第11話 脱資本主義は人間の能力を最高にする

 資本主義とはお金があれば何でも出来る世界です。当然ながら、お金がないと何もできない。


 しかし、この意味を知る人は少ないのです。何でも出来るというのは人間の能力がそうさせるのですが、お金でそれを実現すると、人間の能力は引き出せないのです。つまり、人間がどんどん無能になっていくということ。


 この文明社会に於いて、偏差値というもので高い評価を受けている人が多いわけで、そういう人が無能になっているとは到底思えないのではないでしょか?


 その結果、そういう人たちはより高収入な仕事に就き、お金を自由に使うことが出来るようになる。何でも揃った家に住み、仕事に専念できる環境を得られるわけです。


 しかし、それらはお金によって得られた環境であり、自分で作った環境ではない。当たり前の事です。が、その当たり前をそのまま受け取るのは危険なのです。今や何でも全自動という時代になっている。


 自分で何かやるよりもそちらに任せた方が間違いがないしキチンと出来るからそうするのでしょう。しかし、その結果自分に何が残るのでしょう?


 それは、そういう環境を失えば分かると思います。


 答えは何もできない人間になっている・・・・


 もちろん、仕事は出来て高収入を得られますが、それが以外は何一つできない。もし、収入がなくなれば生きていけないという事になる。


 つまり、資本主義は我々人間から全てを奪うモノなのです。それは、たくさんお金を貰えば貰うほど、それに見合ったモノが奪われているのです。


 もちろん、そういうことを自覚することはないでしょう。当たり前の事ですから。


 例えば、最近急激に増えているのが夫婦関係の悪化や子育てが出来ないということ。


 自分の妻や子と良い関係が築けないという愚かしい人が増えているのです。お金によって奪われた最も大きい能力の一つです。


 恐らく、仕事場でもそういう人は増えているのかもしれません。しかし、家庭と違って仕事場は誰もが演じているので、表面的には上手くいっていると見えることでしょう。


 その方法を家庭内にも持ち込む人は多いのでしょうが、本来、家庭内は情け容赦のない自由気ままな人間らしい唯一の世界なのです。誰もが言いたい放題好き勝手にする関係の中で、それを楽しむことが出来る世界と言えるでしょう。


 しかし、何でも与えるお金によって、何でも言う通りにしてくれるお金によって、そういう本来の人間関係についていけないほど能力が落ちているのです。


 その結果、家庭から離れる子どもが増え、当然、離婚も増える。そして、孤独社会となって最後は孤独死を迎えるという事です。


 一人では決して生きられない人間が、お金によって生きられると勘違いさせられたことで起こる悲劇と言えるでしょう。


 人間は、本来物凄く能力が高いのです。それをお金を稼ぐだけにしか使わないから能力が低くなり、人間が壊れ社会も壊れるとなるのです。


 従って、人間の能力を最高に高めるにはお金は邪魔なのです。お金は打算と欺瞞と傲慢をもたらせる悪魔の薬なのです。


 私たちには言葉のない時代があったのです。その方が圧倒的に長い。しかし、そういう中でも力を合わせて生きてきている。もし、今私たちが言葉を失ったら生きていけないでしょう。


 人間は何かを与えることで、或いは与えられることで成長するのでなく劣化するのです。与えらえれた事と同じ量の能力を奪われる。そのことを忘れてはいけないと思います。


 私たちは、言葉を知らなかった先祖たちより果たして幸せだろうか?


 脱資本主義が目指すのは、人間の幸せなのです。私たち人間はどうすれば幸せになれるか、どうなれば幸せなのかを中心に考えていくことなのです。その為には、人間の力を最大限に発揮することが重要だと考えています。

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