天竜編
第4話 空への憧憬
がさがさと、地面の落ち葉や枯れ枝を踏む三人の足音が山中に響く。先頭を行くマーヴィが獣道を遮っている倒木を片手で持ち上げた。振り向いて、「行け」と目だけで後ろの二人を急かす。まずはグラーノが持ち上げられた倒木の下を難なく通って行った。続いてギルが少しかがんだ状態で通るが、倒木をくぐり終わって少し歩いたところで苔むした石に足を取られ、盛大にすっ転んだ。マーヴィは二人がくぐり終わった事だけを確認し、倒木から手を離す。倒木は重力に従って落ち、まるでそこが自分の居場所だとでもいうように、また元通りに道を塞いでしまった。
「ねえ、マーヴィ。その倒木、できるなら端によけてる方がいいんじゃない?」
パタパタと手で汚れを落としながら立ち上がるギルに、マーヴィはため息をつく。
「お前は倒木の心配よりも、まずは自分の足元に気をつけろ」
あきれ返った顔で言うマーヴィだったが、返ってきたのはギルの声でなく、小馬鹿にしたような口調のグラーノの声であった。
「もう、わかってないなあ。足元を見るのはマーヴィのほうだよ」
そう言いながら地面を指さす。マーヴィがつられて足元を見ると、四人分の足跡が見えた。一番大きな足跡は間違いなく先ほど自分がつけたものだ。中くらいの大きさのブーツの跡はギルで、ひと際小さな足跡はグラーノのものだろう。その三人分の足跡のほかに、ギルの二回りは大きい革靴の跡が残っていた。少し先に目線を向けると、その足跡は自分たちの進行方向へと続いている。
「ボクたち以外にも誰かいる。その人の邪魔になるかもしれないでしょ。まったく、マーヴィは体だけ大きくて全然賢くないんだから」
「おう、悪かったな。チビで目の位置と地面が近いどっかのガキと違ってバカでよ」
「ガキっていうな、怪力馬鹿」
「もう、グラーノはいちいち挑発するようなことを言わない。マーヴィも、大人げないでしょ」
ギルが間に割って入り、手を挙げて睨み合う二人を制する。大人げないと言われたマーヴィは一度舌打ちをすると、右手で頭を掻きながら踵を返した。数歩だけ歩いて立ち止まると、道のど真ん中に鎮座する倒木をもう一度右手で持ち上げ、今度は獣道の端に向かって軽々と放り投げた。投げられた倒木は伸びかけの若木を何本かへし折りながら転がり、やがて大きな音を立てながら一本の大木にぶつかって止まった。
「これで満足か」
「うん、ありがとう。さあ、二人とも行こうか。あと一つ山を越えたらようやく次の町だ」
モンスターの襲来があった町を出てからすでに今日で四日目だ。その間ずっと野宿を続けていた三人の食糧は、もうすでに一日分しか残っていない。また、堅い地面で寝ることに慣れてきたとはいえ、疲れもだいぶたまってきている。早く腹いっぱいに食べて、温かいベッドで眠りたいところだった。そんなことを思いながら、再びしっかりと地面を踏みしめて三人は歩き出す。その時であった。
「うわーっ! やめろ、離せ! お願いだ、あっちへいってくれ」
男の叫び声だった。三人は目を見合わせると、声のした方へと急ぐ。木の根に足を取られながら走っていくと、深い山の中だというのに、徐々に生い茂る木々の数が少なくなり、やがて視界が開けていった。そこは半径十メートルほどの開けた場所で、人為的に切り倒された木がそこかしこに積み上げらている。そしてその中心には小さな山小屋と、その小屋の前で四足歩行のモンスターに足をかまれて引きずりまわされる一人の男。男は見た目としては六十代くらいで、なにやら叫びながらモンスターの額を必死に叩いたり、雑草を手で掴んで引きずられまいと踏ん張っていた。一方のモンスターは離す気など毛頭ないようで、一対の上向きに生えた牙を、噛み付いた男の足ごと振り回している。男の必死の抵抗も虚しく、モンスターは男の足を掴んだまま少しずつ引きずって、森の奥へ消えようとしていた。
突然、ズシャッという音が響く。それと同時に飛び散る鮮血。モンスターは、噛みついていた男の足を離し、「ぶぎゃああああ」と断末魔をあげたのちにその場に倒れこんでしまった。
引きずられていた男は何が起こったのかわからないというように、ピクピクと首元から血を吹き出しながら痙攣するモンスターを茫然と見ている。そうしてモンスターを凝視していた男は、ふとその傍らに小さな足があることに気づいた。
見上げると、小麦色の髪をした十歳くらいの少年が立っていた。その右手には血の付いたサーベルを持っており、この少年がモンスターを仕留めたのだろうことは容易に想像できた。頭の左右からピョコッと角のようなものが生えた髪型をしているその少年は、左耳についた羽のイヤーカフを揺らしながら後ろを向いて弾んだ声を出した。
「ねえ、ギル! このモンスター、すごくおいしそうだよ。食べられるかなあ」
