第2話 冥界からの魔物

魚屋の威勢の良い声が響き渡り、肉屋は鶏の首を落とした。間の抜けた配達員が自転車から転げ落ちて泥だらけになっているのを、町の人々はああ、またかと笑う。そんな町の喧騒の中を、勇者たち三人は歩いていた。王都に一番近い町だけあって、賑やかでありながらも少しだけ落ち着いた雰囲気がある。市場の一角に、多くの子供たちが集まっていた。



 「あまーい綿あめだよ! ほら、そこの嬢ちゃんも、そこのお坊ちゃんも、よったよった!」



 子供たちの群れの中に、ギルとグラーノが入り込んでいく。ふわふわの真っ白な菓子を見て、二人は目を輝かせた。



 「わあ! すごい、雲みたい。ボク、あれ欲しい! ねえ、ギル」



 「うん、俺も食べたい。すみませーん! そのふわふわのやつ、二つください」



 綿あめを受け取っておいしそうに頬張る二人の子供を、少し離れたところからマーヴィが頭を抱えて見ていた。



 「おい、さっきから買い食いしすぎだろう。この町では一晩宿を借りるだけで、夜明けすぐに出発するんじゃなかったのか。もう昼になっちまうぞ」



 少し疲れた顔でマーヴィが言う。



 「まあまあ、昼過ぎに出たってそんなに変わらないよ。どっちにしろ、次の町に行くには野宿を何回かしないといけないし。もうちょっとゆっくりしていこうよ」 



 そんな呑気なことを言いながら綿あめをかじっているのは、悲しいかな、世界の命運を託された勇者なのだ。マーヴィの心中には沸々とした感情が湧き上がってくるが、人の多いところでの揉め事は流石にまずいと自分の感情を抑え込む。グッと拳を握りこみながら、子供たちの中に混じって楽しそうに笑う勇者にもう一度説得を試みる。



 「あのなあ、オレたちは観光に来たんじゃないぞ。魔王討伐、それがオレたちの目的だ。今こうしてのんびりしている間にも、どこかの誰かが災害に見舞われているかもしれない。暴走した魔法生物に大切な人を殺されているかもしれない。オレ達はほんの少しでも、立ち止まっていちゃあいけないんだ」



 そんな、諭すような言葉をかける。その言葉にそれまでヘラヘラと笑っていた勇者は動きをぴたりと止め、目を伏せた。しばらく考えるような素振りをした後に上げた顔は、どこか困ったという様な表情であった。



 「うん、そっか。そうだよね。物珍しいものばかりをみていたら、つい楽しくなちゃって。ごめん」



 そう、悲しそうな顔で呟くと残った綿あめを口の中に押し込み、両手で自分の頬をぺちぺちと叩いた。



 「よし、二人とも行こうか」



 昨日の演説時のようなキリッとした顔になり、マーヴィとグラーノのほうを振り向く。その瞬間であった。



 「きゃーーーーっ!!!」



 後ろから甲高い女性の悲鳴が上がる。少し遅れて、多くの人の怒声と叫び声。


 何事かと三人が振り返ると、歩いてきた道の遥か先で数十匹のモンスターが屋台を破壊しながら近づいて来ていた。



 ギルとマーヴィが真っ先に飛び出し、モンスターのもとへと向かう。遅れてグラーノも、近くの子供に「あげる」と食べかけの綿あめを押し付けて駆け出した。



 「早く逃げろ!」



 マーヴィは逃げ惑う人々に向かって叫びながら、モンスターの群れめがけて巨大な氷塊を投げつける。氷塊は数匹のモンスターを押しつぶし、半分に砕けた。残りのモンスターたちはつぶされた仲間を一瞥し、踵を返して逃げていく。



 「ちっ。どこ行きやがる、待て!」



 後を追うマーヴィ、遅れてやってきたグラーノもそれに続く。



 「待って! 深追いは危険……二人とも!」



 近くに倒れていた怪我人に回復魔法をかけようとしていたギルが必死に止めるが、二人はまったく聞く気はないようであっという間に走り去っていった。悔しそうにグッと歯を食いしばったギルは振り返って叫んだ。



 「すみません! 動ける人は手伝ってください。出血している人にはできるだけ清潔な布で止血をお願いします。命に関わるような重傷者は俺に伝えてください」



 そう、周りに呼びかける。ほとんどの人が腰が抜けて動けないか、茫然としているなかで数人が小走りに近寄ってきて、ギルの指示通りにけが人の介抱をし始めた。そんな最初の数人の姿を見て、また更に何人かがタオルを持ってけが人に駆け寄り、力自慢の男衆は近くの家からバールを持ちだしてぐちゃぐちゃに壊された屋台のほうへと向かっていった。



