伸びた赤髪を黒いリボンで留めている。少し緩んだクラバットが気になったのか、一度立ち止まって丁寧に結びなおしてから、“それ”に仰々しく歩み寄った。



 「おや、無視ですか? こんなところにずっといるのでは退屈だろうと、お話をしに来て差し上げたのに……まあ、いいでしょう」



 男は仕方がないといったふうに、“それ”を一瞥だけして立ち去ろうとした。



 バタンッ



 部屋に備え付けられた大きな扉が開く音がする。暗い部屋に差し込む光の先には、かつて勇者達を襲った、黒い翼をもつ小柄な男が立っていた。小柄な男は、息を切らせながら“それ”の前に走り寄って跪く。



 「魔王様、申し訳ありません。勇者一行の襲撃に失敗しました」



 小柄な男は地面に額を擦り付けた。



 “それ”は男の言葉に反応を示す。小柄な男は、“それ”が起き上がるような気配を感じて、怯えきった声を出した。



 「も、申し訳ございません! 何せ、魔道士があんなに強いとは思わず……お許しください」



 “それ”はどこに仕舞い込んでいたのか、一本の触手を伸ばして小柄な男を掴み上げた。



 グルルル……



 地を這うような低い唸り声が、広い部屋に反響する。“それ”が触手をギリギリと締め上げていくのを感じた小柄な男は、情けない声を出して泣き喚いた。



 「つ、次は必ず仕留めます。だからどうかお許しください。お願いします!」



 触手が緩むことは一切なく、小柄な男の骨はミシミシと音を立てた。



 「お、おねが……します……い、やだ……やだ……まだ死にたくない……ごめんなさい……許し……」



 小柄な男の声が消え入りそうになったその時、“それ”は急に触手を大きく動かした。小柄な男を、地面に叩きつけたのだ。



 「ゲホッ、はーっはーっ」



 小柄な男はその場にうずくまってただ震える。顔を上げると、背広に赤髪の男が目前に立っていた。人を見下しきった目で、冷たい声を出す。



 「魔王様は、今虫の居所が悪い。見逃してもらえたことに感謝して、次こそは勇者一行を仕留めてご覧なさい」



 「は、はい。もちろんです! 申し訳ありませんでした。し、失礼しますっ!」



 小柄な男は飛ぶように部屋を出た。その後ろ姿を見送ると、“それ”が今度は触手を赤髪の男に伸ばした。



 「おや、何か御用ですか?」



 今度は赤髪の男を掴み上げる。


 赤髪の男は、ギリギリと締め上げられながら、冷ややかな目を“それ”に向けていている。赤髪の男と“それ”は、しばらくそうやって城の大部屋でじっと互いを睨み合っていた。





 「うえー。口の中がジャリジャリするよー」



 生茂る森を出て数週間。青々とした木々の姿はすでになく、周りにあるのは点在する低い枯れ木と乾燥した大地であった。風が吹くたびに舞う砂埃が、勇者たち三人の目と口に入り込む。それだけでも憂鬱だというのに、照りつける太陽が三人の体力を徐々に奪って行った。



 「もう少し歩いたら、街があるはずだよ。木もだいぶ見えてきたし。頑張ろう」



 ギルは一度立ち止まってグラーノの顔に巻きついている解けかけの布を巻き直してやると、軽く辺りを見回す。 



 もう一人の仲間が……いない。慌てて来た道を振り返ると、少し離れたところでマーヴィが座り込んでいた。ひと目見ただけで、動きそうにないことがわかる。またこの炎天下を戻らないといけないのかと、内心うんざりしながらも、ギルはグラーノをその場に置いて元来た道を歩き始めた。



 「あと少しだよ、頑張って歩いて!」



 マーヴィの手をとって立たせようとするが、全く立とうとはしない。 


 ギルはマーヴィの顔を覆っている布にも手をかけて外すと、その布に水筒の水をかけた。水を含んだ布を、元通りにマーヴィの顔に巻きつける。それでようやく、マーヴィは電池の入った機械人形のように顔を上げて立ち上がり始めた。



 「ああ、くそっ。乾燥して肌が痛え。早く潤いを取り戻さねえと……」



 「何をうら若き乙女みたいなこと言ってるの? もう少しで街だから、そこに行けばオアシスもあるし頑張って歩いて」



 そういうと、足取りの重い大男の服を無理やり引っ張ってグラーノのところへ戻った。



 「もう、マーヴィしっかりしてよ。ぼくだって暑いのはあんまり得意じゃないんだからさ」



 「うるせえ、お前は曲がりなりにもドラゴンだから肌は強いんだろうが。おれは暑いし乾燥するしで二重苦なんだよ」



 いつもの口喧嘩にも、どこか覇気がない。三人ともそれ以上は黙ったまま、下を向いて砂の丘を登り始めた。



 「はあ、もうみんな限界だね。でも、二人とも絶望せずに前を見て」



 丘を登り切ったところで、ギルが苦笑いしながら声を出した。それにつられて、足元ばかりを見ていたマーヴィとグラーノは顔をあげた。少し離れたところに、白い建物の並んだ町が小さく見える。丘の上にいるからか、太陽の光に反射して光る町の中のオアシスもはっきりと見えた。


