第3話 人魚の贈り物


ほんの数十分前までは多くの人で賑わっていた市場が今はその喧騒を陰に隠し、どんよりと暗い雰囲気を纏っていた。人々が行き交っていた道には白い布が所狭しと敷かれ、その上には負傷者が横たえられている。片目をなくした者や手足をなくした者、そして命をなくしたもの。彼らは今朝起きた時には今日もまたいつもと同じ、つまらない日常を過ごすとでも思っていたのだろう。それが一瞬で崩れ去った今は、驚愕や恐怖よりも、「どうして自分が」とひたすら疑問を抱くばかりである。地獄という場所があるのならば、きっとこんな所なのだろうとマーヴィは思った。できれば早く、人々の陰鬱な顔から眼をそらしたい。そうしたいが、今はできなかった。


 頭から血を流しながら、右腕にはぐったりとしたグラーノを抱え、ここにいるはずのもう一人の仲間を探す。横たわる人を踏まないように、慎重に歩を進めていたマーヴィはふと、一つの屋台の前で足を止めた。その屋台はすでに半壊してしまっていたが、残骸の折れた柱とボロボロの布で簡易な屋根が作られていた。そしてその下には白髪の青年が横たわっていた。仰向けに寝転がり、左腕で自分の顔を隠したその青年は見たところ、どこか負傷しているというわけでもなさそうである。


 「おい、生きてるか」


 マーヴィは声をかける。青年は左腕を少し浮かせ、こちらをちらりと見た後また左腕で自分の顔を隠した。


 「悪いけど、今は二人のことは治せないよ。重傷者三人に回復魔法を使ったら魔力が尽きた」


 町の状況を見るに予想はしていたが、少しでも期待していた分、実際に告げられるととがっかりしてしまう。


 「ちっ、そうかよ」


 グラーノをギルの横に寝かせ、血の流れる自分の頭を左手で抑えながら、二人の横に腰を下ろす。肩にかかった自分のマントを裂いて頭に巻き付けるとため息をつきながら改めて町を見渡した。


 「結構、死傷者が出たみてえだな。」


 「うん。負傷者はざっと三十人はいる。それから二人……二人も救えなかった……」


 ほとんど勇者の飄々とした口調しか知らなかったマーヴィは、その消え入るような声に少し驚き、振り向いて顔を見る。目元は左腕に隠されていて見えないが、顔の下半分は自然と見えていた。下唇を血が出そうなほどにグッと噛み占めている。


 「そうか……」


 返す言葉がない。しばらく、重い沈黙が流れた。マーヴィは話題を変えようと必死に考えを巡らせていたが、意外にもその沈黙を破ったのはギルのほうだった。


 「町の人が言うには、二人は町の出入り口を警護する門番だったんだって。一人は……一人は俺が駆け付けた時にはもう息がなかった。でも、もう一人はまだ息があったんだ。体の半分をモンスターに食いちぎられていた。もう意識なんてほとんどないだろうにそれでも必死に呼吸をしてさ、薄く開けた目でこっちを見るんだ」


 ここまでで一度言葉をきり、グッと拳を握りこむ。


 「何としても助けたかった。でも、できないんだ。俺の回復魔法は人魚の魔法。それは、重傷でも直すことができるほどの強力な魔法だ。でも、それだけの魔法をもってしても“ないものを作り出すこと”はできない。例えば君が、右腕を食いちぎられたとして、その右腕を取り返すことができなければ、俺は、傷口を塞ぐことしかできない。新しく、右腕を生やしてやることはできない。だから……」


 目元を覆っていた左腕を離すと、静かに話を聞くマーヴィの真っ黒な目をじっと見つめる。


 「もう、無茶はしないでほしい。なんとかしてあげたいのに何もできないっていうのは、結構つらいものがある……」


 そこまで言うと、ギルはまた左腕で顔を隠し、黙ってしまった。静かに話を聞いていたマーヴィは目を閉じ、ゆっくりと口を開く。


 「そうか、ずいぶんと心配かけたみてえだな…………悪かったよ」


 小さな声でそれだけ言うと、ギルから目をそらし、隣で横たわるグラーノのことをにらみつける。グラーノは、ギルから背を向けた状態で目を開けて寝ていた。


 「おう、ずいぶん元気そうじゃねえかクソガキ」


 「そんなに睨まないでよ。ボク、骨が何本か折れてるんだよ。馬鹿力のマーヴィと違って、ボクはあまり骨が丈夫じゃないんだ、もっと優しくしてよ」


 「はっそんな小さい体でオレの足に追いついてきたくせに、よく言うぜ」


 「マーヴィの足が遅いんでしょ。おまけに方向音痴だし」


 「んだとてめえ……」


 そうしてまた、二人が言い争いを始めようとした時だった。


 「ゴホン、お取込み中失礼します」


 しわがれた声であった。見上げると、上品な服を着た一人の老翁が三人の傍らに佇んでいた。


 「私はこの町の町長です。あなたたちがモンスターを退治してくれたうえに重傷者の命を救ってくれたと、町民から聞きました。心より感謝申し上げます。見たところ、旅のお方のようだ。町はこの惨状ですので大したお構いはできませんが、好きなだけ休んで行ってください。町の奥の方には痛手を受けなかった宿屋もあります。よろしければそちらまでご案内いたしましょう」


