第18話 バケモノたち

 ルイスはその遺跡を“メル”と呼んだ。巨大と言う彼の言葉に相違はなく、小さな体のグラーノにはその遺跡が天にさえ届きそうに見えた。眩しさに目を細めながら見上げると、三角形、正確には四角錐の天辺が太陽を突き刺しているようである。



 「この遺跡は長いこと砂の中に埋まっていたんだ。今から千年くらい前に有名な冒険家が偶然見つけたんだって」



 ルイスは少し歩いて遺跡の中腹あたりを指さした。



 「あそこが入り口だよ。開きっぱなしだから、盗賊でもなんでも入り放題さ。中の財宝は全部持っていかれたみたい」



 グラーノは、遺跡を形作る石の一つに這い上がった。



 「ねえ、中に入らないの?」



 ルイスもその後に続く。



 「いいの? 中には全身に包帯を巻いた怖ーい幽霊がでるんだよ?」



 声を低くしながら、両腕を上げてグラーノを揶揄う。一方のグラーノは揶揄われていることにも気づかず、キョトンとした顔をしていた。



 「幽霊? なにそれ?」



 「え、死んだ人間の魂だよ。お前、知らないの? 悪いやつはまだ生きてる人間を連れていってしまうんだ」



 グラーノはそこまで説明されてもあまりピンときていないようで、少し考えるような仕草をした。



 「へえ、それって強いの?」



 「強い……というか触れないかな。だから物理攻撃はあんまり効かない……と思う。君のそのサーベルなんてすり抜けてしまうよ」



 自信なさげに答える言葉に怪しむそぶりも見せず、グラーノは目を輝かせた。



 「なにそれ! すごい見たい! この中にいるんだよね? 早く行こう!!」



 息を弾ませながら、大きな石の段に手をかける。ピョンピョンと身軽に登っていく姿を見て、ルイスは苦笑を浮かべた。






 大きな屋敷の中、老婆は一人座っていた。ロッキングチェアに揺られながら、何をするでもなく外の喧騒を眺めている。膝で組んだ両手の指を何度も組み替えている。


 いつもと変わらない同じ場所。音も、目に見える景色も、肌で感じる暑さも、何も変わってはいなかった。目を閉じて、いずれ来るその日のためにただ時間を消費していく。



 ガタガタと風呂場の方から聞こえる音に、うっすら目を開ける。そういえば、この家には他の人物がいたのだったろうか。風呂場の方に目を向けてしわがれた声を出した。



 「もう、よろしいのですか」



 老婆が向けた視線の先には、黒髪に長身の男が立っていた。



 「ああ、助かったよ。婆さん」



 男は、濡れた髪をタオルで拭きながら老婆の向かいにある椅子へ歩み寄る。



 「お茶でもどうです?」



 「もらおう」



 老婆がポットを手に取り、新しいカップにダージリンを注ぐ。



 「あのガキはどうした?」



 男はその椅子にゆっくりと腰を下ろすと、まるで世間話でもするかのような口調で尋ねてきた。



 「遊びに行ってしまいましたよ。どうやら、私はあの子に嫌われてしまったようで」



 老婆は苦い顔をしつつ笑った。



 「あいつはまだガキだしな。優しくされすぎると突き放したくなる年頃なんだろう」



 一切湯気の登っていないカップを、少し傾ける。ちょうどいい温度だと、男は内心安堵した。



 「マーヴィさんでしたかしら。あなたは私のことを随分信頼されているようですね」



 サマンサはまた表情を緩めて微笑んでいる。



 「あんたからは敵意を感じない。それだけのことだ」



 「あら、自分の目に自信がおありで?」



 「まあな。オレはそういうことに関して専門家みたいなもんだ」



 程よく冷めたダージリンを、口の中で何度も転がして味わう。あの生物学者のところで飲んだ茶は旨かったが少し熱すぎた。他のところで飲んだ茶も、熱いという感想しかなかったが、改めてよく味わってみるとこんな風味だったのか。



