第31話 元に戻る世界の怖さ
私がここまで脱資本主義を言うのは、資本主義が最終的に人間を殺す信仰だからです。
何でもそうですが、最初は良く見える。というより、良く見せることで人の支持を得ることが出来るというのが正しいのかもしれません。友達関係にしても夫婦関係にしても、仕事関係に於いても、親子以外はすべてそうではないかと思います。
だから、本当のところは分かりません。奇麗な花には棘があるという言葉がありますが、まさにその通りであり、美辞麗句に包まれたモノほど中身に用心しなければいけないのです。
そして、資本主義という信仰、お金があれば何でも出来るという便利さ、そして豊かさ。そこには優越感という麻薬の様な言い知れぬ感情も隠れていると思います。
人は生まれた時には何も持っていない。ただそこにあるのは命。しかし、そこから成長と共に色んなモノを手にしていくのです。その色んなモノの中にひと際輝いているのが、お金が与えるモノではなかったかと思います。
そして、人はそれに取りつかれてしまうのです。そして、いつのまにか狂ってしまうのです。その過程を資本主義が非常に明確に示して来たのです。そして、いよいよ、その本性が顕わになって来た。
それが格差という不平等と少子化という人類滅亡への扉ではないかと思います。人間を豊かにすると思われたお金は、環境を豊かにしたけど、人間をさもしい生き物に変えたのです。
本当の自分というモノを見失い、底なし沼の欲望と他人より上に立つことで得られる優越感に溺れてしまった。それは、まさに裸の王様であり、自らがどん欲なブタ人間に成り下がっていることに気づけない人間にさせられたのです。
そして、多くの人が縋っているお金を動かす資本主義は、市場拡大の終焉によって、今度は拡大した時とは正反対に起こる市場収縮という憂き目に晒されている。
これは、ある意味ビックバンの反対のブラックホールと同じような状況をもたらすのです。しかし、私たちにその経験はありません。常に発展成長し続けた経済しか見たことがないので、後退収縮という膨れ上がった風船が萎んでいくことで何が起こるかを知らないのです。
それでも、後退収縮が意識されればまだ良いのですが、未だに発展成長しか頭にないわけで、この現実のギャップを埋めることが出来ないのです。そして、収縮していく市場に拡大の策を講じるという大きな間違いを続ける。
その結果、少子化は想像以上のペースで進行し、加えて高齢化による市場収縮が加わり、気づいたらモノが売れない時代へと戻り始めたのです。それを価格を下げることで対応して来たのですが、それが企業を苦しめることに気づいた。
そうしたら、今度は逆に価格を上げて、利益を出すことをやり出し、それについてきたバカな消費者のお陰で、これでいけると多くの企業が価格を上げ始めたことでインフレが進行したのです。
しかし、販売総数の減少がずっと続いており、価格アップで対応するのに限界が近づいてくると、次の策が浮かばなくなって来たわけです。というより、その次の策はないわけで、言い換えればお手上げという状態に陥っているわけです。
そして、ここから、企業が生き残りを賭けて、大リストラに挑まなければいけなくなってきたという事です。しかし、一時の不景気ではないので、このリストラを毎年繰り返さなければいけないということ。
当然、毎年売り上げは下がり利益は下がる。何故ならm、リストラすることで消費市場参加者が減る訳で、その分、売り上げも当然下がるという悪循環が続いていくのです。もちろん、最も大きな要因は少子化と多死であり、特に多死が市場収縮に及ぼす影響は大きいでしょう。
少子化は80万人程度ですが、多死140万人を超えるわけです。そして、少子も多死も年々増えていくという厳しい状況が待っている。それによる市場収縮に合わせた減産を続けていかなければならないという、言うなれば死へ向かう道なのです。
残念ながら、この市場収縮社会に於いて、資本主義は役に立ちません。何故なら、資本主義は市場拡大がないと維持できないからです。日本政府の借金の多さは、市場収縮の酷さを物語っているのかもしれません。
これまでは、昨日より今日、今日より明日と、経済は良くなって来ましたが、これからはそれと反対に、昨日より今日、今日より明日と悪くなっていくのです。
それは、お金で見た場合、夢も希望もない世界という事になるのです。これまで、増え続けたお金と人が、今度はどんどん減り続けていくのです。しかも、それがどこで終わるかの保証はありません。
下手したら、人類そのものが消えてしまうまで進むかもしれません。という、恐ろしい末路が資本主義にあったということを今ようやく私たちは知る事になったという事なのです。
それを防ぐには、資本主義を捨てる以外に手はないのです。では、資本主義を捨てるという事がどういうことかと言えば、端的に言うと、お金を捨てる、それはお金を発行する国家を捨てるという事になるのです。
逆に言えば、私たちが国家の支配を受けないとすると、その時点でお金に効力はなくなるでしょう。今では為替という各国通貨を交換する仕組みがあるので、どの国のお金を持っていてもそれなりの価値が与えられますが。
それがなければ、私がドルを持っていても何の価値もないのです。つまり、何が言いたいかと言えば、国家を捨てることでお金との縁が切れるという事。後は人間同士の縁を繋いて行けば、お金の要らない世界は築けるということです。
それは今最も人間に欠けている事かもしれません。逆に言えば、それを欠くことで国家が国家としての存在を維持できるという事のなのです。
要は人間同士の中が良くなれば国家は要らない。
それは理想的な人間社会が作れることを意味し、それが出来ることで私たちはとても生き易くなるなるという事です。こういう風に突き詰めて行くと、私たちの生きづらさは国家に依るモノであるということになるのではないでしょうか?
国家という組織の本当の恐ろしさが垣間見えたのではないかと思います。もちろん、国家というのはそういうことを目的として作られたのではないです。しかし、結果としてそうなっている事だけは理解すべきではないかと思います。
何れにしても、これから私たちは追い込まれて行きます。年々状況が悪化することでどんどん追い込まれて行きます。そういう感覚になった時に、この記事が頭に残っていたら良いなって思います。
私たちは、これまで常に得ることだけを考えて生きて来ました。しかし、これからは捨てることをやっていかなくてはいけないのです。何故なら、不要なモノを手にし過ぎているから。
私たちを苦しめているのは、まさにそれなのです。
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