第16話 お金のない世界は犯罪のない世界

 今や殆どの人が、何時凶悪な犯罪の被害者になるか分からない恐怖を抱いているのではないかと思う。傷害事件もさることながら、やはり、一番の不安は詐欺に遭うことの怖さではないかと思う。


 それは、金儲けの本質が詐欺だからそう思うのだろう。自分にはないお金を得るには持っている誰かから奪うしかない。強奪は如何なる場合も犯罪ではあるが、詐欺については、場合によって合法であるケースがある。


 何れにしても、価値を等価交換しても利益は出ないわけで、交換する相手が損をして初めて自分の利益となるというのが資本主義の根幹にある。従って、全ての人がお金を稼いでいる時、全ての人は詐欺師となっていると言える。


 もちろん、合法的な詐欺師にも色んな種類があり、良心的な詐欺師から悪徳な詐欺師までと物凄く幅が広い。


 そして、詐欺能力が低い人は貧しくなり、詐欺能力が高い人が豊かになる訳です。


 更に恐ろしいのは、私たちに何のためらいもなく盗むことを教えているのが、学校教育と言うモノになる。そこで盗むのは知識というモノ。詐欺能力を如何なく発揮できるノウハウや理屈を教え込まれる。


 勉強するという行為は知識を盗むことであり、その盗む方が上手い人を学校では優秀と褒め称えて子どもたちに競わせている。先人たちの知恵やノウハウは一つの資産であり、お金を生む元と言える。


 そういうモノを毎日盗ませていることで、盗む事への抵抗を下げている。これを幼い頃より子どもたちに教えれば、紛争地域で、少年が兵となって他人を平気で殺せるようになるのと同じように、平気で他人のモノを盗むことが出来るようになる。


 この世で一番多い犯罪は詐欺や強奪も含め「盗み」であることは間違いない。そして、その他の犯罪は、こうした「盗み」が引き起こす犯罪と言えるかもしれない。


 お金という何にでも交換できる紙切れによって「盗み」は拍車がかかる事になる。それに更なるパワーを与えているのが、これもまた学校教育と言える。何せ「盗む」ノウハウを教え込み競わせるわけだから、必然的にもの凄い拍車が掛かることは容易に想像できるのではないかと思う。


 もし、これがお金ではなく単なる何かのモノだと、「盗み」をする人は激減することになる。だって、その何かを望む人は少ないから。下手したら一人も居ないかもしれない。


 みんなが欲しがるモノに意味はない。何故なら、それは絵に描いた餅であり、そこに実体はないからだ。そういう幻想を抱かせる力をお金は持っている。それを排除できれば「盗み」に意味がない事は理解できるのではないだろうか。


 他人のモノで自分を着飾っても何の意味もない。「盗む」という行為は非常に楽であるけど、その分、自分の身にならない。今日、自分を見失っている人が増えているのは、他人の知恵や知識を盗んで来たからと言える。


 その結果、頭を使わなくなるので、痴呆症が起こる。痴呆症とは病気ではなく、脳を使わなくなることで脳が消えていく退化なのである。だから、原始時代の様に脳をフルに使っている人間に痴呆は起こらない。


 人間が生きるのに最も必要なのは脳であり、脳はそれを支える非常に高度な組織である。しかし、科学の進歩や環境の利便性によって、私たち現代人は、古代人ほど脳を使わなくなっている。


 だが、この理屈を言う医者は居ないと思う。話が逸れてすみません。一つの事は全てに繋がるので、ついついこういう横道へそれる傾向にあるのです・・・


 さて、お金を捨てることで「盗み」が激減すると、それに呼応する形で競争や戦争が消えていきます。他人を罵倒する人や批判する人も消え失せるでしょう。何故なら、そんなことをする暇もないし、意味がない事を理解出来るから。


 お金に頼らないという生き方は、自分の力を鍛えなければならなくなるのです。古代人たちがそうであったように、地球という厳しい自然環境でひ弱な人間が生きることは大変難しいのです。


 だから、他の動物たちにはない有能な脳が与えられたわけです。そして、その脳がこの世界を築いた。しかし、それによって脳を使う必要を低下させたころから、我々の脳はどんどん劣化していき、畜生レベルの世界を築き、その地獄で死にかけているというわけです。


 人間の持つ能力は地球のみならず宇宙規模でも最も有能であると思います。しかし、有能であるが故に、過信が生まれ自滅の道へと向かっているのです。本来持っていた我々の有能は脳は殆ど死んでいます。


 それは、我々が抱える数多の問題に対して何も出来ない状態が証明しているのではないでしょうか?


 もの凄い能力はあるのですが、それを自ら殺している。それは、他人のふんどしで相撲を取り続けた結果だと思います。


 人間は犯罪を犯す生き物ではない。他人を攻撃したり搾取したりイジメたりする様な低能な生き物ではない。他人を思いやり助けて互いに生きていこうとする物凄く優しく有能な生き物なのです。


 それを性善説という言葉であざ笑う人もいますが、そういう風に善とか悪と言った二進法でしか物事を見れないお粗末な脳であってはいけないと思います。


 私たち人間は神の世界に生きているのではない。そういう作り話に踊らされていてはこの広い世界を見ることは出来ないのではないかと思います。私たちはみんな違うのです。


 その違いこそが重要であり、それによってそれぞれの存在意義や価値が証明される。そして、その違いが互いを必要とする理由となる。逆に、同じものに存在意義や価値はないし、同じものに必要はないのです。


 今は、その逆に依って誰もが苦しんでいるのではないでしょうか?


 その間違いを正すことで全ては上手くいくのではないかと思います。







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