第7話 二つの顔
「保存食はここのお店。干し肉の種類が豊富よ。それから、こっちの店ではヒエとビスケットをまとめ買いできるわ」
空の真上に太陽が来た頃、勇者一行の三人と一人の魔女は店の並ぶ通りを歩いていた。少し離れれば田園風景が広がるこの町は、田畑と生活の場を完全に切り分けているせいで同じ町だというのにまるで別世界のようである。
「ところであなたたち、旅の人たちのようだけどこれからどこに向かうの?」
スランバーが唐突に問いかける。
「日の沈む方へだよ」
グラーノが弾んだ声で答えた。
「ここから日の沈む方というと……エインの森がある方向ね。あそこに行くのはやめた方がいいわ。う回する道を教えてあげる」
グラーノが少し眉をあげて尋ねる。
「どうして?」
「あそこの森には狼がたくさんいるの」
「狼? なにそれ。そいつ、強いの?」
「鋭い爪と牙を持った獰猛な魔法生物よ。おまけに頭もすごくいいの。彼らに襲われたのか、森に入って二度と帰ってこなかった人も何人かいるわ」
それを隣で聞いていたギルは眉を下げて、少し困ったというような声を出した。
「それは会わないに越したことはないね。彼らに会わずに森を抜ける方法はない? 急ぎの旅だからできればう回はしたくなくてね」
スランバーは顎のあたりに自分の手を添え、少し考えるような素振りを見せた。
「うーん。松明を燃やしながら歩けば寄ってこないかも。狼だけじゃなくて、魔法生物は基本的に火を嫌うからね。ただ……」
「ただ?」
「うーん。これは小さいころにおばあさまが話してくれた単なる昔話なんだけど、エインの森の奥深くには狼を操る人たちの村があって、村を守るためによそ者を殺しているらしいの。実際に村を見たって人がいないからなんとも言えないけれど、運悪くその村の近くに行ってしまったらかなりまずいと思う」
自信なさげな尻すぼみをした話し方であった。
「そうか……まあそのくらいなら大丈夫だよ。誰も見たことがない村なら本当にあるかどうかも怪しいわけだしね。それにうちにはとても頼りになる仲間がいるから心配ないよ。野生の勘がよく働く剣士と、魔法(物理)の魔導士がいればそうそう死にはしない」
ギルはニコリと微笑んでスランバーを見下ろす。
スランバーはただ困惑していた。互いに信頼しあう彼らを見ていると、なんとなく不思議な気持ちになる。
「おお、スランバーちゃん! この間はありがとうねえ」
折れた鍬を右手に持ち、背中に赤子を背負った四十代くらいの男が声をかけてきた。
「こんにちは、おじさん。最近調子はどうですか?」
スランバーはすぐに気持ちを切り替えて返事をする。
「いやあ、最近また腰痛がぶり返してね。今日仕事終わりにまた薬をもらいに行こうかと思っていたところなんだ。大丈夫かい?」
「もちろんです。それでは夕方ごろ、家でお待ちしていますね」
その言葉を聞いた男は、ニコニコと愛想よく手を振って立ち去っていく。すると、間髪入れずにまた誰かが声をかけてきた
「スランバーちゃん!」
今度は右手に布の袋をさげた若い女だった。
「この間はありがとうね。スランバーちゃんのアドバイス通りにしたらほんとにエリックとお付き合いできたの! 本当に夢みたいだわ」
左手で自分の口元を隠し、照れ臭そうに笑う彼女にスランバーもつられて笑う。
「そう、それはよかったわね。私もうれしいわ」
「ふふ、スランバーちゃんにはやっぱり隠し事はできないわね。いつも夢見の魔法で真っ先に気づいてくれるんだもの。両親よりもずっと頼りになるわ。今度、食事でもご一緒しましょう。もちろん私のおごりで」
それだけ言うとその女も、またニコニコと笑いながら手を振って立ち去って行った。
「スランバーは、すっごい人気者なんだね」
グラーノが無邪気に声をかける。
「さあ……どうなのかしらね。まあでも、あんなふうに嬉しそうにしている人を見ると私も嬉しいわ」