 「おい、兄ちゃん! こっちだ、荷馬車の下敷きになっているやつがいる」



 屋台のほうへ向かった男衆の一人が叫んだ。次々と現れる協力者に指示を出していたギルは声を止め、急いで駆けつける。見ると、三人の男がバールと近くの石を使って梃子のように馬車を持ち上げており、その足元には人が倒れているようだった。



 「ああ、まだ息はあるがこれは……」



 口を噤み、顔を背ける男達の先には鳩尾から下が原型もわからないほどに潰れた少女が横たわっていた。潰されなかった上半身は比較的きれいに残っているが、わずかに呼吸を繰り返す口元だけは何度も血を吐いたのか真っ赤に染まっている。



 男たちが悔しそうに唇をかむ中、ギルは顔色一つ変えずに近くに跪くと、そのつぶれた下半身に両手をかざして回復魔法をかけ始めた。それを見た男衆は目を丸くした後に、悲しそうな顔で声をかける。



 「兄ちゃん、回復魔法が使えるのか。だが、いくら回復魔法をかけてもな、こいつはもう助からねえ。やめときな」



 しかし、ギルはやめるつもりはないという風に唇を引き結んだまま魔法をかけつづける。



 「兄ちゃん、あんたいい加減に……」



 馬車を持ち上げる手にも限界が来たのか、手を震わせながら男衆はさらに声をかけるが、魔法をかけられる少女をちらりと見た瞬間に続けようとした言葉を飲み込んだ。



 少女の下半身が、再生していた。すでに太ももの付け根のあたりまでがきれいに治っており、さらにはつぶれた肉片が集まってきて正しく少女の足を形成しようとしている。



 「おい、おめえら気合入れろ」



 何がおこっているのかわからないという風にしばらく唖然としていた男たちだったが、我に返った後は少女をもう一度潰すまいと、とっくに限界のきている自分たちの腕を鼓舞した。



 ギルは、最後の仕上げと言わんばかりにグッと腕に力を入れ、魔法の強度を増す。それにより、残った肉片がさらに活発に動き、少女の足へと戻っていった。それを見届けたのち、顔の汗を拭く間もなく、きれいに揃った少女の体を馬車の下から引きずり出す。



 それでようやく落ち着いたのか、ふう、とギルは一つため息をついた。男たちも、馬車を支えていたバールから手を離し、その場にへたり込む。



 「はあ、はあ。助かったのか……」



 「何が起こったんだ……。まるで奇跡だ……」



 「ああ、あんなに強力な回復魔法は見たことがねえ。兄ちゃん、その魔法どこで習ったんだ」



 まだどこか茫然としている男たちは、座り込んだまま、奇跡を起こした青年にそう声をかけた。少女に自分の上着をかぶせたギルは、少し困ったような表情で顔を拭った。



 「はあ、さすがに疲れたな。皆さん、協力してくれてありがとうございました」



 そう言いながら立ち上がり、休む間もなく他の怪我人がいないかあたりを見回す。



 「この魔法はね、人魚に教えてもらったんですよ。瀕死であっても治すことのできる強力な魔法です。まあ、できないこともあるんですがね」



 そこまで言うと、また別の場所から重傷者を見つけたと人の声が上がる。ギルはキョロキョロと動かしていた目線を止めた後、振り返って「後は頼みます」とだけ男衆に伝えると、休む間もなく駆け出した。



 残された三人の男たちはさらに困惑した顔で互いに見合っていた。



 「まさか、そんなわけあるか……」



 「だがあんなに強力な回復魔法、俺は見たことねえぞ」



 「だがなあ、ありえないだろう。だってよ……」



 



 「人魚なら千年以上前に絶滅したはずじゃねえか」





 町の出入り口にある巨大な倉庫群にモンスターたちは向かっているようだった。交易も盛んなこの町は、出入り口に巨大な倉庫をいくつか置き、商人たちが持ってきた荷物をすぐに保管できるようにしていた。



 「くそっ。あいつら、金目の物を持っていくつもりか」



 走りながらマーヴィが呟く。その予想が当たったのか、モンスターたちは並んでいる倉庫のうちの一つに入っていった。



 「目的なんてどうでもいいよ。あいつらをぶっ飛ばせればね」



 小さな体でマーヴィに追いついてきたグラーノが後に続いて開け放たれた扉めがけて飛び込む。少し遅れてマーヴィもたどり着き、二人は敵の確認のために倉庫を見回した。



 倉庫の中はシンと静まり返っていた。いくつか木箱が積み上げられているが、倉庫の大きさに比べてかなり物が少ない。隠れられる場所もほとんどないというのに、先ほどのモンスターたちはどこへ行ったのだろうか。そう思案しながら二人が数歩進んだ瞬間、後ろの扉がガラっと音を立てて閉まった。と、同時に二人の体に衝撃が走る。



 「ぐっ……!」



 「うっ……」



 何かが叩きつけられるような衝撃に二人の体が吹き飛ぶ。地面に転がる二人めがけて、休む間もなくまた何かが振り上げられる。それに反応したのはマーヴィだった。素早く起き上がり、二人の周りに氷の膜を張ろうと手をあげる。……が、その手から氷が現れることはなかった。