 「ああ、そうか。悪いな、助かる」


 動けない二人の代わりにマーヴィが返事をし、立ち上がった。グラーノを右腕で小脇に抱えると、ギルに左肩をかして立たせる。


 「ねえ、この持ち方何とかならないの?ボクは荷物じゃないんだけど」


 「文句言うなら捨ててくぞクソガキ」


 「ガキっていうな、鈍足方向音痴」


 「てめえ……」


 「はいはい、二人ともそのへんで。町長さんが困っているでしょう」


 苦笑いを浮かべる町長に従って、三人はようやく歩き出した。すでに傾きかけた日が全員の影を作り出す。しばらく歩くと、ふとマーヴィは何かがおかしいことに気づいた。周りを見ないようにと下を向いていたマーヴィは恐る恐る顔をあげる。ほとんどの負傷者が、起き上がって道の端によけているのだ。勇者たちの行く先を阻むものは散らばる瓦礫以外にはなく、その場所はただ道端からかけられる歓声と、感謝の言葉だけで満たされていた。


 一人の少女が、群衆から飛び出してくる。少女は、マーヴィに体重を預けながら歩くギルのもとへと一直線にかけてくると、少し照れ臭そうに声をかけた。


 「お兄ちゃん! さっきは助けてくれてありがとう。これ、本当は売り物なんだけど、助けてくれたお礼にあげるね」


 そう言いながら少女は紙袋いっぱいの赤い実を差し出す。大きさはリンゴくらいだが、ハート形で、ギルたちにとって初めて見る実だった。


 「これはね、食べると魔力が回復する珍しい実なんだよ。早く元気になってね」


 そう言いながら、紙袋をギルに押し付ける。ギルは左手でそれを受け取ると、自然といつもの微笑み顔を浮かべる。「ありがとう」とギルが礼を言うと少女は少し顔を赤くして、ぺこりと頭を下げた。そうして小走りで立ち去り、道端の群衆に紛れ込んでしまった。


 その少女を、立ち止まってじっと眺めていたマーヴィは改めて顔をあげる。すでに暗い陰はなく、再び現れた賑わいがそこにはあった。ギザギザの歯を見せてまたニッと笑うと、小さくポツリとつぶやいて、またギルを引きずりながら歩き出した。


 「ああ、人間ってのは思ったよりも強えもんだな」




 東の空は紫色に染まり、日の出が近いことを知らせている。夜明け前から、ギルは宿屋の庭にポツンと置かれたベンチに座って空を眺めていた。ベルトポーチの中から取り出した短剣を、右手で撫でている。短剣の鞘には美しい天使のレリーフが彫られており、その輪郭に沿って人差し指と中指でなぞっているようだった。


 「おめえ、そんなもん持ってたのか」


 乱暴な低音に振り返る。そこには、マーヴィが濡れた黒髪をタオルで拭きながら立っていた。


 「うん、護身用にね。積極的に戦いはしないけれども、足手まといにはなりたくないから」


 マーヴィはベンチの前に回り込み、目を伏せて答えるギルの隣にどさりと座る。


 「怪我のほうは、大丈夫みたいだね」


 「ああ、おめえが回復魔法をかけてくれたからな。もうなんともねえ。クソガキのやつもぐっすり寝てやがる。で、お前はどうなんだ」


 「うん、大丈夫。昨晩はゆっくり寝れたし、昨日の女の子がくれた実が結構効いたよ」


 「そうか……」


 数秒だったか、数十秒だったか、しばらくの沈黙が続いた。貝のように口を閉ざしながら、マーヴィは昨日から自分の中に湧いてきている疑問をぶつけようかぶつけまいか思案していた。そうやってかける言葉を口の中で何度か転がした後、やはり後に尾を引くのもよくないといった結論に至ったマーヴィがゆっくりと口を開いた。


 「一つ聞きたい。……お前、人魚にいつ、どこで会った」


 少し口調が強くなるが、責めるつもりなど毛頭なく、ただ海の国の住人としての純粋な疑問であった。ギルもそれを了承しているのか、特段驚く様子もなく静かに答える。


 「陸の国では人魚の肉は不老不死の力があるってことで有名で、それで一時期、大量に乱獲された」


 「ああ、その通りだ。千年以上前、人魚は、海の国をその強力な回復魔法で収める支配種族だった。だがある日突然、陸の国のやつらに命を狙われるようになった。そうして、あっという間に絶滅しちまった」


