魔女編
第6話 魔女
「天使様」
「天使様」
うるさい。
「流石、天使様ですね」
露ほども思っていないくせに。
「お父様もさぞお喜びでしょう」
お父様もお前らも、嘘つきばっかりだ。
「聞きましたよ。また一位だったそうで。本当に天使様は優秀でいらっしゃいますね」
馬鹿なお前達は、一生気づかないんだろうな。
「お前は私の誇りだ」
僕はお前らの正体を知っているんだ。
「「「天使様!」」」
この、悪魔め。
そんなことを思いながらも、僕はニコニコと周りの大人達に愛想を振りまいて、“サービス”をした。そうすると、大人達はさらに喜ぶのだ。これが僕の処世術だった。どれだけ周りが信用できなくても、一人で生きられると錯覚するほど、僕は愚かではなかった。
「みんなが手伝ってくれたからだよ、ありがとう」
そんな、思ってもいない嘘をつく。吐き気がした。それでも、ぐっと飲み込んで口角を上げ続けた。先程、彼らを嘘つきと罵ったが、詰まる所僕も同族だ。それが余計に気持ち悪い。
「おれはお前がうらやましいよ」
ああ、誰か、教えてください。毎日食べるものに困らなくて、ちゃんと安心して眠ることもできて。この上なく幸せだと、皆口を揃えて言います。でも、僕は甚だ疑問です。いつだって隙間風が吹いたように、胸のあたりが寒いのです。誰か、教えてください。
僕は一体、幸福なのでしょうか。
小さなベッドから起き上がり、スランバーは部屋を見回した。朝日が差し込む部屋は、少し埃っぽかった。分厚い魔法の書で床が埋め尽くされており、足の踏み場もない。扉の横にある棚には、怪しげな薬の入った瓶がずらりと並んでいた。ぼさぼさになってしまった撫子色の髪を触りながら、ゆっくりとベッドをおりる。
「ああ、誰かこの町に入って来たのね。こんな夢、初めて見るもの。これは……夢の主と、会ってみた方がいいかしら」
眠たげな眼のまま、足元の本を蹴って扉に向かう。
「宿屋に行けば、昨晩来た人のこともわかるでしょう」
棚の向かい側にあるクローゼットの前で立ち止まると、ワンピース型のパジャマを脱ぎ捨てた。代わりにクローゼットから黒色のドレスとローブを取り出して袖を通す。
「さあ、あの悲しい夢の主はどんな顔をしているのかしら」
夢見の魔女はくつくつと笑いながら扉に手をかける。彼女にとって、少し変わった一日が始まった。
勇者たちがすべての山を越えて、現在の町に着いたのは昨晩のことであった。山を下りた時にはすでに空は赤く染まっていたが、もう一度野宿をするよりも好いと暗くなった後も町に向かって歩き続けた。閉じようとする目をこすりながら見つけた目的地は、いかにも田舎といった感じの静かな町であった。田畑に植えられたばかりのヒエは、風が吹くたびに細長い葉を揺らしてさわさわと音を立てている。ヒエの囁きの間を縫って進むと、住人たちが住む居住区へと着いた。一見、田畑しかない田舎町かと思われたが、居住区の方は小さいながらも酒場や食事処といった店が並んでおり、それなりに賑わいを見せていた。
町を歩く人に宿屋の場所を訪ねて、町に一つしかないという古びた宿に三人が着いたのは月が空のてっぺんに来たころであった。それから数日分の疲れを癒すように、着いて何をするでもなく泥のように眠った。
そして今日、昼前に起きてきた三人は遅めの朝食をとっている。宿は、二階が客の泊まる部屋となっており、一階には受付のカウンターと食事処がある。食事処の丸テーブルに並んで座る勇者達に、宿の女将がサービスですとカップに入ったコーヒーを差し出した。“どうも、いただきます”と言いながら飲むギルと、謎の黒い液体の匂いを嗅いで訝し気に口をつけるマーヴィとグラーノ。
「うわっ、なにこれ。ものすごく苦い」
顔をしかめて舌を出しながらグラーノが言う。
「ああ、これはねコーヒーっていうんだよ。もし苦ければ、ミルクとお砂糖を入れたらどう?」
微笑んだギルはそう言いながら、テーブルの真ん中に置いてあった銀のミルクピッチャーを持ち上げてグラーノのカップの中に注ぎ込む。黒い液体の表面に白い渦巻きが描かれていくのを見たグラーノは目をキラキラと輝かせた。
「マーヴィは大丈夫?」
ミルクピッチャーを一度起き、カップの受け皿に乗っている角砂糖に手をかけながら左隣に座っているマーヴィに目を向けた。
「え、どうしたの」
そこには口を押えてテーブルに突っ伏している大男がいた。予想していなかった光景に狼狽しながら、ギルはマーヴィの肩に左手をかけ、右手でグラスに入った水を差し出す。マーヴィは顔を上げると、ギルの手から水を奪い取り、ゴクゴクと飲み干した。
「熱すぎてまったく味がわからなかった」
赤くなった舌を手で扇ぎながら、女将が別の客と話し込んでいるのをちらりと見た後、ギルの方へ自分のカップを滑らせる。
ガチャッと宿の扉が開く音がした。宿の女将は客でも来たのかと振り向いて駆け寄るが、客人の姿を見て“あら”と驚いたような声を出した。
「スランバーちゃんじゃないの。いらっしゃい、よく来たわね」
ニコニコと笑いながら女将の見下ろした先には、まだ七歳くらいの小さな女の子が立っていた。女の子は撫子色の髪に、全身真っ黒の衣装という出で立ちであった。
「こんにちは、おばさん。最近、どう? もうあの夢は見ない?」
スランバーは、風でぼさぼさになった撫子色の髪を指で梳きながら、眠たげな目を女将に向けて問いかけた。
「ああ、絶好調さ。スランバーちゃんのくれた薬のおかげで、ずっと快眠だよ」