少年が声をかけた先には、“ギル”と呼ばれた白髪の青年と、真っ黒な目をした黒髪の大男が立っていた。白髪のほうの青年は、モンスターが動かなくなるのを見届けると同時に、息を切らしながらかけてきて目の前に膝をついた。
「おじさん、大丈夫ですか。噛まれたところを見せてください」
そう言いながら座り込んでいる男の足を見る。右足がモンスターの歯型にえぐれていた。ギルは血で汚れた男のズボンを少しめくると、躊躇なく傷口に右手をかざした。手から温かい光があふれると同時に、ふさがっていく傷口。
「ああ、すまない。ありがとう」
徐々に引いていく痛みに、男は少し驚いた顔をしながらも何が起こっているのか、ようやく理解できたようで、青年の顔を見ながらしっかりとした口調で礼を言った。
「坊やもありがとう、助かったよ」
今度は首を回して少年のほうを見、柔和な表情を浮かべる。礼を言われた小麦色の髪の少年は、男をちらりと見た後、返事もせずにそそくさと白髪の青年の後ろに隠れてしまった。青年はそれを見ると困ったような顔で立ち上がり、「立てますか?」と男に手を差し出した。差し出された手を「ああ、どうも」と掴んで立ち上がると、服の汚れをはたき、今度は男のほうが右手をさしだす。
「自己紹介が遅れてしまったね。私はフラジールという者だ。生物学者をしている。よろしく」
「ああ、これはご丁寧にどうも。ギルと言います。訳あって、この二人と一緒に旅をしています。こっちがグラーノで、あそこに立っているのがマーヴィです。よろしくお願いします」
マーヴィと呼ばれた黒髪の大男は名前を呼ばれると同時に軽く会釈をするが、グラーノと呼ばれた少年の方は相変わらずギルの後ろに隠れたままであった。ギルはグラーノの様子に苦笑をしつつ、フラジールと名乗った男の右手を掴み、握手を交わす。
「助けていただいたお礼になにか御馳走しましょう。なんなら今夜泊っていってもかまいませんよ。とはいっても、こんな小さな山小屋なので大したことはできませんが……」
そう言うと、フラジールは伸び放題の灰色の髭を左手で撫でながら、右手で山小屋を指した。目を細めて笑うと目じりに皺が寄って普段よりも少し年老いて見える。
「どうも、ありがとうございます。俺たちも、もうへとへとでどこかでゆっくり休めたらと思っていたところなんです。是非お言葉に甘えさせていただきます。二人も、いいよね」
「ああ、かまわない。フラジールといったか、世話になるぞ」
そう即答するマーヴィとは対照的にグラーノはギルの服をギュっと掴んだまま黙りこくっていた。
「ははは。どうやら、私は小さな英雄殿に嫌われてしまったようだ」
フラジールは、眉を下げて笑いながらも特に気にしている様子もなく、「では、どうぞ」と山小屋の扉へ向う。扉を開け、中に入っていくフラジールと「邪魔するぞ」と言いながらずかずかと進むマーヴィの姿が、小屋の中へ消えるのを見届けて、ギルはグラーノの手に自分の手を重ねる。グラーノはなんの抵抗もなく、簡単にギルの服から手を離した。怒っているような、怯えているような、そんななんとも言えない顔をして立ち尽くすグラーノに、ギルは向き合ってしゃがみ、目線を合わせた。
「ねえ、もしかしてグラって大人嫌い?」
グラーノはその問いに、口を堅く結んだまま、素直にコクリとうなずいた。
「ああ、だからマーヴィにあんなに突っかかってたんだね……どうして嫌いなの?」
今度は、首をブンブンと横に振る。
「話したくない……か。今夜一日、泊めてもらうのは大丈夫そう?」
「多分、大丈夫……だと思う……。大人ってだけならちょっと嫌だけど、我慢出来る……でもあの博士、それだけじゃなくてなんか変な匂いがするんだ」
「匂い?」
「うん、嗅いだことのないようなすごく嫌な匂い。……でもそっちも少し気になる程度で、全然我慢できる範囲だよ」
下を向いて自分の服をいじりながらしばらく不安そうな声で呟いていたが、最後の言葉のみはバッと顔をあげいつもの笑顔を浮かべて言った。ギルの目にはグラーノの表情が、少し強ばっているように見えたのだが。
しかし、それに気づいてはいても、ギルは彼の小さな強がりと最大限の気遣いを無駄にすることはしなかった。
「そうか、もし我慢できなくなったらすぐに言うんだよ」
それだけ言うと、またコクリとうなずくグラーノを見て、笑顔を浮かべながら立ち上がる。そうしてグラーノの手を握ると、二人連れだって小屋の方へと歩いて行った。
小屋の内装は簡素なものだった。入って右側には小さなキッチンが置かれ、部屋の中央にはテーブルと一人分の椅子が置かれていた。さらに奥には三人掛けのソファがあり、三人はそこに座るよう促される。テーブルの先にはもう一つの部屋に続く扉があり、少し開いた扉の隙間から見るに、どうやらそちらは寝室として使われているようだ。
「すみません、あまり客人など招かないもので、あまりきれいではないのですが。今、お茶を淹れますね」
