第15話 月見草
村から少し離れた洞穴の中で、グラーノはカルロッタとともに身を隠していた。穴の出入り口から目を覗かせて、外にいる痩せた人狼に少し機嫌を悪くしながら声をかける。
「ねえ……ノアだったっけ? そんなところにいないで一緒に入ればいいのに」
雨のなかで耳をそば立てていた狼はゆっくりと振り向いた。グラーノの目を見ると、フルフルと首を横に振ってまた前を向く。
それを見たグラーノは少し頰を膨らませて、洞穴の中に座り直した。
「ノア、久しぶりだね。すごく大きくなっていてびっくりしちゃった」
今度はカルロッタが声をかけた。狼は前を見たまま、村の方へ耳をすませている。
「……。ねえ、ノア。もしここにモンスターが来ても、守らなくていいよ。あなたのお母さんが守ったものは、私だけじゃないでしょう?」
その声は微かに震えている。
狼は少し間を開いて、またフルフルと首を横に振った。
「カルロッタ、もうほっとけばいいよ。何言ったって聞かないみたいだから」
「でも……」
「強い決心をしたやつは、周りがどう言おうと無駄なんだよ」
こちらに背を向ける狼に向かって、言葉を投げかける。
「そうだよね?……よく、わかるよ」
狼は未だに背中を向けたままだ。雨に濡れたその背中には哀愁が漂っていた。
ざっと唐突に狼が立ち上がる。同時に、グラーノもサーベルに手をかけて穴の中で片膝をついた。
雨の音に混じって、草を分ける音が聞こえる。グラーノはゆっくりと洞穴から這い出た。
「少し多いね。手伝うよ」
狼の横に立って、草むらを睨みつける。狼はチラリとだけそちらを見ると、もう目前まで迫って来ている敵に飛びかかった。どうやら、モンスターの一匹を仕留めたようだ。それを合図に、草むらから大きな体躯のモンスターが数匹飛び出して来る。枝状に分かれた角を振り乱しながら突っ込んでくるが、グラーノは縦横無尽に飛び回って攻撃をかわす。攻撃終わりにできた敵の隙を逃さずに、彼のサーベルは的確にモンスターの急所を捉えた。その顔は、楽しそうに笑っている。それを見たノアも、安心したようで素早く近くにいたモンスターの喉元に噛み付いた。
「マーヴィ!」
スタビーの家付近にたどり着いたギルは、一人で数十のモンスターを相手取るマーヴィの姿を見つけた。
マーヴィはこちらを向いて歩み寄る。向けられた彼の背中目掛けてモンスターが飛び回かかるが、マーヴィは面倒そうに後ろへ氷塊を投げつけた。
「スタビーはどこだ!」
全力で走って来たせいで激しく息を繰り返すギルに代わって、飛び出したウルが切羽詰まった様子で尋ねた。
「さっきまでここにいたがなあ。今は人間の避難を手伝ってると思うぜ」
「どっちに向かった?」
「あっちだ。昨日見た感じでは、村の中で一番民家が密集しているところだな」
「わかった、ありがとう。…………さっきも思ったが、あんたは村にいたくせにおれを怖がらないな」
「あたりめえだ。オレも似たようなもんだからな。ほら、さっさと行け」
それだけ言って、またモンスター達の元へ向かうマーヴィに、ウルはまた小さく「ありがとうな」とつぶやいて走り出した。
走り去る黒い狼を見送りながら、ギルはマーヴィに声をかける。
「怪我はしてない?」
「してるようにみえるのか」
マーヴィはそちらを見もせずに氷の大鎌を作り出した。
「オレよりもクソガキの心配をしろ。モンスターの襲撃から一度も姿を見てねえぞ」
「うん、そうだね。マーヴィは行かないの?」
氷塊を飛び越えて来たモンスターを鎌でなぎ払う。
「なんでオレがあのガキを探さなきゃならん。それよりも、モンスターどもを全部片付けねえと村がなくなっちまうだろうが。こういうのは、できるやつがやらねえと」
ぶっきらぼうに答えるマーヴィにギルは少し笑いながら、ウルの進んでいった方向を見やる。
「じゃあ、俺は怪我人を治して回りながらグラーノのことを探すとするよ。こっちは頼むね」
周りに散らばる瓦礫を踏みつけながら歩き出す。一歩一歩、黒い狼の軌跡を踏みしめていった。
人間の避難は、数十のグループに分かれて行われていた。ここからさらに南に降れば、少し窪地になっている場所がある。そこには、避難用に用意された大きなログハウスが何棟か建っていた。三年前には、橋を越えて北に進んだ先にある洞窟……つまりははぐれ狼達が寝床にしていた場所が避難所になっていたらしい。しかし三年前の襲撃があった後に、反省を生かして近くに逃げ込める場所を先人達は作っていた。
「荷物は全て捨てろ!早く村からでるんだ」
先ほどの猟銃の男が人間たちに指示をしている。人間たちも、ほとんどが三年前の襲撃を経験しているからか比較的落ち着いて村から出ていた。