「おい、クソガキ。買い物はこれで終わりだ。さっさと行くぞ」
途端にグラーノは後ろから声をかけられる。そこには両手いっぱいに数日分の食糧を担いだマーヴィと、何も持たずに微笑むギルが立っていた。
「えー……残念……」
下を向き、落ち込んだ顔を見せるグラーノだったが、何かを思い至ったのか急にギルのもとへ走り寄る。
「ねえ、ギル。耳を貸して。ボク考えたんだけどさ」
そう言いながらしゃがんだギルの耳になにか囁く。ギルも嬉しそうに聞きながら、相槌をうっていた。
「うん、それはいいね。よしいこう。二人とも、買い忘れがあったみたいだ。少しここで待っていて」
そう言いながら近くの店へと二人連れ立って歩いていく。その店はアクセサリーを売る店のようであった。まったく何をしているんだとマーヴィはため息をつきながらその後姿を眺める。
「うーん、どれがいいかな」
「グラーノが決めていいよ、その方がスランバーちゃんも喜ぶでしょ」
グラーノはじっと並んでいる天然石のネックレスを眺めていた。一つ一つ見落とすまいと何度も同じ場所を行ったり来たりしながらうなっている。その様子を見ながらも、ギルはふと道端の声が気になり、そちらに耳を傾けていた。
道端では何人かが集まって楽しそうに井戸端会議をしているようである。かすかに漂う悪意の気配。ギルは、彼らの会話に耳をすませるが、距離が空いていたこともあり、はっきりと聞きとることはできなかった。
「これにする!」
そう、急にグラーノが叫んだ。彼が指さしたのは夜の空のような深い青色をした石……アイオライトであった。
「うん、いいんじゃないかな。おじさん、これ一つください」
そう言いながら金貨を取り出し、店主に渡す。
グラーノはそのアイオライトのネックレスを両手で大事そうに持つと、すぐにスランバーのもとへとかけていく。
「スランバー、今日はありがとう! すごく楽しかった。これ、ボクからのプレゼント!」
そう言いながらアイオライトのネックレスを差し出す。
突然のことに狼狽し、手も出せずにいるスランバーを見てギルが後ろから助け舟を出す。
「思ったよりも早く出発できそうだし、本当に助かったよ。ありがとう」
「……そう、どういたしまして」
おずおずと手を出してネックレスを受け取ると、太陽に石をかざして眺めてみた。
「キレイ……とても。私の好きな色だわ」
少し微笑み、背伸びをしてグラーノの頭に右手を置く。
「ありがとう」
夢のことに関してはもはやお手上げ状態であった。なんとか考えを巡らせるが、どうしたってわからないものはわからない。少し後ろめたい思いを引きずりながら、最後の賭けに出た。
「ねえ最後に、私の家に来ない? ちょっと渡したいものがあるの。私の家は森に続く町の出口近くにあるから、そんなに時間は取らせないわ」
森へと向かう三人と、家へと戻る魔女はしばらく連れ立って歩いていた。並ぶ家々が徐々に数を減らし、やがて田畑のみの風景へと変わっていった。そんな田畑の中に、やがて小さな木の家がぽつりと立っているのが見えてくる。スランバーはその家に向かっているようだ。少し足早になりながら、家の扉の前にたどり着くとドアノブを回して三人を招き入れた。
入ってすぐのリビングに三人を通し、「ちょっと待ってて」とだけ言い残して部屋の奥へと消える。古くて小さな家であった。リビングには少し長めのテーブルと四脚の椅子が向かい合わせに並んでおり、椅子は一脚を除いてすべてが埃をかぶっていた。また、キッチンが隣に併設されており、食器棚やコンロはリビングからも覗き見ることができる。棚には皿とカップがすべて四つずつ置かれているようで、それを見たギルは少し悲しそうな顔をしてすぐにキッチンから顔をそらした。
それほど時間をかけることもなく、スランバーはすぐに部屋の奥から出てきた。少し申し訳なさそうにしながら三人のもとへ歩み寄る。
