第5話 空の友人
「いやあ、戻ってきたらあの小さい英雄殿に謝らなければなりませんな。子供にいきなり本物の頭蓋骨を見せるなんて、大人げないにもほどがありました」
山小屋の中にはフラジールと、マーヴィの二人が残っていた。マーヴィも当然、飛び出したグラーノの後を追おうとはしていたものの、ギルに「ややこしくなるから待ってて」と言われた以上は仕方なく、二人分のスペースが空いたソファーのど真ん中に陣取って座っていた。
「気にすんな、じいさん。あのガキはもともと意味の分からねえところがある。まったく、急に飛び出していくなんてどうかしてるぜ」
「ははは、子供らしくていいじゃないですか。大人が理解しきれないからこそ子供なんですよ」
ソファと向かい合うようにして椅子に座っているフラジールは、そう言って笑いながらもマーヴィの胸元をまじまじと見つめていた。
「ところで、マーヴィさんずいぶんと変わったペンダントをなさっていますね」
そう言いながらフラジールはマーヴィの胸元を指す。
「あ? これか」
そう言いながら持ち上げたそれは、十センチほどの大きさの装飾がついたペンダントであった。装飾は、鉤型で透明な青色をしている。
「見たところ、その先についている装飾は何かの生物の鉤爪のようですね。しかし、何の生物かがわからない。もっとよく見せてはもらえませんか」
フラジールはマーヴィの胸元に顔を近づけ、まじまじと見ている。
「あ、ああ構わん」
胸元に近づかれて余程いごごちが悪かったのか、マーヴィはペンダントをさっと外してフラジールに押し付けた。フラジールは受け取ったペンダントの装飾を光にかざしてみたりしてしばらく入念に見ていたが、やがて首をかしると、ぶつぶつとなにやら呟きながら寝室の方へと姿を消した。
残されたマーヴィはふっと肩の力を抜くと、ため息をついて小さくぼやく。
「陸のやつって変なのが多いのか……早く魔王を倒して海に帰りてえ」
ソファの背もたれに体を預けて手足をだらしなく放り出すと、目を閉じた。そうしているとやがて睡魔が襲ってくる。ウトウトと船を漕ぎながら、ギルとグラーノの帰りを待った。
グラーノは山小屋の裏にいた。最も高く積み上げられた木材の上に座って、下を向いたまま足をぶらぶらと動かしている。
「グラ、どうしたの」
木材の下にギルが歩み寄って声をかけた。
「別に、なんでもない」
そっけない返事だ。
「何でもないのに急に飛び出して行ったりしないでしょ」
そう言いながらその場に腰を下ろす。それはグラーノが戻るまではここを動くつもりはないという意思の表れであった。それを感じ、観念したのかグラーノはポツリ、ポツリと話し出した。
「……嫌な匂いの原因がわかった。あれは死の匂いだ。フラジールがあの包みを持ってきてから匂いが強くなった。……仲間の……骨だったんだ」
そういえばこの子は空の国の特使であったか。どれだけ口で強がりを言ってもまだまだ子供だ。同族の骨を見てショックを受けたのだろう。
「空の国か……」
「……本当は国なんてよべるほどじゃない。空で一生を過ごすのはボク達、天竜族だけだ。一種族しかいないのに支配種族なんて大げさにもほどがある」
思わずつぶやいたギルの言葉に、そんな自虐的な言葉を返すグラーノはどこか悲しそうであった。
「きっとたまに落ちてくる天竜の遺骸をみて、いろいろと想像をめぐらしてしまったんだろうね。空には自分たちの知らない世界があると」
「うん、でも仕方のないことだと思う。だってなんにも知らないのはボクたち天竜も同じだったから。地上のことを“死者の国”なんて呼んでさ。……こんなにたくさんの生き物が生きていて、いろんな色に溢れた場所だとは知らなかった。毎日新しいものばっかりで楽しくて。大人は嫌いだけど、優しい人も多かったし……だから、あんなに嬉しそうに骨を自慢する人がいてびっくりしちゃった」
ひきつった笑みを浮かべながらギルのことを見下ろす。
「……がっかりした?」
眉を下げて尋ね返すギルに、グラーノは星の出始めている空を見上げて答えた。
「ううん、本当にびっくりしただけ。ちょっと怖いからあの骨はもう見たくないけどね」
「そっか……ここに来る前にフラジールさんに骨は片付けてくださいってお願いしておいたよ」
「うん、ありがとう。ギル、ごめんね。心配ばっかりかけて。戻ろう」