混乱を避けるために、別れたグループはそれぞれ違ったルートでログハウスに向かっている。すでに半分の避難は済んだだろうか。狼達が戦っているお陰で、モンスターの数もこれより増える様子はない。
唐突に、後ろから子供の泣き声が聞こえて来た。振り向くと、親とはぐれたのか二歳くらいの子が座り込んで泣いている。そばには子供と同じくらいの大きさの丸い耳と細長い尾を持ったモンスターが、子供の耳をかじりとろうと前足を上げていた。
スタビーは、すかさず飛び込んでモンスターの頭に噛み付く。
「大丈夫か!?」
こちらに気づいた猟銃の男が、その子供を抱き抱えた。
「怪我はないようだな。スタビー、助かった」
猟銃の男はそのまま、グループの一つにその子を連れて行く。安心して、スタビーはその後を見送った。
見送るスタビーの上に突如として何者かが影を作る。自分の背後に気配を感じて振り返ったその先には、巨大な体躯に丸い耳を持ったモンスターが鋭い爪のある前足を広げて立っていた。
モンスターの一撃を、すんでのところでかわす。着地した先でモンスターの首元をとらえるが、そこに噛みつくことはせずにその背後に回り込んだ。あの巨体でしかも二本足で立たれてしまっては急所に届かない。ともかく人間達の元から離れようと、すぐに踵を返す。数歩進んだその先にはもう一頭が待ち構えていた。“しまった”と思った時にはすでに遅く、敵の得意な距離に自ら飛び込んでしまう形となった。
モンスターは爪を光らせながら右前足でスタビーの体を引き裂いた。
「ぎゃんっ!」
白い狼の悲鳴と血があたりに広がった。その場に倒れ込む狼に、モンスターはすかさず止めを刺そうと口を開けた。
スタビーは体の左半分からどくどくと流れ出る血に滑りながらも、なんとか立ち上がろうと藻掻く。しかし、足に力が入る気配はまったくない。モンスターの牙はもう目前まで迫っていた。覚悟を決めたスタビーがギュッと目を瞑る。
グシャッ
肉の裂かれる嫌な音が聞こえる。想像していたような痛みはなかった。血の匂いに混じって、少し野生的な匂いが鼻をつく。
薄く目を開くと、大きな黒い塊が立ちはだかっていた。人型のその塊は、ぐらりと右に大きく揺れた。モンスターが人型の頭を右前脚で抑える。次の瞬間、人型の左半身を食いちぎった。同時に、モンスターの胸元からも血が噴き出る。見ると、人型の塊……ウルは右手に槍を持っていた。槍についた血と、モンスターから吹き出す血の量からして、心臓を一突きしたのだろう。
モンスターとウルは、大量の血にまみれながら泥だらけの地面に倒れこむ。仰向けに倒れたウルは、漆黒の髪を血に浸しながら、頭だけを動かして茫然とする白い狼を見た。
「よう、スタビー。さっきぶりだな」
荒く呼吸を繰り返しながら、それだけのことを言う。スタビーはその言葉に我に返り、何とか人間の姿となった。
「なん……で。なんで……ぼくをかばった。なんでお前はいつもそうやって……」
背後から、人間たちの悲鳴と銃声が聞こえた。たしかモンスターは二頭いた。残った方の一頭が、避難する人間のグループに襲い掛かったのだろう。そのことに気づいたスタビーはもう一度立ち上がろうと藻掻いた。
「やめとけよ、その傷じゃあ動けねえって。それ以上無駄に動いたら死んじまうぞ」
「うるさいっ。お前には、関係ない」
「関係あるさ」
ウルは残った右手でスタビーの髪をわしづかみにし、自分のもとへ引き寄せた。半分が食いちぎられたその体を直視することとなったスタビーは、思わず目を背ける。
視界が怪しくなるほどの大雨だというのに、その雨が二人の血を完全に洗い流すことはなかった。血まみれのウルの手は、スタビーを自分のもとへ引き寄せるとすぐに離した。そして、スタビーの右小指に、自分の小指を絡める。
「スタビー、これが最後だ」
ウルの荒い息は徐々に落ち着いていく。
「おれにこんなことを言われても迷惑なだけかもしれねえが」
その声は段々と雨の中に消え入りそうになっていった。
「ちゃんと……幸せになれよ」
スタビーの小指から、ウルの右手が離れる。
“兄ちゃんとの、最初で最後の約束だ”
最期の言葉は、きっとスタビーが人間だったのならまったく聞き取れなかっただろう。長年の謎がようやくとけたスタビーはその場にうなだれた。もう彼の傍らには、先ほどまでの黒髪の青年はいない。今ここに血まみれで横たわっているのは、魔法の解けた、なんてことのないただの黒い狼だった。
「ウルが村を出たのはお前が生まれてすぐのことだ」
はぐれ狼の一人が口を開いた。
「あいつは村の掟に反対して追い出されたおれたちと違って、襲撃の元凶として追い出されたんだ」
雨上がりのぬかるんだ土の上では、瓦礫を運ぶためにたくさんの人間と人狼たちが行きかっている。