 「ああ、なるほど。そうでしたか」



 サマンサはマーヴィのあまりにもがっしりとしすぎた体を舐め回すように見ると、納得したように頷いた。



 「その割には傷跡があまりないようですね」



 「服の下にはたくさんあるさ」



 同時にこれまでの微笑みを崩し、悲しそうに顔を歪める。



 「どれだけ殺してきたんです?」



 「数えきれねえな」



 「私は……。人を傷つけるのは嫌いです。……傷つけられる側の痛みがよくわかりますから」



 とうの昔に空になった自分のカップの中を覗き込む。飲み干されずに取り残された茶葉のカケラがニつ、底の方に所在なさげにあった。



 「……そうか。まあそれが普通だよな」



 また新しくダージリンが注がれるが、それまでは少しずつ飲んでいたそれを、何か振り払うように今度は勢いよく飲み干す。窓からはすでに橙色の光りが差し込んでいた。





 街の表通りを、二人の少年は歩いていた。小さい方の少年が、歩きながらため息をつく。



 「はあ、幽霊見たかったなぁ。訳の分からないただの壁画ばっかりでがっかりだよ」



 「はは、いつでも見られる訳じゃないよ。たまぁに現れるから怖いのさ。それに、あれはただの壁画じゃない。何万年も前の人の生活を描いているんだ」



 グラーノは、隣のルイスを見上げる。ルイスは、嬉しそうに話し続けた。



 「実は、千年前の頃と遺跡に描かれている頃の生活水準はそれほど変わらないんだ。あの遺跡が本当に何万年も前のものなら、どうして最近まで技術の進歩がなかったのか。ここ数十年で気球ができたり、武器も新しくなったり。他にも石を燃やして動く鉄の船ができたりしているのに、そんなに長い間何の進歩もなかったなんて不自然じゃないか」



 声高に話すルイスの目は、すでに学者のそれであった。自分よりも少し背の高い彼が、橙色の光を浴びて佇む姿は、ひどく輝いて見えた。



 「ルイスは、それがなんでかを知りたいの?」



 「うん! ぼく、まだ誰も知らないことを知りたいんだ。だから……」



 それまで笑っていたルイスが、唐突に口をつぐむ。不思議に思ったグラーノが顔を見上げると、彼は前をじっと見たままで表情を強張らせた。



 「父さん……」



 ルイスの目の先には、頭にターバンを巻き、口には立派な黒髭を蓄えた年配の男がいた。男はルイスのことを視界にとらえると、気難しそうな顔のまま、ツカツカと歩み寄る。



 「こんな時間まで何していたんだ、探したぞ」



 ルイスの目の前で立ち止まったその男は、威圧的な声を出す。ルイスは途端に萎縮してしまって、恐る恐る声を出した。



 「……遺跡に……行ってた」



 その言葉に、男の顔は怒りの表情へと変わっていった。目と口が吊り上がり、耳まで赤くなったその顔は、人間の理性から解き放たれたバケモノのそれであった。少年たちの目には、それがこの世にある何ものより恐ろしいものに見えた。男が手をあげてルイスの左頬を平手で殴り飛ばす。ルイスは殴られたことが一瞬理解できなかったようで、自分の左頬を押さえながら茫然としていた。



 「お前は何度言えばわかるんだ! 考古学者なんか金にならない。お前は俺の仕事を継いでレンガを作るんだ。そうすれば確実に安定した生活ができるのに、なぜそれがわからない!?」



 男はルイスの手を引いて立たせる。 



 「あまり父さんを困らせないでくれ。俺は……ただお前に幸せになって欲しいだけなんだ」



 小さく呟いた男の声は、ルイスとグラーノの耳にはしっかりと届いた。



 「……うん。ごめんなさい父さん」



 もう、言い返す言葉がない。ルイスは、グラーノの方を振り返って“じゃあね”と言うと父親に従って歩き始めた。そこで、茫然としていたグラーノもハッとしてルイスの手を引く男に取りつく。



 「待って! おじさん、ルイスの話を聞いてあげてよ。ねえ!」



 「悪いな、坊や。これは俺たち親子の問題だ。君も早く家にお帰り」



 それだけ言って、自分のズボンを掴むグラーノの手を払いのけた。そしてグラーノの方を見もせずに、ルイスを連れてすたすたと立ち去ってしまった。小さくなっていく後ろ姿を、グラーノは追いかけることもなくただ立ち尽くす。豆粒のようになってしまったバケモノの後ろ姿に、最後の足掻きとでもいうように叫けんだ。



 「あんたに人の幸せなんてわかるもんか!」





 外は暗い橙色。隣家や向かいの家がかすかに光を発している。サマンサも、立ち上がって家のランプに火をつけ始めた。それを見たマーヴィもマッチを持ってまだ暗い他のランプに歩み寄る。マッチを擦って火をつけようとするが、パキッという音とともに真っ二つに折ってしまった。二本目に手をかけるがそれもまた折ってしまう。