「本当はね、昨晩珍しい夢を見たから。きっとよそ者の夢だろうと思って、確かめるために三人に声をかけたの。でも、しばらく一緒にいてわかった。多分あなた達の夢じゃないのね」
グラーノが少し眉をあげて返す。
「夢?」
「ええ、子供の夢よ。それでいてとても悲しい夢。その子供は周りの誰も信用していなかった。多分、大事ななにかを落っことしてしまっているのね」
そう言いながら、悲しそうな顔で一冊の本を差し出した。
「でも、あなたたちは親切にしてくれた。お互いに仲もよさそうだし。だますようなことをしてごめんなさい。これはお詫びの印。私もとても楽しかったわ、ありがとう」
グラーノは本を受け取ると、たどたどしく表紙を読み上げた。
「りくの……れき、し?」
「ええ、その本には千年前から現在までの陸の国の歴史が書かれているの。あなたたち、あまりこういったことに詳しくなさそうだったから。困ったら、この本を読んでご覧なさい。きっと力になるわ」
グラーノは皮が張られた表紙の、分厚いその本を、大事そうに胸の前に抱え込んだ。
「ありがとう! 大事にするよ。それからスランバー、必ずまた会おうね。それで今度はもっといっぱい遊ぼう」
「ええ、もちろんよ。またいつでもいらっしゃい……さようなら」
名残惜しそうにゆっくりと扉を引いて出ていこうとするグラーノの背中に、スランバーは少し寂しげに小さな手を振った。
「スランバーちゃん」
マーヴィとグラーノが扉を出ていったところで、一度扉をバタンと閉めてギルはゆっくりと振り返る。その顔には、いつもの微笑みはなかった。
「君のその夢見の魔法はあまり使わない方がいい」
冷たい冬の水を感じさせるような目ですっとスランバーのことを見据えている。
「あら、何故そう思うのかしら。表には見えない人の悩みや苦しみを知って、助けてあげることもできるのに」
スランバーは愉快そうに笑う。
「起きてみる夢も、寝てみる夢も、人に見せるものじゃないからさ。表に見えないというならば、それはその人が望んだことだ」
ギルは扉にもたれかかり、腕組みをした。
「それに、君は町の人々とうまくやっているようだけれど、この先もずっとそうであるという保証はどこにあるんだい? その魔法は、なにも知られたくない人からすればただ気持ち悪いだけだよ」
勇者と魔女は、一つのテーブルを挟んでしばらく向かい合っていた。お互いの心を探るように、互いの目をじっと睨みつけて。
「ふふ、今日会ったばかりの私の心配をしてくれるだなんて、あなた随分と優しいのね。ちょっとイメージと違ったわ」
「それはどうも、でも残念ながら俺は優しいんじゃない。ただ、自分勝手に幸せを望んでいるだけだ」
「あら、人に優しくする以外で幸せになる方法なんてあるのかしら」
「簡単なことだよ。楽に生きたいのならば、自分が悪く言われても気づかないくらい鈍感で、自分が誰かを傷つけても気にしないくらい残酷なのがちょうどいい。その通りに生きるなら、素晴らしく幸せな一生になるだろうね」
スランバーは眠そうな目をかすかに見開く。そしてまたくつくつと笑った。
「そうね、そういった見方もできるかしら。あなた、おもしろいわね。もう少し話したいところだけど、お仲間が待っているでしょう。早く行った方がいいわよ。あなたのこれからの旅路に幸あらんことを」
そう言いながら両手を手の前に組んで祈るようなポーズをとる。
「ははは、魔女の祈りなら相当な効力がありそうだね。いろいろと世話になったよ。ありがとう、さようなら」
ギルはもたれかかっていた体を起こし、扉のノブに手をかけた。開いた扉から出ていこうとするギルの背中に、スランバーは最後のあがきのように言葉をかけた。
「ギル、やっぱり私はね優しい嘘をつく人のことは嫌いになれないわ」
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