「それはよかった。ところでおばさん、ここに昨日来たばかりの人はいない?」
「おや、あんたの客人か何かかい? 昨日来たのはあそこに座っている三人だけだがね」
女将はスランバーを宿の中に引き入れて扉を閉めると、食事処のテーブルに座っている三人を指さした。
「……ありがとう、おばさん」
スランバーはしばらくその三人を品定めするようにじっと見つめると、眠そうな目のまま少し微笑み、女将に礼を言った。そしてコツコツと堅い靴の音を立てながら近寄っていく。
「こんにちは」
その女の子が勇者たちに声をかけてきたのは、ギルがマーヴィから押し付けられた二杯目のコーヒーに口をつけた時のことであった。立っていてもテーブルに届くか届かないかくらいの小さなその女の子は、眠そうな目でにこりと笑って続ける。
「初めまして、私はスランバー。この町に住む魔女です。あなたたちが昨日ここに着いたばかりだと聞き、挨拶に来ました」
その体躯に似合わないほどにしっかりとした丁寧口調で突然話しかけてきた女の子に、ギルとマーヴィは目を見開いてただ会釈をするだけであった。
「初めまして! ボクはグラーノ! それからこっちはギルで、このでっかいのはマーヴィだよ。 よろしくね!!!」
一方のグラーノはまったく気にしていない様子で、むしろ自分よりも小さいその女の子にかなり興味を持っているようだった。
「ふふ、よろしくね。少しだけ一緒にお話をしてみたいわ。ご一緒しても?」
そう言ってスランバーがテーブルを指さすと、ギルとマーヴィの返事も待たずにグラーノが自分の椅子から飛び降り、空いたテーブルの椅子を引きずって持ってきた。
「おい、グラーノ……オレたち、この後買い出しに行くんだぞ」
「いいじゃん、ちょっとくらい。ギルもまだコーヒーを飲んでいるし、サンドイッチもまだ残ってる。食べ終わるまでの間だったら時間はそんなに変わらないでしょ」
グラーノは持ってきた椅子を三人が座っている隙間にねじ込み、また自分の席に飛び乗った。
「それもそうだね。マーヴィ、諦めよう」
ギルがお手上げといった風に笑いながら椅子によじ登るスランバーを見ているので、マーヴィもそれ以上のことは言わなかった。
「どうもありがとう。あなた、とても優しいのね」
褒められたグラーノは胸を張って鼻の下をこする。
「ふふん、ボクはお兄ちゃんだからね。当然だよ」
「あら、頼りになるわね。ただ、残念だけどこう見えても私はあなたよりずっと年上よ」
意外な言葉に、三人の動きが一瞬ピタリと止まる。
「どういうことだ? お前、どっからどう見ても子供じゃねえか」
とうに食事のすんだマーヴィが訝し気に疑問を投げかけた。
「私、魔女なのよ。夢見の魔法が使えて、他にも薬の調合なんかも得意よ」
「魔女? 人間で魔法が使えるやつは珍しいんじゃなかったか」
「ええ、その通りよ。あなたの言う通り、両親のどちらかから受け継いだ魔法を生まれつき使える“魔法生物”と違って、人間はそもそも魔法を使えないの。でも例外的に使える人間もいる」
ここまでスランバーが話したところで、女将がスランバーの分のコーヒーも運んできた。スランバーはミルクも砂糖も入れずに一口だけ口に含む。
「なんで魔法を使える人がいるの?」
今度は口いっぱいにサンドイッチを頬張りながらグラーノが問いかけた。
「あら、知らないの。魔法を使える人間には二種類いるの。一つ目は、先祖に魔法生物と交わった者がいる場合。もう一つは“悪魔”と契約して後天的に魔法の力を授かった場合。悪魔との契約は法律で固く禁止されているから、後者の人間はバレれば火あぶりは免れないわね。ちなみに私は前者よ。先祖に“タイパ”っていう夢見の魔法を使う魔法生物がいたの」
自分のカップを傾けながら、三人の様子をじっと観察した。あれが、誰の夢だったのか見た目だけでは皆目見当もつかない。一人は子供、あの夢の子供と同じくらいの年の子だ。だが、子供時代が存在しない大人はいない。残りの二人も可能性としては外せなかった。
「ねえ、買い出しをするつもりなら案内するわよ。この町の店なら全部知っているわ。どうかしら」
最初は単なる興味本位であったが、一度気になったものは最後まで調べずにはいられない。それに……あの夢はなんとなく不吉な感じがした。解決できるものなら、それに越したことはない。もう少し彼らといられるよう、提案をしてみる。
「いいの!? やったー!! よろしくね。スランバー」
予想通り、グラーノが前のめりになりながら喜んで同意した。
「おい、いくら何でもそれは……」
「もう、方向音痴は黙ってて。ボクらだって土地勘もないんだ。案内があった方が買い物も早く済むと思うけど?」
「てめえ……」
「はいはい。スランバーちゃん、俺たちは訳あってあまりゆっくりはしていられないんだ。君がいいなら、最短のルートで案内してくれないかな」
ギルは二人を手で制しながら、苦笑いを浮かべてスランバーに問いかけた。
「もちろん」
全員分のカップと皿が空になるとすぐに、四人は町へ繰り出した。通りには何もない夜の街並みとは一変し、道の端には布を敷いてその上に取れたての野菜や川の魚を並べる人々がいた。通りのど真ん中を進みながら、スランバーは三人の少し後ろから声で方向を指示し、獲物を待ち伏せる捕食者のような目で三人の後ろ姿を睨み続けた。
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