第21話 生きる者にお金は必要ないのです
資本主義の世界では、生きるためにお金が要るんだ!と教えられるわけですが、本当にそうなのだろうか?という疑問を持ったことはありませんか。
だって、地球上にたくさんいる生き物の中でお金を必要とするのは人間だけだからです。生きている者、或いは生きる者にとって必要なのは食料と水です。だから、地球に生きる生き物は皆生きていける。
非常に当たり前の事です。
しかし、人間は忘れている当たり前であり、人間はお金がないと生きていけないが当たり前にすり替わっているのです。では、一体どこですり替わるのでしょう。
それをやっているのが実は学校なのです。働いてお金を稼がないと生きていけないと教えるのが学校教育の最大の目的と言えるでしょう。その為に勉強をさせるわけです。
しかも、食料の作り方の勉強やそれらの調理方法の勉強ではなく、働くために必要とされる算数や国語の勉強です。しかし、それを出来たからと言って生きていくことは出来ません。当たり前の事です。
本当は、この最大の矛盾に早く気付くべきなのです。
それは、私たちは、知らない間に生きていけない人間に育てられているということ。
働いて誰かにお金を貰って生きていくしか出来ない様に追い込まれているのです。そして、仕事が無くなれば餓死してい死ぬしかない。今はそういう恐怖感に苛まれているのではないでしょうか?
自給自足という言葉は誰も出知っているのですが、それは絵に描いた餅であり現実的ではない事です。しかし、私たち生き物にとって実は最も大事な事であり、私たち生き物が生きていく必要最小限の能力でもある。
しかし、そんなことは今や誰も知らないし、当然誰も教えることは出来ない。
これを逆から考えれば、我々は生き物ではなくなっているとも言えるのです。だから、食べ物を作ろうとはせず、食べられないお金を得ようとする。そして、そのことに何の違和感も持たないのです。
つまり、もはや人間は死んでいるということです。実に怖い現実ではないでしょうか。死んでいるからお金に目が眩む。お金が一番大事に思える。お金の為に命だって捨てるという暴挙に出るのです。
それは、そういう風に学校で教わったから。生きるために食べ物を作るのではなく、お金を得てその金で買う事しか出来なくされてしまったからです。
そして、その教えによって何を奪われたかというと全てです。お金を得るために全てを犠牲にしてしまったのです。全てというからには自分の命もという事です。
そして、胃袋には収まり切れない程の食べ物が買えるお金を得ても満足することはなく、食べられないお金に振り回され人生を棒に振るう事になる。それは生きているというよりも死んでいるという方が正しい表現だと思います。
だけども、それを認めることが出来ない。そういう死んでいる人生しか知らないから、それを生きている人生だと思い込むしかないのです。実に哀れだと思います。悲しすぎる。
生き物ではない人間に未来はない。後は滅亡を待つだけという事です。
資本主義が何をやったかを改めて書く必要はありませんが、それらをキチンと再検証していく必要はあると思います。
一体我々はどこで間違ったのか?何故間違ったのか?
もし、間違っていないと思うのなら、この人間界の在り様は何を意味するのか?
今一度、生き物としての人間。生きていくことの意味や価値。生きるとはどういうことなのかということ。
学校では絶対に教えないことこそ我々にとって大事なことはない。教えられなかった大事な事を見つけ出ししっかり考えていくことが求められるのです。
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