第19話 勝者を称えてはいけない

 脱資本主義が目指すのは、競争社会ではなく協調社会です。同じ人間同士が争わない社会。戦争反対を叫ぶ人は多いのですが、競争を否定する人は居ない。競争の先に戦争があることを知らないからなのでしょう。


 もし、今あなたが不遇に喘いでいるなら、それは間違いなく勝者のせいです。競争社会で勝つ者が居れば当然負ける者が出る。勝者を称えるという事は、負ける者が出ることを喜んでいる事なのです。


 もちろん、当事者にそんな意識はないでしょう。例えば、試合で負けた者に拍手を送るから。だけど、拍手では生きていけないのです。競争社会で負けると生きていいけないという厳しい未来がある。


 その結果、多くの人が貧困に苦しんでいるわけです。そして、多くの人は自分がそうならないために、相手を負かそうとする。しかし、その行動が将来自分を負けさせるということを知らないのです。


 それでも、勝者を称え元気を貰い、明日誰かを負かそうと頑張る。果たして、そんなことで素敵な未来が訪れるのでしょうか?


 仮に訪れたとしても、それは一時であり明日はどうなるか分からないという厳しい人生になるのではないでしょうか?何故、そういう厳しい人生を疑いもなく進めるのか?


 きっと、それが当たり前だと学校で教わったからに他ならないのです。


 私たちは何も変えられない。与えられた環境で耐えて生きるしかない。学校でそれを教わったのではないでしょうか?三つ子の魂百までと言われるように、幼い頃に思い込まされたことを打ち破るのは非常に難しいわけです。


 しかし、私たちが生きる人間社会は人間に依って変えることが出来る。


 この当たり前の事が誰も分からないし、何より変えた経験がないことが出来ると思えない最大の理由ではないかと思います。


 それは、政治を見ているからそう思うのでしょう。逆に言えば、国民にそう思わせるために政治があるとも言えるのです。世の中を変えるのは政治ではありません。主権者であるある国民の行動だけなのです。


 私たちは国家が無くても生きていけます。逆に、国家は国民が居なくなれば滅びます。その為に、国家は必至で国民を国家の枠組みにはめ込もうとするのです。その策に殆どの人たちは見事に嵌ってしまい、苦しい人生を余儀なくされるのです。


 脱資本主義というのは実に簡単明白です。お金を使わない生き方をする。そういう行動を取ることで、私たちは国家の檻から解放されるのです。脱資本主義の世界には勝者とか敗者という者は居ません。


 競争社会ではないので、必然的にそういう者は出ない。信じられない世界かもしれませんが、世界が変われば言葉も変わるのです。もちろん、言葉を変えることで世界を変えることも可能です。


 私たちが生きている今の世界は資本主義であり、資本主義言語が支配する世界と言えるでしょう。そこでは勝者を称え誰もが勝者を目指す厳しい競争社会になっているだけの事です。


 もちろん、そういう社会が好きであれば、この世界で生きるのは問題ないと思いますが、そういうのが嫌いであれば、自らの行動によってそういう世界から脱出することが大事ではないかと思います。


 自分の人生は自分で決めなければいけません。それは、その責めを自分が追わされるから。そして、どういう人生を歩かかで全ては決まるのです。よく考えてください。


 考えることが一番重要なのです。そこから人生は始まるのですから・・・・

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