グラーノが勢いよく、木材の上から飛び降りる。いつもの天真爛漫な笑みを浮かべて向き合うグラーノに、ギルもいつもの微笑みを返して立ち上がった。
マーヴィのまどろみは、完全な眠りにつながることはなかった。フラジールが寝室の扉をバンッと開け放つ音にびくりと体を震わせて飛び起きる。何事かと視線を向けると、フラジールは異様な剣幕でマーヴィのもとへずかずかと歩いて来ていた。
「君、これをどこで手に入れた!?」
困惑した顔でソファの上を少し後ずさるマーヴィに、フラジールはさらに迫る。
「これは千年前に絶滅した、“ラプター”と呼ばれる魔法生物の足の爪だ。いくつかの資料を照らし合わせてみたが、こんなに鮮やかな青色の爪をもった生物は現代にはいない。それに見たところ、染色をしたような跡もない。本物のラプターの爪で間違いないだろう」
「そ、そうか。珍しいものなんだな。そいつはよかった……」
「良いなんてもんじゃないよ! この爪はとても状態がいい……まるで生きたラプターから今さっき切り取ってきたようだ……君、これを私に譲ってくれないか。金ならいくらでも出す」
さらに体を乗り出すフラジールに、マーヴィはひたすらに狼狽する。後ろは壁のみでもうこれ以上は後退できない。
「フラジールさん、その辺にしてやってください。それは差し上げますから」
どうしたもんかと壁に背中をつけたまま思案しているマーヴィと、前のめりになって迫るフラジールに落ち着いた声がかけられた。見ると扉の所にギルが立っており、その背後にはグラーノも隠れている。二人の姿を見たマーヴィは表情に出すことはないものの、心底ほっとしていた。
「おお、それはありがたい。いくらだ」
「お代は結構です。もしそれが気後れするというなら、今日一晩泊めてもらう宿代で構いません。それから……」
そう言いながらギルは振り向いて、背後にいるグラーノの左耳に手をかけると、そこについているイヤーカフを外した。
「これと、今日の晩御飯を交換しましょう。こっちはラプターの羽根ですよ」
ゆっくりと歩いてフラジールの前に行くと、イヤーカフについた羽根を見せる。フラジールはまじまじとその羽を見ると、途端に目を輝かせてその羽を受け取った。
「いやあ、これはまた珍しい。確かに、この鮮やかな縞模様はラプターの羽根の特徴です。ですがこの羽は地が白色をしている。ラプターは本来、焦げ茶色の羽毛なんですがね。おそらく、突然変異をした個体のものでしょう。本当にこんな珍しい代物をもらってしまってよいのですか」
何十歳も若返ったような溌剌とした顔で、問いかける。ギルはいつもの微笑みを崩さずに「ええ」と答えるだけであった。
その夜の食事は、かなり豪勢なものとなった。すっかり有頂天になったフラジールが、あるだけの食糧を引っ張り出してきて、三人に振舞ったのだ。ワインを開けてさらに上機嫌になるフラジール、テーブルマナーなぞ関係ないとでもいうようにがつがつと食べ続けるマーヴィとグラーノとは対照的に、ギルだけはナイフとフォークで器用に肉を切り分けて口に運んでいた。
「ところで、そのラプターってのはどんな生物なんだ」
口に肉を詰め込んだマーヴィが尋ねる。三本目のワインに左手をかけながら、右手でコルク抜きに手を伸ばしたフラジールが上機嫌で答える。
「ああ、文献によるととても知能の高い魔法生物だったようだ。人間は魔法を使える者が少ないからね。まだ技術が今ほど発展していなかった頃は、知能が高くて意思の疎通もできる高等魔法生物と助け合って生きていた。その中でも特に、ラプターはその高い飛行能力で人類の発展を手助けしたといわれている種族でね。変身魔法が得意で人間の姿になることができたから、当時の人類は魔法生物という括りではなく、大切なパートナーとして人間と大差ない扱いをしていたようだ。ここから北にある古代遺跡の墓地群からは人間と同じ埋葬方法で葬られたラプターの骨が大量に出てきている」
ワインのコルクにコルク抜きをねじ込み、思い切り引き抜く。赤い顔で「マーヴィさんもどうだ」と差し出すが、怪訝な顔をしたマーヴィに断られてしまった。仕方なく、自分の空になったグラスに注ぎ込み、ごくごくと飲み干す。
「どうしてラプターは絶滅したんだ。そんなに人間族とうまくやってたのに」
謎の赤い液体を飲み干すフラジールに訝しげな視線を送りながら、マーヴィは問いかける。