 同時に、二人は街に向かって走り出す。先ほどまでの憂鬱はどこへ行ったのか、と内心呆れながらもギルは後に続いて走り出した。





 広大なオアシスを中心に、ほぼ円形に住居が広がるこの場所は“サンド=グレイス”と呼ばれる大きな街であった。街の中心、つまりはオアシスに最も近い宿屋を三人は訪ねた。入ってすぐの正面にある受付に行くと、そこに立っている中年の男が眉を下げて話かけてきた。



 「お客さんですか? すみません、ただいま満室でして……」



 「あ゛!?」



 「ひっ」



 「マーヴィ、落ち着いて。そうですか、わかりました。他を当たってみます」



 疲れ切っているからか、いつもの何倍も凶悪な顔で店番を脅すマーヴィを無理やり引っ張って外に出る。



 「困ったな。大きな街だから、他にも宿屋はあるだろうけれど湯舟があるとは限らない。マーヴィ、大丈夫?」



 「大丈夫なわけねえだろ。ここのオアシスは遊泳禁止で入れねえんだ。湯舟のある宿屋でゆっくり水につからねえと、本当に干からびちまう」



 片手で自分の頭を抱えながら、マーヴィはその場に座り込んでしまった。それを見て呆れたようにため息をつくギルとグラーノ。



 「最悪、オアシスの衛兵をぶっ倒して入るしか……」



 「だめに決まってるでしょ」



 「……もし?」



 唐突に、三人の後ろから声がかかった。振り返ると、身ぎれいな格好をした背の低い老婆が立っている。グラーノはそそくさとギルの後ろへ隠れた。



 「今晩の宿をお探しですか?」



 「はい、そうですが……」



 怪訝そうな顔で答えるギルに、老婆は優しそうな笑みを浮かべた。



 「よろしければ私の家に泊まりませんか? 風呂場もありますよ」



 その言葉に、マーヴィがバッと立ち上がる。



 「そいつはありがたい。よろしく頼む、ばあさん」



 「マーヴィ! すみません。ありがたい申し出なのですが、ご迷惑ではないでしょうか?」



 「まさか。うちは無駄に広いくせに一人暮らしでしてね。私も寂しいと思っておりましたので、皆さんが泊ってくださるのであれば、嬉しい限りです」



 「そうですか、ではお言葉に甘えて」



 老婆は“サマンサ”と名乗った。相も変わらずニコニコと微笑みながら三人を自宅へと案内する。 サマンサの自宅は、宿屋からそう遠くない場所にあった。オアシスの近くという一等地にありながら、他の家の二倍はある大きさのその家を見る限り、彼女はこの街でかなりの権力と財産を持っているのだろう。日干し煉瓦で建てられた少し白っぽい色の壁の先に、三人は足を踏み入れる。



 「少しお待ちください。今風呂を沸かしてきますので」



 「いや、水のままでいい。熱いのはあんまり好きじゃないんだ。早く案内してくれ」



 急かすマーヴィを、サマンサは嫌な顔一つせずに風呂場まで案内する。


 風呂場に向かう前に、サマンサから部屋のテーブルへ座るよう促されたギルとグラーノはおとなしく木製の椅子に腰かける。しばらく、家の中を見回していると窓の外が徐々に騒がしくなっていった。窓の外を見ると、大通りに人が集まってきているようである。二人は何事かと顔を見合わせると、興味津々で椅子から立ち上がって窓に張り付いた。



 「ああ、キャメールのレースがそろそろ始まるころですね」



 マーヴィを風呂に案内し終えたサマンサが、二人の後ろから落ち着いた声を出した。



 「キャメール?」



 「ええ、背中にコブのある魔法生物ですよ。キャメールのレースはこの街一番の娯楽で、全体の賭け金は相当なものになるようです。私はあまり興味がないのですがね」



 「へえ……」



 何か祭りでも始まるのかと胸を高鳴らせていたグラーノは、この喧騒の正体が賭け事を目的に集まってきた人々によるものだと知った途端に落胆の声を出した。


 とぼとぼと、元居た椅子に向かう。椅子に飛び乗ってもう一度窓の方を見ると、ギルは未だにキラキラとした目で窓の外を見ていた。



 「ああ。俺、賭け事なんてやったことないや。あんなにたくさんの人が集まるんだから、きっとものすごく楽しいことなんだろうな」



 窓の外を眺めながら、ポツリと呟く。



 「そう思うんなら、行ってごらんなさい」



 窓から目を離して、グラーノの向かいで木製の椅子に腰かける老婆に目を向ける。



 「でも……」



 「“やらぬ後悔よりもやる後悔”と大昔の人は言っていたようです。まあ、あなたが“失敗した時の方が後悔が大きい”とお考えなら、無理強いはしませんが」



 ギルは少し考える素振りを見せた後に、グラーノとサマンサの顔を交互に見た。そして、くるりと向きを変えて家を飛び出す。グラーノが制止する間もなく、白髪の青年は人の喧騒の中へと消えていった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る