三人の客人を通したフラジールは、すぐにキッチンへと向かい、ヤカンを火にかけた。茶の準備をするフラジールの背中に、ギルが部屋を見回しながら声をかける。
「どうぞお構いなく。ところでフラジールさんは、ここで何をしていらっしゃるんですか?」
茶葉の入った缶をキッチンについた引き出しから取り出して、フラジールは愉快そうに笑う。
「この山に生息する生物を研究しているんです。この山はかなり多様な生態系をしておりまして、研究の材料としてはもってこいの場所なんですよ」
なるほど、そういえばこの男は自分を生物学者と呼んでいたか。そういった理由ならば、この深い山の中にいたとしても特段不思議なことはない。フラジールは四つの質素なコップを一番下の引き出しから取り出して並べ、急須に茶葉を落としながら、話を続けた。
「基本的には、野生の魔法生物は臆病で人間を見るとそそくさと逃げていくんですよ。でもあの魔法生物にまき割りの最中、急に襲われて。普段は使うことのない護身用の銃を使おうとしたんですが、火薬が湿っていたようで、弾が出なかったんです。あなた方に助けてもらわなければ、本当に危ないところでした」
ヤカンの口から、蒸気が上がる。フラジールは急須に湧き上がった湯を注ぎ込むと、蓋を押さえながら急須を何度か横に振って四つのコップへ順に注ぎ始めた。
「あの魔法生物は“バオ”と呼ばれる生物で、本来は人を襲うことなんて滅多にないんです。かなり異様な様子で、あれはもしかしたら魔王の影響をうけて凶暴化し、すでに“モンスター”へと変化してしまった個体なのかもしれません」
木でできたトレーの上に茶葉の香りを漂わせる四つのコップを置いて振り向いた。ソファの上で並んで待つ三人の前まで歩いてくると、かがんで「どうぞ」とトレーごと差し出しす。三人が少し頭を下げてから一つずつコップを持ち上げ、一口飲むのを見届けると、残り一つだけになったコップをトレーごとテーブルの上にのせた。
「あ、おいしい」
そう言いながらごくごくと茶を飲むギルを、椅子に座ったフラジールはニコニコと笑いながら見つめている。
「こんなに美味しいお茶、初めて飲む」
「いやあ、この年で褒められるとは嬉しい限りですなあ。そうだ、お三方にいいものを見せてあげましょう」
すっかり気をよくしたフラジールは、椅子から立ち上がって寝室の中へと消えていった。少しの間、がさがさと動く音が聞こえたのちに、フラジールは紫色の布にくるまれた、人間の体の半分ほどはある大きさの物体を両手で抱えながら出てきた。
「専門の魔法生物のことにはむろん、かなり詳しいつもりですが、まだまだ知らないこともたくさんありましてね。特にこの生物に関してはほとんど生態がわかっていないんです。この生物の生態を突き止めることが、私の一生の研究目標ですね」
そう言いながら紫色の布を剥いでいくと、だんだんと白い何かが姿を現しはじめた。布が完全に下に落ち、すべての姿があらわになったそれは、何かの頭蓋骨のようである。左右についた一対の穴と、面長で目じりまで大きく裂けた口から、馬の頭蓋骨のようでもある。しかし、それは馬のようだと思いはしても、馬だとは決して断定できないものであった。頭には二本の立派な角が生えており、歯も草食動物ではありえないほどに鋭くとがっている。そして何よりもこの大きさである。
「これは空の国の支配者、“天竜”の頭蓋骨です。誰も、生きた姿を見たことがないと言われている伝説の竜ですよ。それ故に生態は謎だらけで、わかっていることといえば、一生をはるか上空で飛び続けながら過ごすらしいことと、年老いて飛ぶ力のなくなった個体は地上に落下するということくらいですね。でもまあ、地表の七割は海が占めるこの世界では、ほとんどの個体が海に落下するわけですが」
年を感じさせないほどに、キラキラとした目で声を弾ませながら話す様子から、かなり興奮しているようである。
「陸の国では本当に珍しいことなのですが、ちょうど十年前に私の家の敷地内に一頭の天竜が落ちましてね。落下の衝撃でつぶれてしまっているところも多く、復元がかなり難しかったのですが、比較的状態の良い頭蓋骨だけは何とかつなぎ合わせて復元できたんです。この世には、自分の知らないことがまだまだあるのだと、心が高鳴りましたよ。“ああ、いつか生きた天竜の姿を見てみたい”と、いい大人になってから初めて夢ができたんです」
そう言いながら大事そうにその頭蓋骨を抱えなおした。
その刹那、バッといった音がしたかと思うと、ギルの隣で立っていたグラーノが突然駆け出し、小屋の扉を開け飛び出して行ってしまった。残った三人は何が起こったのかとただ目を見合わせ、ただそこにしばらく立ち尽くしていた。
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