 「なんだ!? 魔法が使えない……うぐっ!?」



丸裸のマーヴィめがけて棍棒が叩きつけられる。それにより吹き飛んだ体は積み重ねられた木箱に突っ込み、ガラガラと崩れ落ちた荷物の下敷きとなってしまった。



 「マーヴィ!」



 叫び、立ち上がろうとするグラーノの前に、一人の男が現れる。三メートルはあろうかという巨体に大きな棍棒を担いだ男だ。ああ、あれに殴られたのか。そう思いいたったときには、グラーノは大男に片手でつかみ上げられ、、首を締められていた。



 「う……くっ……」



 苦しそうに呻き、男の手に爪を立てるグラーノの耳に数人の笑い声が響いた。天井の鉄骨から、先ほどのモンスターと共に背中に黒い翼をはやした男たちが飛び降りてくる。


 「はっ、勇者一行なんて大したことなかったすね。隊長、さっさと始末しちまいましょう」


 一番小柄な男が近づいて来てそう言った。



 「ああ、帰ったらお前には褒美をやらねえとな。お前のそのアンチ魔法がなければこの作戦は成功しなかった」



 隊長に褒められた小柄な男は、自慢げに笑いながら鼻の下をこする。



 「さあ、そろそろ終わらせようか。ガキを殺すのは趣味じゃないが、魔王様のためだ悪く思うなよ」



 そう言いながら隊長は首を絞める手に力を籠める。 


 グラーノはさらに爪を強く立て、大男の手からは血が流れだすが、やがてその小さな体からは力が抜けていく。薄れゆく意識の中で少年は最期を覚悟した。ゆっくりと目を瞑りその時を待つ。 



 「……おい、てめえら。なに勝ったつもりでいやがる」



 その声は崩れ落ちた木箱のほうから聞こえてきた。男たちが振り返ると、木箱をどけながら立ち上げるマーヴィの姿があった。



 「はっ、お前なかなかしぶといじゃねえか。おもしれえ」



 隊長はグラーノの首を離し、マーヴィのもとへと向かう。落とされたグラーノはゲホ、ゲホッと咳き込みながら激しく呼吸を繰り返した。



 「だが、今のお前に何ができるんだ? この俺様の優秀な部下がこの倉庫内で魔法は使えないようにしてくれてるんだぞ? そのまんま寝ててくれりゃあ、こんなことせずに済んだんだがなあ」



 そう笑いながらマーヴィの頭をわしづかみにする。頭から血を流しているマーヴィはひるむことなく男の顔をにらみつけた。



 「そうやって思いあがったことが、てめえらの敗因だ」



 自分の頭をつかむ手首を右手で掴む。次の瞬間、



 「ぎゃああああああああああああ」



 叫んだのは隊長のほうだった。先ほどまでマーヴィの頭を掴んでいた腕は、手首から先がおかしな方向へ曲がってしまっていた。その場にうずくまり、骨を折られた痛みに悶える隊長にその場にいた他の男たちは困惑しながらも戦闘の体勢に入る。



 「おまえ、何しやがった! よくも隊長を!」



 小柄な男がぎゃんぎゃんと騒ぐが、マーヴィはまったく意にも介さず、自分の背後にある鉄骨の柱へと向かっていた。倉庫を支える何十本かの柱のうちの一つであるそれに右手をかけ、全身の力をかけると、パキッといった音とともにその柱を折り取ってしまった。支えを一つ失った倉庫はガラガラと一部が崩れ落ち、屋根が少し傾いて一時的に止まった。



 男たちはただ唖然としてその様子を見守っていたが、柱を肩にかけて歩いてくるマーヴィに恐怖を感じて後ずさりをする。



 「確かにここでは魔法は使えねえ。それにはオレも吃驚したよ。だがなあ、オレが魔法しか使えないなんて、誰が言った?」



 そう言いながら一歩、ゆっくりと男たちに近づく。



 「なあ、知ってるか? 陸の国での支配種族は知っての通り人間だろう? それと同じようにして海の国にも支配種族はいるんだ。そいつらがなんと呼ばれているか」



 さらに一歩歩み寄る。



 「海のギャング、殺し屋鯨なんて呼ばれたりもするようだが、どうせ呼ばれるならもっとかっこいいほうがオレは好い。例えばそうだなあ」



 小柄な男が何かにつまずいて尻もちをつく。慌てて立ち上がろうとするがすでに遅く、目の前には柱を振りかぶったマーヴィが立っていた。牙のようにギザギザな歯を見せ、ニイッと笑うと鉄の柱を思い切り振り下ろす。



 「冥界からの魔物」



 最後に聞いたその声とともに、小柄な男は自分の骨が砕けるのを聞き、同時に意識を失った。





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