「当時はなんてことないただの子供だった。村の連中も災狼の言い伝えについては話半分に聞いていた。だが突如としていろんなものを失ってしまったから、誰かのせいにしなきゃやってられなかったんだろうな」
村の端には数えきれないほどの十字が並んでいた。二本の木の枝を組み合わせて作られたその十字は、かすかに盛り上がった土の上に突き刺さっている。
「ウルの両親はあいつを必死にかばったが、ある時ついに手放す覚悟を決めた」
盛り上がった土の前に跪いて、まだ柔らかいその表面を撫でる。
「弟が……お前が、生まれたからだ」
盛り上がった土の上に、四枚の花弁を持った花を供えた。
「あいつは、一度も村の連中を悪くは言わなかった。もしかしたら、ずっと自分を責めていたのかもしれない」
薄紫色の花弁が初夏の朝の涼しい風に吹かれてかすかに揺れる。この花は昨夜の月を見届けてくれただろうか。
「あいつは前のラックウルフを、自分が死なせてしまったと思っていた。だから、余計にお前のことが心配だったんだろうな」
立ち上がって周りを見回すと、他にも土の前で膝まづく人狼や人間たちがいた。その中には、カルロッタもいる。そばに痩せた人狼の青年がおり、二人は互いの手をギュっと握っていた。二人とも、こちらからでは顔は見えないが、とある一つの十字の前で立ち尽くしているようだった。
スタビーもまた、それを見て同じようにして立ち尽くしていると、周囲がざわつきだした。
「おい、もう行っちまうのか?」
「ああ、先を急ぐ旅なんでね」
喧騒の方を見ると、ギル、マーヴィ、グラーノの三人が旅支度を終えて村の出口へ向かうところであった。
「まだ何のお礼もしてないのに。あんたらがモンスターを片付けてくれなきゃ、一晩で村に帰ることなんてできなかった」
「そうだよ、せめてなんか持って行ってくれ」
「いいや、何もいりませんよ。今は村の復興が最優先です」
「グラーノ!」
カルロッタが、金髪を揺らしながらクロエとともに走り寄ってくる。
「これ、クロエと前に作った物なの。あげる」
そう言ってカルロッタの前に差し出した手の中には、小さな巾着袋が握られていた。
「小物入れにでも使って」
グラーノは巾着を右手でつまみ上げてまじまじと眺める。紺色の布地に、ところどころ歪でカラフルな花の刺繍が入っていた。
「ありがとう、大切に使うね」
笑顔で返すグラーノに、カルロッタは満足したのかクロエの手を引いて「じゃあね」と踵を返した。人混みから少し離れた場所でその様子を眺めていたノアのもとへ走り寄る。
スタビーの足もまた、自然とそちらに向かっていた。ギルがその姿に気づいて声をあげる。
「スタビー、怪我の方はどうだい?」
「ああ、あんたの魔法のおかげでなんともない。それよりも、魔力の方は戻ったのか? 怪我人の治療でだいぶ使っただろう?」
「うん、まだ本調子じゃないけれど少し寝たらだいぶ回復したよ…………ウルのことは……ごめん。他にもたくさん救えなかった」
「あんたのせいじゃない。今回のことはモンスターたちと、それから魔王のせいだ」
ギルは顔をしかめて下を向く。同時に、周りに聞こえないほどの小さな声でスタビーに囁いた。
「……もし、耐えきれないほどつらくなって、誰かを恨みたくなったら俺のことを恨んでくれていい。自分のことだけは、絶対に恨まないで欲しい。ウルは、君に幸せになって欲しかっただろうから」
スタビーはその言葉に目を丸くした。そして自然と笑みを浮かべる。
「あんた、優しいんだな。ありがとう。……どうかお元気で、旅の無事を願っているよ」
三人の見送りは、その場にいる村人全員で行った。森の木の中に消えていく三人の陰に、各々が感謝の言葉を投げかけていた。
「しかし、不思議な奴らだったな。特にあの白いのは」
ふと、昨日の猟銃の男がスタビーの横に立って呟いた。スタビーが怪訝な顔で男の方を見ると、男はぽつぽつと昨日のことを話し始めた。
「お前は怪我を負って意識が朦朧としていたから知らねえか。ウルのやつがモンスターを倒してしばらくすると、残ったもう一頭がこっちに向かってきたんだ。人間たちはパニックになって走り回っていたんだが、あの白いのが走りこんできてモンスターと人間たちの間に立った。そうしたらなぜかモンスターの動きが止まったんだ。今まで見たことないほどの殺気でモンスターのことを睨みつけていた。そんでそいつが何か言うと、モンスターは向きを変えてどこかに走り去っていったんだ。そん時は確か、こんなことを言っていたっけか」
“お前をそうした主がそれを望むのか、その無駄に大きな頭でよくよく考えると良い”
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