どれだけの時間そうしていただろう。やっと動けるようになった僕は、涙でぼやけた視界で、ルイの体についた砂を綺麗に払い、開きっぱなしになっていたビー玉みたいに綺麗な水色の瞳を閉じた。気に入ってずっと付けてくれていた人間サイズの赤いチョーカーが前脚に絡んでしまっているのを、首に付け直してやると、僕はトンネルの外に出た。

 いつの間にか陽が傾きかけていた。僕はルイを抱いて家に帰った。

 ドアの前に落ちたルイの服と、冷凍食品が溶けてびしょ濡れになっているレジ袋を拾い上げ、部屋に入る。


「おかえり」


ルイの声が聞こえた気がしてハッと顔を上げる。だが、そこには誰もいなくて、いつもの見慣れた部屋があるだけだった。

 ルイが初めて人間になったときも、『おかえり』そう言ってくれたっけ……


 ある日、中学生になった僕が学校から帰ると、ルイが人間の女の子の姿になっていた(あのときはまだ実家に住んでいたから、正確には僕の部屋のドアを開けたら、なのだが)。

 僕は自分の部屋に知らない女の子がいて心底ビックリしたが、自分がルイだという女の子の目が綺麗なスカイブルーだったり、黒猫に戻ってみせたりしたから、信じない訳にはいかなかった。

 ルイは僕と恋人になりたいから人間になったんだと当たり前のように言ってのけて、その日から、ルイは僕の彼女になった。


 毎日言ってくれた彼女のいってらっしゃいやおかえり、おはよう、おやすみも、もう聞くことはできない。そう思うと、あんなに泣いて枯れたはずの涙が、また頬を伝った。

 涙でぼやけた視界のまま、強く抱きしめていたルイをいつものクッションの上に横たえた。しばらく、眠っているように穏やかに目を閉じるルイを見つめていたが、ふいにそのクッションの下に、一枚の紙切れが挟まっていることに気づく。

 何だろうとその紙をそっと引っ張り出す。2つに折られた紙を開くと、そこには拙い文字で、『しま なかないで あいしてる いままでありがとう』と書かれていた。

 病気が発覚してしばらくしてから、ルイは文字を教えて欲しがるようになった。ビックリしたが、熱心に勉強していたから、1年生用のひらがなワークを買ってやった。いつの間にかそれも見なくなったから飽きてしまったんだろうと思っていたが、彼女はこの手紙のために、僕がいない間、こっそり練習していたのかもしれない。


「ルイ……。僕も、愛してる。

ありがとう。ルイといた時間は、いつも、すごく幸せだったよ……」


 僕は夏の夕陽に照らされた部屋で、ルイの体を撫でながら、何度も何度も、その手紙を読み返した。

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ルイと僕 あおい @aoimam

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