 「ふふっ、そんなに力を入れなくても火はつきますよ。ほら」



 マッチ棒と格闘するマーヴィを見て笑いながら、マッチの使い方を指南する。



 「簡単そうに見えて難しいな。不器用なオレにはできそうにない」



 「そんなことありませんよ。もう一度やってみてくださいな」



 もう何本目かわからないマッチ棒を、言われたとおりに箱に擦りつける。シュツという鋭い音とともにマーヴィの手元が明るくなった。



 「おお、ついたぞ。ばあさん」



 サマンサにマッチの箱を渡して、左手でランプを開ける。渡されたマッチの箱をのぞいてみると、中は空になっていた。それでも、初めて自分で灯した火を、嬉しそうに眺めるマーヴィにサマンサの顔にも自然と笑みがこぼれる。



 「初めて笑いましたね」



 目を丸くして、ランプから視線を離してこちらを見る。



 「オレだって心底楽しけりゃ笑うさ」



 「ふふっ、そうですよね」



 愉快そうに、ゆっくりとロッキングチェアへ戻る。そして、またギイギイと揺られ始めた。それを見たマーヴィも、自分の椅子を引いて座った。



 「でも、人は楽しくなくても笑うものですよ」



 「みてえだな。一緒に旅してるのにも、そういうやつがいる。……あんたも、そうだな」



 先ほど、新しく入れなおしたダージリンを自分のカップにそそぐ。目の前の男に出すには、もう少し冷ましてからの方がいいだろう。そういえばそろそろ夕飯の時間だ。子供もいることだし、熱いスープよりはステーキの方が喜ばれるだろうか。



 「オレにはさっぱりわからん。どうしてそんなにニヤニヤできるのか」



 目を伏せて、ふっと静かに笑う。



 「誰しもがあなたみたいに強いわけではありません」



 窓の外の人混みを見ると、皆仕事が終わって家路につく途中なのだろうか。誰もかれも足早に歩いている。



 「本当は、人のことが怖いんですよ。でも、誰も一人で生きていける人なんていません」



 隣の家から、夫を迎える妻の嬉しそうな声が聞こえた。



 「だから、みんなに嫌われないように生きているんです。自分を殺して、たくさん周りの人にサービスをするんです。そうして周りの顔色を伺いながら、自分が何者なのかも忘れて死んでいくんです」



 外では、父の帰りを待ちわびていた子供たちが飛び出してきて歓喜の声をあげている。



 「子供が、親の機嫌を取るのと同じです。親に嫌われることは、子供にとって時に死を意味しますから、たくさんサービスをするんです。でも、それは大人になっても変わらないんですよ。“良い人”を演じなければ、人が途端にバケモノとなって襲ってきますから。そんななかでびくびくしながら生きているのが私たちなんです」



 ポットの蓋を開けて、中を確認する。もうすでに湯気は登っていないのを確認して、マーヴィのカップに注ぎ込んだ。



 ばたんっと家の扉があく音がする。リビングから首を伸ばしてそちらを見ると、グラーノがうつむいて立っていた。



 「お帰り」



 そう言って笑うサマンサに返事もせずに、ずかずかと部屋の奥に入っていく。リビングにあるソファに飛び乗ると、そのままうずくまってしまった。


 マーヴィとサマンサは顔を見合わせる。



 「おい、どうした」



 返事はない。



 「こんなところで寝たら風邪を引いてしまうよ。寝室に案内するから、行こう坊や」



 そう言ってサマンサが手を引くと、素直に従った。ソファから降り、連れていかれる途中でグラーノはマーヴィの手も掴んだ。一緒に来いということだろうか。困惑しながらも、サマンサとグラーノの後についていく。風呂場の前を通り過ぎたさらに奥に、寝室はあった。中は、サマンサがよく掃除しているのかこざっぱりとしていた。



 案内されたグラーノはベッドへまっすぐ向かい、その上で先ほどと同じようにうずくまった。サマンサがその部屋のランプにも火を灯してから出ていくのを見届けて、マーヴィもそばの椅子に座る。



 「……おい、ガキ。何があった、なんかしゃべらねえとわかんねえだろ」



 グラーノが、かすかに顔をあげる。その頬には涙の跡があった。



 「なんだ? 怖いもんでも見たのか」



 「……うん」



 はあ、とため息をつく。“これだからガキは”と内心悪態をつく。しかし、ギルがまだ帰っていない以上は自分がこの子供を何とかしなければ仕方がない。



 「何を見たんだ?」



 「バケモノ」



 「バケモノ? モンスターならそのサーベルで倒しゃいいじゃねえか。まさか、負けたのか?」



 「違う……人間……。大人の……」



 「は?」



 間の抜けた声を出す。どう答えていいかわからず、しばらくその部屋には沈黙が満ちた。

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