第9話 脱資本主義の最初の一歩

資本主義がギブに対するテイクから始まったとすれば、それを壊す新しいパラダイムを構築するのは、テイクを止めることではないかと考えるのです。つまり、他人から決して奪わない。


我々の出来ることはギブだけ。他人に対して出来ることは与えることだけ。


この種を撒くことで、テイカーが居なくなれば資本主義から新しいパラダイムへの流れが出来ると思うのです。もちろん、それを続けて行けば出来るとは言え、資本主義が2000年掛かったとすれば、脱資本主義も2000年掛かると思うのですが、そんな時間の余裕はないでしょう。


テイクを禁止することを例えば、法律だとか宗教に元ずく信念だとかで強制的に実現すれば、早く進む可能性はありますが、それでは歪められる可能性があると思うのです。


やはり、全ては実績で示さなければいけない。テイクするよりギブをし続ける方が、自分にとって良い結果が得られるという結果を示さなければ根付いていかないと思うわけです。


このギブオンリー世界の発想は、モノが溢れる現在でないと到底実現できるものではない。だから、理解されにくいと思うのです。


これまでは人々の様々なニーズを喚起することで経済発展を遂げて来たわけで、今その発展が陰りを見せているのは、喚起するニーズが途絶えたことが原因という事を誰も気づかないのです。


資本主義は新たなニーズ新たな市場がなければ自滅するという性質を持っている。もちろん、新たな市場がどんどん切り開かれた時代にその性質は顔を出さないので誰も知らないわけです。


そして、新たなニーズが陰りを見せた時に初めて現れるのですが、それを資本主義の問題点だとは誰も思わない。だって、これまでは上手くいってたらか。過去しか見ない勉強した人間の陥る罠と言えるでしょう。


そして、新たなニーズが生まれない市場からテイクするものがなくなれば資本主義は終わるのです。そして、テイクするものがなくなれば、残されるのはギブだけ。


ギブ&テイクからギブ&ギブという世界がそこに待っているという事です。


しかしながら、テイクしないと生きていけない資本主義によって、人間までもが死滅させられるという状況が目前に迫っているわけです。大事なのは、テイクではなくギブなんだという事。


テイクしなくてもギブしていけば生きていけるということではないかと思います。とは言え、全く逆の意識を求められるのです。その壁は相当に厚いはず。


しかし、最初のテイクをしないギブが起こる事で、状況は少しずつ変わるのではないかと思います。後は、そのギブを如何に次なるギブへを繋げるか。それでも、世界では少しずつギブが増えている気がします。


ただ、それはテイクしたものからギブしているに過ぎない。現実的にはテイクが多いからギブが出来るわけで、テイクのない人にギブは出来ない状況だと思います。


後はこれを如何にテイクを減らしてギブを増やしていくかだと思うのです。それを実現する方法を考えていけたらと思います。次回はその具体的な方法について考えたいと思います。



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