 「うん、でも改めて考えるとおかしなことだよね。それだけの数の人魚を殺して食べたのなら、陸の国は今頃不老不死だらけだ」


 「ああ、そうだな。実のところ、人魚の肉にはほかの生物を不死にする力なんてなかった」


 「不老不死の力があったのは人魚の肉などではなく、人魚たちが使うその」


 「「魔法」」


 二人の声が自然と重なった。

 予想外のことに驚いて目を見開くマーヴィとは対照的に、ギルは表情一つ変えずにただじっと前を見据えていた。


 「人魚の魔法はほかに類を見ないほどの強力な回復魔法。その魔法の延長線上にあるのが不死の魔法だ。術者の命と引き換えに、生きているものに永遠の命を与えることができる。それだけじゃなく、すでに死んだ者にかければ蘇らせることだって可能だ。その自然の摂理に反しすぎる魔法は、その強力さゆえに海の国では使用を禁じられていた」


 「ああ、まったくもってその通りだ。陸の住人のくせにそれだけ知ってるってことは……お前のその魔法は偽物じゃねえんだな」


 じっと前を見つめるギルは、コクリと小さくうなづいた。


 「俺が今のグラくらいのときかな。王都のはずれに面した海岸で、両腕のない人魚と出会った。きっと、彼女も陸の住人に狙われたんだろうね。ものすごく衰弱していて、魔力も残っていないようだった。自分の回復魔法で傷口を塞ぐこともできない彼女を、俺は数日間、隠しながら介抱した。そうしてしばらく一緒にいたんだけれど、彼女が回復したころに、何かお礼がしたい。何が欲しいかと尋ねてきたんだ」


 すでに太陽はすべての姿を現していた。紫色の空はすでに白くなり、鳥の鳴き声が響きわたった。


 「俺は、嬉々として答えたよ。“魔法を教えてほしい”ってね」


 ギルの水色の目に光が反射して、水面のような輝きをはなった。その水面のような光に少しばかりの懐かしさを感じながらマーヴィは言いずらそうに口を開く。


 「お前は……不死の力が欲しかったのか?」


 「まさか、俺は単純に友人の役に立ちたかっただけだよ。不死がどうとかその時は知らなかったし」


 馬鹿にしたように鼻で笑うギルに、本来のマーヴィならば怒るところだろうが、今はそれどころではなかった。自分の中にあった疑問を、一番知りたかったことを期待を込めて尋ねる。


 「それで、その人魚は今どうしてる。今はどこにいる」


 知りたがりの少年のような表情で問いかけるマーヴィに対し、ギルはまるで何十年もこの世にある老人のように落ち着き払っていた。そうして悲しみを込めた目で、少年に言い聞かせるようにゆっくりと言葉をかける。


 「もう死んだよ。とっくの昔に」


 期待に満ちた少年の目は、一瞬でしぼんでいき、やがていつもの不愛想に戻ってしまった。真っ黒な目を伏せ、「そうか」とだけ呟いたその男は心底残念がっているようだった。そうしてまたしばらく黙って座っていた二人だったが、ふと良いにおいが鼻につく。どうやら宿の主人が朝食を作り始めたようであった。ギルは短剣をベルトポーチにしまうと立ち上がって、うなだれるマーヴィに右手を差し出した。


 「さあ、行こう。朝食を食べたら出発だ」


 真っ黒の目を上げ、一瞬戸惑うように目を泳がせたものの、今度はその手を振り払うことはなく、自分の右手でがっしりとつかんだ。二人で並んで歩き出したところでギルが呟く。


 「マーヴィ、君は……誰かにもう一度会いたいんだね」


 予想していなかった言葉に少し目を見開いて答える。


 「なぜ、そう思う?」


 「うーん、マーヴィって意外と優しいから、なんとなく自分の不死を望みそうには見えないんだよね。そのくせ人魚には会いたそうだからさ」


 さらに予想をしていなかった言葉が飛んで来たことにより、マーヴィは硬直してその場に立ち尽くしてしまった。


 「さあ、どうだろうな。誰かに会いたい気持ちがあるのは確かだが、そのために生き返らせるのが正解かどうかはよくわからん。なにか他の方法があるのならば、旅をする中で見つかればいいが」


 少しの硬直の後、またいつもの様子に戻って答えるマーヴィに、ギルもまたいつもの微笑みを浮かべて返す。


 「そっか。うん、きっとマーヴィなら見つけられるよ。俺もまだたくさん迷っているけれど、この旅でちゃんとした答えを出すつもりでいるんだ。だからお互いに、がんばろうね」


 宿屋の扉に手をかけたところで中からギルの名前を呼びながら、バタバタと軽い何かが走る音が聞こえた。


 「さあ、グラーノも起きたことだし今度こそ始めようか。俺たちのための冒険を」



 

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