「ああ、それはね千年前に陸で大きな戦争があったのだよ。かなり大きな戦争で、それで人類はだいぶ数が減ってしまった。だがそれ以上に打撃を受けたのがラプターたちだった。もともと人類ほど数も多くないのに殺し合いをしたんだ。飛ぶ能力は攻撃に使うには優秀だったが、敵側が使った場合とてつもない脅威になった。だから自分のところにいるラプターを使って敵陣のラプターを積極的に殺していった。そんなことを互いに繰り返しているうちにどんどん数を減らしていって、最後には絶滅してしまったんだ」
もう一度グラスにワインを注ぎ込みまた飲み干すと、それまでの明るい声から一変し、低く落ち込んだような声を出す。
「ラプターは我々人類が滅ぼしたようなものだ。まったくもって、愚かだ。どれだけ後悔したって、時は戻せないというのに」
グラスをテーブルに置き、うなだれるフラジールの顔をグラーノが覗き込む。自分が絶滅させたわけでもないのに、後ろめたそうな顔をするこの老人のことを、グラーノはなんとなく嫌いになれなかった。
「どうしてフラジールさんは、天竜に会いたいんですか」
気づけば、そんな疑問を口にしていた。フラジールは顔を上げ、困ったように笑って答えた。
「最近、天竜がよく落ちてくるんです。今年に入ってすでに三頭も落ちてきた。数年前までは陸の場合、十年に一度落ちてくればいいくらいだったのにだよ。死因が特定しづらいんだけど、落ちてきたすべての個体が比較的痩せていて、胃の内容物も見つからないことから栄養失調だと予想されているんだ。彼らが何を食べるのかははっきりとわかっていないんだけど、なんらかの原因で天竜の食べ物が減っている。こんなことが続けばいずれは絶滅ということもあり得るね」
さらにグラーノの目をじっと見据えて、自分の決意を示す。
「私は彼らを救いたい。そのために調べて、調べつくすんだ。そして数の増えた彼らと友人になれたのならば、それは素敵なことだとは思わないかい」
夜も深まってきたところで、食卓を四人で片付け、フラジールは寝室に戻った。三人はテーブルと椅子を端に寄せ、グラーノはソファに、ギルとマーヴィは床に横になった。翌日、夜明けとともに三人は出発した。フラジールも二日酔いの体を引きずりながら見送りに出てきてくれた。
「なあ、ギル。あのペンダントとイヤーカフは本当にあげちまってよかったのか。あれ、陸に上がる前に陸の使者から“勇者様の持ち物です、これを身に着けていれば数週間は人間の姿でいられます”って渡されたものなんだが」
フラジールに手を振ってから、歩き出してしばらくたったころだった。マーヴィがふと疑問を投げかける。
「ああ、別に構わないよ。はい、これ。今回は仕方がなかったけれど二人はできるだけ手放さないでね」
そう言って差し出したギルの手には昨日、フラジールに渡したはずのペンダントとイヤーカフが握られていた。幻覚かと目をこするマーヴィにギルは気づいて種明かしをする。
「もう一つ、あるんだ。昨日みんなが寝ている間に変身魔法の魔力を込めておいたから、これを身に着けていたら大丈夫だよ」
マーヴィはそれでようやく納得してペンダントを首にかける。グラーノもイヤーカフを元通りにつけて、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら二人の先を走っていった。
「ほら、二人とも早く! 次はどんな町かな、どんな人に会えるのかなあ」
少し行った先で振り返って右手をブンブンとふりながら大声を出すグラーノに、昨日までのあれは何だったんだと笑いながら二人は続く。
「うわあ! また木が倒れているよ! 怪力馬鹿ーーー! 早く来てどかしてーーー!」
もう一度走り出してあっという間に姿が見えなくなったと思った途端に、グラーノの声が山中に響く。ギルとマーヴィは顔を見合わせて苦笑いをすると、やれやれと声のした方へ向かっていった。
三人を見送り、山小屋に戻ったフラジールはふと、ソファの上に一枚の紙が落ちていることに気づいた。その紙には、子供が書いたようなたどたどしい字でこう書かれていた。
フラジールさん
てんりゅは、わたりどりやちいさいドラゴンをたべます。
かりのときは、いつもよりひくいところにいきます。
それからうえにもどるのがたいへんなので、かならずうみのうえでやります。
これからのけんきゅ、がんばってください。
あなたのゆうじんより
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